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角から出てきた人物はすぐにエリカに気づいたようだったが、ちょうどエリカは視線を前に戻した直後だったせいでその人に気付くのが遅くなり、彼に勢いよくぶつかってしまった。その反動で、後ろに倒れそうになる。ぐらりと視界が大きく傾いた。
「危ない……っ!」
すんでのところで相手がエリカの腕を掴み、前に引き寄せる。そのおかげで、どうにかエリカは体勢を立て直すことができた。その拍子に、相手の被っていたフードが外れ、その顔があらわになる。後ろで一つに結ばれた、背中まである長めの髪がさらりと揺れた。
「…すみません、大丈夫でしたか?俺がちゃんと前を見ていなかったせいで…」
「いえ、こちらこそ、気付くのが遅くなってしまったせいでぶつかってしまい…。ごめんなさい。それと、助けて下さってありがとうございました。助かりました」
エリカは慌ててそう言ったが、彼の顔を見た時、何故か不思議な気持ちになった。まるで、自分が目の前にいるこの人物を知っているような…。どこかで会ったことがあるような、そんな気がした。だが、それが一体どこでのことなのか、いつのことだったのかも全く思い出せない。でも、確かにそんな感覚がする。エリカは誰だろう…、と考えてみたが、何も浮かんでこない。
「怪我をしていないのなら良かったです。久しぶりに知り合いに会えるのが嬉しくて、周りに注意がいかなくなっていました。気をつけないといけないですね…」
そう言いながら彼は苦笑した。その笑みはどこまでも優しそうだ。…それなのに、何故かエリカはその時、「怖い」と感じていた。どうしてなのかは全く分からない。本当に怖い人ならば、ぶつかった瞬間に絶対に怒られていただろう。そんなことはなかったのに、目の前にいる人物が、恐ろしい。怖くてたまらない。心の中で誰かがはっきりと告げている。早く、少しでも早くこの人から離れないと…、と。その感覚に突き動かされるようにエリカは言った。
「…すみません、私は急いで大通りに戻らないといけないので…。失礼させて頂きます。ここから出るための道も探さないといけないですし。あの、本当にありがとうございました」
怖いという感覚がしているが、エリカが倒れそうになったところを助けてくれた人だ。なので、一応お礼を言い、その場をすぐに離れることにした。だがそこで引き留められる。
「それなら一緒に行きませんか?俺もそっちの方に行く必要がありますし、この辺りの道はかなり入り組んでいるので、適当に行ったら迷子になりますよ」
エリカはその言葉に少し考えた。恐怖を感じている相手ではあるが、一緒にいれば追手に見つかっても近付いてこないかもしれない。それに、エリカが今迷子になりかけているのも事実だ。恐らく、一人でここから出るのは難しいだろう。なので、考えた末にうなずいた。何が起こるか分からないので警戒はしておく必要があるが、それ以外はエリカにとって利点でしかない。相手に気をつけながらエリカが歩いていると、彼が不意にエリカにこう尋ねた。
「そういえば、あなたはどうしてこの道に?普段ここに人が来ることは滅多にないですが…」
「えーと……。何というか、この道がどこに繋がっているのか少し気になって」
追われていた、と言うわけにもいかず、エリカは適当にそうごまかした。かなり苦しい言い訳だと思ったのだが、何故か彼はあっさりとそれを信じてしまった。驚きつつも、安堵する。
「でも、あまりこの道には入らない方がいいですよ?色々な意味で危ないので…」
「…ですが、あなたもここを通っていますよね?しかも、すごく慣れているみたいですし…」
エリカはそう尋ねたが、彼は意味深に笑うだけで、何も答えなかった。しばらく話しながら歩いていると、段々と喧騒が近づいてきた。恐らく、すぐそこに大通りがあるのだろう。何事もなく辿り着けたことにエリカはほっとした。それと同時に、さっきの感覚を疑問に思う。どうして自分は、彼を怖いと感じたのだろう?ぶつかった時に助けてくれたし、今だって道案内をしてくれたというのに…。エリカは首をかしげたが、取りあえず再びお礼を言った。
