賭け
ネルブリンゲンで起こったあまりに急な改革は旧支配者の反感を買い、いくつかの反乱を引き起こした。それも織り込み済みだった唯夜は部下たちを差し向けて瞬く間にそれを鎮圧し、完全にネルブリンゲンを支配することに成功した。
「準備はできた。後はやるだけだ」
唯夜は両手の拳を突き合わせた。
唯夜麾下の軍は九万五千騎となった。帝国軍に比べて少数ではあるが十分な戦力である。
唯夜は王都へ行き、子細な報告を行った。
「よくやってくれました。これで南側の脅威は消えました。これからの活躍を期待します。帝国との戦いで必要となれば私も出陣します」
「できれば帝国の方々には我が国の領土を踏む前にお帰り願いたいのですがね。問題は帝国が我が国ではなくエクレン王国に攻撃を仕掛けた場合です」
唯夜は目前に広がる地図を指した。エクレン軍は総司令官と二万の兵を失った。将軍は六人を残すのみ。騎兵の展開に適した平原も少ない。帝国軍はそこを狙ってくるだろう。あのアレキサンダーが見逃すはずがない。
「なので陛下、私に出兵の許可を頂けませんか?」
「卿には自由に戦闘行動の自由を与えたはずです。私の了承を得る必要はありません」
「私が出征しようとしているのは帝国領に向けてです」
廷臣たちが驚愕する。
「帝国は今頃、旧メズル王国南部領に後方拠点を築いているでしょうからそれを妨害します。そうすれば帝国は嫌でもこちらに目を向けることになるでしょう。ですがそれは我が国と帝国の全面戦争を意味します。流石にこの決定を独断で下すわけにはいきません」
マリアはしばらく考え込んだ。廷臣たちは開戦を反対する声をあげる。王国軍の兵力は十七万を数える。対して帝国は百万を超す兵力を招集できる。総動員令を発令すれば更に多くの兵を出すことができる。兵力差は歴然であった。しかも王国の兵力のうち九万五千が唯夜の私兵に近い存在である。
「自分から帝国の標的になりに行くと言うのか! 正気の沙汰ではあるまい!」
「この国はとっくに帝国の標的だ。我々は狼に食われる順番を待つ羊だ。であるならばまだ反帝国の残存勢力を糾合できるうちに戦っておくべきだ。それとも今現在帝国と和平交渉が可能とでも?」
クロムバッハがそう言って廷臣たちを黙らせる。帝国と交渉するには戦うよりも和平を結んだ方が得があると思わせなければならない。今のホーストンに交渉に持ち込むだけの材料はない。
唯夜は旧メズル領侵攻作戦の概要を説明した。
「私の案は戦場において帝国の有力な将軍、可能ならば皇太子アレキサンダー、第一皇女ミネルヴァを倒し、どうにか和平に持ち込むことです」
「可能ですか?」
「これで駄目なら何をやっても駄目でしょう。 あくまで私が行えるのは戦いだけ。それ以外は陛下やクロムバッハ殿次第ではありますが」
廷臣たちはマリアに戦争回避を進言する。確かに彼らの考えはわかる。この作戦は自分から帝国に喧嘩を売るようなものだ。成功する可能性が低い上に失敗すれば王国は一瞬で滅ぶ。国をより長く存続させるのが目的であれば手出しをしないのが正解だ。しかしそれは確定した滅びを前にした延命治療でしかない。今、唯夜が行おうとするのは帝国を撃退し、国を生かすこと。両者は相容れないのかもしれない。
マリアは目を閉じた。少しの間考え、そして目を見開いた。
「夜渡祇卿、私は貴方の謀略に未来を託したいと思います。支援は私の責任で行わせます。必要なものがあれば何でも申し出るように」
「はっ!」
唯夜はセレスを総司令官としてヒューベル軍三万騎を帝国領に侵攻させた。セレスは急行軍で旧メズル領に侵入し、エクレン王国侵攻のために物資を運んでいた補給部隊を襲った。セレス軍は補給部隊を蹴散らし、物資を奪い、砦を焼き、街道を破壊した。これで少なくとも二か月は大軍でエクレン王国に侵攻することはできなくなる。また付近の村落に反乱を焚き付ける文書をばら撒いた。帝国は旧メズル領民に対して苛政を敷いている。それに耐えかねたメズル領民たちは義勇軍として立ち上がり、後方支援やゲリラ戦に従事することとなった。
放っていた斥候がセレスに敵軍の接近を告げた。
「敵将とその戦力は?」
