第36話 夢と理想と未来と
「……ベリアルの生まれ変わり……。ボクが、転生体……」
悲観ではなく、喜びでもなく、ただ彩斗は自分の手のひらを見つめた。
何にもできないと思っていた。
存在感のない高校生で、これからもそれは続くのかと思っていた。
けれど、それは違っていた。彼は初めから、誰よりも強い力を秘めていたのだ。
「……皮肉な話だな」
アルシエルが嘆息の後にささやく。
「彩斗、君はアルシエル・ゲームで、何度も厳しい場面に出くわした。恐ろしいと思ったときも、逃げ出したいとも思ったときもあったはずだ。私の妹をパートナーとし、私とも死闘を演じ、一歩間違えば容易く果てていたはずの君が――私にとって、憎むべき魔神の生まれ変わりとは……。運命は、時に大いなる悪戯を呼び起こす」
その声音には怒りはなかった。ただ複雑そうな表情だけが彼女にはある。
「ベリアルのせいで、私は狂気に侵された。怒りと憎しみのままにアルシエル・ゲームを行い、最愛のはずのスララにも牙を剥くことになった。しかしその戦いを終わらせたのは、ベリアルの転生体である君だ。……これを皮肉と言わず、何と言う? ベリアルで始まり、ベリアルで終わった。ふふ……怒りより、呆れより、笑いが出てしまう」
「お姉ちゃん……」
スララが心配そうに、姉へ駆け寄ろうとした。
「いや、いい。真相がそれならば、いい。そもそも倒すべき相手が、すでに死んでいた戦いだったのだ。奴は勝手に暴れ、勝手に自滅した。なんたる滑稽だろう。まったくもって、私は道化の極みだ。じつに不愉快な話だが――それでも、私は幸いにも、守るべき妹だけは失うことはなかった。スララとの未来だけは残った。真相はどうあれ、それだけは、変わらない」
「アルシエルさん……」
彩斗は見上げたまま、何も続けることができない。
「私のことはいい。ベリアルは死んでいた。私と私の家族、友人、村の皆を苦しめたあいつは、もういない。私の復讐は、すでに終わっていた。だが……君の場合はそうはいかない。彩斗、大丈夫か? 君は遠い将来、魔神ベリアルとなる。いつか、記憶と力を取り戻し、災いの王になる。それが、怖くはないか?」
ハッして、彩斗は自分の手を見つめる。
その通りだ。彩斗がベリアルの生まれ変わりで、その身に魔神の力が宿っているというのなら、少しずつ記憶と力を取り戻していくことになる。
今はまだ、何も覚えていない、赤子のような状態だ。しかし長い年月を経て、最悪の魔神は蘇る。
「……正直な話、まだ実感はありません。ボクが、ベリアルの生まれ変わりだなんて……何かどこかの遠い話みたいな感覚で、今も自分のこととして考えられないんです」
「だろうな。私も同じ立場なら、おそらくそう感じるだろう。あまりに突飛な真実は、感覚を鈍らせる」
彩斗は浅く頷いた。
「だから怖いとか、不安っていう気持ちは、ほとんどないんです。むしろ、夜津木やサイクロプスとの闘技や、ガルムやマルギット、アルシエルさんとの闘技の時の方が、よほど怖かったです」
「……あれは、すまなかった」
沈痛な表情になりかけるアルシエルに、彩斗は首を横に振った。
「いえ、もうそれは終わったことです。蒸し返しても、意味がないと思いますし……」
様々な光景が、頭の中で鮮明に浮かび上がっては消えていった。
ゲームの開催、スララとの出会い、夜津木との闘技、スララへの疑惑、ガルム・マルギットとの戦い、そしてアルシエルとの死闘――。
どれもが波乱過ぎて、特異な出来事過ぎて、一つ一つのことに気を払うことも難しい。自分の中の許容量はとっくに限界を超えていて、これ以上何かがあっても感情はそれに追いつかない。
その上で自分がベリアルの転生体だと、想像もつかなかった事実を告げられても、すぐにどうしようかなんて結論は出そうもない。まるで他人事のように、心はざわめかない。
けれど、彩斗はふとスララを見つめた。アルシエルのことを見上げた。
強い力や理不尽な力に振り回され、寂しい日々を送ってきた彼女たち。もしもベリアルがその力で他人を陥れるのではなく、別の方向に用いていたなら、悲劇は回避できていたのではないか?
