29 鈴蘭の部屋の番人
蓬野姫の屋敷。
刀を振った男は術でおとなしくさせて連れ帰り、可武斗が尋問した。
男は歌合せの席で刀を振ったこと、どうしてそこにいたのかも、覚えていなかった。
「侍女が、お茶をくれたんだ。それを飲んだら、頭がぼーっとして。記憶がない」
男は目覚めたらとんでもないことになっていた、という状況。
「お茶をくれた侍女は、どんな侍女だったか覚えていますか」可武斗は優しくたずねる。
「なんの特徴もない、どこにでもいる侍女だ。優しい声の女だった」
男はなんの情報も持っていなかった。男には、帰ってもらった。
「比都のしわざでしょうか。比都とは、どんな女性なのでしょうか」可武斗は首をひねる。
「すごいわね。完全に隠れている。人使いもうまいみたいね」蓬野姫はワクワクが止まらない。
「鍬形、式神のほうはうまくいった?」蓬野姫はもうひとりの少年に声をかけた。
「はい。式神には額に赤い印をつけた、特徴ある化粧を施しました。赤い印がない者は、人間です」
歌合せの席で、優秀な評価を得た鈴蘭、つまり鍬形の変装した少女は、満場一致で褒美として宮中に部屋をひとつもらった。
部屋は、蓬野姫の部屋の近くだ。部屋には、式神が化けた鈴蘭と侍女たちを住まわせ、本物の鍬形はここにいる。
「式神だけ、部屋に置いてきたの?」蓬野。
「それでも大丈夫だと思いましたが、とっさの判断が必要なときには不安がありました。掛け軸の天女に、式神たちの指揮をお願いしました。……調べましたら、黄金と同様、万福寺の和尚が新たに入手した美術品に夢中になり、掛け軸の天女がおろそかになっていることがわかりましたので」
「あ、天女が?よく了承してくれたわね!」
「天女は識別がよくできる頭の良い方でした。万福寺の和尚が来ないので暇になったようです。僕が話しをしにいくと、興味を示していただき、快諾してくださいました」
鍬形の話しを聞いていた黄金は、ちょっとすねた様子。
「黄金は子どもだから、しかたないの。天女は大人なのよ」
蓬野が黄金の頭をなでてやると、黄金は甘えて大きな体を蓬野にすりよせた。
「じゃ、準備はできたのね。比都が式神の鈴蘭に接触するかしら。楽しみね」
「人間があの部屋に接触すると、すぐにわかります。山吹も注意してくれているようです」
「山吹もね。うふふ、山吹が目を輝かせてスパイしているのが、目に浮かぶわ」
蓬野姫はくすくす笑う。
後宮。
新しく後宮入りした鈴蘭に、姫たちや家人たちが興味津々。
「鈴蘭様を見たことある?」
「後宮に入られたあとは、ずっと部屋でお過ごしの様子よ。あの美しいお姿を拝見したいわ……!」
姫たちのささやきに鼻を高くしながら聞き流しているのは山吹。
山吹は、少数の侍女を引き連れ、鈴蘭の部屋に入る。
周囲の姫や家人たちは、一緒に入りたい気持ちのため息をもらす。
山吹は、広い部屋に入る。部屋は、姫がお住まいであるとは思えない、がらんと殺風景だ。
山吹は気にならない様子。慣れた足取りで壁に向かう。
「いつも、ありがとうございます」
山吹は、誰もいない広い部屋の壁に向かって座ってしゃべりだす。
壁には、万福寺から借りている掛け軸の天女がかけられている。
『なんてことないわ。定期的に侍女の式神を部屋から出し入れするだけだもの』
天女は山吹の頭の中に直接話しかける。周囲の者には何も聞こえない。
「かなじけのうございます」
『いいの。こうやって、釣り糸を垂らしておけば、いずれ魚はかかるのよ』
「天女様は、心が広いすばらしいお方」
『こんなところで、釣りをすることになるなんて。昔は掛け軸のえびすと一緒に釣りを楽しんだものよ。懐かしいわ』
やっぱり、蓬野姫が関わる姫たちは、みんな元気がいいわね。
山吹はこっそり笑みを浮かべた。
「ときどき参りますので、近況をお教えください。緊急の場合は、可武斗か鍬形をお呼びいただければ、すぐにかけつけます」
『わかったわ。早く彼らを呼ぶことができるように祈願しておくから』
天女は元気に掛け軸の中でふわふわ飛び回った。
山吹が鈴蘭の部屋を出ると、額に赤い印をつけた侍女たちが帰ってきた。侍女たちは、山吹に礼をして通り過ぎる。
鈴蘭の部屋に入る侍女で、額に赤い印をつけていない者が入ることは今のところなかった。
都の一番端。
下級貴族たちが住まう屋敷が立ち並んでいる。
家人たちが忙しそうに行きかっている。
「なあ、最近変なヤツがウロウロしているの、見かけないか?」
「そうなんだ。なんだ?アイツらは」
「どうやら、身分の低い貴族のはしくれたちの家人らしいぞ」
「なぜ、そんな奴らが我らの屋敷の周りをウロウロするのか」
「ほら、例の姫だよ」
「鈴蘭様?」
「そう、蓬野姫様の遠い親戚で、縁もゆかりもなかったシモジモの者がさ。ぽーん、と宮仕えすることができたものだから。自分にもそのチャンスがあるんじゃないかっていう者が増えたのさ」
「気持ちはわかるけどさ。鈴蘭様のように才能も美貌も持っている姫なんて、そうそういないだろう」
「ははは、それがわかってないんだよ」
「なにか、拾い物でもないかって、鼻をひくひくして我らの屋敷の周りをうろついているのか」
家人たちは、まだよそ者を笑うことができる余裕があった。




