20 誘拐
沖の中将の屋敷の縁。
沖の中将は春道と一緒に酒を飲んでいた。
庭にたくさんの花が咲いている向こうで、池の水面は満天の星を映していた。
沖の中将は、参内で試した結果を春道に話した。
「へえ、中将にしてはめずらしいチャレンジをしたものだね」
春道は興味深そうに笑った。
「うん、これだけ位や人により、相手の振る舞いが違うってこと、今まで気づかなかったよ」
「中将がそれに気づいたことが、とても大きな進歩だよ。乾杯」
春道はうれしそうだ。
「僕のときは、姫たちのざわめきがすごいんだよ。僕はどう思われているのだろうかと考えたよ」
「うん。それで?」
「大臣のように尊敬はされていない」
「うん、それで?」
「嫌われているわけでもない」
「うん、それで?」
「僕の顔でしか、判断されていない」
「ほうほう」春道は、目を丸くしたあと、うれしそうに目を細めた。
「みんな、本当の僕を知らない」沖の中将は悲しそうな声。
「うん、うん。……それで?」
「本当の僕は、素朴なんだ。華やかじゃない。わかってもらうのは難しい」
「安心しろ。僕が君のことは、よくわかっているよ。それでいいんじゃないか」
沖の中将は驚いた表情で春道を見た。
「僕だってそうだよ。誰だってそうさ。本当の自分のこと、みんなが知っている人なんて、きっとこの世にひとりだっていないよ」
「………」
「なんなら、自分だって自分のこと、よくわからんよ。……そういうもんさ」
「そうなのか」
「そうさ。乾杯」春道は杯を上げた。
二人は酒を飲んだ。
満天の星がきらめいている。
二人は、黙って満天を眺めていた。
すう、ときらめく空が暗くなった。
二人は、雲がかかったのか、と残念に思った。
「飲みなおそう」
春道は沖の中将に酒をつごうとして驚いた。
巨大な手に握られた沖の中将が、宙にのぼっていく。
「中将!」
「春道、鬼姫だ!」沖の中将はあっと言う間に暗闇に吸い込まれていく。
沖の中将の声はそれきり、聞こえなくなった。
「大変だ」
春道は、蓬野姫の屋敷に急行した。
沖の中将が気づくと、ぶくぶくと泡の出る湯につかっていた。
「!!!!!!」
幼少のころ、勉強の師匠、勉達に見せてもらった地獄絵巻だ!
逃げなくちゃ!死んでしまう!!!
沖の中将は、湯の中を走った。湯が身体にあたり、抵抗力が邪魔をして前に進まない。
湯は沖の中将の胸まである。両手を空中にあげ、足だけで前進しようとするが難しく、両手で平泳ぎを泳ぐように湯をかきわけながら前進する。
「はあ、はあ、………」
どれだけ前進しただろうか、一向に状況は変わらない。
湯はいつまでも胸まであり、足の下からぶくぶくと泡が出ている。湯の温度は焼け死ぬほどではない。むしろ、つかっていて気持ちのよい温度。
しかし、沖の中将の心境は温泉を楽しむ余裕などない。
水面から、もうもうと湯気があがり、数メートル先が見えない。
走っていると、足が滑り、湯にもぐりこんでしまった。
「!!!!!!」
沖の中将は浮き上がろうと、手足をもがく。慌てると、どこが水面かわからなくなる。
『なんだ、こいつ』
『見たことないやつだな』
『食ったらうまいのか』
大きな泡が混じる水中で、見たことない魚のような生き物が沖の中将の周りに集まっていた。
『変な形をしているぞ』
『ようし、お前、かじってみろ』
鯛のような魚が金魚のような魚にけしかけている。
「やめろ!」
思わず沖の中将は水中で叫んだ。すぐに沖の中将はまずい、と思った。胸の中の空気がなくなった。
が、叫んだ直後の口の中に空気を感じた。思わず吸い込む。難なく呼吸ができる。
「?????」
沖の中将は、混乱したが、すぐに呼吸できるなら都合がいい、と思い直した。湯の温度にもやっと慣れてきた。
「お前たちは魚か?どうしてしゃべっている?ここは、どこだ?」
一気に質問をする。
魚たちは魚の目でじっと沖の中将を見ている。魚の目だけに、表情はわからない。
『おい、こいつ、魚か?』
『食べたらわかるだろう、お前、食べてみろ』
魚たちがしゃべりだす。
「食べちゃいけない」沖の中将が叫ぶ。
魚たちは沖の中将を見ている。やはり、魚の目で見られても、魚の表情がわからない。
「わかった。僕から説明する。僕は人間、沖の中将。都に住んでいる。どうしてここに来たのか、わからない」
『都?』
『さーあ』
魚たちは都を知らない様子。
「立派な屋敷がたくさん建っていて、天皇様をはじめ、えらい貴族たちが大勢いるんだ」
『御殿のこと?』
『お前は御殿に行きたいのか?』
沖の中将と魚たちの話しは噛み合わない。が、このまま湯の中にいるより、話しができる人間に帰り方を聞きたい気持ちが強い。
「そうだ」
『御殿はこっちだ』
魚たちは泳ぎ始める。沖の中将は戸惑う。魚のスピードについていけない。
しかたないので、手足をバタバタさせ、なんとか魚たちが行った方向へ向かう。
『遅いな』
金魚が戻ってきて、えらそうに言う。
『これをくわえてみろ。あとで返せよ』
金魚が赤いうろこを一枚渡した。沖の中将は、舌の奥にうろこをつめて飲み込まないよう注意した。
金魚はさっと泳いで行ってしまう。沖の中将は手足をバタバタさせた。
すると、体の周囲の湯が強い風のように沖の中将の足元へ流れていく。あっと言う間に魚たちに追いついた。




