55 朽無大臣
時は少し遡る。
宮中での会議が終わり、朽無大臣はホッとして自分の部屋に戻る。大臣にもなると、部屋といっても大きな屋敷一つ分くらいの面積を与えられている。
大臣の姫君、大勢の家人たちの部屋もある。
「おかえりなさいませ」
侍女たちが出迎えてくれる。
「帰ったよ。疲れたから暖かい物が食べたいなあ」
「御意」
朽無大臣が部屋でくつろいでいると、侍女たちが食事を運んできてくれた。それを部屋にいる侍従たちが受け取り、朽無大臣のところまで運んでくれる。
「やあ、ありがとう」
朽無大臣は美味しそうに食べる。とても幸せそうな顔。血色が悪かった顔に血の気が戻る。
すべての料理を食べ終わると食器を片付けている侍女たちに「おいしかったよ」とにこやかに声をかけていた。
侍女たちはうれしそうに食器を片付けた。
「大臣様は本当にお優しい」
「私たちのようなものに、優しい言葉をかけてくださる」
侍女や侍従たちは、みなこの屋敷に仕えることができてよかった、と笑いあっている。
朽無大臣は、お腹いっぱいになると眠くなってきた。
部屋に戻り、寝床に横になるとすぐにいびきをかきはじめた。
安らかないびきはしばらく続き、「くっ」と小さく声が出たかと思うと、朽無大臣は静かになった。
屋敷の者たちもみな寝静まった。
暗い廊下をひとりの侍女が歩いていた。手に灯りを持っていない。まるで影のように静かに動く。
侍女は、朽無大臣の寝床がある部屋の前に立つと、キョロキョロと様子をうかがっている。
誰もいないことを確認すると、すうっと朽無大臣の部屋に入った。
時間が止まったように、夜の闇が部屋の前を包んでいる。
やがて、朽無大臣の部屋から誰かが出てきた。
朽無大臣だ。
妙なことに、朽無大臣は背に大きな何かを背負っていた。
朽無大臣は、何かを背負ったまま軽々と屋敷の大きな庭を走り去る。
大きな庭は、何も見ていませんよ、とでもいうように静寂だ。
月がだいぶ傾いたころ、朽無大臣は庭を軽やかにかけて戻ってきた。
背中の荷物はない。
誰もいないことを確認すると、寝床のある部屋にすう、と消えて行った。
あと数時間で日の出だ。
日が高くなると、朽無大臣がいつもより元気がないことに家人たちは気づいた。
「お疲れなのでしょうね」
家人たちは、朽無大臣を優しく静かに見守った。
それからというもの、朽無大臣は食事も自室で摂るようになった。笑顔も少なくなり、家人に声をかけることはめったになくなった。
宮中でも、朽無大臣の変化に気づく者も出始めた。
「最近、朽無様は体調がお悪いのだろうか」
「どうして」
「大臣様はお気づきではないですか。以前にまして口数が少なくおなりです」
「そうかね?もともと朽無様はおしゃべりな方ではなかったし、小柄で控えめな方ではないか」
「そう、その控えめなのが、最近ではめったに発言されなくなっていると、みなが言っています」
「私も聞きましたよ、お元気がないのはもしかすると」
「うん、もしかすると……?」
「実はね……」
「うん、」
「朽無大臣様、宮中の陰陽師にいただいた水晶の数珠をお失くしになってはいないかと……」
「……なんですと……!!」
「そうなんです、天皇様の御加護により、陰陽師からいただいた水晶の数珠です」
「それが失くしたとなると……?」
「宮中を出なくてはいけなくなるほどの……」
「うわさだけで、そのようなことを言ってはいけませんぞ」
「おっと……。危ない、危ない……」
「いや、しかし、以前は朽無大臣様、時折うれしそうに左手首につけている水晶の数珠をなでておられるのをお見かけしましたが、最近は見かけませんな」
「……お持ちなのでしょうか……」
「……わかりません、手首はいつも着物の袖の中ですからな……」
「……やめましょうか、危ないですぞ、これ以上は……」
「……うむ……」
「みなさま、会議が始まりますぞ」
大臣たちは、背中を伸ばした。
今聞いた話しを忘れようとしているかのようだ。
大臣たちは、ぞろぞろと廊下を歩き、会議室へと歩いて行った。
廊下の天井を煤色の虫が歩いている。
大臣たちがいなくなり、侍女や侍従が忙しく廊下の掃除を始めると、ついーっと空へ飛び去っていった。
可武斗が鍬形と一緒に式神の虫たちからの情報を受け取っていた。
「これといったものはないね」
「うん、だけど小さな情報がつなげると実は大きな情報だったということがあるかもしれないよ」
「鍬形は慎重だ」
「あたりまえだよ。可武斗もしっかり見なくちゃだよ」
「そうだね……もう一度、見直しをしてみよう」
そうしている間にも、数匹の煤色の虫たちが帰ってくる。
可武斗と鍬形は、手のひらの上に虫を着地させると、そっと両手を重ねる。
虫が見ていたものが、頭の中で映像となって見え、聞こえる。
虫ゆえに、見られている者たちは気にすることなくおしゃべりを繰り広げる。
ひそひそとしゃべっていても、気づかれることなく虫は近寄っていって、しっかり話しを捕えている。