「色々とありがとうございました。…それでは、さようなら」
恐らく、ここに再び来られる日が来るのは当分先だ。その時に彼がまだここにいるかどうかは分からない。なので、その言葉を使った。エリカは一人、大通りに出て、レオがどこにいるのか探そうと路地の入り口から離れようとした。だが、その時。後ろから、声が追いかけて来た。それは、喧騒の中にいるはずなのに、何故か明瞭にエリカに届いた。
「…あなたとは、またすぐに会えると思いますよ。その時を楽しみにしていますね、エリカ」
彼は確かに、彼女の名前を最後に告げた。エリカは驚いて路地の方を振り返った。だが、通行人がその前をよぎるだけで、そこには既に彼の姿はない。辺りを見ても、それらしき人は見当たらない。一瞬でその姿が消えてしまった。エリカが首をかしげていると、どこかから再び「エリカ!」とよく知っている声で名前を呼ばれた。辺りを見渡すと、レオがこちらに来ていた。
「すまない、遅くなってしまって。なかなか相手が引いてくれなくて…。無事で良かった」
「はい、途中までは追いかけられましたけど、何とかなりました。レオさんも怪我がなさそうで何よりです!追手が来ないうちに行きましょうか」
「そうだな。また遭遇したら面倒だ。先を急いだ方がいいだろう」
二人は氷の街の出口に向かって歩き出したが、エリカはさっきの不思議な人物について考えていた。どうして彼は、エリカの名前を知っていたのだろうか…?だが、少なくともエリカの方には、彼に会った記憶はない。なので、知り合いかどうかもはっきりしていない。エリカは一旦、先ほどの方向を振り返った。やはりそこに、彼の姿はない。忽然と姿を消してしまった。
(でも、あの不思議な方は最後に、またすぐに会える、と言っていました…。その時に理由を聞くのが一番いいのかもしれません。一体、どこで会えるのでしょうか…?)
そんなことを考えながら、エリカは氷の街を後にした。再び、港町に向けての旅が始まる。
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一方、エリカの名前を知っていた不思議な人物は、路地で楽しそうに笑っていた。誰もいない、あまりに静かなその道に、彼の笑い声が響く。久しぶりに知り合いに会えて、話までできたことが嬉しかったのだ。彼の作戦は、大成功だ。まさか、ここまで成功するとは思っていなかった。だが、ふと人の気配を感じ、彼は振り返った。そこには彼の部下であるミナギがいる。
「…本当に逃がして良かったのですか、イオ様。絶好の機会でしたのに…」
不思議な人物――イオは、うなずいた。本当はミナギの言う通りここで連れ去っても良かったのだが、それにはまだ早すぎると、エリカと話してみて分かった。彼女はまだ、大事なことを思い出していない。イオが全てを変えるためには、エリカの記憶がどうしても必要なのだ。
「まあ、俺の知りたかったことは完全に分かりましたので満足です。俺はエトリセリアに戻ることにします。そうですね…、港町辺りに彼女たちが着く頃にまた来ますので、そのつもりで」
「はい…!?またフレイアに来るおつもりなんですか!?しかも、港町はかなり遠いですよ?いい加減にここに来ないで真面目に仕事をして頂きたいのですが…!」
ミナギにそう抗議されたが、聞こえなかったことにして、イオは身を翻した。取りあえず、港町まではミナギたちに任せることにして、自分はエトリセリアに戻ることにする。さすがにそろそろ戻らないと、そこで待っている人たちに怒られることになりそうだ。あっという間に彼の姿は雑踏の中に溶け込む。恐らく、ミナギには既に自分の姿は見えていないだろう。
「計画が全て完成するまで、あともう少し。…早く、エリカがあのことを思い出してくれればいいんですけどね…。そうすれば、いつだって簡単に終わらせることができる」
イオのつぶやきは、街の喧騒に掻き消され、誰も聞いた者はいなかった。
めちゃくちゃ遅くなりました…。取りあえずここで氷の街は完結です。次は間章の予定です。
進捗遅いのに読んでくださって本当にありがたいです!
読んでくださり、ありがとうございました。




