第27話 灼熱の魔神①
「うん、そう、これだよ!」
明るい声で、彩斗は手を打ち鳴らした。
スララがぺたんと床に座る。表情には安堵の色。とっさの思いつきとはいえ新しく得た技に、花のような笑みがこぼれた。
「彩斗、やったね。これでアルシエルに、何とか勝てるかもしれないすら~」
「うん。でも油断はできないよ。相手はあのアルシエルだ。どんな方法を思いついても、万全とは言えないと思う。戦力は上がったけど、気を引き締めて」
「それでもわたし、嬉しいよ~。一人だけなら、思いつかなかった。彩斗のおかげだよ。ありがとう~」
いつでも、どこでも、そうしてきたように、ひまわりのような笑顔をスララは浮かべる。
もっと心底から彼女が笑える瞬間を作りたいと彩斗は思った。魔神ベリアルによって、歪められてしまった姉のアルシエル。姉妹としてスララが心ゆきなく甘えられる光景が作れれば、どんなにいいことだろう。
ここへ来てから彩斗は何度もスララに助けられた。だから今度は、自分が彼女のために恩返しをする。スララの笑顔を見て、彩斗はそう強く決意した。
「――そういえば、彩斗は元の世界に帰ったら、どうするの~?」
ふと、何気ない口調でスララが問いかけてくる。
「え?」
「だって次の闘技でアルシエルに勝ったら、アルシエル・ゲームは終わるよ~。そうしたら元の世界に帰れるんだよ。その後に彩斗は何をするのかなって、少し思った~」
それはもっともなことだ。しかし目の前の闘技の準備で、その後のことなどすっかり頭から抜け落ちていた。
「えっと……そうだね。何も変わらないと思う。学校へ行って、授業を受けて……家に帰って、また学校。その繰り返しだと思う。あ、でも……」
思い浮かべた光景に、少し言い淀んだ。
「どうしたの~?」
「いや、その学校に行く毎日にさ、スララがいたら楽しいだろうな、って思っちゃった」
照れ隠しに少し彩斗は目を逸らした。
「ここに来てからずっと一緒だったから。スララがいないと何だか、寂しいなって」
「えへへ……」
スララは嬉しそうに微笑んだ。
「な、なに……?」
「わたしも同じだよ~」
はにかみながらスララは声を弾ませる。
「このゲームが終わったら、わたしはアルシエルと地上の集落に住むと思うけど、それと同じくらい、彩斗の世界にも行ってみたいなって思う~」
「え、え、それって……?」
もしかして、あなたと離れたくないの……とか、そういう話だろうか。彩斗は慌てる。
「だって、彩斗の世界、美味しそうな食べ物がたくさんあるすら~」
「……え、あ、そっちなんだ……」
「ソフトクリームとか、クレープとか、聞いてるだけでとっても美味しそう~。考えるだけですっごく楽しみだよ~。行ってみたいな、行ってみたいな、彩斗の世界。きっと、ソフトクリームで作った家もある~」
「あはは……それは、どうだろう」
くるくる回って、うっとりとした表情でスララは語る。
「毎日、ソフトクリームやクレープ食べて暮らす~。お腹ぱんぱんになるまで食べて、幸せ~。らんらら~」
「……アルシエルさん、ボクはちょっと、申し訳ない気持ちになってきました……。すみません、クレープとかは話さない方が良かったかも。ボクのせいでスララが太ったらきっと怒りますよね……」
脳裏に浮かんだ、平和な未来。スララがアルシエルにクレープをおねだりする光景が浮かんだ。
妹にせがまれて、困った顔になりつつもなんとか奮闘しようとするアルシエル。
そんな幸せな姉妹に、なれればいいな。彩斗はそう思わずにはいられない。
「……ボクの世界か。そうだね、スララ。ボクもキミには来てほしい。もちろん、お姉さんも一緒に」
「あ、それもいいかも~。わたし、とっても楽しみ」
「うん。だからスララ――そのためにも、次の闘技、絶対に勝とう」
「もちろんだよ~。アルシエルは、わたしたちが助けるよっ」
全てを終わらせるために。
そして、新しい未来を作り上げるために。死闘への決意を胸にして、彩斗はスララと視線を交わす。
その直後――。
「あ、腕輪が……っ」
紅く血塗られたかのような光が二人の腕輪から放たれる。牢屋中を埋め尽くすかのような激しい光に、彩斗は、スララは、最後の闘技の到来を感じて、深く頷き合う。