「北方の将軍シューラー・バリエルド男爵を総司令官とする三万二千の軍勢です。騎士が一割、騎兵、正規歩兵が三割ずつ、残りが徴収された民兵です。全てがバリエルドの所有戦力ではなく、各貴族の軍の寄せ集めであるらしく」
「わかった。ご苦労」
セレスは地図を広げた。彼女は唯夜からいくつか戦略を授けられている。同数程度の凡将が率いる軍であれば少ない犠牲で追い払える。加えて副将としてトゥイアとアリクブケがいる。兵も度重なる訓練で統一した動きができるようになった。
「それでどうする? 姐さん。逃げても良し。戦っても良し。どっちでもいいぞ」
トゥイアがセレスに言った。
「俺は上級王の命を受けた総司令に従うだけだ」
アリクブケが賛同する。
「戦うわ。全軍に通達。これから一日、全将兵に休息を与えます」
シューラー・バリエルド率いる帝国軍は全速力で南下を続けていた。だが街道が破壊されている上、メズル義勇兵によるゲリラに苦しめられ、進軍は遅れていた。そんな彼らにトゥイア麾下の千人将ズドゥエの部隊が襲いかかった。
「撃てー! 撃て撃てもっと撃て!」
矢をしばらく降らせるとズドゥエは退却を命じた。帝国軍の一部の部隊はそれを追いかけた。ズドゥエ隊は応戦と退却を繰り返して帝国軍を引き付ける。何度も繰り返し訓練した戦術だ。
バリエルドはヒューベル軍と戦うのは初めてのことだったがその脅威はよく聞かされていた。敗北を偽装して敵を包囲網の中に誘い込む。高精度・高威力の射撃の後は密集陣形で突撃する。彼らに主導権を渡せば勝ち目はない。
「何をしておるか! 追撃した馬鹿者どもを連れ戻せ!」
「はっ!」
二千騎の騎兵を出して勝手に追撃した部隊を追いかけた。しかしその部隊に別のヒューベル軍千騎が突撃する。ヒューベル軍は千騎ほどの大隊を次々に送り込んで帝国軍を平原に引きずり出す。帝国軍は絶妙なタイミングで送り込まれてくるヒューベル軍に苦戦を強いられた。
「太鼓を鳴らしなさい」
帝国軍の後方にセレス軍が出現し、突撃の太鼓を鳴らした。兵士たちは雄叫びをあげながら矢を浴びせ、重装騎兵隊が槍の穂先を揃えて突進する。ヒューベル軍の鎧は黒一色に染め上げられている。それが隊列をなして突進してくる光景は帝国兵に恐怖を与える。帝国軍は矢と恐怖で隊伍が乱れたところを攻撃された。
「小癪な…!」
バリエルドはトゥイア軍に引き付けられている一万五千の兵を除く全軍でセレス軍を包囲して殲滅するように命じた。
「突撃ぃぃぃぃぃぃぃ!」
その時、戦場に怒声が響き渡る。南からアリクブケ率いる一万騎がバリエルド本隊を狙うべく走り出した。地面を揺るがすその突撃は雷のように駆け抜け、バリエルドの背後に迫る。
バリエルドは突撃を命じた。参謀がそれを諫める。
「総司令! 本陣の周囲に兵を集め、密集陣形を組み、敵軍の綻びを待つべきです!」
「馬鹿者! 奴らは計算して突撃をしてきたのだ! 綻びなど期待できるか! 一か八か突撃し、前方に退路を見出すのみ!」
その突撃はセレスを驚愕させた。彼女は敵が怯えて亀のように縮こまると予想していたからだ。帝国軍はセレス軍とアリクブケ軍の包囲網が完成する前にセレス軍に突撃し、正面から突破してしまった。
「なんという無茶を…!」
セレスは追撃部隊三千騎を率いて北に逃げたバリエルド軍を追い、残余の部隊はトゥイア軍に翻弄されたまま戦場に取り残された帝国軍を包囲した。
追撃と包囲は数時間続き、アリクブケ軍は一万の兵力を保ったまま追撃を振り切った。包囲された軍勢は壊滅し、半数が捕虜となり、残りは戦死した。ヒューベル軍は四百三十七騎を失った。
戦いの顛末を聞いたアレキサンダーは激怒した。バリエルドの不甲斐なさに対しての怒りはあった。しかし彼は勝つことはできなかったが上手く負けた。包囲を受けながらも三分の一の兵を保持したまま帰還したのだ。平凡な将であれば一割程度しか生還できなかったであろうから。では何に対して怒っているのか。それは帝国の政治体制である。帝国は皇帝を頂点とし、貴族は領地と領民を与えられ、様々な特権を享受すると共に納税の義務や兵役の義務を負う。貴族たちは皇帝に従って兵を率いて戦争に参加するが貴族同士での権力闘争や貴族の強烈すぎる自我、戦争へのやる気のなさが足を引っ張り、軍内部の纏まりを欠き、それを敵に利用される。総司令官の命令を無視することも珍しくはなかった。
