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レベル1の魔神  作者: サナギ雄也
第三章
26/42

第26話  恨みのアルシエル

「イータ、ヨーテ、サダラー、どこだっ!」

 熱風が辺りを覆い尽くしている。


 弾ける音と共に幾万の火の粉が高く舞い、天へと続く回廊のように、黒い煙がいくつも立ち上る。

 家屋が崩れ、川は蒸発し、大地は火炎の舌に舐められて原型を留めていない。


 村は、炎に包まれていた。それも単なる炎ではない。

 黒い火炎だ。自然界では決して見かけないおぞましい色の業火に、アルシエルは不吉を覚えて走っていた。


 右方にあった山から、巨大な火柱が立ち上がる。黒い火炎でできた柱は一撃で山を真っ二つに割り、遠く離れているはずのアルシエルへと熱風を運ばせる。

「うわあああっ!」

 腕の中にある、妹だけは守ろうとアルシエルは体を丸めた。布で包んだスララを抱きしめながら何度も転がり、すすまみれになったまま、何とか立ち上がった。


「アルシエル!」

 イータが、大声を上げながら切羽詰まった様子で走ってきた。

 それで少しだけアルシエルの気分が楽になる。息を整える。

「はあ……はあ……無事だったのか、イータ。……ヨーテとサダラーは?」

「サダラーはわからない。ヨーテは……」

 一瞬、イータは言葉を詰まらせた。


「ヨーテは、石化された」

「え……?」

 足元が消えてなくなったかのような感覚がアルシエルを襲う。石化。ヨーテ。その二つの単語が、うまく頭の中で噛み合わない。


 イータはアルシエルの腕の中にいるスララを確認した。イエティである彼は冷気を常に発している。そばにいると、わずかに熱さが軽減された。

「とにかく村を出るぞ。『ベリアル』がこっちに来るまえに……っ」

 熱風が一層勢いを増す。その直後、右手にあった山から、巨大な影と共に何かが飛んできた。


 六枚の羽が翻る。

 七本の長い爪が、大きく躍った。

 四肢は太く、尾は長大で、深紫の牙が煌々と光っている。

 強風を巻き起こし、盛大な衝撃波を吹き散らしてきた巨影は、アルシエルとわずか数十歩のところで振動と共に着地した。


「あ……あ……あ……」

 イータが声を震わせて立ち尽くす。

 絶対に敵わない相手に、全身が恐怖に縛り付けられる。

 何を言わなくともアルシエルにはわかった。イータが怯えている相手が誰なのかを悟った。


 人間と、魔物の住むエレアントの全てを支配しようと画策する者。数多の人間の勇者を倒し、竜を、巨人を、魔獣の軍勢をねじ伏せてきた、最凶かつ最悪の魔神が、目の前にいる。

 ベリアル。

 三つの異名を持つ魔神。

 全ての強者の頂点に立つ、最強の存在がアルシエルを睥睨する。


「に、逃げるんだ……」

 イータは、がたがたと震えながらも、それだけは必死に口にした。

「早く逃げろっ! アルシエルっ! ここは俺が……っ」

 ベリアルが太く逞しい左腕を振るった。風が起こる。それがイータに吹き当たる。


 次の瞬間――イータの体が、たちどころに灰色に覆われて石化した。

「な――」

 愕然と、友が石像と化した様子に、アルシエルは言葉も出ない。


「――いたぞ! くらえ、ベリアルっ!」

 遠くから逞しい声が聞こえ、落雷がベリアルの脳天に直撃した。氷の槍と毒の水と溶岩の濁流が背中に直撃し、極太の蔦がベリアルの四肢を拘束する。

 人喰い獅子(マンティコア)という、魔物の中でも上位の種が着地する。


「くそ、イータもやられたか、よくも村の仲間を!」

 村の精鋭である魔物たちが死力を尽くして魔神へと挑む。だが誰もが二秒として無事ではいなかった。


 吐息だけで敏捷な魔獣が石化した。爪を弾いた風でケンタウロスが石像となり、尾にかすった直後に屈強なワーウルフが石となる。

 それでも残る精鋭たちは怯むことなく立て続けに、魔法を、牙を、己の全てを掛けて戦った。


 だがベリアルは、そもそも力の次元が違っていた。

 ありとあらゆる攻撃は弾かれ、霧散し、彼に触れた者や息を吹きかけられた者は見る間に灰色に包まれて石化する。


 勝てるはずがない。

 アルシエルは直感する。村のみんなが稼いでくれた隙に、スララを抱いて村を出るべく走る。

 駆け続ける。


 だが、背後から咆哮が響いてきて、アルシエルの全身が総毛立つ。六枚の羽を躍動させ大気を鳴動させてベリアルが追いかけてきた。その間にも村の生き残りが猛然と攻撃をし続けるが、氷柱も毒霧もベリアルにとってはそよ風にも劣る。

