30 人形と扇
青葉の君の屋敷。
鍬形が変装している野菊は薬部屋に帰ってきていた。
「もう、やけどは大丈夫なのか?」
「はい、先生。ご迷惑をおかけいたしました」
「早速ではあるが。青葉の君様の容態がいっこうによくならず困っている。お前の意見も聞きたい」
都にいる医師の数は少ない。ほとんどの医師は、天皇一家や、上級貴族専属となっている。
中級貴族が薬師に診てもらえることは、ありがたいことだ。
しかし、薬師は薬師、医師ではないゆえに、歯がゆいことも多い。
こうして、薬師と野菊は青葉の君の部屋を訪れた。萌黄が迎えてくれた。
青葉の君の部屋に入ると、膿のにおいがして、寝ている青葉の君は骸骨のように痩せた顔を天井に向けていた。
「姫様、先生がおいでになられました」
萌黄が言うと、青葉の君はわずかに瞳を開けて、すぐに閉じた。
薬師が一通りの診療を行った。その間、野菊は青葉の君、姫を取り囲む環境に目を光らせた。
病に伏した主を助けようと、部屋の一段高い棚の上に仏像が置かれている。それを見るだけでも、一族の心配が見えるようで、野菊は胸が打たれた。
姫の寝床の近くには、軽く汚れた人形と小さな扇が飾られている。
「あれは?かわいいですね」野菊がほほえんだ。
「やはり、あれが目に止まりますよね」萌黄もにっこり笑った。「あれは、姫様がお小さいとき、よく遊んでいた人形です。扇は、その当時の大切なご友人にいただいた物です」
そう言って、萌黄はそっと目を拭いた。
「あの頃の姫様は、とてもお元気でした。今となっては本当かと思うかもしれませんが、毎日山に入って、男の子にまじって遊んでいらっしゃったのですよ」
「ほう」さすがに薬師も驚いたようだ。
「もちろん、我が屋敷の大切な姫様です。男の子の中に、屋敷の家人の子どもがいました。その子どもに姫様の護衛をさせていましたの」
薬師と野菊はうなずく。
「ほほ、男の子と遊んでいたとだけお聞きになると、なんと乱暴な姫だとお思いでしょう。姫様の名誉をお守りするために言いますと、姫様以外にもおひとり、姫君様がおられたのですよ。ほれ、そこの扇は、かの姫君様にいただいた品です」
萌黄は子ども用の小さな扇を指した。女の子が喜びそうな、きれいな毬の絵が描かれている。
「姫様には、早くお元気になってほしいです」萌黄は、そっと目を拭いた。
話しを聞いていたのか、青葉の君の瞳から涙がこぼれ、痩せた皮膚の上を流れる。これほど痛々しい涙はほかになかった。
萌黄が気づいてそっと拭いた。
野菊ももらい泣きをしそうになった。気を強く持ち、仕事に集中する。青葉の君の周囲を観察する。
青葉の君の枕元に置かれた椀が気になった。
「先生、あれは何でしょうか」野菊は薬師にささやく。
「萌黄様、あれは何でしょうか」薬師がたずねる。
「あ、申し訳ありません。あれは侍女が持ってきた薬です」萌黄が椀を薬師に渡した。
「どういった薬なのでしょうか」
「詳しくはわかりませんが、どうやら侍女の母君もこれを飲んで治ったとのことです」
「先生、これを少しいただけませんか」野菊が薬師にそっと伝える。
薬師も気になった様子だ。軽くうなずくと、萌黄に薬の残りがあれば少しいただけないか、と頼んだ。
萌黄は断る理由もなく、すぐに薬師に薬を渡した。
野菊は椀の薬のにおいをかぎ、指にとって少しなめてみた。
一瞬、甘い。しかし、すぐに懐から紙を取りだし、吐き出した。
「先生、この薬は中止し、先生の薬のみ飲んでいただく方がよさそうです」
野菊は薬師にそっと伝える。薬師は軽くうなずく。
「萌黄様、大変優れた薬は世間にたくさんあると思います。しかし、こちらは私の治療知識の範囲外なものでして。姫様には、早くよくなっていただきたいので、どうか、私の薬だけを飲んでいただけませんか」
どことなく強い言い方。薬師としてのプライドも守りたいようだ、と野菊は思った。
萌黄もそれに気づいた様子。すぐに了承した。
薬師は、部屋を出て青葉の君に声が聞こえなくなるところまで来て、萌黄にたずねた。
「青葉の君様は、沖の中将様への思いはいかがですか」
萌黄はつらそうな表情をした。
「こうなってしまっては、姫様は言葉を発するのもお辛い様子。沖の中将様の話しはありません。私どもも、あえて触れません」
「わかりました」
薬師と野菊は、青葉の君の屋敷をあとにした。
野菊は薬部屋に帰って、謎の薬を調べた。
どの薬草を混ぜ合わせたものなのか、全くわからない。が、口に含んだ瞬間、うっすら霊能力を感じる。
とんでもない薬だ……。
それに、姫は幼少のころ、山で遊んでいただって?それに参加していた姫君というのは……。
野菊はすぐに蓬野に連絡した。




