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04.十五歳の申し出

 王都へ来て、ひと月ほどが経った。

 春の社交期も終わりに近づき、連日のように届いていた夜会や晩餐会の招待状も、少しずつ数を減らしている。


 あと十日ほどすれば、父と私たちは公爵領へ戻る予定だった。


「こちらで最後ですね」


 朝食を終えたあと、ローレンスが一通の招待状を取り上げた。

 窓辺の丸卓には、帰領までの予定を書き込んだ紙と、返事を待つ招待状が何通か並んでいる。


「帰る前日の晩餐会ですか?」

「ええ。欠席しても問題はないと思いますが」

「出席しましょう。父上も先方にはお世話になっていますし」

「では、そのように」


 ローレンスは招待状を脇へ置き、予定表へ何かを書き加えた。


 残り十日ほどの欄には、細かな文字が並んでいる。

 王宮への出仕。議会関係者との会食。侯爵家への訪問。それから、公爵領へ持ち帰る書類の確認。


「あなたの予定のほうが多いですね」

「王都で済ませられることは、済ませておきたいので」

「王宮のお仕事もあるのでしょう?」

「ええ」

「でしたら、しばらく王都へ残ります?」


 ローレンスが顔を上げた。


「私が?」

「ええ。父上と私は予定通り戻りますけれど、あなたまで合わせなくてもよいでしょう」


 少なくとも、王宮へ通うだけなら王都にいたほうが都合はいいはずだ。


「残りませんよ」


 返事は思っていたより早かった。


「でも、また王宮から呼ばれるかもしれませんよね」

「そのときは来ます」


 ローレンスはさほど面倒とも思っていないように答える。


「わざわざ?」

「ええ」

「王都にいたほうが楽でしょうに」

「そうですね」


 そこまで認めておきながら、ローレンスは予定表を畳んだ。


「一緒に帰りますよ」

「どうしてです?」

「公爵家の仕事もありますから」

「ああ」


 それなら分かる。


 ローレンスは婿入りしてから、父とともに領地の仕事をすることが増えた。王宮での仕事ばかりを優先するわけにもいかないのだろう。


「それもそうですね」

「ええ」


 ローレンスは席を立ち、椅子の背に掛けていた上着を手に取った。


「では、王宮へ行ってきます」

「今日は午前中だけでしたね」

「その予定です」

「昼食は?」

「戻るつもりです」

「王宮で召し上がってきても構いませんよ」

「午後はこちらで確認したい書類もありますから」

「そうですか」


 袖口を整えたローレンスが、こちらを見る。


「では、行ってきます」

「いってらっしゃいませ」


 扉が閉じる。


 私は残っていた紅茶を飲み終えてから、自分も席を立った。



 午前中は父の書斎を訪れた。

 公爵領へ戻る前に、西部街道の補修について過去の記録を確認しておきたかったためだ。


 領地の本邸ほどではないが、王都の屋敷にも領政に必要な記録の写しが保管されている。


「十年ほど前でしたよね」

「ああ。そのあたりにあるはずだ」


 父は机に向かったまま答えた。


 壁一面を占める書棚には、年代ごとに分けられた記録が並んでいる。

 目当ての年を探し、分厚い綴りを引き出す。その拍子に、隣に置かれていた薄い冊子が傾いた。


「あっ」


 慌てて手を伸ばしたものの、間に挟まれていた紙が一枚、床へ滑り落ちる。


 拾い上げた。


 父の字で、いくつかの家名と男性の名前が記されている。

 何の一覧だろう。


 眺めていると、私と年齢の近い者が多いことに気づいた。名前だけではなく、家族構成や爵位の継承順位らしいものまで簡単に書き添えられている。


「父上」

「何だ」

「こちらは?」


 紙を持っていく。

 父は一目見ると、わずかに眉を上げた。


「まだ残っていたのか」

「何の記録です?」


 父は手を止めた。


「お前の将来の縁談について、候補になりそうな者を挙げていたものだ」

「私の?」


 改めて紙を見る。


「この頃、私はまだ十四歳ですよね」

「ああ」

「そんなに早くから婚約者を探していらしたのですか?」

「探していたわけではない」


 父は椅子の背へ身体を預けた。


