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悪魔

 日が暮れて夜が天空を支配する。同盟軍の作業は夜を徹して行われた。帝国軍は罠を警戒して進軍しなかったが夜明けとともに攻撃を仕掛けた。

「あれは…」

 帝国軍は同盟軍の砦を発見して動きを止めた。それはかつてメズル王国が建築したものであったが長い歴史の中で放棄されたものを同盟軍が強化したものだ。しかし彼らが驚いたのはまた別のことであった。

「な、何なのあれは…!」

 総司令官ミネルヴァは絹のように白く艶やかな顔を青く染めた。幾たびの戦場を乗り越えた彼女は生まれて初めて恐怖を感じたのだ。

 彼らの前方には地獄が広がっていた。城壁には捕虜となった騎士たちが装備を剥ぎ取られ、生きたまま縛り付けられている。騎士たちは助けを求めて泣き叫んでいる。城壁をびっしりと埋め尽くす騎士たちの下、城壁の前方には無数の杭が生えていた。しかしただの杭ではない。その杭には数千の人間が突き刺さっていた。昨日の戦いで死んだ帝国兵の死体だ。この世のものとは思えない光景だった。歴戦の将軍たちも恐怖を禁じえなかった。兵士たちの中には嘔吐する者もいた。

 城壁に翻るのは剣を咥えた青い狼の旗。そして月と隼の旗。ヒューベル軍の軍旗と夜渡祇伯爵家の家紋の旗である。それは大陸北部に鳴り響くヒューベルの悪魔が率いる軍の証。帝国は数か月前にその力を思い知らされたばかりだ。

「城門が開きます!」

 砦の門が開き、一騎の騎兵が飛び出してきた。彼は一人悠然と馬を進ませ、帝国軍に近づいていく。彼の手にはヒューベルの軍旗があった。

「耳ある者は聞け。心ある者は思い知れ。俺は夜渡祇唯夜。お前たちを地獄に堕とす魔王の使徒だ。勇ある者よ、誇りある者よ、串刺しの林に加わりたければ前進し、武を示せ!」

 旗を高く掲げてはためかせ、唯夜は叫ぶ。夜渡祇唯夜という名前を聞いた瞬間、兵士たちは慌てて逃げ出した。

「何をしているの! 後退は許さないわ。前進し、あの男を討ちなさい!」

 ミネルヴァは命じたが、震える声では兵士たちに更なる恐怖と動揺を与えるだけだ。帝国軍は超大国の誇りを失い、狼狽を示すだけであった。そして左右の山地からヒューベル軍が飛び出し、帝国軍に攻撃を仕掛けた。ヒューベル軍は挟撃を仕掛ける形になったが数は帝国軍が圧倒している。左右から迫る軍をそれぞれ対処できるだけの数はまだ残っている。だが浮足立つ帝国軍は為す術なく後退していった。

 その日の戦いで帝国軍に拭いようのない恐怖心を植え付けることに成功した。そして夜渡祇唯夜はたった一人で数万の帝国軍を後退させた英雄として崇敬に近い感情を同盟軍から向けられることになった。

 また、ただの廃城でしかなかったこの城は城壁に縛り付けられた泣き喚く騎士たちから「悲鳴の城」と呼ばれることになり、以降、唯夜は串刺し将軍という異名で呼ばれるようになった。

 結局、その日は帝国軍は攻撃をしてこなかった。総司令官のミネルウァが精神的に疲弊したことや兵たちの動揺が深刻であったからだ。その夜、唯夜はトゥルイに命じて帝国軍に夜襲をかけさせた。ヒューベルの悪魔の名を叫びながらあちこちに火を付け周り、帝国兵を突き殺す。彼らは帝国軍の野営地に長居することなくすぐに引き上げていった。その二時間後、エイレーネー率いる隊が夜襲をしかけた。そして二度、三度、四度、五度と夜が明けるまで襲撃は繰り返され、帝国軍は眠ることができずに更に疲労を重ねた。精強を誇っていた帝国軍は見る影もなかった。

「これが…! ヒューベルの悪魔…!」

 ミネルヴァは長期戦の不利を悟り、軍を他の部隊と入れ替えることにした。ヒューベル軍に対する恐怖が強い彼女の軍ではもうまともにヒューベル軍と戦うことができないと判断したからだ。

 しかしその判断は唯夜によって読まれていた。帝国軍は右隣の戦場で戦っていたヘレヴァル将軍とその部隊を秘密裏に呼び寄せようとしたがヘレヴァル軍は夜渡祇軍の奇襲を受けて敗走、将軍は腹を貫かれ、指揮が不可能になるほどの重傷を負った。また、ヘレヴァル将軍と対峙していたコリントも軍を前進させ、夜渡祇軍と共同して前面の帝国軍を撃破した。