「何の功績もない、努力もせず血筋によって権力を受け継いだだけの低能どもがどこまで足を引っ張れば気が済むのだ」
唯夜とクロムバッハは西の隣国フーヴェンへ使節として赴いた。千騎ほどのヒューベル騎兵を伴い、王都ベレンクールへ入った。フーヴェン王国の領土は東西に長く、北部は帝国と面しているが対帝国同盟には加盟していない。現在のホーストン王国と同じ程度の広さの領地の上、三代前の国王の時代から富国強兵策を進め、優れた重装歩兵部隊を揃えている。現在は帝国と戦争状態にはないが闘争に巻き込まれるのもあまり遠い未来ではないだろう。
「…上手くいくと思うか? 綱渡りにもほどがある」
クロムバッハが顎髭を摩りながら唯夜に問う。
「成功すれば理想的な勝利を得られるだろうが成功率など話にならん」
「失敗すればどうせ滅ぶのです。なら失敗した後の事を考えても意味はありません。成功すれば勝てます。他に手はない以上、今成功することだけを考えましょう。なに、負けた場合は陛下にはヒューベル領に逃れていただきます」
「確かに先のことを考えても何も変わらんか。よし、交渉は任せておけ。サポートは頼んだぞ」
クロムバッハは唯夜の肩を叩く。
クロムバッハという男は内政に関して比類なき手腕を有していた。しかしその才は内政だけに留まらず、外交においても発揮されていた。
王城に通され、彼らは国王マルバヘルガ三世との謁見に臨んだ。
「久しいな、クロムバッハ」
しわがれた声で王はクロムバッハに声をかけた。マルバヘルガは三年前に二十歳で王位に就いたというが二十三歳の若者とは思えない声だ。まるで九十歳ほどの老人が話しているようだ。
許されて唯夜らは顔を上げる。マルバヘルガ王の体は包帯に包まれていた。強国の王に相応しい豪奢な衣服に身を包んでいるがそこから覗く腕や顔は白い包帯で隠され、素肌は一切見えなかった。
「ははっ。二年前にお会いして以来です」
「ああ。卿が余と近隣諸国の王との間を取り持ってくれたおかげで今の我が国がある。その恩は忘れておらん」
包帯の下からひび割れた笑い声が聞こえる。
「では我が対帝国同盟に加盟していただけませんかな?」
「やはりそれか。もちろん断る。卿には恩がある。しかしそれは余個人の話。国家の選択をそれで選ぶことはできぬ。わかっておろうが」
冷たい響きを持つ声で王は答えた。クロムバッハは笑った。国王との会話とは思えないほどの気安さを感じさせる。
「だが、同盟に名を連ねることがこの国に利を齎すことに繋がるのだと卿が余を説得できればそうしようとも」
「もちろんこの国の安全と利益に繋がる提案でございます」
クロムバッハは従者に命じて大陸北部全域の地図を広げた。まず彼は帝国を指した。世界最大版図を誇る大帝国の広さは数万分の一に縮小した地図であっても見る者たちに威圧感を与える。
「帝国は現在、急速な拡大を続けております。今のところは我が同盟諸国が狙われておりますがその次はこの国が狙われるでしょう。その時、この国は北と東から侵攻を受けることになり、大いに不利となります」
「戦いになれば、ではあるがな」
やはり、と唯夜は思う。
「我が国は帝国に従属するつもりでいる。国は失われるが民の生活を守ることはできよう」
何も帝国と戦う必要はないのだ。降伏し、ある程度の主権を認めさせることができれば戦って滅びるよりも万倍も良い結果と言うことができるだろう。
「恐れながらそれは最善の手とは言えません。次善の方策です。戦争による血が流れることがなくとも重税を課され、苦しめられるのは必定でしょう」
「そうはならぬための臣従だ。メズルの民のようになるまい」
「そうでしょうか。一度、帝国の下に降れば急速に占領政策が始まります。土地を奪われ、民族は分解され、文化を踏みにじられる。王国は一地方に過ぎず、皇帝の気分次第でどんな命令も受けなければなりません。それが懸命な判断とは思えませんが」
廷臣たちが怒気を滲ませる。謁見の間を守護する衛兵たちの武器を握る手に力が籠められる。王の一声さえあれば不埒な異国の者共の首を城門に吊るし上げる心構えはできている。唯夜や従者たちも帯剣こそしていないが戦いに備えていた。唯夜はこの世界に来てすぐ、丸腰で近衛を倒したのだ。ここから切り抜けることは不可能ではない。
