36 虫
鈴蘭に化けた式神たちが美文字を教えている貴族の屋敷から帰ってくると、鍬形と可武斗が手分けをして、どんな授業を行ったのか調査している。
それを蓬野姫に報告する。
「帰り際に、貴族の親御様から暴言を浴びせられている?」蓬野姫がムッとした表情をする。
「はい、過剰予約のうわさがたってから、鈴蘭の扱いが悪くなっていると感じます」可武斗。
「そういう屋敷にはうまく言って、行くのをやめてもいいのよ」
蓬野姫は、怒った表情。そして、ニッと笑う。
「鈴蘭のかわりに、虫の式神を送って屋敷を見守るの。変なことがあったら報告してね」うれしそうな表情。
「姫様。それは、どうしてですか」鍬形は解せない表情。
「比都のにおいを探るの。どこから接近してくるかわからないからね。少なくとも、鈴蘭の悪口を言っている貴族には、何かしらの接触があると思わない?でないと、私の親戚の悪口を言わないでしょ?」
蓬野姫は余裕の笑顔。
ある中級貴族の屋敷。
幼い子どもが四、五人走って遊んでいる。
「これこれ、座敷で走ってはいけません」
侍女がたしなめるが、子どもたちは、きゃっきゃと遊ぶのをやめない。
「鈴蘭様に来ていただいていたころは、座ってお勉強なさっていたのに。その姿はすばらしく、涙がこぼれましたよ」
「私もです。どうして鈴蘭様は来なくおなりになったのでしょうか」
「どうも、主様が鈴蘭様に強く言い寄ったらしいわ」
「え……。どうしてでしょうか。あんなにお美しい方に……?」
「宮中で中級貴族の橙様にね、言われたらしいの」
「何を?」
「どうも、橙様の御子息のところにも鈴蘭様はお通い。同時に我が屋敷にもお通い。お前は偽物の鈴蘭では……と」
「なんですって……。鈴蘭様は、本物に違いないわ。あれほどお美しいのだから。橙様って、うわさに弱くってすぐに迷われる方よね」
「私の侍女仲間のうわさでは、橙様の屋敷に最近就職した侍女で、とんでもなくウワサに詳しい人がいるって」
「……ウワサに詳しいって、どういうこと」
「なんでも、みんなが知らないようなことをペラペラしゃべるらしいわ」
「えええ、そんな女なんか、かえって怪しいと思うけどなあ」
「それが元で、鈴蘭様が我らの屋敷から遠のかれてしまったの?」
「もったいないわね……」
侍女たちがいる部屋の天井を、煤色の虫が歩いていき、空へ飛んでいくのには、誰も気づいていない。
「集まった?可武斗」
「うん、鍬形は?」
「虫だから侵入も退出も楽でいいや」
「誰も気にせず、思っていることをしゃべるしね」
「たくさんの情報を集めたよ」
「僕、比都の優秀さに敬服するよ」
「敵ながらあっぱれだね。これほど、たくさんの貴族の屋敷にちょっとだけ現れては変なウワサを流して引っかきまわす。家人たちに顔を覚えられる前には退職してしまっている」
「どうして、これほど大変な作業をしてまで、鈴蘭にこだわるのかなあ」
「さあね」
二人は蓬野姫に情報を提供する。蓬野姫は機嫌がいい。
「虫って便利ね。ここにも虫が入らないように術を強化しておかないとね」
「姫様、情報が多いのはよいのですが、的をしぼれないですね」
「焦らないのよ」蓬野は笑っている。
「人を殺すほどの思いとは、何でしょうか」
「……比都の気持ちになって考えないと、わからないわね。……楽しそうな未来は予想できないけどね」
後宮。
鈴蘭の部屋。
いつもと変わらず、式神の侍女たちが定期的に出入りしている。
掛け軸の天女も慣れてきて、緊張感が少なくなってきている。
『あーあ、たいくつねえ。クサフグくらい釣れてもいいのに』
目をつむっていても、式神たちの作業をこなすことができている。
昼でも薄暗い部屋には、生活の品もなく、がらん、としている。
部屋には、掛け軸の天女と式神のもとになる紙の束があるだけ。
『ふわああ………』
掛け軸の天女が大あくびをした。
『!!』
急に、部屋に緊張が走る。
掛け軸の天女はあくびを止め、目をぱっと開く。
何者かが部屋の入口にいる気配。
いつも薄暗い部屋が、夜中のように真っ暗になる。
掛け軸の天女には、部屋の中がよく見えている。
入口の引き戸が少しだけ開いた。日の光の筋が、部屋の床に一瞬走り、すぐに消えた。引き戸が閉められたのだ。
誰かが入った。
掛け軸の天女は、暗闇でもよく見える目で、何者かが床を這う様子が見えている。
何者かが、部屋の引き戸から中へ進んでいく。
部屋の三分の一ほど、中へ入った。
『今よ』
床、壁、天井の全ての面から、網が飛んだ。
網は、四方八方から侵入者に巻きつく。
侵入者が驚き、もがいている。床にぶつかり、大きな音をたてる。
『観念なさい』
薄明りが部屋に戻った。
網にからまってもがいている大きな虎が見えた。
『黄金?』
掛け軸の天女は、目を丸くした。