「お前は家を継ぐ。誰とでも結婚できるわけではないからな。家格だけではなく、こちらへ入れる立場か、本人にその適性があるかも見なければならん」

「だから、早いうちから?」

「候補になり得る者を把握していただけだ。すぐに婚約させるつもりはなかった」

「そうでしたか」


 言われてみれば、不思議ではない。

 私は公爵家の一人娘だ。

 いずれ父から爵位と領地を継ぐことは、幼い頃から決まっていた。私が他家へ嫁ぐのではなく、相手にこちらへ入ってもらわなければならない。


 父が早くから将来のことを考えていたとしても、おかしくはなかった。


 もう一度、紙を見る。

 そこで、一つ気づいた。


「ローレンスのお名前だけ、筆跡が少し違いますね」

「ああ」

「後から書き加えたのですか?」

「そうだ」

「最初は候補ではなかったのですね」


 意外だった。

 ローレンスは侯爵家の次男だ。


 兄が家を継ぐため、他家へ婿入りすることもできる。家格にも問題はなく、両家には昔から付き合いがあった。

 当然、初めから候補の一人だったのだと思っていた。


「どうして後から?」


 父は少しだけ視線を上げた。


「あいつが来たからだ」

「……あいつ?」

「お前の夫だ」


 一瞬、意味が分からなかった。


「ローレンスが、父上のところへ?」

「ああ」

「何をしに?」


 父は面倒そうに息を吐いた。


「将来、お前の婚姻を考えるときには、自分も候補に加えてほしいとな」


 思わず、手元の紙へ目を落とす。


「……本人が?」

「ああ」

「侯爵様からのお話ではなく?」

「本人だ」


 紙に記された年へ視線を落とす。

 私が十四歳だった年。

 ならば。


「ローレンスは、十五歳ですよね」

「そのくらいだったな」


 思わず、もう一度名前を見る。

 十五歳。


 父ですら、まだ将来のために候補となり得る者を調べていただけだった頃だ。

 その時点でローレンス本人がここへ来た。


「父上は、何とお答えになったのです?」

「まだお前の婚約者を決めるつもりはないと言った」

「それはそうですよね」

「ああ」

「では、それで終わりですか?」


 父は答えなかった。


「父上?」


 しばらくして、父は手元の書類へ目を落としたまま言った。


「本人に聞け」

「なぜです?」

「夫婦の話に私を挟むな」


 あまりにも素っ気ない返事に、私は眉を寄せた。


「父上が話し始めたのではありませんか」

「聞かれたから答えただけだ」


 相変わらず取りつく島もない。


「でも、候補には加えたのでしょう?」

「ああ」

「すぐに?」

「いや」


 私は父を見る。


「何か問題があったのですか?」

「当時のあいつを、お前の婿にするつもりはなかった」

「なぜです?」


 父は机の上の書類へ目を戻した。


「本人には言った」

「何と?」

「それも本人に聞け」

「父上」

「街道の記録を探しに来たのではなかったのか」


 とうとう話を打ち切られてしまった。


 私は目当てだった記録を抱え、書斎を出る。


 廊下を歩きながら、先ほどの話を考えた。


 十五歳。ずいぶん早い。


 私たちの結婚自体には、何も不思議なところはない。

 私は公爵家を継ぐために婿を必要としていた。

 ローレンスは侯爵家の次男で、実家を継ぐ必要がない。家格も釣り合い、両家には昔から交流もある。


 だから父と侯爵家との間で話が進み、私たちは結婚した。

 ずっとそう思っていた。


 けれど、両家が具体的に話を始めるよりずっと前から、ローレンス本人が動いていたらしい。


「……どうしてでしょう」


 考えてみても、答えは浮かばなかった。



 ローレンスは昼前に帰ってきた。

 玄関広間を通りかかると、ちょうど従僕へ外套と手袋を渡しているところだった。


「おかえりなさい」


 ローレンスが振り向く。


「ただいま戻りました」

「予定どおりでしたね」

「ええ。思ったより早く終わりました」


 ローレンスがこちらへ歩いてくる。

 私はその顔を眺めた。


「……何でしょう」

「少し考えていました」

「私を見ながら?」

「あなたのことですから」


 ローレンスの眉がわずかに上がった。


「それは珍しいですね」

「失礼ですね」

「冗談ですよ」