「何なのあの男は…! 一体どこまで見えているの⁉」

 ミネルヴァだけではない。他の将軍たちは夜渡祇唯夜の鬼謀を恐れていた。ここまで来ると自分たちが彼に操られているのではないかと疑った。

他の戦線は帝国軍が優位に立っている。だが同盟軍の崩壊にはまだ程遠い。帝国軍の戦略としては大軍の行軍に適し、河川から水を確保しやすいこのペルディ平原を主力部隊をもって占領し、そこからメズル王国南部を一挙に掌握し、王国貴族を屈服させるという戦略構想だったがそれは王国北部と南部を繋ぐペルディ平原を突破できてこそ。東西の山地を越えてもいいが山越えは体力を浪費するし馬の損失も多くなる。兵站の確保も難しいため大軍を運用は難しい。しかし山越えが不可能ではないので帝国軍は戦線を長くして平原と山地を越える動きを見せ、同盟軍の戦力を分散させ、平原を突破するという戦術を用いたがヒューベル軍の想定外の戦い方により、頓挫の目を見ている。帝国軍には時間がなかった。補給の問題だ。帝国軍は四十万の大軍をもって侵攻した。しかし大軍であるだけに食糧や装備、医薬品、飼葉の消費量は膨大なものになる。そんな大軍の補給は戦いが長引けば長引くほど国への負担が増していく。兵の士気も落ちていく。

メズル王国を落とすことができたとしてその先が続かない。他の同盟国は防御を強め、侵略してくるかもしれない。メズル王国を占領した程度では採算が合わない。帝国の侵略戦争は皇帝の野望と国家のビジネスが手を取り合って生まれた呪いの子である。戦費を賄えなければ戦争の継続は不可能である。

同盟軍は帝国軍の勢いを削ぐことに成功した。しかし帝国軍は手札をいくつも残している。帝国軍は広範囲に軍を敷くのを諦め、平原に戦力を集中させた。奇策を用いず、正面から同盟軍を打ち破るつもりらしい。それに対して同盟軍も「悲鳴の城」の周囲にいくつか簡易な砦を築いて馬防柵で繋ぎ、一個の大きな城塞にした。

城での戦いに不向きな夜渡祇軍は後方に詰めた。

「ヘスティア、この戦い、どう思う?」

 唯夜は自分の肩を剣の柄で叩きながら自らの副官に尋ねた。青年は気を抜いているのか欠伸をしている。

「…わかりません。帝国軍は…激しい攻撃を仕掛けてくると思われます。ここで敗れれば帝国は多くの兵を失い、皇帝の声望も低下し、各地の反乱の芽を生じさせることになりますから」

「そうだね。じゃあそんな国家の命運を賭けた戦いでただ一方向からの力押しで済ませると思うか?」

「…では敵は部隊の一部を迂回させて我が軍を急襲すると?」

 唯夜は頷いた。

「あくまでも可能性だけどね。まあ俺ならそうする。昨日の軍議で敵迂回部隊への対策を提案したんだけど突っぱねられたよ。メズルのドーヴェン将軍だったかな。そいつが猛反対してさー」

 頭を掻いて苦々しい笑みを浮かべる。メズル王国の将軍は唯夜の活躍を嬉しく思っていないようである。メズル王国は先日まで山間部を守っていたのだが戦況は芳しくなかったようで後退を繰り返し、決して少なからぬ犠牲を出していた。それゆえヒューベル軍の活躍が気に入らないのだ。

「ではどうなさるおつもりですか?」

「どうするも何も持ち場を守るしかない。それに滅びたら滅びたで仕方ない。それがメズルの決断だ」

 唯夜は哨戒部隊を出して後方の警戒を続けた。

 前面の戦いは同盟軍が優勢に戦っている。城壁に翻るヒューベルの軍旗は帝国の将兵に恐怖を与えている。また、当初は捕虜が城壁に縛り付けられているため弓矢や攻城兵器での攻撃が控えられていたが将軍たちは捕虜ごと攻撃するように命じた。やむなく帝国兵たちは攻撃を開始した。矢が捕虜の眉間を貫く。投石が同胞の頭部を潰す。自分たちで仲間の命を奪う。それは兵士たちに計り知れない心的負荷を与えると同時に軍上層部に対する疑念を抱かせた。帝国軍の将軍たちは自分たちをただの捨て駒としか思っていないのではないかと。捕虜となって吊るされているのは騎士階級の者たちが大部分を占めている。それを容赦なく殺すように命じたのだ。平民階級の兵の価値などそれ以下である。兵士たちの士気は著しく低下していた。

「今じゃ、笑え!」

 「悲鳴の城」を守るコリントが兵士たちに命令を送る。兵士たちはこれ以上ないほど大きな声で笑い声を上げた。その声は幾千幾万と束ねられ、より狂気を生み出して味方を高揚させ、敵を威圧した。

