24 洗い
変なにおいがする部屋にひとり残された鍬形は満面の笑み。
「すごいぞ!これは薬部屋じゃないか」
壁一面にある小さな引き出しを開けようとした。空気が動くのを感じた。
伸ばした指を引っ込める。鍬形は野菊になりきる。
「ああ、新しい洗いか」
頭の髪がすっかりなくなった老人が部屋に入ってきた。
老人はつぶやいただけで、野菊がいないかのように作業台に向かい始める。
「あの、私は野菊といいます。さっき、ここで洗いをするよう言われました。何を洗えばいいですか」
野菊は遠慮がちに老人にたずねる。老人は作業台に向いたまま、指で部屋のすみの洗い場を指す。何も言わない。
「わかりました」
老侍女は水をしっかりかけてから作業するよう言ってくれたが、この老人は何も言わない。
何者だろう?薬師か?
薬師ならば、何も知らない少女が危険な洗い物に手をつっこむ前に言うべきことがあるのではないですか?
「これですね」
老人の声を聞こうとして、野菊は改めてたずねた。
「別に洗いなど、いらんと言うたのだ。わしはひとりでできる。あの娘もいらんのだ」
老人は作業台で何かをゴリゴリすりつぶしながら、つぶやいている。野菊に言っているよりも独り言のようだ。
「私、何でも洗いますので、お言いつけくださいまし」
野菊が言っても、老人は返事もしない。
しかたなく野菊は、汚れた椀に向き合った。ちらり、と老人を確認する。
老人は何をしているのか、作業台から目を離さない。洗い場からは、変なにおいが強く漂っている。確かに、このまま手を突っ込めば、ただでは済まないような危険な感じがしている。
野菊は術を使って洗い物の汚れを落とした。あっと言う間にすべてキラキラ光る。
よし。
野菊は何も知らない少女なんです、とアピールするかのようにカチャカチャと派手な音を立てて茶碗を洗うふりを始めた。
「耳障りだ」
老人は気難しい声を出す。
「すみません」
水でゆすぐふりをしながら、きれいになった椀を片付けていく。
「おい、きれいに洗えよ、速すぎじゃないか」
老人は気難しい表情で野菊のそばまでやってきた。
「!」
老人は、洗い終えた椀を見て驚いた表情をした。
「手は?」
老人が野菊の手を見る。野菊は袖で手を隠し、指先だけ見せた。
顔は化けれても、厳しい訓練に耐えている手は少女の手ではない。見られてはいけなかった。
老人は、疑問を持たず、野菊の指先だけ見た。傷がないことを確認すると、ふい、と野菊から離れた。
「ここの洗いは、普通の洗いとは違うのだ。貴族たちはそれが理解できん。美文字など書く娘など、ここにはいらんのだ」
「娘って?」野菊は控えめに質問する。
「比都だよ」
「比都は何をしている家人さんですか」
「初めは掃除をしていた。主人のメモが落ちていたのを拾い、それを読んだことで識字力があることがわかったそうだ。それ以来、家人たち向けに注意書きを書かせていた。そこまではよかった」
「はい」
「美文字などという、美しい文字を書いたのだ。それで、主人のところまですぐに上りつめた。比都は有頂天だったそうだ。田舎から出てきた娘だからな。貴族の屋敷で洗濯するだけでも、里に帰れば鼻が高いだろうに」
「はい」
「そのうちに、風邪に効く薬草などと言い始めたのだ。そのおかげで、この部屋に出入りするようになった。わしの仕事を奪い始めているのだ。実に気に入らない」
「はい」
「比都などが言う薬はウソだ」
「はい」
「お前も利口そうな顔をしているな。わしをここから追い出すつもりか」
「……」
老人は、野菊に詰め寄る。野菊の首をしめようとでもいうのか、わなわなと手を伸ばしてくる。
「くだらないことを言うな!」鍬形の声で言う。
老人は恐怖の表情を浮かべ、次に怒りの表情を浮かべた。
「お前は誰だ」
「僕は鍬形。蓬野姫の家人だ。お前の地位など欲しくもないわ。それより、僕を信用しろ。そうすれば、お前の地位を確保してやる。どうするか」
鍬形は指を動かした。老人の怒りの顔が、ぼんやり呆けた顔になる。
「僕に情報を提供しろ。お前の地位はここにある」
鍬形は妖しくほほえみ、老人の耳に指を近づけた。耳には触らず、何か引っ張るようなしぐさをした。
老人の耳から黒い糸がにょろにょろ、出てきた。
鍬形はほほえんだまま、黒い糸を引っ張り出しきると、ふ、と息を吹きかけた。
黒い糸は、空中でぽっと燃え、消えた。
老人は、ハッとした表情で起きた。
「?」老人はきょろきょろする。
「どうしましたか」野菊がほほえむ。
「わしは眠っていたのか?」
「そのようです」
「お前は誰だ?」
「野菊と言います」
「野菊?ここで何をする?」
「洗い物です。先生の手伝いです」
「わしの手伝いか。手伝いはいらんが……。なぜだか、お前を使わねばならない気がしてならん。……うむ、では洗い物からやってもらおうか。……おや、もう終わった?うむ、わしは寝ておったのかな。……では、これを手伝ってもらおうか」
「はい」野菊はかわいい笑顔で答える。
たった今の薬師の記憶を耳から抜き取り、燃やしたのだ。野菊を信用せよ、ということだけ、薬師は覚えていた。