 いつものように笑っている。


「今日、父上の書斎へ行きました」

「そうですか」


 ローレンスはまだ何も察していないようだった。


「昔の記録を見つけたのです」

「どのような?」

「私の縁談についての記録です」


 そこでようやく、ローレンスの表情がわずかに止まった。


「ずいぶん古いものが残っていたのですね」

「あなたのお名前もありました」

「結果的には夫になったのですから、不思議ではないでしょう」


 いかにも何でもないことのように言う。


「後から加えられたそうですね」


 ローレンスが黙った。


「父上から聞きました」

「何を?」

「十五歳のあなたが、ご自分から候補に加えてほしいと頼みにいらしたことを」


 わずかな沈黙があった。


「本当なのですか?」

「ええ」


 あっさり認められた。


「どうしてです?」


 ローレンスは少し目を細めた。


「どうして、とは?」

「十五歳ですよ。父上だって、まだ私の婚約者を決めるつもりはなかったそうです」

「そうでしょうね」


 ローレンスは特に否定しない。


「なのに、あなたは自分から父上のところへ行ったのでしょう?」

「ええ」


 あまりにもあっさり認めるので、余計に分からなくなった。


「なぜです?」


 今度は、ローレンスがすぐには答えなかった。


「将来のことを考えていただけですよ」

「将来?」

「侯爵家は兄が継ぎますから。私もいずれ、自分がどう生きていくのか考える必要がありました」


 それは分かる。

 貴族の次男が、必ずしも自分の領地を持てるわけではない。

 ローレンスは若い頃から法律や領地経営について熱心に学んでいた。


「それで、公爵家へ?」

「選択肢の一つとして考えていました」

「でも、ずいぶん早いですね」

「早めに考えて困ることでもないでしょう?」

「それはそうですけれど」


 私は少し考えた。


 ローレンスは結婚してから、公爵領の仕事によく関わっている。

 父と領政について話すことも多いし、先日の街道整備についても熱心だった。


 そういえば、昔から領地経営には関心を持っていたはずだ。


「もしかして、公爵領で何かやりたいことがあったのですか?」


 ローレンスがこちらを見る。


「どうしてそう思うのです?」

「あなたは昔から領地経営について勉強していたでしょう?」

「していましたね」


 やはり、そこは間違っていないらしい。


「侯爵家はお兄様が継ぐ。けれど、自分も領地経営に携わりたい。それなら、領地を継ぐ女性の婿になるというのは一つの方法でしょう?」


 ローレンスは何も言わなかった。

 否定されないので、そのまま続ける。


「違いますか?」


 少し間を置いて、ローレンスが口を開いた。


「ずいぶん考えましたね」

「真面目に聞いているのです」

「私も真面目に聞いていますよ」


 そう言いながらも、肝心なところには答えてくれない。


「今は、公爵領でやってみたいことはいくつもあります」

「やはり」

「今は、ですよ」


 わざわざ言い直されて、私は首を傾げた。


「十五歳の頃にも何かあったのでしょう?」


 我が領には大きな河川があり、その先には交易の盛んな港町もある。水運を整えることか、それとも港町の交易に関わることだろうか。

 ローレンスは少し考えてから、肩をすくめた。


「昔のことですから」

「またそれですか」


 先ほどから、聞きたいところになるとこれだ。


「そんなに知りたいですか?」

「父上もあなたも、肝心なところだけ教えてくださらないから気になるのです」


 ローレンスは相変わらず穏やかな顔で私を見ている。


「それなら、お父上を責めてください」

「あなたも教えてくださらないではありませんか」


 ローレンスが小さく笑った。

 結局、それ以上の答えは得られなかった。


 けれど、ローレンスの説明にも筋は通っている。


 侯爵家は兄が継ぐ。ならば、自分は別の道を考えなければならない。


 昔から領地経営や法律を学んでいたローレンスなら、婿入りして領政に携わる道を考えていても不思議ではなかった。


 まして我が領には、侯爵領にはない大河や港町がある。領主の立場でなければ手をつけにくいことも多いだろう。