「な、なんだ。あ、あいつら笑ってやがる…!」

「狂ってる! 人間じゃない!」

 そして城門が開き、コリント率いる騎兵部隊が帝国軍に突撃を開始する。前面に重装兵がいない帝国軍の前衛部隊は蹴散らされ、逃げ惑った。コリントは騎士たちが救援に駆けつける頃には城内に戻り、兵士たちの士気を爆発させた。

「へー、すげえなコリント将軍。あの人がいるうちは楽ができそうだ」

 コリントの活躍を聞いて唯夜は笑った。ホーストン王国の有力な将軍は内戦でほとんど死んでしまったらしい。今やマルクレーヌも戦死し、残った将軍はコリント、アンネ、唯夜しか残っていない。クロムバッハも将としての心得があり、何度か戦場に出て戦ったらしいが本職には敵わないだろう。アンネも近衛騎士団の再編と禁軍の創設に苦心しているため戦場には出られない。ホーストンの宿将といえばコリントの他に誰もいない。

「敵は怯えているぞ! 矢の雨で歓迎してやれ!」

 右の砦で奮戦するのはクルブリヒト王国の将軍ブラウシュタインとその兵士たち。同盟九ヶ国の中で最も国力に劣る小国だが尚武を掲げ、少数精鋭の兵を揃えている。兵士たちは驚異的な集中力で防御に徹し、ブラウシュタインは兵士たちの体力と集中力の切れ目を計算して兵を有機的に交代させて戦った。

「ヒューベルの悪魔に遅れをとることは許さんぞ!」

 将軍の叱咤に兵士たちは奮戦をもって応える。

 「悲鳴の城」の左の砦ではエクレン王国の将軍ナナミが兵たちと共に帝国軍に痛打を与えていた。彼女は兵にクロスボウを配備し、運用していた。クロスボウは扱いやすい上に威力が高く、重装兵の装甲を貫くことができる。問題点は装填に時間がかかることである。ナナミは三列の隊列を組ませ、一列目が射撃を行った後に二列目、三列目が射撃を行い、その間に装填を終えた一列目が再び射撃を行う。そうして絶え間なく射撃を続けていた。

「どんどん撃ちなさい。ボルトはいくらでもある。敵もいくらでもいます。腕が壊れるまで撃ち続けなさい!」

 同盟軍は数の不利がありながらも帝国軍を抑え、一日を終えることに成功した。

 夜、食事を終えた唯夜の陣にコリントが現れた。唯夜を始めとする兵士たちは敬礼をもって彼を迎えた。コリントは酒を要求すると地面に腰を下ろした。

「わざわざ後方の陣へいらっしゃったとは。何かあったんですか?」

「ああ。奴らやはり腹の中に何かを隠しておるわ」

 並々と注がれた麦酒の杯を煽り、コリントは唯夜に言った。

「動きが小さい。奴ら、時間がないというのに消極的だ。何かあろう」

「かなりの激戦になったと聞きましたが?」

「帝国の民兵が派手に使い潰されただけのことよ。主力は動いておらん。動く素振りもない。貴様の懸念が的中するやもしれん」

 コリントは一息に酒を飲み干した。少なくとも一リットルはあったのだが一口で飲んでしまうとは。

「総司令のドーヴェンとやらに言ってみたが頑なに受け入れんのだ。しかも聞けば奴の私兵は領地に残したままのそうだ。どうだ。臭わんか?」

「将軍が裏切っている可能性もあると?」

 老将は頷いた。

「別働隊を率いているのはかの高名なアレキサンドルでしょうか」

 帝国軍の将軍は有能揃いだ。しかし頭一つ抜けて侮れない将がいる。帝国皇太子アレキサンドルだ。彼は優れた戦略思想を持ち、卓越した交渉術と機動戦をもって数々の雄敵を悉く倒してきた。その彼が溺愛している妹のミネルヴァの補佐をするため今回の遠征に参加しているという情報が入っていた。

「であろうな。他に大軍を率いて我らの後方に出現させることができるのは奴しかおるまい」

「では明日以降、私の軍が対処します」

 帝国軍が山を越えて同盟軍の背後に回り込むには馬は邪魔になる。歩兵ばかりの編成になっているだろうから対処は難しくない。たとえ五万の歩兵であろうと打ち勝てる自信があった。

「昨日までの戦場でアレキサンダーの軍はどこの隊と戦ってたんですか?」

「それが誰に聞いてもわからぬと申す」

 その時、唯夜の背中を悪寒が駆け抜けた。

 二つの山地とその中間の平原を戦場とする大戦にアレキサンダー軍は参加していなかった可能性がある。であればその三日間、彼はどうしていたのか。その時から彼は麾下の兵団を率いて王国軍の背後に回ろうとしていたとしたら。

「敵襲―!」

 伝令兵の絶叫が響く。


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