21 御殿
湯の奥底に大きな屋敷が見えてきた。
「あれが、御殿か」
沖の中将は、魚たちに交じって御殿の中に入っていく。
「うろこを返せ」
「……ありがとう」もう返すのか、と思ったが、沖の中将はすなおに金魚にうろこを返した。
『お前は、これで体をこすれ』
鯛が御殿の庭にきれいな円錐形に積み上げられた白い粒を指した。沖の中将が近づくと、白い山は沖の中将の背ほど高い。
白い円錐形の山に指でそっと触れる。白い粒は指先でザラザラとした感触。
『その布も取ってこすれ』魚が言う。
沖の中将はそこではじめて自分が下着すがたであることに気づいた。
下着の浴衣を脱いで、白い粉を体にこすりつける。痛くはないが、細かい粒子のザラザラした感触が心地よい。
背中をこすれずにいると、魚が海藻を持ってきた。
『それに塩をつけてこすれ』
沖の中将は、言われるがまま、海藻に白い粉をつけて背中をこすった。
これは、塩なのか。
沖の中将は、少しだけ白い粒をなめてみた。舌の先に塩のしょっぱさを感じた。
「これ、気持ちがいいぞ。つけてやろう」
沖の中将が魚に塩を近づけると、魚たちはいっせいに逃げる。
「逃げなくてもいいじゃないか……」
沖の中将は気持ちよく顔も首の後ろも塩でみがいた。
「うん、気持ちいい!!」
全身を塩でこすりおえると、塩は自然に湯に溶けてなくなる。再び下着を着て魚たちについていく。
御殿の脇にある小屋に案内された。
『これをつけろ』
大きなタコがカゴに入った沖の中将の着物を差し出してきた。
「あ、これは僕のじゃないか。どうしてここに」
沖の中将は不信感で眉をひそめながら、ともかく着物を身につけた。
『お待ちしていました』
魚に連れられ、御殿に入ると人間の侍女が待っていた。
やっと、人間と話ができる安心感。
「僕は沖の中将。ここはどこですか。僕は都に帰りたいのです」
『ここは温泉の底。青姫の御殿です。青姫がお待ちです』
侍女は沖の中将の前に立ち、御殿の奥へ進んでいく。
沖の中将は青く光る御殿の中をめずらしそうに眺めながら進んでいく。
丸く赤い柱が何本も立っている。広間には人間の侍女や魚がたくさんいる。
御簾のかわりだろうか、半透明の海藻がカーテンのように美しいひだを作りながら、あちこちにかけてある。
『こちらでお待ちください』
今までで一番大きな部屋に連れられてきた。
奥には今までで一番大きなカーテンがひかれている。
半透明のカーテンの後ろに、誰かが現れた。姿はカーテン越しではっきりわからないが、十二単を着ているのはわかった。
「お待ちしておりました、沖の中将様」
カーテンの奥の姫がしゃべった。
「僕のことをどうして知っているのですか」
「私のことを青葉の君、と名付けなさったのは、沖の中将様です」
「………!」
「覚えてないのはわかっています。沖の中将様にとっては、姫のひとりやふたり、野に咲く花と同じことなのでしょう」
沖の中将は返す言葉もない。
「そんなことは承知済みです。私は最近、記憶があったりなかったりします。今は記憶がしっかりしている。沖の中将様、雑草の花である私のことを、きっぱり断ってほしいのです」
「……どういうことですか?」
「世間のうわさでは、私が沖の中将様に激しく恋をしていると流れています……が、それは……」
青葉の君はしゃべっている途中で、苦しそうに胸を押さえた。
「姫……!」
沖の中将が姫に近寄ろうとした瞬間、姫の姿がむくむくと巨大化する。頭から角が生え、口から牙が伸びる。目はらんらんと赤く光る。
鬼姫の姿になった。
「私が好きか?」
鬼姫が沖の中将に怒鳴りつけるようにして質問した。
「……!!!」沖の中将は、答えるよりも動揺する。
「私と結婚するのだ、沖の中将よ。私と一体化する」
鬼姫は、太い腕で沖の中将をつかもうとする。沖の中将は、鬼姫の爪がかするほどの僅差で逃げる。
「美味そうに仕上がっているではないか。沖の中将よ」
鬼姫はにたあっと笑う。大きな牙が口からはみだしている。
まるで追い詰められたネズミのように、沖の中将は大広間の中を走り回ったが、鬼姫の速さには間に合わず、捕まってしまった。
大きな鬼姫の手で握りしめられた沖の中将は、ぱっくり開いた鬼姫の口の中に頭から飲み込まれてしまった。
「沖の中将!」
大広間に女性の声が響いた。
鬼姫は、赤い目でキョロキョロ見回す。金色のもののけを見つけると、赤い目をギリギリと吊り上がらせた。
「誰じゃ!我が屋敷に無断で侵入している者は!」
鬼姫は、大きな虎に向かって走り出す。
虎は後ろ足で立ち上がり、大きな牙をむき出して鋭い爪で鬼姫を切り裂こうとする。
虎は蓬野姫が黄金に乗り移っている蓬野虎だ。
蓬野虎と鬼姫は、鋭い爪を突き立てあい、体のあちこちを傷つけあう。
蓬野虎は赤い血を、鬼姫は青い血を吹き出しながら戦う。
蓬野虎の鋭い爪が鬼姫の喉に突き刺さりそうに迫る。
鬼姫は、術を短くつぶやくと、御殿ごと消えた。
蓬野虎は、闇夜の山の中に立っていた。




