久村部長の悩み (5) ★
「競馬先輩が……部長……?」
「え、止めてください……」
「部活が私物化されますよ……?」
途端に、すう、と引いていく波。
「この反応はムカつくことこの上無いが、否定はしない」
当の本人も、呆れた眼差しだ。
中央にいる久村部長だけが、きょとんとしている。
「え、でも演技力高いし」
「お前に言われるとただの嫌味だな」
競馬先輩が、据わった目をしている。
「え、と、指導力あるし」
「指導力……!?」
「何を相談しても、『俺の背中を見て覚えろ』としか言わない人に、指導力、だと……!?」
1年がざわめいている。「お前ら……後で、分かってるだろうな?」と黒い笑みを向けられ、途端に黙ったけれど。
「それに、なんだかんだ言って、優しいところが……」
「いやそれは部長限定なん――ごふっ」
垣内さんの肘鉄が、木谷の鳩尾に綺麗に吸い込まれていった。垣内さんは苦しむ木谷を見下ろし、「馬に蹴られたと思いなさい」とにっこり笑う。
「ちょ、どうした木谷! 大丈夫!?」
久村部長が慌てて駆け寄ろうとしたのを、両肩に置かれた手が阻止した。
「とにかく、お前が一番良い部長になれるってことだ。だからって、1人で抱えようとするなよ?」
競馬先輩が強引に纏めた。間違ってはいない。それから、「さ、突っ立ってないで、さっさと乾杯して楽しもうぜ」と暗に周りに指示を出す。
慌ただしく、紙コップ(オレンジジュース入り)が配られていく。僕たちが買ってきたお菓子も、中央の机に、開けられて置かれていく。
彼らは、僕たちにもジュースを渡してくれた。参加資格を得たようだ。
「人数が多いの、羨ましくなりましたか?」
星野さんに、こっそり訊かれた。
「うん、これもこれで楽しそうだね」
みんなでワイワイ楽しくやって、ひとつの目標に向かって歩いていく。その姿は、輝いている。
「でも僕は、星野さんと2人の部活の方が、気に入ってるかなあ」
にこっと笑って言うと、少しの間の後に「松田くんはたまに小悪魔ですね」と意味不明な回答をされた。
どういう意味、と訊ねる前に、「それでは、みなさん飲み物の準備はいいですかー?」と元気な声が響く。はあーい、とそこらかしこから返る声。
「かんぱーい!」
「かんぱーい!」
紙コップが触れ合う。久村部長は、今までに見た以上の屈託ない笑顔だった。
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通し稽古をするから、是非見に来て欲しい。
誕生日会の翌週、久村部長からそう言われ、僕と星野さんはスケッチブックを片手に、体育館へ訪れた。
「よう、お二人さん」
「あ、どうも」
競馬先輩が、舞台横のドアから悠々と出てきて、片手を挙げた。
「久村は主役だから、準備があるんだ。今日時点では、衣装は無いけどな」
「ええ、存じております。王子様役なのですよね」
「久村部長は王子なんだ?」
「すごいぞ、久村の演技は」
にんまり、と笑う顔は、どこか自慢げだ。楽しみです、と返してから、不意に今日の彼には敵意を向けられていないことに気付いた。
なんだろうなあ、と思いながらも、気まずいよりかはよっぽどかマシなので、あえて触れない。多分、星野さんと一緒にいるからなのだろうけど。
「今日はきっと絶好調ですよ。誕生日プレゼントがすごく嬉しかったって言っていました」
「ああ……そうか」
心の底から、ふっと湧き上がってきたような、微笑み。この人、こんな顔もできるのか。普段のおちゃらけたイメージとは異なる、穏やかな顔。
それにしても、誕生日プレゼントか。
金曜日は、乾杯の後、無礼講という言葉が可愛いと感じる程にあちらこちらで騒ぎまくっていた。アルコールは誰一人摂取していないはずなのに、あの騒ぎっぷり。今思えば、みんな雰囲気に酔っていたのだろう。
そんな調子であったので、誕生日プレゼントが手渡されたことさえ知らなかった。どんなプレゼントだったのだろう。
「そろそろ俺も控えておくかな」
去っていく競馬先輩の後ろ姿を見送りながら、内心で首を傾げていた僕を見て、星野さんがくすくすと笑った。
「アルバムだそうですよ、プレゼント。稽古風景とか、部活前後の様子とか。お金を掛けた物よりも嬉しかった、って」
「あー」
喜びそうだ、久村部長なら。
思った瞬間に、照明が消えた。
数秒後、声が響き渡った。
『何故、俺は貴女と出逢ってしまったのか』
ゾクリと肌が粟立つ声。確かに女の人の声なのに、男の色気がこもっている。
『何故、貴女は俺に手を伸ばしたのか』
鉛筆を持つことすら忘れ、吸い込まれるように、舞台を見る。パッと照明が集まり、舞台中央に立つ、ジャージ姿の久村部長が照らされる。
でもそれは、普段の彼女ではない。
果てしない苦悩を知る者の顔だ。どうしようもなく愛おしい者を持つ顔だ。抗いがたい運命を前に、打ち負かされそうになり、それでも立ち上がり、前に進む覚悟を決めた顔だ。そういう男の顔だ。
“彼”は、ゆっくりと、しかし力強く、腕を広げる。
『今、その全てを語ろう――!』
他の誰をも凌駕する存在感に、僕の手から、ころりと鉛筆が落ちた。
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「あれを前にしたら確かに、緊張するのも仕方ない、と思う」
演劇どころか、演技の良し悪しなんて分からない自分でさえ“そう”なのだ。久村部長から直々に指導を受ける我らが同級生は、緊張して然るべきだろう。
「久村さんのすごいところは、そのカリスマ性を自分が持っていることに気付いていないところなんです」
星野さんが、仕方なさそうに笑う。
「特別鈍い訳でも無いのに、不思議だよね」
「元々向上心の強い人ですから、自分はまだまだ、って思ってるのでしょうね」
でも、ある程度認識をして欲しいところではある。自分の力を認めることは、別に悪いことでは無いのだから。
「ただ――」
お疲れ! お疲れ様です! と言い合いながら、汗を拭き、既に「ここはもっとこうするべきだ」「いやそれだと姫の感情が伝わらない」だとか、真剣な顔で議論を始めている彼らを見て、思う。
「実は、それも“些細なこと”なんじゃないかな」
一番大事なことは、認めることでも、なんでもなくて。
悩みながらも、不安感に駆られながらも、横に立つ人と共に一歩踏み出していけることではないか、――なあんて。
「時と場合によるだろうけど」
さて帰ろうか、と僕は立ち上がる。残念ながら、スケッチブックは真っ白だ。
「今日、どうしようか」
「先週末にお菓子をたくさん食べたので、甘い物はしばらく遠慮したいです」
「じゃあ、お茶だけでもどう?」
「いいですね、行きましょう」
今度は美術部の乾杯と洒落込もう。
これにて、「久村部長の悩み」は完結です!
恋愛はオマケ的な感じになってしまいましたが……。
久村さんと競馬くんの恋愛模様は、皆様のご想像にお任せします。
(もし書くなら、彼らの視点で書かないと難しそうですねー)