マリア
一か月後、唯夜は王都を訪れた。マリアから個人的な呼び出しを受けたのだ。といっても王城には入らず、アンネの居館に招かれた。
「お待ちしておりました、夜渡祇侯。閣下の勇名をお聞きしない日はございません。我らも励んで参ります」
アンネは門の前で唯夜を出迎えた。
「君も禁軍の練兵を頑張っているそうだな。王都の外で見てきたけどいい動きだった。それに俺たちが戦えるのは君が兵站を確保してくれるからだ。これからもよろしく」
「お褒めに預かり光栄です。私もどうせなら前線に立ちたいのですが」
今の彼女は近衛騎士団団長にして禁軍副司令官である。これまでは前線の勇将として戦ってきたようだがこれからはその機会もなくなっていくと思われるがコリント将軍の退役が近い以上、前線での活躍もあるだろう。
「ではご案内いたします。お客人がお待ちです」
彼女は唯夜を奥の部屋に連れて行った。少ない調度品が並べられただけのその部屋の中には一人の女が座っていた。
「ようやく来たわね。夜渡祇殿」
「陛下」
「今日はそういった堅苦しい礼儀はなしよ。今日は王のお仕事はなし。一人の人間として接してくれると嬉しいわ」
唯夜はソファに腰を下ろした。
「わかった。じゃあ俺も今日は貴族も将軍もお休みだ。それでどうする?」
「貴方が嫌でなければ城下町で散策しない?」
「いいね。美味い屋台知ってるから食べに行こ」
二人は粗末な服に着替えてアンネの館を出た。女王と貴族の衣服で王都を歩けば目立ってしまう。目立ってしまえばお忍びでの散策は台無しだ。アンネと彼女の郎党たちが変装し、距離を置きながらマリアの護衛についている。
「ごめんなさいね。呼び出してしまって。貴方も忙しいでしょうに」
「いいよ。うちには俺より優秀な奴がたくさんいるから戦争にならない限りはいつでも遊んでられる。それに俺はこの街が好きだから気にしなくていいよ」
王都エデンは歴史の浅い都市である。先代までのホーストン王国は貴族の権力が強く、王は貴族たちの第一人者としての存在だった。唯夜のいた世界でのルイ十四世のような絶対王政を敷くことはできず、あくまでも領地を有する貴族や騎士たちの代表でしかなかった。貴族や騎士は国王と契約を結び、領内においては国王を凌ぐ権力を有し、国王との関係性は弱く、王としても彼らが叛乱・離反しないように見張らねばならなかった。しかし電話のような便利な道具は存在していなかったため、国王は宮廷と共に王国領内を巡り、貴族らを監視しなければならなかった。それを巡幸王権という。王都エデンが建設されたのは十年前。先代王ウィリバルト二世が体調を崩しがちになり、巡幸の継続が不可能になった折にこの都が建設された。
都は栄え、女子供も一人で出歩いている。統治が安定している証拠だ。国内の反抗勢力はゴエティアと共に一掃され、王の権威は国土の隅にまで届くようになった。マリアは家臣団を纏めあげ、臣民のための政策を続けている。一方で帝国との戦いに最前線で参加するほどの胆力も持ち合わせている。戦国の王としての覚悟を少しずつ覚醒させつつあるのだ。
「あ、そうそう。ここの屋台の羊の串焼きが美味いんだ。食べよう」
「ええ。楽しみだわ」
二人は王都を巡ったマリアにとってはお膝元の都市であったが身分を隠して周ることは初めてのようで普段より自然で穏やかな笑顔が溢れていた。
夕方となり、二人は河川敷に腰を下ろした。水面は風に揺れ、沈みゆく太陽を映している。絶景というほどでもないが情緒のある光景であった。露店で買った安い菓子を二人で食べる。
女王マリアは並び立つ家屋に背を向け、唯夜との他愛もない雑談に夢中になっていた。護衛の兵士たちも夕焼けで目が見えにくくなっていた。だからこそ気付かなかった。家屋の窓から暗殺者のクロスボウが女王に向けられているということに。
暗殺者はにやりと笑った。
「より激しい混沌を。魂を、血を我らの神に捧げよ」
暗殺者は引き金を引いた。瞬間、ボルトが放たれた。しかしその一撃が女王を貫くことはなかった。彼女の背後に手を回した唯夜の腕に突き刺さったからである。