かつて暴虐の限りを尽くしたベリアルの、圧倒的な力が彩斗に受け継がれているというならば、また災禍は繰り返されるのだろうか。それしか未来はないのだろうか。どこかで何かが変われば、魔神は異なる道を歩めるのではないか。
スララとアルシエルの抱き合う姿を思い返す。彼女らの涙や笑顔を思い返す。
誰かの悲しい涙を見るよりは、笑顔の方を見ていたい。そう、彩斗は思っていた。
「確かに……ベリアルのことはすごく驚きました」
素直な気持ちを口にする。
「でも……なんて言うのか、ベリアルの力って、誰かを不幸にすることしかできないんでしょうか」
「……どういうことだ?」
彩斗の問いかけに、アルシエルが怪訝な声を返す。
スララが彩斗のそばにやってきた。少年の手に、そっと少女は手を添える。彩斗は彼女の心遣いに微笑んでから、
「アルシエルさん、さっきベリアルのことについて言っていました。ベリアルは強い力を持っている。だからそれを使い続けなければいけなかった。ある意味で、悲しい魔神だったと。そう言っていました」
「ああ、そうだ」
「でも、それは、他に使い方を知らなかったから、だからベリアルは、誰かを不幸にするしかなかったと、ボクは思うんです。ボクは――それを変えたい」
何度かアルシエルは瞬きをした。
「……それは、つまり、どういうことだ。私には、お前が何を言おうとしているのか、わからないのだが……」
不可能だと言われるかもしれない。
子供の戯言だと言われるかもしれない。
けれど彩斗は思ったのだ。スララやアルシエルのような悲劇は、回避できたはずだと。たとえまたベリアルの力が蘇っても、志さえあれば、あのような悲劇は避けられるかもしれないと。そう思いたかった。
「まだ記憶も力も戻ってないから、言えるだけかもしれませんけど……」
穏やかな中にもはっきりとした意志を込め、彩斗は言葉を紡ぎだす。
「ボクは、『前の』ベリアルと同じ道には行きません。もっと、別のことに力を使っていきたいです。……例えば、ゲヘナは、魔物に当てれば打ち倒せる炎ですけど、それをうまく加減して、土砂崩れで困っている人とか、害獣に困っている人のために使えば、全く別の結果が作れると思うんです」
アルシエルが押し黙る。そんな方法は考えたこともなかったと目で語る。
「だが、できるのか……? そんなことが。魔神の力は誘惑の塊。他者を不幸にせずにはいられない。だがお前はそれに耐え、善行にのみ費やすと、そう言うのか?」
「そうしなければベリアルはまた現れると思っています。死んでも復活するというのなら、ベリアルは滅ぼすことができないんでしょう。だから、どこかでベリアル自身を変えるしかないと思います。ボクは、スララとアルシエルさんみたいな悲しい出来事は、繰り返したくないです。あんな、姉と妹の悲しい戦いは、嫌です。スララは涙を出していました。アルシエルさんは怒りの炎を撒き散らすだけでした。もう、アルシエル・ゲームは……いえ、ベリアル・ゲームは、絶対に繰り返さないようにする。それが、ボクの考えです」
驚きと困惑を持って、アルシエルは目を見開かせた。
「厳しすぎる。困難な道のりだ。うまくいく保証は何もない。それでも、やるというのか……?」
「はい、自信は……あまりないですけど。それでも、やらなきゃダメだと思います。ボクは、ここへ来るまで、生きることにサボってばかりでした。自分が傷つくのが嫌で、本気で何かにのめり込むことをせず、何かに一生懸命になることも忘れて、ぼんやりと毎日を過ごすだけでした。でもスララと出会って、アルシエルさんと戦って、昔の、何もない過去は嫌だと思ったんです。昔のボクになんか戻りたくはないです。ボクは、やるべきことを見つけました。ベリアルを改革するという、野望を見つけました」
唇を引き締めた後、彩斗は告げる。おそらくは初めて得た目標を。彼は語る。
「抑えてみせます、ボクの中のベリアルを。破壊ではなく創造を、誰かの平和を壊すのではなく、皆の笑顔を作っていく。そうしていきたいんです」
衝撃と共に沈黙が訪れた。夜空の静寂よりも深い沈黙。
アルシエルは、絶句したままだった。エルンストも同じ。けれど、スララだけは柔らかい笑みを口元にたたえる。
「わたし、その野望に協力する~」
「な、スララ……?」
「彩斗の考え方、わたし、素敵だと思う~。とっても難しいことだと思うけど、わたし、その手助けをしてみたいな。彩斗はわたしとお姉ちゃんを助けてくれたもん。アルシエル・ゲームを終わらせることに必死になってくれたから。だから今度は、わたしが彩斗を助ける~」
「だが、スララ……そんなこと、本当にできると思うのか?」
スララはこくりと頷いた。
「うん、できると信じてる~。それに、わたしは彩斗がいてくれたおかげでお姉ちゃんをベリアルから解放してあげられたもの。彩斗がいなかったら、お姉ちゃんを失ってたかもしれなかった~。わたし、彩斗に感謝してる。もっともっと、一緒にいたいと思ってる。今度は、わたしが恩返しする番だよ~」
真っ直ぐな瞳で、スララは彩斗を見た。大きな信頼を、たっぷり乗せて。
「変えていこうよ、彩斗。ベリアルを魔神から……良い神様に。みんながニコニコできる世界を、一緒に創っていこうよ!」
この笑顔に救われたのだと、彩斗は思った。
いつも、どんなときでも、何度でも。
スララがいなければアルシエル・ゲームを乗り越えられなかったし、途中で力尽きて終わっていた。
一緒にいたいのは彩斗も同じ。もっと彼女と一緒に、進みたい気持ちがある。
「――ありがとう、スララ。これからも、よろしくね」
「すら~。今度も頑張ろう、彩斗」
はにかんだスララの表情に釣られて、彩斗も笑った。
まるで、染み渡っていくように、皆へも微笑みが宿る。
彩斗の選んだ先には、幾多の茨の道が続いているだろう。それら全てを越えるのは、きっと英雄ですら難しい。
しかし彩斗は一人ではない。頼れるパートナーがいる。厳しい闘技を共に乗り越えてきた、スララがいる。新たな困難の道のりも、きっと大丈夫――彩斗は、そのことを、心から信じていた。
だが――。
次回の更新は明日、月曜日の予定ですが、すみません、手直しが遅くなれば火曜日になります。
※追記
次話の手直しに時間がかかっているため、更新は火曜日と致します。
申し訳ありませんm(_ _)m




