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一方、レオは家屋を出た後、とある目的のために東の森へと向かっていた。空を覆う雲は、段々厚く、暗い色へと変化している。直に雨が降りだすだろう。だが、レオは傘を持ってきていない。雨が降って来る前に終わらせようと思っていたからだ。しかし、非常に厄介なことになりそうだ。そう予感しつつ、この前買い物に行った後で見つけた手紙の内容を思い出していた。…とは言え、書かれていたのは日時と場所、それから脅し文句くらいだ。
また、手紙の封蝋に使われていたマークには不思議な紋様が描かれていた。そして、レオはそのマークをどこかで見たことがあった。最初はどこで見たのか思い出せなかったが、記憶を遡ってようやく思い出した。
(…あれは確かエトリセリアで見たものだ)
反乱軍が王城にかなり近づいてきた頃のことだ。その頃、王城には頻繁に反乱軍の使いだと称する者が訪れていた。そして、その者が来ていた鎧につけていた紋章こそが、その印だった。つまり、紋様は反乱軍であることを示しているということだ。それを思い出して最初にレオが思い出したのは、湖の街や氷の街への旅の途中で現れた男の存在だった。恐らく、彼がこの手紙をよこしてきたのだろう。何故レオに用があるのかは分からないが、文章は明らかにこちらを脅すものだった。
『もし、この時間にこの場所に来なかった場合、氷の街に反乱軍が来るだろう』
その言葉は恐らく本当だ。実際、氷の街には何人か反乱軍の人物が入ってきている。そのことは既に分かっている。…これは暗にエリカを問答無用で連れ去ることを示していた。それを回避するため、レオはその指定の場所へと向かっていた。その場所とは、氷の街の東に広がる森だ。この辺りは人気がなく、非常に静かである。本当にここで人が待っているのだろうか、と思っていると、不意に開けた場所に出た。ここは丘のようになっているようで、氷の街全体やその外にある荒野を一望することができる。
しかし、レオがその景色を見ていると、かさりと後ろで不自然な物音がした。次いで、何かが空を切り裂くような音も。その気配を感じたレオは咄嗟にそれを避けて振り向いた。――そこにいつの間にか人が立っていた。そして、レオは、その人物を確かに知っていた。その人物は、ぱちぱちと手を叩いて、この場の状況に似つかわしい明るい口調で言った。
「へえ、さすがエトリセリア王城の騎士だっただけあるね。見事に避けきったな」
「……随分物騒な挨拶だな。僕を殺すつもりだったのか?」
レオのその問いに男はくすくすと、こんな状況であるにも関わらず楽しそうに笑った。
「まさか。君なら絶対に避けられると確信していた。そうじゃなければ、王城の騎士など務まらない」
けれど、その言葉はただ単純に褒めているものではないとすぐに分かった。むしろ、嘲っているような響きを含んでいる。……一体、彼は何を言いたいのか。エリカをこちらに引き渡せ、とでも言うのかと思っていたが、それだけではなさそうだった。次にくる言葉が予想できず、レオは沈黙したまま敵を見た。
「そう言えば、まだ名乗っていなかったね。俺はミナギ。以前はエトリセリアに星術師として仕えていた。まあ、今はご存じのとおり反乱に加担しているわけだけど」
そして、ミナギは不意にその笑みを消した。普段はあまり見せないような冷たい表情へと変わる。それだけで一気に、その場の空気に緊張感が増した。彼はその場の雰囲気を一気に作り上げ、その中で自分が主導権を握れるような才能を持っているらしい。そんな中で、いつもと変わらない口調でミナギは言った。
「…さて、挨拶はこれくらいにするとして。正直、君が本当にここに来てくれるとは思っていなかったよ。あのお姫様のことがすごく大事なんだね?ちょっと予想外だったけど」
「……何が言いたい?大人しくエリカを渡せという話なら帰らせてもらうが」
「違う違う。今日話したいのは、主に君に関することだ。なかなか面白い話を聞いたからちょっと確かめてみたくなってね…。つい君と話してみたくなったんだよ」
ミナギは再びにこりと微笑んだが、目は全く笑っていない。そんな表情と言葉にレオは嫌な予感がした。だが、今更引き返すわけにはいかない。レオは何も言わずにその話の続きを聞くことにした。ミナギは少し楽しそうな口調で話を続けた。
「俺の集めた情報が正しければ…、君には騎士として致命的な弱点がある。…違う?」
その言葉にレオは目を見開いた。何故、目の前にいる人物がそのことを知っているのだろうか。それは、誰にも知られていないはずだ。そもそも誰にも言っていなかったのだから。そのため、レオはずっと騎士でいられた。それなのに、同じ王城に仕えていたとはいえ、星術師である彼がそれを把握しているのか――。
一方、明らかに動揺した様子のレオに、ミナギは自分の調べたことが正しかったことを確信した。ミナギは、レオがエリカに協力していると分かった時からずっと、彼の弱点は何なのかを調べ続けていたのだ。幸いなことに、王城には未だにレオのことを知る人物が多く残っていたし、ミナギ自身も襲撃などを通して彼の人物像を探っていた。人の性格を読み取ることは今までもしてきたため、たとえ数えるほどしか会ったことがなかったとしても、大体は分かる。そうして浮かび上がった事実はまるで信じられないものだったが、こうして突きつけてみた反応を見る限り、嘘ではないようだ。自分の計画が予定通りに進んでいることを読み取ったミナギは滑らかに言葉を続けた。
「やっぱりそうなんだ。…王城にいる、君の知り合いから話を聞いてみたんだよ。君がどういう人物なのか、ということを…。そうしたら、その人はこう答えた」
『レオは騎士としてとても優秀だ。誰よりも器用に剣を扱うことができる。…ただ、一つだけ気になることを挙げるとすれば…、それは、未だかつて彼が敵を殺したことがないということだ…』
徐々に隠してきたことが暴かれていく感覚。それは、どんな武器よりも、強く、鋭い。それがゆっくりと、だが、確実に心に刺さっていく。レオは一歩後ろに下がった。だが、それ以上は退くことができない。ここは高台になっているが、すぐそこは下の荒野へと続く切り立った崖…。
レオはミナギの言葉を心の中で反芻した。――彼の言葉は当たっている。実際にレオは人の急所は狙ったことがない。つまり誰かを殺したことが一度もない。…いや、正確には、したことがないのではない。ずっと人に言っていなかった、どうしても秘密にしておきたかった事実が、目の前にいる人物によって暴かれようとしている。そのことを止めたかったのに、何故か声が出ない。――何も言えない。制止することもできず、ただ男が紡ぐ言葉を聞くことしかできなかった。
「…そして、先日俺たちが馬車を襲った時もそうだった。君は相手を攻撃することはあっても、しばらく戦えないようになるところだけを狙っていた。…これらのことから言えることは一つ」
それは、レオにとって最も言わないでほしい言葉。誰にも気付かれたくなかった、事実。誰にも言ってこなかった、彼の秘密。しかし、それを男は何のためらいもなく淡々と告げた。
「――君は、たとえ守るべき主を狙っている敵であっても、人を殺すことができない」
「っ、それは……!」
何か言い返したかったのに、何も反論ができない。男の言ったことは、紛れもない事実だ。そのことを、自分が一番分かっている。だからこそ、何も言えなかったのだ。
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