第29話 灼熱の魔神③
フレスベルグは天空宮殿の暗い牢屋の中で、闘技の様子を見ていた。
千里眼の橙色の球体の向こうで、死闘が行われている。
代理としてアルシエルが参加している以上、エルンストの正規ペアであるフレスベルグにできることは何もない。精々が千里眼で様子を眺め、戦況の推移と結末を知ることぐらいだ。
もどかしい、という気持ちはある。あの中に自分がいればもっと優位に勝負を運び、アルシエルをきっと負かすことができただろう。
けれど運命はフレスベルグを選ばず、暗い牢屋の中での鑑賞を余儀なくさせた。
「あり得ない。ふざけてる。なんでフレスベルグだけこんな所なの。アルシエルをぶちのめしたいのに。一人だけこんな薄暗い所なんて冗談じゃない。アルシエル、くたばれ」
口をついて出たのは、けなし文句だが、それでも結末だけは見ようと思った。ぶつくさ言いつつも、彼女の目は死闘の様子から離れない。
「まあ、ムカつくけど、フレスベルグだけ除け者なんて、本当は許さないけど、終わったら、あいつらを祝福してやってもいいかな」
そしてこっそりつぶやく。それは誰の耳にも聞こえず、残らず、そよ風のような声量だったが、確かにささやかれた。
「彩斗。スララ。エルンスト。頑張れー」
† †
紅蓮を翻して八つの火柱が上がる。
灼熱の熱波が周囲を炙っていく。
その上空を浮遊し、悠然と滑空するのはエルンストだ。彼の履いた靴には羽が生えている。それによって彼は飛行能力を得ている。短剣や短槍と同じく、自動で動き、能力を発揮するその靴は、エルンストが致命傷を負わないよう滑空し続ける。
「スララ、右からである!」
「ええーいっ!」
鋭利な先端を持つ岩が振り上げられ、リコリスが大きく弧を描き出す。
先んじてエルンストが飛び込み、翡翠色の剣をアルシエルの後頭部へ叩き付けた。
確かな手応えが柄越しに伝わる。颯爽と靴の飛行能力で身を翻し、退避する。直後――膨大な質量と共に、スララの岩の叩き付けがアルシエルを押し潰した。
粉塵が盛大に張られ振動が周囲へ行き渡る。何十メートルという高さの土煙が、濛々と立ち上がる。
それで攻撃は終わらない。
機を得たエルンストとスララは、波状攻撃を仕掛けるべく、打撃を、斬撃を、豪雨のように解き放った。
エルンストの自動攻撃武装たる短剣や短槍やナイフが次々とアルシエルへと殺到する。上方、右方、左方、後方から飛来する銀閃が音速を超え怒涛のように突き刺さる。
追随するかのようにスララが、リコリスで持ち上げた新たな巨岩を振り下ろす。
巨人の鉄槌のごとき轟音が空気を震わせた。破片が舞い、大気は激震し、荒れ狂う衝撃波に着弾点がひしゃげて弾け飛ぶ。
エルンストが、短く命ずる。
「敵を/穿て」
エルンストが言霊と共に白衣のポケットからガラス管を取り出し、それを眼下へぶちまける。するとたちまち深緑色の液体が霧状になり、地表へ拡散されていった。
染み渡った岩の破片群がうごめく。宙へふわりと浮いた破片群は、その刹那、幾十幾百という破片の群れとなり驟雨のごとき勢いでアルシエルへ猛進する。
凄絶な光景だった。機銃の斉射もかくやという数と速度の破片弾が、息つく間もなく直撃、猛撃、乱打して粉塵の嵐を巻き起こす。
さらに大きな空気の唸りがコロシアムを支配する。
スララが、リコリスを巨大な棍棒へと変じ、天井高くにまで振り上げたのだ。
サイクロプスの金属棒を思わせる巨影に向けて、彩斗が氷のコンバットナイフを添えて、ガルムの遺した永遠の魔法の冷気が、リコリスを最強の氷の棍棒へと昇華させていく。