 怒声と雄叫びが乱舞し、特攻じみた猛撃を続ける村の魔物たちをよそに、アルシエルは駆け続けた。


 やがて――辿り着いたのは思い出のある森だ。かつて、イータたちと親友になった森林地帯。

 草木や蔦に前進を阻まれながらも、必死にアルシエルは走っていく。村からの攻撃の嵐の音はすでに聞こえない。村の仲間たちはどうなったのか、想像するだけでも怖い。


 ベリアルが、太い樹木を踏み砕きながら目の前に着地してきた。

 悲鳴を上げてアルシエルは衝撃のために転がる。

 意識はスララを守ることに費やされた。転がり、背中を打ちつつも、妹だけは絶対に離さないと、強く抱き締める。


 聞き覚えのある鳴き声が、アルシエルの耳に届く。

 ハッとして振り返れば、あのときのヒュドラが、ベリアルと対峙していた。

 泉と水で編まれた柱が見えた。いつの間にかヒュドラの住処にまで到達していたらしい。


 天を引き裂くような響きが聞こえた。

 縄張りを荒らされたヒュドラは、怒り、咆哮し、九つの首を王者のごとくくねらせて、虚空から大量の水を呼び寄せた。


 村など押しつぶしてしまうかのような津波が、ベリアルへと注がれる。

 だが次の瞬間――ベリアルの手から放たれた黒い業火が、水撃ごと呑み込み、ヒュドラへ殺到して一撃で打ち倒す。


 重い音が轟いた。九つの首は為すすべなく地に伏せ、やがて動かなくなる。

 ――ヒュドラが、負けた。

 あれほど強かったのに。雲の上のような強さを誇った強者がいとも簡単に殺された光景に、アルシエルは怯えて声も出なくなる。


 ベリアルが振り返った。

 爛々と、紅く光る瞳が見下ろしてくる。

 目が合った。

 全てを超越する魔神は、路傍の石ころでも見るかのようにアルシエルを見下ろすと、次の瞬間、姿を変えた。

 六枚の羽は消え去り、七本の爪は消失して、ヒュドラに酷似した九本の首の紫の大蛇へと変化する。そして、アルシエルを無視して、去っていった。


 ――見逃された? 

 違う、興味を失ったんだ!

 お前は石にする価値もないと。火で炙る価値すら持っていないと、アルシエルは通告されたに等しい。恐怖と共に湧き上がった怒りを胸に、アルシエルは疲労のため倒れた。


†   †


 そしてベリアル・ゲームが開催される。


 全滅した村でわずかに石化されなかった魔物たちが、全て天空宮殿(トルバラン)へと連れて行かれた。長たる上級悪魔、三人組の生き残りのサダラー。アルシエル、その父、母、そしてスララを宮殿へと召喚したベリアルは、同じくエレアント各地で滅ぼした、全ての町や村にいた数百の人間と、魔物を、空の牢獄に閉じ込めた。


 ペアを組まされ、闘技を行う人間と魔物たち。

 ゲヘナが飛び交い、剣技や魔法が交差していく長い日々。

 弱すぎる者や幼すぎる者は観衆として、それ以外は闘技の駒として、ベリアル・ゲームは冷酷に続けられていった。


 アルシエルは誓った。

 ベリアルに復讐をすると。

 いつか必ず力を手に入れ、ベリアルに挑み、両親や村の皆が味わった絶望を刻んでやると、多くの嘆きがはびこったゲームの果てに、胸へ強く誓った。


 ゲームの序盤で果てたサダラーの顔が忘れられない。長たる上級悪魔の負けた光景が目に焼き付いている。父と母のm勇敢な戦いと石化の瞬間はアルシエルの奥底に刻まれ、後にはスララだけが残った。


 ベリアル・ゲームが終わり、ベリアルはエレアント自体に興味を失って、異世界へと渡った。新たなベリアル・ゲームを始めるために。際限のない遊戯を続けるべく、次元を越え、ベリアルは旅立ってていった。


 復讐の炎を胸に抱きながら、十数年後にアルシエルはダジウスの輝石を入手した。

 かつてエレアントを支配した力のペンダントを身につけ、魔神へと彼女は生まれ変わった。


 その過程で知ったことがある。ベリアルの右腕には、大戦で負った火傷の痕があると。聖剣で作られたその傷は、ベリアルの魔法でも打ち消せない。

 右腕に火傷の痕を持っている者を、片っ端から召喚する。

 その中にベリアルはいる。

 唯一の手がかりを胸に、天空宮殿(トルバラン)を乗っ取った、魔神アルシエルは、そうしてアルシエル・ゲームを開催した。



「前には進んでいる。あの時の無力な私は、もういない」

 過去の悪夢から覚め、薄っすらと涙を流しながらアルシエルは独りごちる。


「路傍の石でしかなかった私はダジウスの輝石を得た。誰にも恐れられる魔神の力を得た。今ならばお前を殺せる。出てこい、ベリアル。お前は私が倒す」

 頬を伝った涙は父たちの無念。母や、イータや、ヨーテやサダラー、そして村のみんなを含めた、怨念の塊でもある。


 ベリアルを倒す。

 憎悪が湧き出てアルシエルの中を支配する。


 ああ――と、アルシエルは身震いして、小さな吐息を洩らしていく。

 憎しみで自分の中が彩られる。スララや彩斗と話した記憶が、大波に押し流されるように薄れていった。

 脳裏の中では、あの日見た村の光景、石化のイータ、ベリアルの見下す瞳が次々と回り、わずかに残っていた優しいアルシエルは幻のように消え失せる。


「ベリアルを殺す。ベリアルを殺す。ベリアル、ベリアルを殺す。ベリアルを、殺す」

 呪詛のごとく撒き散らした言葉は空中に溶けていく。その様子をメイドの少女、シャノンが目を瞑りながら聞いていた。


 傍らの宝玉(オーブ)を、無造作にアルシエルは手に取った。

 それはアルシエル・ゲームの開始と終了を司る魔法具だ。言わばