16
――それは、今から一年ほど前のことだった。その日、王城内に不審な人物が入ったという情報を得た城の騎士たちは、いつも以上に警戒していた。レオもその情報を受け、巡回の為に王城内を歩いていた。そうして、最上階にたどり着いたその時。視界の端を何かがよぎった。確認してみたが、誰もいない。しかし、何か嫌な予感がしたレオはそちらの方向に行ってみることにした。なぜなら、その先にあるのは王族が普段、生活している区域だったからだ。レオはその回廊をあちこち見ながら視界をよぎった何かを探していると、不意に近くの扉が開き、ジゼルが姿を現した。数枚の紙と、誰かからの手紙を持った彼女は何やら上機嫌な様子で出てきたが、レオを見てきょとんとした。そして、不思議そうな様子で尋ねる。
「あら、どうしたの?今日の護衛ってあなたじゃないと思ったのだけど。何か用事かしら?」
「いえ、そういうわけではなく、不審人物がいるという情報がありまして現在捜索しております。ジゼル様、もし王城の外にお出かけになられるのならばお気をつけ下さい」
こうして王族と話す機会はめったにない。しかも、状況が状況だ。少し緊張したレオのその言葉に、何故かジゼルは少し笑った。そして、彼の後ろに視線を向けて言った。
「ええ、気をつけることにするわ。…と言おうと思ったのだけど、もうその必要はなさそうね」
その言葉と同時に、レオは鋭い殺気を感じ、振り返った。そこには、どこに隠れていたのか、さっき視界をよぎった人物がいた。レオは素早く剣を抜き、相手の腕を切りつけた。相手は、その痛みで持っていた暗器を取り落とす。すると、すぐに騒ぎを聞きつけた騎士たちが駆けつけてきた。不審者はそのまま拘束され、連れて行かれる。レオもそれに続こうとしたのだが、ジゼルに呼び止められた。そして、何もかも見透かせるような澄んだ瞳をレオに向け、尋ねた。
「ねえ、一つ質問してもいいかしら?…今、あなたが不審者の腕を狙ったのは、偶然?それとも、何か理由があって、あえて計算してやったことなの?普通、王族を殺そうとする人物がいたならば、迷わずその人物の急所を狙うかと思ったのだけど…。違うかしら?」
その質問にレオは一瞬、不意をつかれたような、そんな気がした。隠していたことをあっさり見抜かれてしまったような…。それと同時に、驚嘆した。自分が怪我をするかもしれなかったあの状況で、ジゼルが冷静にレオのことを見ていたからだ。しかし、レオは動揺を隠し、平静を装って言った。
「…動機などが分からないので、生かしておいた方が良いかと思いまして。…それだけです」
「……そう。まあ、何事もなかったのだし、別にどちらでも構わないわ。何にせよ、私があなたに助けられたということは事実だもの。助かったわ、ありがとう」
ジゼルはそう言うと、レオに背を向け、国王の執務室がある方向へと向かっていった。書類を持っているので、恐らくそこに書いてある文章に関することで用事があるのだろう。だが、レオはジゼルが去った後もずっとその方向を見つめ続けていた。ジゼルの言葉が、重くレオの心に響いていたのだ。今回のことでどれだけ鍛錬しても、自分が人を殺せないということを実感したからだ。そして、それをあっさりとジゼルに気付かれてしまった。
「……取りあえず、戻るか。さっきの不審者の取り調べもあるだろうし」
レオは小さくそうつぶやき、歩き出した。元来た道を、いつもと同じように。しかし、腰に下げている剣は、何故かいつもよりもとても重たく感じた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――自分はきっと、あの頃と何も変わっていない。レオはそう感じていた。敵が向かって来ても、急所を狙えない。レオにできるのは、ただ相手を戦闘不能にすることだけだ。それは、昔からずっと変わっていない。さっき馬車に襲いかかってきた人たちを相手する時も、同じだった。今後のことを考えれば、敵は倒さなければならない。だが、彼にはそれができなかった。そうしようとすると、剣を振るえなくなってしまう。傷付けるだけならば、剣を自分の体の一部のように簡単に扱えるはずなのに。目的が少しでも変われば、それは、ただの重い金属となってしまう。
「…レオさん、どうかしました?顔色が悪いですよ。…あ、もしかして戦いで疲れましたか?何だったら、少し休みます?私もさっき、休ませて頂きましたし」