スララが巨大な半月を描いて、氷結棍棒をアルシエルへ炸裂させた。
それも、時間差を置いて二つ。立て続けに巨大な氷の棍棒が叩き降ろされ、大音響が周囲に満ち溢れていく。
それでも追撃は終わらない。エルンストの自動攻撃武装の群れが、槍衾を思わせる布陣でアルシエルへ突っ込み、銀閃を幾度も刻み込む。
円状、線状、一度宙を奔った刃たちは自動で陣を組み飛来する。
たちまち銀の刃の花が咲いた。限界を超えて酷使された武器たちが、粉々に砕けて四散したのだ。
だがそれらの欠片さえも、エルンストは利用する。
「敵を/穿て」
深緑の液体が再び放たれる。地表で拡散し染み渡った。直後に、砕けた自動攻撃武装の欠片は、濁流めいた勢いで突撃する。
そして、それらの猛撃をも上回る攻撃が、彩斗の手から放たれる。
「ゲヘナ――っ!」
高く朗々と、彩斗の声が響き渡った。
黒い業火がまるで大蛇のごとくうねり、くねり、空間を突き破って進撃する。
地面が抉られながら焼き尽くされた。軌道上にあった岩の破片も何もかもを巻き込んで、破滅的な業火が迫りゆく。
勝った。
誰もが思った。
彩斗とスララとエルンストの波状攻撃は、いかなる魔物をも屈服させ、魔神にすら敗北を与えるだろう――観衆場の人間、魔物、千里眼で見つめるフレスベルグすら、間違いなく確信した。
だが――。
数々の猛攻を受けてなお、アルシエルの怒気は衰えない。
「ウウゥウアアアァ――っ!」
灼熱の猛火が天井へと突き抜けた。紅蓮で染め上げ、超高熱を撒き散らしてアルシエルは大きく跳躍する。
長く凶悪な赤の輝きの爪が翻る。アルシエルの体に傷はない。全くない。全身全霊のスララとエルンストの連撃ですら、彼女にはかすり傷一つ付けられなかった。
彩斗のゲヘナが、アルシエルの遥か下を通り抜けていく。
かわされた。追撃をしなければ――とエルンストが白衣の裏地に手を伸ばした瞬間、アルシエルの爪が瞬く間に変化する。
槍だと思った時にはもう遅かった。烈火の軌跡はエルンストの全身四ヶ所を貫いた。
とっさに翡翠色の剣で一本は弾いたがそれで剣は砕け散る。四散した刃の欠片と共に白衣の青年は猛火に抱かれ、地面へと墜落していった。
「エルンストさ――」
彩斗が叫びかけたとほぼ同時、アルシエルは彼に向かって大きく腕を振り回す。
分体が空中に飛散した。
数は六百五十八、烈火がたちまち膨れ上がる。
死を呼び寄せる灼熱の触手が、彩斗に轟然と突き進む。
かわせる数ではない。速度も異常に速い。
本気だった。紛れも無いアルシエルの本気だった。わずかに残っていた彼女の理性――彩斗を本当に殺せば、スララが悲しむというぎりぎりの理性すら駆逐されて、魔神は憎悪に心を喰われた。
「ゲヘナ――っ!」
だが、落下し地面へ激突したエルンストの業火が、窮地の彩斗を救った。
黒い業火が空を斜めに奔る。彩斗の眼前の触手を全て消滅させる。
しかしアルシエルはそんな些細な延命は無駄だとばかりに、吠え猛る。
「ウウアア、ウアァァアッ! 意味などない、貴様らに勝ち目などない、見よッ!」
アルシエルが自らの背中にリコリスの分体を付着させた。その部分から紅く激しい炎の翼が形成されていく。
火の粉が舞い、宙が紅色に染まり、羽ばたくごとに高熱が辺りに吹き荒れる。
飛行能力すら得た魔神アルシエルが、両手の爪を、長く、長く、戦場の両端に届くのではないかというほどに伸長し続けていく。
「わたしがエレアントの端まで捜して手に入れた『ダジウスの輝石』は、歴代の魔神たちの死骸を集めて造られたもの」
アルシエルの首元で、茜色のペンダントが強く妖しく光っている。