「では戦って滅びろとでも? 対帝国同盟の総力を以てしても帝国軍を防ぐことができなかったではないか。それに我が国が加わったところで形勢は変わらん。それとも何か秘策でもあるのか?」
「ありますとも。我が国が誇る異世界より訪れた勇者、夜渡祇唯夜と彼が率いる軍勢です」
クロムバッハが唯夜を指した。王の視線が初めてクロムバッハを外れ、年若き伯爵に向けられる。
「卿が音に聞く『英雄』夜渡祇唯夜か。先の戦いでは夜襲によって同盟軍が壊乱しつつある中、あのアレキサンダーに一矢報いたと聞く。会えてうれしく思うぞ」
「もったいなきお言葉です」
唯夜は頭を下げた。
「卿は帝国に対し、どのように当たる気か?」
「そうですね。まずは帝国各地にいる反乱分子を扇動し、各地で乱を起こさせます。それと同時に帝国領に攻め入り帝国領南部を焼きます。森も山も村も道も砦も街も城も。火が付くものは全て燃やし、燃えないものは破壊し尽くします」
帝国領内の地図は商人から手に入れた。あくまで大まかな地図ではあるがないよりはいい。
「迎撃に出る帝国軍はその全てを撃滅します。帝国が所有する悉くをとにかく粉砕して進みます。帝都を落とすことはできないでしょうが向こう数年は侵略できないほどの損害を出させ、和平交渉の席に着かせます」
「それが可能か?」
マルバヘルガ王は身を乗り出した。
「陛下のお力添えがあれば必ずや。ですが…陛下が帝国に帰順なさるを選ばれたとしてもこの策は続行いたします。その際は真っ先にこの地は灰燼に帰すでしょう」
宮廷が一気に色めき立つ。
彼らはヒューベル軍の恐ろしさを良く知っている。帝国を攻めた際には帝国領南東部の軍を悉く殺し、虐殺は行わなかったが金銀を奪い、自然を焼き、人工物を破壊し尽くした。その傷は未だ癒えず、帝国人民もその地への移住を拒む有様だ。そのことをフーヴェンの首脳部が知らないはずがない。
「大胆不敵な奴だ。我が国には二十万の兵がいる。たった四万強の軍勢で蹂躙できるものか」
「四万ではありませんよ。もっと増えました。ネルブリンゲンを征服し、兵力は九万を超えました。軍の再編も済みましたしいつでも動けますよ。お望みとあらばどこへでも」
「何だと⁉」
マルバヘルガが声を荒げて立ち上がる。ネルブリンゲンの征服は秘密裏に行われた。徹底的な情報封鎖によって国外に一連の出来事を知る者はいないはずだ。
「宰相」
「は…。確かに我が国も近隣諸国も近頃はネルブリンゲンの襲撃を受けてはおりません。それだけで判断はできませんが…ネルブリンゲンで何かが起きたことは確かでしょう」
マルバヘルガは顎に手を当てて考え込む。
「確か…先の戦いにおいて卿の軍勢は他軍を差し置いて早々に撤退したというではないか。ということは…」
「その通りにございます。ネルブリンゲンを放置していれば帝国との戦いに専念できませんから他の方々に帝国をお任せして我らはネルブリンゲンの征服に乗り出したということでございます」
「…なるほど。卿が九万の騎兵を率いれば確かに帝国に抗しうるであろうな。だがそれでは足りん。帝国との和平を捨てて戦いに臨む以上、何らかの見返りが欲しいところだな」
マルバヘルガの視線がクロムバッハに戻る。彼が交渉するのは元々クロムバッハとであって唯夜はただの随行員、交渉のネタに過ぎない。
「ええ。もちろん用意はございます。フーヴェン王国はこれまで帝国に領土を割譲することによって平和を保っておりましたな。もしご協力いただけましたらその領土を奪還するお手伝いをさせていただきます」
フーヴェン王国は元々、大国であったが国力はあまり高くなかった。そのため富国強兵策を続ける一方で帝国に領土を割譲して戦争を回避していた。
「そうか…我が父祖が未来のために譲渡せざるを得なかったあの土地を…」
「陛下がお生まれになったシュベン地方も現在は帝国領にあると聞き及んでおります。我々にお味方していただけるのであれば必ずや陛下の御手にお戻し致しましょう」
マルバヘルガは再び立ち上がり、叫んだ。
「よかろう、我がフーヴェン王国は対帝国同盟に加盟する。三十二代に亘る大国フーヴェンの底力を大陸中に轟かせようぞ!」




