新たな力
夜渡祇軍は兵力の九割以上を保持したままホーストンに帰還した。名目としてはコリントとの仲違いである。その他の軍はコリントを総司令官としてメズルに残り、ゲリラ戦を行っている。
唯夜は軍をヒューベルに向かわせながらも小勢を連れて王都エデンに立ち寄った。急用ということで最優先でマリアとの面会を行うことができた。唯夜の希望でクロムバッハも参加した。
マリアは玉座に腰掛け、唯夜に尋ねる。
「夜渡祇卿、軍を退かせるという決断を聞いた時は驚きました。その理由を聞いても?」
「まずこの事について事後承諾という形になってしまい申し訳ございません。どうしてもやらねばならないことがございまして一度軍を戻したのでございます」
「ええ。それは知っています。けれど貴方から届いた文書にはそのやらねばならない事が何か述べられていませんでした」
彼女は唯夜の能力と人格を疑ってはいなかった。しかし国家の命運を左右する事柄を何も知らずに部下に任せるようなことはしなかった。
「同盟軍と共にメズルで帝国軍を足止めし、敵兵力を削り、時間を稼ぐべきではないのか?」
クロムバッハが言う。
「時間を稼いだとしてその時間で帝国の侵攻を撥ね返す力を得ることはできません。兵は減る一方、戦費で財政は火の車。逆に滅亡を早めるだけ。私は敵を撥ね返す新たな力を手に入れるつもりです」
「その力とは?」
唯夜は地図を開き、ホーストン王国の南に広がる広大な空白地帯を指した。
「ネルブリンゲン?」
「はい。軍勢を率いてネルブリンゲンを征服し、その軍事力・経済力を対帝国戦争に使うつもりです」
ネルブリンゲンの蛮族たちは一年を通して王国南部を荒らし回る。王国はその対処のために兵力を振り分けねばならず、先の帝国軍侵略時には救援の兵力を供出できなかったのだ。唯夜が帰還したのはその後顧の憂いを討ち、可能ならば戦力にしようというものであった。
「それが叶えば南方に配備していた兵を対帝国戦線に向かわせることができる。我が国だけでなく他の国々もだ。しかしそれができるのか?」
ネルブリンゲンはヒューベルと同じく騎兵の民で荒々しい性格をしている。ホーストン王国軍は戦うたびに多くの犠牲を出していた。
「金に糸目をつけなければ可能です。もちろん必ず成功するとは申せませんが可能性は高いと断言できます」
マリアはしばらく地図を睨んで考え込んだ。そして決断を下す。
「確かに他に手はなさそうね。わかりました。必要な資金はこちらで提供します。夜渡祇卿、貴方の軍勢を率いてネルブリンゲンを平定しなさい!」
「ははっ!」
唯夜は王都から帰還し、国に残っていた幹部に事情を説明して兵を一日休ませた後、再び南に進軍した。向かう先はネルブリンゲン平原。無数の遊牧民族が割拠する無秩序地帯だ。
唯夜は軍を六つに分けて各部族の占領に向かわせる。
征服は順調に進んだ。ヒューベルの悪魔が率いる軍に恐れをなし、多くが抵抗せずに降伏したからだ。抵抗を試みる部族には財宝を送って懐柔し、支配下に置いた。
「エイレーネー様から救援要請! ヘルラ族一万騎の攻撃を受けている模様!」
「来たか」
ヘルラ族とはネルブリンゲン平原最大の勢力を誇る部族で、二万の兵を動員できる。また、族長のグルンドスは比類なき武力を誇る大男であり、小部族でしかなかったヘルラ族を急成長させた。ネルブリンゲン平原統一に避けては通れない障壁である。
「エイレーネーはどうしてる?」
「直接的な戦闘を行わず、敵を惹きつけながら東へ向かっています」
「さすが。命令を出さなくてもわかってくれる奴がいてくれると助かるよ。アリクブケならとりあえずで突撃とかしそうだからな」
側近たちが笑う。アリクブケは猪突猛進型の将軍であり、それに感化されたのか部下たちも命知らずな者が多い。彼ならば突撃しても大きな損害を出さずにある程度の戦果を挙げて戻ってくるだろうが不要な損害は出したくない。
「エイレーネーにはそのまま東へ向かうように伝えろ。他の軍はヘルラ族の拠点を狙う!」
ヒューベル軍は全速力で西へ走り、ヘルラ族の本拠地を急襲し、麾下の部族を一戦して蹴散らし降伏させた。グルンドス直下の部族を包囲した唯夜は激しい抵抗を受けると予測したが彼らはすぐに降伏した。唯夜は饗応に招かれ、わずかな護衛兵と共に彼らの村を訪れた。そこで唯夜は彼らが抵抗せずに降伏した理由を悟った。
