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その日、宿を見つけた後、レオは一人、自分の部屋で空を眺めていた。赤く染まった空の果てに、一番星が煌々と輝いている。それを見ながら、とあることを考えた。
(エリカ…、本当に大丈夫なのか…?)
レオは最近、エリカの様子がどこかおかしいことに気付いていた。どこか沈んだような表情をしていたり、空元気を出していたり…。だが、彼女は自分からは何も言ってこない。いつも何かを不安に思っていても、決して言葉に出さないから心配になる。必死にそれを隠そうとしている。なので、レオも深く聞くことができなかった。確か、氷の街を出た頃からそれは始まった。悲しそうで、寂しそうで…。一応、今までよりも色々と話したり気を遣ったりはしているが、あまり様子は変わらなかった。正直、これ以上どうすればいいのか分からない。だが、今の状態のまま放っておくことができないのも事実だった。このままにしておいてはならないような、そんな気がする。それも、強く…。
――今度こそ、放っておいてはならないような…。何回もそんな気持ちを感じていた。だが、その気持ちと同時に、レオはいつも不思議に思う。「今度こそ」ということは、「前」にも同じようなことがあったはずだ。しかし、それを思い出すことができない。その「前」というのは、少なくとも、天文台でエリカと出会ってから起こった様々な出来事ではない。とても重要なことだと分かっているのに、その記憶がどこにもない。そこが一番肝心なのに…。いつのことなのかも分からなくて、記憶の箱のどこから手をつければいいのか分からないような状態だった。
そういう時、レオは氷の街でエリカにもらったミサンガを眺めている。夜明けの空のような色は、まるで何かの始まりを告げているようだ。それと同時に、いつも不思議な感覚に襲われる。前にも、こうしたものを貰ったことがあって、自分はそれを大事にしていて…。でも、その後のことを思い出せない。何かとても悲しくて悔しい感情だけが残っている。だが、そもそもそれが何のことなのか、いつのことなのか、本当にあったことなのかは自分にも分からない。ただ漠然とした感情やイメージが残っているだけだった。
レオはミサンガから目を外し、再び空を見た。既に夕日は沈んでしまい、紺色が空を染め上げている。今はちょうど、夕方と夜の境目だ。あの夕日が沈んだ方向よりも少し北の方角に、港町はある。そこまで無事にたどり着けるだろうか。レオは少し不安だった。一応、ここまでの道のりはどうにかなったが、その後はどうなるのか、レオには全く見当がついていなかった。着いた後で、自分がどうするのかも…。ただ一つ、エリカとはそこで別れる、ということだけは決まっている。だが、その後どうするべきなのか、レオには全く見えていなかった。エトリセリアに戻るわけにはいかないし、かと言って行く当てもない。空を見上げたままレオは考えた。
「…港町からは、一人、か…。考えられないな…」
誰にも聞かれないまま、その声は消えていく。自分でも、今の心情がよく分からない。自分では、エリカを守りきることはきっとできない。そうするために必要な力が足りないからだ。そのことははっきりと自覚している。今までに何回も危ないことがあったのにここまで来られたのは、運が良かったのと人に恵まれていただけにすぎない。この先もそんな幸運が続く可能性は低いし、このまま一緒にいてもいつか限界が来てしまうだろう。それなのに…、心のどこかで一緒にいたいと強く願っている自分がいる。いつからなのか分からない。でも、気づけばその思いは自分の中にあり、ずっと存在している。
元々は、ジゼルの最後の命令でだけで繋がっている関係のはずだった。港町まで護衛をしたら、そこでおしまい。最初にエリカとそう決めていた。…その予定が自分の中で崩れ始めたのはいつからだろう。そもそも護衛をしながら旅をしている今の状況は危険だし、重責を担わなくてはならない。半人前であるレオにとってはとても辛いことのはずだ。本来はそうだったのに。それだけでなくなったのは、きっと旅の相手がエリカだったからだ。…この心情の変化は良いことなのか、それとも悪いことなのか。
『私にとって、レオさんは命の恩人です』
エリカの言葉がふいによみがえってきた。エリカがそう言ってくれた時、本当に嬉しかった。自分でも誰かを守れたのだと、そう思えたからだ。そして、その時に何故か思った。次こそは、守れるのではないかと。「前」が一体何なのか。それは分からないが、確かにそう思った。それに、エリカといることがいつの間にか当たり前のようになっていた。だから…、港町に着いた後、一人でいることを想像できない。ずっとこのような生活が続くのではないか…。心の中でそう考えている自分がいる。しかし、具体的に港町に着いた後のことを決めているわけではない。取りあえず、次の護衛の人が決まるまで、という話にはなったが、その後はどうするのか。その辺りのことをレオは全く考えていなかった。何だかもやもやする。自分の後の護衛が一体誰になるのか、それが非常に気になっている。未来のことなのでまだ分からないのに、無性に気になる。その人物が、果たしてどんな人になるのか…。このもやもやの感情の名前が一体何なのか、レオはまだ知らなかった。
「…取りあえず、僕がいなくなる前に、エリカが何を悩んでいるのか分かればいいが…」
先のことはまだ分からないが、取りあえずそのことだけは放っておくわけにはいかない。それだけは分かっていた。無理矢理聞きだすようなことはしないつもりだが、できればそれをどうにかしたい。そうじゃなければ、きっと別れた後でも気になってしまうだろう。そう考えつつ、レオは立ち上がった。この部屋からちょうど町の時計台が見えて、ちょうど夕食の始まる時間を指している。その時間になったらこの近くで待ち合わせしよう、とエリカと話していたので、そろそろ行かなくてはならない。レオは部屋を出て、鍵をかけた。ちゃんと閉まっていることを確認した後で辺りを見たが、エリカはまだ来ていないようだ。もしかしたら、自分がここに来た時間が少し早すぎたのかもしれないので、少し待ってみることにした。
…だが、十分ほど待ってもエリカはやって来ない。時間を間違えたのかと思ったが、廊下の壁に掛けられた時計は、約束の時間の十分後を指している…。だが、エリカが出てくる気配はない。…まさか、何かあったのだろうか?急にレオは不安に襲われた。一応、氷の街ではどうにか追手を追い払ったし、ここは屋内で他にも人が大勢いる。だが、だからと言って完全に安全ではない。何か不測の事態が起こらないとは限らないのだ。レオはエリカの部屋の前に立った。そして、コンコンと扉を叩く。これで、反応があれば良いのだが…。しかし、そんなレオの期待を否定するかのように、返事は何も返ってこない。ドアノブを回すと…、開くようだ。レオは入っても良いのか一瞬躊躇したが、
「……このまま待っていてもどうにもならないし、開けるか」
そうつぶやいて、扉を開けた。