「この輝石には、歴代の魔神の力が込められている。かつての覇者たちの大いなる力。それはエレアントの歴史を収めているに等しい。破壊と殺戮の負の歴史を収めているに等しい」
ダジウスの輝石が猛然と煌めく。アルシエルに力を与えるべく、世界の終焉をもたらす力を注ぎ続ける。
「エレアントの歴史がベリアルを滅ぼす。私が背負い滅ぼす。奴の利己的な破壊と遊戯を私は忘れない。ベリアルは殺さねばならない。そのためにはアルシエル・ゲームを続けなければならない。アアアッ、そうダ、それが私の使命ダ、だから、だかラ……っ」
両端にまで伸長した両手のリコリスから荒々しく火炎が迸る。
腕が振られた。分体が次々と地表に注ぎ、灼熱の火柱が生まれて膨れ上がる。
火柱は膨張し一つの巨大な壁となる。地上を、彩斗たちを、戦場全てを焼き尽くすべく、広がっていく。
「もうやめて、アルシエル!」
スララは叫んだ。
「それはダメ、それは放っちゃダメだよ。みんな、みんな燃やされちゃう……っ」
「投降せよ。殺してやル、ベリアル! スララ、投降してくれ。死ね死ね死ネ、ベリアル! スララ、今すぐ敗北を認めてくれ。ベリアルを殺すんダ、そのために私はここまできたんダ。早く、諦めてくれ、スララ。ベリアルを殺したい、殺さなければならない。アアッ、アアアッ! スララ、私は正気を保てない。こうしてる間にも自分が憎悪で死ぬのがわかる。ベリアル死ネ。死ネ。スララ、お前たちの負けだと、叫んでくれ、自分たちの負けだと、認めてくれ。私はもうダメだ、ベリアルを殺す殺ス殺す殺ス殺ス、お願いだ、スララ。投降して……っ」
もうアルシエルは限界だ。砂粒しかない理性が激情に飲み込まれようとして、必死に足掻く姿は痛ましいを越えて悲痛の域だ。
美しい顔は歪みに歪み、スララを案じる優しさと、ベリアルへの憎悪が、一瞬ごとに入れ替わってはさらに歪み、見るに耐えない形相となっている。
ゲヘナを彼女に当てなければ勝てない。
だが、ゲヘナでは遅すぎて当てることができない。
スララが涙をこぼしながら必死で声を上げている。エルンストが虫の息で体を起こそうとしている。彩斗は歯を食いしばりながら視界の向こう、灼熱の巨壁を睨んだまま見上げるしかできない。
無理だ、これはさすがに防げない。全力で戦った。打てる手は全て打った。それでも魔神アルシエルには、どうやっても勝つことができない――。
「早く、早くスララ、投降を! ベリアル殺す殺ス殺ス目玉を繰り抜き心臓を抉り首を焼キ私は、私は世界を、歴史を、魔神ベリアルを滅ぼしてスララと一緒に、平和な、日々を送っテ、幸せになりたイ早く投降を! もう、もう、グウアアアッ、スララ――っ!」
何かが切れた。
一線を超えてしまった。
万物を焼き尽くす紅蓮の巨壁が、彩斗たちへと解き放たれる。
地表の岩々は飲み込まれて消えていく。火の粉とアルシエルの絶叫が散る中で空間は真紅の狂乱に染まっていく。
世界が終わるというならば、まさに今がその光景。誰もが終焉を予感した。灼熱が何もかもを滅ぼし、溶かし、終わりをもたらすと予期した。獄炎が猛り狂い、大気を焦がし、猛進し――。
刹那、スララだけが動いた。
二本のリコリスが、風を切り走る。二つの岩を持ち上げる。
それを彩斗とエルンストのそばに、叩き付ける。
衝撃で地面に、二つの穴が空いた。
スララはリコリスでそれぞれ彩斗とエルンストを、その穴へ押し込む。岩で上部の蓋をする。
そして――。
「ごめんね」
スララが灼熱の巨壁に飲み込まれ、穴と岩に守られた彩斗と、エルンスト以外の全てが、紅蓮の輝きに消えていった。