濁った宝石のような眼をして、ガーゴイルが牢屋の前までやってくる。
鍵が空けられた。冷たい石の手が、二人の手を掴み、決戦の舞台へと誘っていく。
闘技の時間だ。最後の戦いとなるはずの決闘。
ここまで来たら、あとはもう全力を出し切るしかない。
強張りながらも決然とした顔をして、彩斗はスララと共に、コロシアムへ向かったのだった。
† †
砂と岩で覆われたコロシアムが、異様な静寂で覆われている。
いつもどこかしらで言葉がささやかれていた様子はどこもない。決戦の舞台の周囲をぐるりと囲う観衆席からは息を呑むような空気が放たれ、針を落としたなら聞こえそうな静寂が辺りを覆い尽くしている。
黒い衣装の魔神が、決戦の舞台の中央部にいた。
彩斗とスララから数十メートルを隔てた距離の先、アルシエルはウェディングドレスのごとく優雅な衣装に包まれながら、歪んだ表情で彩斗とスララを見つめていた。
「アルシエル、昨日の約束は覚えていますか」
彩斗の心臓が、緊張で高く鳴っている。重圧に負けないよう声を絞り出す。
「あなたはボクたちの闘技の相手として参加して、負ければこのゲームを終わらせると約束しました。今日、この戦いで、全て終わらせます」
声は少しかすれてしまったが、それでも決意は届いたはずだ。
アルシエル・ゲームを終わらせる。
これまでの様々な出来事が脳裏に浮かんでは消えていく。召喚とゲームの開催。スララとの出会い。最初の闘技。エルンストやフレスベルグとの交流に、ガルム・マルギットとの激闘。そして――アルシエルへの約束。
いつもぎりぎりの戦いだった。
楽に越えてきたことなど一度もない。身を削り、精神を削り、自分の全力を傾けてここまでやってきた。
辛いと思うときはあった。恐ろしいと感じたことも何度あったのかわからない。けれどスララが、何より頼もしいパートナーが、いつも隣で笑い、励まし、共に駆け抜け、気がつけば困難の全てを乗り越えていた。
影が薄いと笑われた過去が、遠い幻影のように感じられる。
怯えて震えるだけの少年はもういなく、強く揺るぎない決意を秘めたレベル1の魔神が、復讐の魔神と決着するべく相対する。
勝てれば奇跡だろう。
けれど、今までも奇跡というなら奇跡そのものだった。
殺人鬼と巨人の戦いも、老犬と人形師との潰し合いも、どれもが熾烈で一歩間違えば結果は変わっていた。
だから、もう一度奇跡を起こそう。ベリアルの遊戯から始まった、全ての悲劇の息の根をここで止めるのだ。
彩斗は己の拳を握りしめる。最後の闘技、その死闘への戦意を高める。
終わらせるためにっ!
だが――決然と意識を固めた彩斗は、おかしいことに気がつく。
闘技前に、改めて確認しておこうと放った、先の言葉。しかしアルシエルは、何の反応も返さない。影のように、棒立ちのまま、無言で彩斗たちを見つめるのみだ。
アルシエルの濁った瞳からは何の意志も感じられない。薄ら寒い違和感が、彩斗の背を這い上がる。
「スララ、何かアルシエルの様子がおかしいよ」
次の瞬間――スララの顔が、強張った。
「――っ! いけない、彩斗っ、すぐに岩の影に下がっ」
「ううウ、アアァアァ――――ッ!」
怒りと恨みの篭った熱風が、アルシエルから放たれる。
空間を紅蓮に染め、瞬く間に拡散した熱風は彩斗とスララに襲いかかる。
「わあああ!?」
反射的に彩斗が手をかざすがそんなものは何の意味もない。肌が焼ける。紅蓮の風に体が炙られ全身に痛みが走る。
とっさにスララが前に出てリコリスを展開、天幕のごとく広げて熱風を防ごうと試みるが、一秒ももたずに溶けて天幕は辺りに飛散する。
「アルシエル! やめて、いきなり何をするの!」
「ウウウ、うアア、ベリアルを、殺す。殺ス。殺す。コロスゥアァァァ――っ!」
どよめきが観衆席から洩れる。熱風は観衆席にも届き、甲高い悲鳴がいくつもあがる。
ようやく観衆席と決戦の舞台を隔てる魔法の障壁が発生した。天井より大気を切り裂き光の銛が地面へと直撃する。
闘技が、開始される。
話す間もなく、狂乱の声がコロシアムを支配する。
「ベリアルを、殺す。うウァァアアアア――ッ!」
