37 愛の力
青葉の君の屋敷。
青葉の君は、庭を眺めてため息をついていた。
鈴蘭様の悪口をいう者が多くなってきていて、心が痛んだ。
鈴蘭様というと、蓬野姫様の遠いご親戚の方。身分は高くないとはいえ、大切な方のはず。
精力的に貴族のご子息様に美文字を教えていらっしゃったのに、感謝されるどころか、けなされてしまって。最近ではまた部屋に閉じこもっていらっしゃるとか。
「萌黄」
青葉の君は、侍女の萌黄を呼んだ。
「はい」
「私に、鈴蘭様をお助けできることは何か、あるかしら」
「……姫様はお優しい方。お気持ちは痛いほどよくわかります。しかし、姫様が渦中に飛び込んでいくことに萌黄は反対いたします」
「……そのとおりね」
青葉の君は、悲しそうに微笑んだ。
こんな時、蓬野姫様なら、もちちゃんなら、どうするかしら。
青葉の君は、庭から見える山を眺めて考えた。
懐かしい山での遊び。
母姫様が厳しくて、私が泣き虫だから外で遊ぶように言ったのよね。でも、おかげで、もちちゃんという大切な友人と出会うことができた。
北山にも。
青葉の君は、北山を思い出してハッと顔を赤く染めた。
北山は、青葉の君が幼少期、わかばと名乗って外で遊んでいたころの侍従だ。木こりの息子の北山は、強くて優しい男の子だった。
子どもの頃から力強い腕を持っていた北山は、子どものわかばを軽く抱き上げ、山の険しい場所をどんどん上っていった。
鋭い葉で切り傷を作ったわかばが泣いていると、すぐに持ってきた水で洗ってきれいな布で巻いてくれた。
ほかの子どもがどんどん山を登っていってしまい、置き去りになって泣いていると手を引いて一緒に登ってくれた。よろめくわかばをかばいながら、二人とも土だらけになって登った。
日に焼けた北山の優しい笑顔が忘れられない。
大きくなったら結婚したい……。
淡い期待をしていた。
実際に大人になると、北山と青葉の君の身分が違うことを知った。ショックだった。毎日泣いても、状況は変わらなかった。
それを、もちちゃんが、蓬野姫がぶち壊してくれた。
北山は今、貴族になるための修行を受けている。平民が貴族に格上げされるなど、ほぼ皆無だった。
北山と再会したときのことを思い出すと、今でも顔が真っ赤になる。
青葉の君は、御簾の奥から北山と面談した。
北山と会うことが決まってから、ずっと胸の音が鳴りやまなかった。
御簾ごしに見える北山は、すっかり大人になっていた。
木こりとして働いている、がっちりした広い肩。筋肉質な厚い胸。見上げるように高い背。
北山用に特注の着物。普通の殿方が着る着物では、体が入らないのだった。
「おひさしぶりでございます」
澄んだ低めの声で北山が挨拶した。
青葉の君は、座ったままへなへなと崩れ落ちる。
「姫様!!」
萌黄が慌てて、青葉の君を支えようとする。
と同時に、北山が御簾をパッとめくりあげ、崩れ落ちる青葉の君を抱きしめた。
「お気をしっかり……!!」
だめじゃないの、北山。高貴な殿方は御簾を上げて姫のところへ来てはいけないのよ。そう習ったでしょ……。
青葉の君は、北山に抱えられながら思った。同時に、北山の大人になった顔をまぢかで見て、なつかしさと愛おしさが一気に押し寄せた。そのまま、青葉の君は気絶した。
ああー……、恥ずかしい……!!
青葉の君は、顔を真っ赤にして両手で顔をかくした。
「姫様…?具合が悪いのですか?」
萌黄が心配して寄ってくる。
「……大丈夫、……」青葉の君の呼吸も乱れている。
「………姫様、北山様のことを………」萌黄は、青葉の君の気持ちがわかったのか、そっとしてくれる。
青葉の君は、なんとか呼吸を整える。
もう一度、庭の向こうに広がる山を見る。
鈴蘭様を助ける方法、ないかしら……。北山と結婚できるようにしてくださった蓬野姫の役に立ちたい……。
山の上には、黒い雲がたちこめてきている。ゴロゴロ、雷が低い音を出している。
ひと雨きそうね……。
雲はみるみる都の空を覆った。
ときおり、雷が黒い雲を光らせた。
まがまがしい輝きが、山に落ちる。バリバリ、と空気を引き裂くような轟音。
「山に落ちたようですね……」
「え?」
「姫様、雷はときどき地面に落ちてくるのです。大木でも建物でも、その威力で引き裂いて燃やしてしまうのですよ」
燃える……?大変じゃないの。……うん??
あら、私、いいこと思いついたかもしれない…。
青葉の君は、めずらしくニヤッと笑った。それを見た萌黄は驚きを隠せない。
青葉の君は、北山を呼んだ。
「昨日、雷が落ちたと萌黄が言うの」
「はい」
「山のどこかに落ちたらしいの」
「はい」
「できるだけ、都の近くで人々が行けそうな場所に落ちていないか、探してきてほしいの」
「御意」
北山が帰ってきたのは夕方だった。
「都の近く、都の門を出てすぐの木に雷が落ちていました。木は、真っ二つに割れています」
青葉の君は、にっこりうれしそうに笑った。いきいきとかわいい笑顔。北山が顔を赤くする。青葉の君は、それに気づいていない。
「鈴蘭様に、雷避けのまじないの書を書いてもらえるよう、文を書くので持って行ってもらえませんか」
「御意」
次の日、書きあがった文を持って北山は鈴蘭のもとへ向かった。