村の中には疫病が蔓延していた。あちこちに死体が放置されている。聞けば村の六割が疫病にかかってしまっているのだという。
「見ての通り、我らに出せる物はござらん。そこをどうかご理解願いたい」
村を案内したのはグルンドスの子バルサ。父の出征の間、留守を預かっている。唯夜と同年代の青年だ。背は高いが体つきは細い。顔に張り付いた仏頂面は彼の無愛想な性格を表現している。
「わかってる。医師と薬を用意する。君らは病人に寝床を作ってくれ。あと、綺麗な布で口と鼻を覆って。病人の血にはできるだけ触らないように。感染が余計に広がるから」
唯夜はエレンに命じて本隊に救援の要請を出した。その間、唯夜は布で簡易的なマスクを作り、そこいらに倒れている死者を一箇所に集める作業を手伝った。
「なぜお前も手伝っている? ヒューベルの総大将だろう」
バルサが尋ねる。
「見てるだけなのは性に合わない。特にこんな状況だとね」
「変わった奴だ。早死にするぞ。そんな奴は」
唯夜は笑う。
「俺が一人ならそうなるかもな。でも有り難いことに仲間が助けてくれる」
死者を集め、火葬に付す。火葬の風習はないが感染防止のためには火葬が一番だ。バルサらを何とか説得して実行した。唯夜は目を閉じて手を合わせる。その後、侍従隊が到着し、病人の世話をする。征服した部族から徴収した穀物を粥にして食わせる。また、集落全体の衛生にも気を配り、清掃を行わせた。
診療の結果、持ち合わせている薬で治療可能な病であったようだ。一部の部隊に薬の材料となる薬草を採取させる。
「ていうか他の部族を降伏させたけどここが疫病にかかってるなんて聞いてなかったぞ」
「伝えていなかったからな。全ての部族が父に忠誠を誓っているわけではない。父と軍の主力が不在である今、隙を見せるわけにはいかんのだ」
三日後、疫病から回復する者が続出し、新規に罹患する者は皆無となった。同時にエイレーネー軍の追撃を諦めたグルンドス軍が帰還してきていることが知らされた。エイレーネー軍は距離を置きつつもその背後を脅かし続けている。
「できれば戦わずに済めばいいんだけどね」
唯夜はヘルラ族の拠点付近に布陣した。兵力は三万。対してグルンドス軍は一万五千。兵力差は歴然である。またグルンドスの家族は夜渡祇軍の支配下にある。いわば人質のようなものだ。
二日後、グルンドス軍が姿を見せた。唯夜はバルサを使者に送り、降伏するように求めた。バルサは程なく戻ってきた。
「話し合いには応じるとのことだ」
「そうか。ありがたい」
唯夜はヘスティアとバルサのみを連れてグルンドス軍の陣に入り、面会を求めた。すぐに神の奥に通された。そこで唯夜はグルンドスの偉容を目にすることになった。その背丈は二メートル以上あり、装甲のような分厚い筋肉が体を覆っている。顔は髭で覆われ、赤い目は飢えた野獣のようにぎらぎらと輝いている。
「貴様が夜渡祇唯夜か。たった一人の護衛でよく来れたのう」
グルンドスは部下に目配せする。その時、十人ほどの大男が剣を持って唯夜に襲いかかった。ヘスティアは剣を抜いて彼らの刃を受け止める。彼女の戦いぶりは凄まじかった。力任せに相手の剣をへし折り、男の頭を掴んで投げ飛ばす。男たちは程なくしてヘスティア一人に制圧されてしまった。
「貴様がかのヒューベルの雷槍か」
グルンドスは笑う。
「話し合いするなら余計なものはない方がいいだろ。それで、話し合いに応じるってことは降伏するつもりはあるってことでいいか?」
無駄な会話をするつもりはない。今この瞬間もメズル王国では多くの兵士が戦っている。その奮戦に報いなければならないのだ。
「焦るな。話はバルサから聞いておる。返すに途方なき大恩であるとな」
唯夜はバルサを見る。バルサはさっと顔を背けてしまった。
「実際に会って話してみようと思ったが見れば他愛なき小僧ではないか。甚だ失望したぞ」
「じゃあ無様に滅びるか?」
瞬間、グルンドスは矛を手に取り、唯夜の首に突きつけた。ヘスティアが立ち上がり、剣を抜く。
