58 奏上
「申せ」
ささやくような声が帰ってきた。
沖の中将は、それだけで天にも昇る気持ちになった。が、僕は大きな使命を持っているんだ、と自分に言い聞かせ、深呼吸する。
落ち着いて奏上した。
「天皇様の大臣のおひとり、朽無大臣様はすでにお亡くなりになっておられます」
「……」
高い縁に座っておられる天皇様の様子は、沖の中将が平伏している庭からは見えない。
どのような表情をしておられるのかわからないが、沈黙だけが聞こえる。
しばらくして、沖の中将は続けた。
「現在、朽無大臣を名乗っている者は、大臣様を殺した犯人にございます。その証拠に、朽無大臣様ご愛用の水晶の数珠を、川の中で発見いたしました」
「……」
やはり、天皇様は沈黙している。
沖の中将は、話しを進めてよいものかどうか、迷った。
しかし、ここでやめるわけにはいかない。
緊張するが、自分を奮い立たせる。
懐から布に包んだ物を取りだした。
「こちらが水晶の数珠でございます」
沖の中将は、天皇様から見えるであろうと思われる場所にある庭石の上に水晶の数珠を恭しく置いた。
水晶の数珠は、月の光に輝いている。
沖の中将は、元の位置に戻り、静かに平伏した。
沈黙が流れる。
言うことは言えた。あとは返答を待つだけだ。
沖の中将の胸が高鳴る。
一体、どんな反応をいただけるのだろうか。
不安で胸の音が高くなっていく。
天皇様が座っている縁の板が、とん、とん、と叩かれる軽い音がした。
天皇様が扇で縁の板を叩いている。
ここに、水晶の数珠を置くように、ということだろうか。
沖の中将は、すぐに庭石の上に置いていた水晶の数珠を縁の淵にそっと置きなおした。
天皇様が縁を歩いて淵まで来られる廊下板の音。
天皇様の呼吸が乱れた。
泣いているのだろうか。
沖の中将は、黙って様子をうかがっていた。
「そなたの願いとは」
天皇様のお言葉。
沖の中将に緊張が走る。しっかりした声で奏上する。
「……現在、朽無大臣を名乗っている不届き者の名は、比都と申します。比都を確保し罰したい、これが願いでございます」
「……」
天皇様の返事はない。
沈黙が続く。沖の中将にとっては、永遠とも思えた。
僕は、やったんだ。あとは運を天にまかせるしかない。
沖の中将は、じっと待つ。
「そなた、母の名は」
ささやくような天皇様の声。
「沖の白花でございます」
沈黙が流れる。今までで一番長い沈黙。
「……我が心をつかんで離さないのは、沖の白花ひとり」かすかに天皇様がつぶやいた。
沖の中将はハッとした。
沈黙。
この意味は?聞き間違えか?
沖の中将は、息ができない。
母上のことを……?身分の低い、我が母上のことを……??
「この世でも、あの世でも、ただひとり」天皇様の声が震えている。
間違いない。
沖の中将も涙をこぼさずにいられなかった。
「そなたには苦労をかけた……申し訳なく思っている」
天皇が静かに話し始めた。沖の中将は身が引き締まる。
「………!!」
「正室たちとの兼ね合いを考え、こうするしかなかった……」
「………!!」
沖の中将は、声が出ない。
天皇様とは、これほどまでに人を凌駕しているものなのか。
天皇様の言葉ひとつひとつが胸に刺さる。
沖の中将は、感激のあまり涙が止まらない。
「さらに今、そなたは戦いに出ようとしている。内御子であるならば、そのようなことにはならなかった……」
「……いいえ、私は少しも私の人生が悔しいとは思っていません。……暖かい仲間に囲まれ、もしかすると宮中で暮らすよりもいい暮らし方をしているのやもしれません」
今まで緊張して言葉が出なかったのに、沖の中将の唇が勝手に動くかのように言葉が流れ出た。
自分に驚いた。これほど尊いお方になんてことを。自分の意見など言える立場ではないのに……。しかし、なんとなく晴れやかな気分だ。
天皇様がふ、と笑った。
言いようもなく、優しい笑いだった。
沖の中将の緊張がほぐれる。
「そなた、いい仲間にめぐまれているのだな」
「はっ………はい」
天皇様は、もう一度優しく笑った。
「遠くから、そなたのことは応援している」
「……もったいなき、お言葉」
庭で沖の中将は深く、平伏した。
この方のためならば、命をかけてもよい。
沖の中将は思った。
天皇様の声には、それほど人を安心させる力があった。
やわらかな沈黙。
静かに沈黙を破ったのは天皇様だった。
「……そなたの願い、聞き入れた。これはそなたの物だ。受け取るがよい」
縁から水晶の数珠が投げられた。沖の中将がぱっと顔を上げ、受け取る。
「消えよ」
「御意」
沖の中将は、音もなくその場を去った。姿は暗闇に消えていった。
星降る縁で、ひとり天皇様が座っておられる。
そのご尊顔には笑みがもれている。
………沖の中将。あの者は、間違いなく私の子どもだ。私も自分に自信がなく、はっきり発言することが苦手だ………。
……そっくりだな。
天皇は、沖の中将が消えていった先をずっと見ていた。子を思う親の、優しい笑みがもれている。




