60 地獄と天国
大蛇は、カエルにゆっくり接近する。
カエルは大蛇に気づかないかのよう。
大蛇が急速に動く。カエルを頭から飲み込んだ。
大蛇ののど、腹へと飲みこんだカエルが流れていくのが、人々の目にも見えた。
陰陽師たちは、奥の方で歓声を上げている。
朽無大臣はあいかわらず余裕の笑みを浮かべている。
カエルを飲み込んだ大蛇は、カエルをのどから腹へ向かって蠕動する。が、なんだか苦しそう。
蠕動しているはずの腹が、徐々に大きく膨らみはじめる。
腹は、みるみる膨らんでいく。今では、大蛇の頭のみ残し、体のすべてが膨らんで風船のように丸くなっている。
こうなっては、奥にいる陰陽師たちも不安な表情になってきた。
朽無大臣は、笑みをやめ、あくびまでしている。
「どうした?私のカエルはお前たちの蛇が食べたのだぞ?」余裕の朽無大臣。
人々が恐怖のまなざしで見つめる先で、大蛇は膨らみきった。大蛇の体が、空気が入りすぎた風船のように割れた。
大蛇の体が粉々に砕け散ったあとには、巨大なカエルが何事もなかったかのような顔で座っていた。
陰陽師たちの表情に緊張が走る。真っ青になる。
次々と術を繰り出した。
「どうされましたか、陰陽師様たち。なんだか付け焼刃な術ですなあ。それで私に勝てますか」
朽無大臣は楽しそうな笑顔。
隠れて見ていた人々は、恐怖のどん底を味わっている。
「逃げろ!!とにかく逃げろ!!」
「助けて!!踏まないで!!!」
寝殿の阿鼻叫喚はもっとひどくなる。
人が倒れた上に、さらに倒れる。
その勢いで骨折する者、気絶する者。
助けようと手を引っ張る者、我先に逃げようとする者。
もはや、誰も統率できる者はいなかった。
「地獄絵図とは、これのことであろうな」
朽無大臣は言いようもなく、うれしそう。声をあげて笑っている。
混乱している人々が倒した蝋燭が、家具に燃え移っていく。寝殿のあちこちから火の手があがる。
かすかに、かすかに、雅な音楽が鳴っている。
風の音か、気のせいか。
かすかに、かすかに、音楽は鳴り続ける。
音楽は徐々に大きくなっていく。
人々の恐怖の声よりも、はっきり大きく、そして雅に音楽が鳴り響く。
音楽に気づいた人が、音楽が鳴っているもとを目で探す。
その様子に気づいた周囲の人も、音楽を探し始める。
雅な音楽は、空の高い場所から聞こえてくるようだ。
人々は、空を見上げた。
真っ青な空から、何かがゆっくり降りてくる。
地獄からはい出そうとするかのように、音楽に向かって人々は手を伸ばす。
音楽にすがりつくことができたなら、この地獄から抜け出せるような気がする……!!
貴族も、平民も、みんな空に向かって手を伸ばした。
「助けて」
「助けて、助けて……!!」
空から降ってくるのは、音楽だけではなかった。
いいかおりのする、花びらがひらひらと舞い落ちてくる。
花びらは、助けを求める人々の頭といい、顔といい、体といい、あちこちにまとわりついた。
恐怖にかられた人々の体についた花びらからは、いいにおいが出ていた。
その香りをかいだ人々は、恐怖がやわらぐ。恐怖がなくなる。平常心が戻る……。
せまりくる死から逃れるために走っていた人々の足が緩む。
倒れた人に手を差し伸べる余裕も出てきた。
寝殿は、天からの音楽に包まれた。平穏な時間がやってきた。
「みなのもの、静まれ」
寝殿の屋根の上から女性の声。
人々が声の主を目で探す。
その先には、金色の虎にまたがる蓬野姫がいた。
蓬野姫のまわりには、天女が無数に飛んでいる。天女たちは、手に持っているかごから、花びらをまき散らしている。
花のかぐわしい香りが寝殿を包み込む。
紫色に輝く雲の上には、天女たちがいろんな楽器を持って演奏をしている。
地獄を体験した人々は、今度は天国を体験することになった。
寝殿でただひとり、鬼の形相をしている者がいた。
朽無大臣だ。
反撃をしようとして腕を動かすと、腕に縄が飛びつき、ぐるぐる両手を縛り上げた。
見ると、寝殿の奥で陰陽師たちが術を使っている。この縄は術で動いている。
朽無大臣の顔が怒りでゆがむ。腕を縛っている縄に噛みつく。
術を唱えた。縄はぼっと火が出たかと思うと、一瞬で燃え尽き、消えた。
朽無大臣は腕を振り、陰陽師の方へ振る。陰陽師の体が宙に浮き、すぐに地面に叩きつけられる。
陰陽師たちは一瞬、地面に叩きつけられている仲間を恐怖の目で見たが、すぐに戦いの体制に戻る。
「恐れるな!!我らの術の方が上なのだ!」
陰陽師が自分と仲間を勇気づけるために叫ぶ。
「笑わせるな!!ぬくぬくとした場所で生きていた者が使う術など、術ではないわ。……ふふふ、今、私が本物の術を見せてやろう」
朽無大臣は両手を大きく振った。