 それなら、昔から付き合いのある我が家を候補にしたことにも納得できる。


 長く想っていた女性がいたこととも、矛盾しない。


 恋愛と結婚は別なのだから。


「何です?」


 ローレンスが尋ねる。


「いいえ。少し納得しただけです」

「何をです?」

「あなたが父上のところへ行った理由です」


 ローレンスがわずかに眉を上げた。


「分かったのですか?」

「おおよそは」

「そうですか」


 それだけだった。


「違うなら訂正してください」

「あなたは私が何を考えていたと思ったのです?」

「それは――」


 説明しようとして、やめた。


「長くなります」

「では、昼食を取りながら聞きましょうか」

「そうですね」


 ローレンスが食堂へ向かう。

 私もその隣を歩いた。


 侯爵家を継がない次男として、早くから自分の将来を考えていた。

 そう聞けば、十五歳で父のもとを訪れたことにも、一応の理由はつく。


 私はそう納得することにした。



 その夜。

 自室で領地へ戻ってからの予定を確認していると、扉が叩かれた。


「どうぞ」


 入ってきたのはローレンスだった。


「まだお仕事を?」

「少しだけです」

「根を詰めすぎないでくださいね」

「あなたに言われたくありません」

「それは否定できませんね」


 ローレンスの手には、昼間、父の書斎から持ち出した街道の記録があった。


「居間に置いてありましたよ」

「あ……ありがとうございます」


 受け取る。


「明日も続きを?」

「ええ。帰る前にある程度まとめておこうと思っています」

「でしたら、十年前だけではなく、その前後も確認したほうがいいかもしれませんね」

「何かご存じなのですか?」

「以前、似たような記録を読んだことがあります。必要なら明日探しておきますよ」

「お願いします」


 ローレンスは頷いた。


「では、おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 扉へ向かいかけたローレンスを見て、昼間の話を思い出す。


「ローレンス」

「はい?」


 振り返る。


「父上は、当時のあなたを私の婿にするつもりはなかったとおっしゃっていました」

「……そこまで聞いたのですか」

「理由は教えてくださいませんでした」

「でしょうね」

「何と言われたのです?」


 ローレンスは少し考えた。


「知りたいですか?」

「ええ」

「では、また今度にしましょう」

「どうしてです?」

「今日はもう遅いですから」

「それくらい話せるでしょう」

「話せますよ」


 ローレンスは笑った。


「ですが、一つ話せば、きっとその先も聞かれるでしょう?」

「当然ではありませんか」


 ローレンスは困ったように笑った。


「だから困るのです」

「なぜです?」


 ローレンスは少し黙った。


「今になって話すには、少々恥ずかしいこともありますから」

「余計に気になります」


 思わずそう返すと、ローレンスの笑みが少し深くなった。


「でしょう?」


 まるで、私がそう答えると分かっていたような言い方だった。


「ですから、また今度です」


 ローレンスはそのまま扉へ向き直った。

 これ以上聞いても、今夜は答えてくれそうになかった。


「おやすみなさい、アメリア」

「……おやすみなさい」


 今度こそ、ローレンスは部屋を出ていった。


 静かになった部屋で、私は街道の記録を机へ置いた。


 十五歳だったローレンスは、父から何を言われたのだろう。

 そして、それを聞いたあと、どうしたのだろう。


 一度は婿にするつもりがないと言われた。

 それでも今、私たちは結婚している。


 私はこれまで、父と侯爵家との間で改めて縁談が持ち上がり、そのまま結婚が決まったのだと思っていた。


 けれど、最初からそうではなかった。


 昼間は、ローレンスが早くから自分の将来を考えていたからだと納得した。


 それでも。


 父ですらまだ先のことだと考えていた十五歳の頃に、なぜローレンスはわざわざ自分から名乗り出たのだろう。


 そのことだけが、いつまでも小さく引っかかっていた。



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