「!」
兵士たちはすぐに暗殺者の存在に気づき、取り押さえた。暗殺者が口から泡をこぼして動かなくなった。毒を飲んで自害したのだ。
「唯夜!」
唯夜はボルトを引き抜き止血した。驚きと痛みで声を出せなかった。マリアが傷の手当を行う。
「ごめんなさい。私のせいで…」
「大丈夫大丈夫。よくある」
至急、近衛兵が集められ、マリアと唯夜は王城に護送された。唯夜の傷はすぐに治り、元通りになった。昔から傷の治りが異様に早く、多少の怪我ならすぐに完治してしまう。師も不思議な能力だと言っていた。
「いやー、便利な体だな」
唯夜はすっかり消えた傷を思い出す。
「唯夜、本当に大丈夫?」
「うん。大丈夫。それより今日は楽しかったか?」
青年は俯く若き女王に尋ねた。マリアは顔を上げて頷いた。
「ええ。楽しかったわ。貴方のおかげで」
「俺も楽しかった。だから…よかったらだけどまた遊ぼう。今度はヒューベルを案内するよ」
「ええ。ええ、是非!」
唯夜は帰路についた。本当は王都で宿泊していく予定であったが側近たちの、主にヘスティアの反対によって夜に帰ることになった。
「うー、眠い…。やっぱ朝でもよかっただろ…」
「王都に暗殺者がいるのは明白です。再編を経たとはいえ近衛に不安要素は残っています。王城で宿泊するのは危険です。孤児院で泊まるにしても襲撃を受けた場合、子供たちに被害が出てしまうかもしれません」
「確かに…。夜もそれなりに危険だけど敵もまさか夜に紛れて王都を出るとは思わないだろうしな」
青年は納得した。ヘスティアは夜渡祇軍随一の戦闘力を誇る一方で忠誠心も強く、頭の回転も速い。
「それに陛下と一晩の過ちをなされても困ります。セレス将軍とは比べ物にならない事態になりますから」
「…」
ホーストン王国屈指の大貴族は閉口するよりなかった。イリアスとは誤解であることはみんな知っているがセレスとは誤解でもなんでもなかった。ヘスティアの懸念も最もであり、反論の余地はなかった。
領土に戻った唯夜にレフトルが進言した。州都を南に移転すべきであると。
「なんだってまた?」
「領土がヒューベルだけならここでも問題ねえが今やネルブリンゲン全域にまで及んでる。独立心旺盛な奴らを監督支配するにはここからじゃ遠すぎる」
「そうならないように部族の紐帯を分解して中央の将軍と行政官に支配させてるわけだけど」
内側への警戒心が薄い唯夜でも部族の存在をそのままにするなら反乱の可能性に備えて州都をとっくに移転させていた。だが現在は文化や慣習などは残っているものの部族の枠組みは消滅している。部族ごとの反乱の可能性は低い。
「じゃあ将軍が反乱を起こした時はどうする?」
「!」
唯夜は頭を掻く。
「お前さんもわかってるとは思うが忠誠心は不変のものじゃねえ。時と場合によって簡単にひっくり返る。そもそも忠誠心なんざ持ち合わせてねえ奴だっているだろ」
諸将は顔を見合わせた後、唯夜を見た。お人好しの主君がどのような返答をするのか待っているのだ。
「この中で叛乱を起こしたい者がいるなら起こせばいい。正面から捻じ伏せて裏切り者を血祭にあげるだけだ。それ以外に何か必要か?」
彼の返答は簡単だった。無理に人を信じようとはせず、有事の際は容赦なく叩き潰す。それでいて有能な者には大きな仕事を任せ、褒賞を惜しみなく与える。将軍たちにとって何より信頼できる人物であった。
「くくく、乱世の王はそうでなくちゃな。わかってるさ。この提案も本気じゃねえ。予算もねえし領地替えを行ったばかりでの遷都は施策の不安定を招く。南のトゥーラ王国の動きには警戒が必要だが今すぐの遷都するほどでもねえ」
レフトルは笑って退室していった。
現在のヒューベル領は安定している。しかしネルブリンゲン領はまだ不安定だ。行政や軍の再編は済んでいるが人々がそれに慣れているとは言い難い。一年ほどは大きな改革を行うことはできない。改革を行わないという判断が後に大陸東部を巻き込む騒乱を引き起こすことになるのである。