「殺したきゃ殺せばいい。けどその後はヒューベル軍三万五千が相手だ。それに勝てたとして次の相手はホーストンを併呑した帝国だ。それに勝てたとしても諸部族を束ねるだけの力は残らない」
「貴様の下に降ればそうはならないと?」
「ああ。帝国はもうすぐホーストンを攻める。その後、このネルブリンゲンを狙うはずだ。バラバラのままじゃ各個に滅ぼされて終わり。でも俺と来るなら別だ。一緒に帝国の野望を打ち砕こう」
グルンドスは唯夜の目を見つめた。武器を突きつけられても物怖じしない彼の態度を見て話を聞く気になったのだろう。
気張っていた唯夜だったが深く息を吐いた。
「いや、飾るのはやめだ。力を貸してくれ。今は少しでもたくさんの戦力が必要だ。俺には守りたい人たちがいる。その人たちを守るために一緒に戦ってほしい。その代わり、俺もお前たちを守る」
唯夜は頭を下げた。貴族の交渉術など知らない。結局は本音をぶつけるしかないのだ。グルンドスの笑い声が響く。
「簡単に頭を下げるか。音に聞くヒューベルの悪魔とはこのような男だったか。これでは配下も苦労しそうよな。のう? そこの女」
グルンドスの視線がヘスティアに向けられる。
「仰る通り。ですが誰一人として彼に着いてきたことを後悔する者はいません。何があっても彼は私たちを見捨てることはないと信じているから。これまでにない新しい世界を見せてくれると信じています」
ヘスティアは迷わず言い放った。
グルンドスは再び唯夜に視線を戻す。よく見ると彼の体が僅かに震えていた。しかしそれを見せないように全神経を使っている。
「なるほど。話に聞くより面白い。確かに貴様のような男が乱世に一人くらいいても良いかもしれんな。二人もいらんが。良かろう。貴様の下に降ってやる。だが俺を飽きさせればその首は貰うぞ」
「わかった。がんばる」
こうして唯夜はグルンドスを麾下に加え、ネルブリンゲン地方西部への遠征を再開した。西方の十四の部族は連合して夜渡祇軍を迎え撃った。数は五万二千。夜渡祇・グルンドス軍は四万七千。数でいえば西方部族連合軍が有利である。
「勝つ方策はあるのか?」
悠一郎が尋ねた。
「あるよ。てかもうすぐあいつら分解するから」
夜渡祇軍は連合軍と対峙した。その時、連合軍の中の八千の兵が退却を始めた。突然の出来事だった。連合軍は数的有利を失うと同時に混乱した。唯夜は全軍に攻撃を命じ、連合軍を一息に蹴散らした。残った者たちは降伏し、唯夜に忠誠を誓った。
「なんでいきなり八千も逃げ出したんだ?」
「逃げたんじゃないよ。帰っただけだ。ヘルラ族の村に入った時、西方の大族ディケンに財宝を送ってお願いしたんだよ。西方の部族を募って連合軍を結成した後、戦いが始まる直前に撤退するようにね」
作戦が上手くいった唯夜は笑った。これはかつてモンゴル帝国軍が用いた戦術だ。上手く進めば犠牲は少なくて済む。
唯夜は帰還するディケン族の軍を追い、瞬く間に包囲し、降伏させた。酋長のホルディという男は唯夜の前に引き出されると唯夜を詰った。
「裏切ったな、青二才め!」
「別に和約を結んだ覚えはねえぞ。少しの財宝を得るために自分の未来を売り渡したわけだ。そんな奴に兵を率いる資格はない」
ホルディを追放し、各部族の平定を進める。大小六十八の氏族を配下に置き、ネルブリンゲン平原全域を手中に収めた。ネルブリンゲン平原を統一した唯夜は同時にマリアからネルブリンゲン地方領主に任命された。ヒューベル領と併せれば彼の領地は一国に匹敵するほど巨大なものになった。またこれまで内陸国であったホーストンは海洋に面することになった。
唯夜は息つく間もなく部族と軍の再編を行った。ヒューベル族で行ったようにこれまでの氏族の枠組みを廃し、将軍たちに広大な領土とそれに付随する兵権を預けた。これまでの族長たちは地方もしくは中央の行政官・軍人としての職を与えた。またフェルナーとオイゲンを将軍職に付け、それぞれ五千騎を与えた。グルンドスも一万の兵を率いる将軍の一人となった。
反発は大きかったが彼らに抵抗するだけの力はなかった。ヒューベル軍としての組織化を進めていた唯夜の元に一つの報せが届いた。
「そうか…。メズルが滅びたか」
「はい。難民は同盟各国が受け入れるようです。ホーストン軍は軍の半数を失いながらも帰還しました」
唯夜は溜め息を吐いた。