アルシエルが、吠えた。
空間を染め上げる熱風が再び放たれる。空間ごと抉る紅蓮の風に、彩斗たちはたまらず逃げ隠れるしかない。決戦場に無数に存在する岩場、その影に飛び込むように駆けるも灼熱の風は岩ごと嬲り、溶かし、紅蓮の津波のごとく周囲を包み込む。
「ベリアルを殺すためにはゲームを続ける必要がある。だから私は勝たねばならない。闘技に勝たねばならない。立ちはだかる者は排除する。死ね、死ね、ベリアルゥゥ!」
黒い感情の赴くままアルシエルが吠える。
左手の爪が伸びた。
半透明の爪が死神の鎌のごとく伸長し、表面が真紅の色に染まり熱気をまき散らす。
伸びた爪はアルシエルの身長の五倍近くにも達していた。紅蓮の火炎に覆われ、火の粉を飛散させ、触れるもの全てを焼き尽くす最強の武器となる。
「ベリアルゥゥゥアアッ!」
怨念のこもった咆哮と共にアルシエルが跳ぶ。大気ごと引き裂くかのような跳躍の落下地点は、岩場をすり抜けながら走る彩斗とスララ、その間近――。
「うわあああああっ!?」
流星じみた叩き下ろしに、彩斗が吹き飛ばされた。烈火をまとったアルシエルの爪が地面に深々と食い込み、周囲が熱と衝撃波で吹き荒れる。
紅蓮の風にもまれながら、スララは彩斗を片方のリコリスで助け起こしつつ、もう片方のリコリスの鞭で薙ぎ払った。
狙いはアルシエルの側頭部。
正確な軌道、勢いも十分。だが空気を鳴らして叩き込んだ鞭は、アルシエルが火炎の爪で払っただけで半ばから両断される。
「――っ!」
切断面から炎が伸びる。スララのリコリスの房を焼かんと紅蓮の舌となる。全焼する前にスララはリコリスを分離した。後退し、態勢を整えようとするが、アルシエルは鬼の形相で跳んでくる。
「退けっ! 愚妹がっ!」
掌底一発。
閃光のごとき右手の一撃をまともにくらったスララは、大きく弧を描いて吹き飛んだ。
「スララっ!」
彩斗のその声に反応したのだろう、アルシエルが大きく爪を振りかぶり、彩斗の回りの岩ごと焼き尽くそうとする。
寸前で前転し回避した彩斗だが、熱波が彼の背中を炙る。
痛みをこらえながら立ち上がり、走ろうとした彩斗は、
「スララっ!」
「平気っ! 大丈夫っ!」
距離は離されてしまったが明瞭な声が返ってきた。
パートナーの無事を確認して彩斗は一瞬安堵するが、アルシエルの怒気は止まらない。死神の鎌のごとく爪を振り上げると、さらに長さを増させ、まとう炎の勢いすら倍増して、大上段から彩斗へ叩き降ろした。
「骨も残さず消え去れっ!」
彩斗の脳裏に死が見えた。
だがその一撃は当たらない。正確にはスララがさせなかった。とっさに伸ばしたリコリスが、アルシエルの腕に巻きつき、狙いをわずかにずらしたのだ。
だが、それでも膂力は圧倒的にアルシエルの方が上だった。ずれた一撃は地面を砕き、溶かしつつ、膨大な熱波を生み出し彩斗を毬のように吹き飛ばす。
「彩斗っ!」
叫びつつもスララの前でアルシエルが跳ぶ。右の掌打で、再びスララの胸を打つ。
「あぁ……っ」
背後の岩に当たって大きく弾むスララ。遅れて巻き起こる衝撃波。
「ベリアル! お前を殺す、ベリアルゥゥウウゥッ!」
火の粉と粉塵が盛大に飛散する中、アルシエルが魂の底より怒号を放つ。呪詛を吐きつつ烈火の爪が振り回された。融解した岩と焼けた地面が地獄の光景を演出し、熱にまみれた衝撃波がアルシエルの爪撃ごとに生み出されては周囲を荒らし、溶かし、際限なく破壊を刻んでいく。
この時点でアルシエルの脳裏に正常な思考能力などない。目の前の光景を正確に認識しているかすら怪しい。彼女の中ではこの闘技は負けてはならないものであり、負ければベリアルへの復讐が遂げられない。
ゆえに目の前の相手から攻撃を受けないよう、ひたすら攻めるという切れ端だけの思考だけがある。
例外は、スララを殺してはならないというささやかな家族愛だけ。
視界から動くものが消えれば、ベリアルへの憎しみだけが表面化する。敵を発見するという当たり前の思考はすでに抜け落ちている。
烈火の爪を振り回しつつ、膨れ上がる感情に身を焼かれ、アルシエルは天へと向かって、恨みの雄叫びを上げた。




