50 矢
蓬野姫と沖の中将が駆け寄った。北山が青葉の君を支えて絶叫している。
「矢が突き抜けたようだ」
沖の中将が、青葉の君の後ろの床に突き刺さった矢を指した。どれだけの威力で飛んできたのだろう。矢は真っ赤に血で染まっている。
蓬野姫は、すぐに青葉の君のお腹に術をかける。
出血が止まる。
「応急処置をしたわ。これで命に別状はない。だけど、安静にしないとまた傷が開くわ」
青葉の君は、真っ青な顔をしているが蓬野姫に笑いかける元気があった。
「……もちちゃん、私、……強くなるから」
蓬野姫は、一瞬、驚いた表情をした。が、すぐにニヤッと笑う。
「そうでなくちゃ」
沖の中将は、北山に細かく指示を出した。
大広間にいた人々には、一部始終を見てもらっていたおかげで、大パニックは避けることができた。
動けなくした術を解いて、全員で分担して必要な仕事を始めた。
「蓬野姫様には、とんでもない御恩をいただきました」
青葉の君の両親が、涙を流しながら蓬野姫に感謝を伝えた。
「では、あの矢は私がいただいていくわね」
「もちろんです。どうか、犯人を突き止めてください」
都の人々には、青葉の君の事故のことは伏せられた。
蓬野姫が、青葉の君の両親にそう言ったのだ。
「そうでないと、都中が大パニックになるからね」鍬形が涼しい顔で言う。
「沖の中将様のみなに対するご指示、ご立派だったね。さすが御子様だと感服したよ」可武斗。
二人は、持ち帰った矢を調査している。
「矢自身が式神だね」
「この間の式神と同じにおいがする。やはり、比都か」
蓬野姫に報告した。
「そうでしょうね。……うん、この矢を使おう」
矢は、青葉の君の腹を貫通しているので、青葉の君の血をたっぷり吸っている。
蓬野姫は、矢に強い術をかけた。
「比都の命令を解く。蓬野の命令に従え。お前は青葉の君となり、青葉の君が元気で幸せに暮らしていることを世間に知らしめるのです」
比都の命令を解かれることに抵抗を示した矢が、だんだん弱っていく。
蓬野姫の霊能力の方が強いのだ。
矢の姿をした式神が、一度式神の紙の人型に戻る。
それから、青葉の君の姿になった。
「それでいいわ。命令に背いたら、燃えてなくなりなさい」
青葉の君になった式神は、うなずくと部屋を出て行った。
寝殿。
会議の間。
大臣たちが集まり、会議をしている。
「最近、単発な宴も多く、天皇様はお疲れのご様子。少しスケジュールを整える必要があるかと」
「そうですね……我々も負担が多いですし」
「しかし、それが我々の仕事でありますよ」
「まあ、体調を崩すほどの仕事はするべきではないでしょうな」
「どうします、今度の宴は?」
「まあ、無しでもよいかと」
「では、決を取りましょうか」
こうして会議は閉会した。
ぞろぞろと会議室を出て行く大臣たちは、全員髪が白い。または薄い。
高級な着物を着て、丸く太った者もいる。
「今度、我が屋敷で新しく調達した琵琶の披露を行うのです。皆さま、ぜひおいでください」
廊下を歩きながら太った大臣が言った。
「それはすばらしい。出席させていただくよ」
「ぜひ、行きたいですが、残念ながら別の用がありまして。代わりに子息を行かせましょう」
「朽無様もいかがですか」
「あいにく私も用事がありまして」
朽無大臣はにこやかに誘いを断った。
他の大臣に比べると、痩せていて小柄な大臣だ。口数も少なく、にこにこ笑っているだけだ。
評判は良くも悪くもない。
いうなれば、影が薄い。
大臣たちは、三々五々、廊下で挨拶をして別れていく。
朽無大臣も軽く会釈して自分の部屋に戻った。
部屋に入ると、家人たちが忙しそうに働いている。
「お帰りなさいませ」
「お食事のご準備ができています」
「疲れたから、部屋で摂るよ」
「あい、わかりました」
朽無大臣は、自室に入っていく。
「以前は、陽気に酒を飲み交わしておられたが、最近は部屋に閉じこもっておられるなあ」
「お体が悪いのではなかろうな」
「お疲れなのでしょう、静かにしてさしあげましょう」
家人たちは、優しい。
朽無大臣は誰もいない自室に入ると、御簾の奥の部屋に入る。
家人が来ても、御簾の奥で何をしていようが見えなくなる。
御簾の奥には、たくさんの式神の紙が散らかっている。
朽無大臣は、紙をひとつひとつ拾い上げては、じっと紙を見ている。
「今日も大した収穫なしか」
朽無大臣は文机にもたれかかり、足を伸ばす。
御簾の向こう側の空気が揺れた。誰かが来たようだ。
「大臣様、お食事はこちらでよろしいでしょうか」
「うむ」
家人は食事を置くと、帰って行った。
朽無大臣は、誰もいなくなった部屋で少しだけ食事に手をつける。
部屋の外の廊下から楽しそうな声が聞こえる。
廊下の向こうに広がる広大な庭の向こうに部屋を持つ大臣が宴会をして楽しんでいるのだろう。
朽無大臣は、それをものすごい形相でにらみつける。
「ふん…今に見ておれ」
朽無大臣は御簾の向こうへ戻った。