エリカの心配そうなその声でレオは我に返った。はっとして目の前を見るとすぐ隣でエリカが彼を見ていた。その瞳は、ジゼルと同じように真っすぐで、全てを見通すようだ。レオが慌てて首を振ると、エリカは安心したように微笑んだ。しかし、レオは思わず目を逸らしてしまった。自分の隠し事が見透かされてしまいそうで、怖かったのだ。ついでに辺りを見ると、すぐそこに建物がある。いつの間にか馬車はしばらく滞在する建物に到着していたらしい。すると、こちらの様子を確認するためにやって来たレヴェンが不意に尋ねてきた。
「そういえばお前ら、この後はどうするつもりだ?氷の街が目的地、ってわけじゃないだろう」
「港町へ行くつもりですよ。…フレイア国についてはさっぱり分からないので、どうすればそこまで行けるのかも分からないのですが…。レヴェンさんは港町について何かご存知ですか?」
「詳しくは知らないが…、確か、貿易で栄えている町だったはずだ。エトリセリア王族のクリス様がそこで商売を始めて、それが成功してから急激に人が増えた、とかそんな話だった気がする。そういえば、エリカはクリス様に会ったことはあるのか?」
エリカはうなずいた。彼は一度だけ、エトリセリアを出る前に天文台にジゼルと共に来てくれたことがあったのだ。そのため、あまり記憶に残ってはいないが、明るい雰囲気の人だったということだけは覚えている。その時、ジゼルはクリスを紹介した後で、エリカにこう言った。
「エリカ、もし困ったことがあったら、クリスを頼るといいわ。いい人だから安心して。今まで通り私を頼ってくれてもいいのだけど、もしかしたらその時に私がこの国にいないかもしれないから…」
その時は、まさか本当にクリスを頼ることになる日が来るとは思っていなかったが…。いつ何が起こるかなんて、誰にも分からないものだ。エリカはそんなことを思いつつ、かばんからとある紙を取り出した。そこに、クリスの住んでいる場所の住所が書かれている。ジゼル経由でクリスからもらったものだ。エリカはそれを大事に取っておいたため、その紙の文字は薄れていないし、破れてすらいない。エリカが港町がどんな場所かを想像していると、レヴェンが急に思い出したらしく、言った。
「そういえば、あの町は美しい海が有名なはずだ。環境の保護にも力を入れているらしい」
「海ですか!?私、まだ海を一度も見たことがないんです!確か、青くてとても広いんですよね?いつか見てみたいとは思っていたのですが、見られるでしょうか…」
エリカは少しうつむいた。今も、反乱軍はエリカを追ってきている。いつ彼らに捕まるかなんて分からない。最悪の場合、翌日にはエトリセリアに連れ戻されているということもあり得るのだ。無事にそこまでたどり着くことができるか…、恐らく可能性は低いだろう。だが、レオがエリカを安心させるかのように言った。
「見られる。というか、絶対に見よう。僕がエリカを守るから。だから、心配するな」
「…!…ありがとうございます、レオさん。やはり、レオさんは優しいですね。私、いつもレオさんに助けられているような気がします。私ばかり、申し訳ないです…」
「そうか…?それを言ったら僕もエリカといると楽しいし、一緒に過ごすのも嫌いじゃない。だから気にしなくていい」
エリカはその言葉に驚いたように目を丸くしたが、やがてどこか恥ずかしそうに微笑んだ。そんな二人を黙って見ていたレヴェンは何とも言えないような表情になってつぶやいた。
「何なんだ、こいつら…。勝手に二人だけの空気を作りやがって…。しかも、お互い自覚はないみたいだが、どう考えても惹かれ合っているだろ…」
するとエリカが、レヴェンが何か言ったことに気付き、首をかしげた。そして、尋ねる。
「レヴェンさん、今、何て言ったのですか?ごめんなさい、聞き流してしまっていて…」
「いや、何でもない。独り言だ。ただ、お前らの仲がいいと思っただけ」
その言葉にエリカとレオは不思議そうに顔を見合わせる。二人ともそんなことを考えたことがなかったのだ。レヴェンは二人のそんな様子を見て、まだまだ先が長そうだとため息をついたのだった。
湖の街編はここで完結です。次回から氷の街のお話に入っていきます。
ジャンルが恋愛のはずなのに、全然進んでいないという…。次の章で少しはそちらの話も進められれば、と思っています!
読んで下さり、ありがとうございました。




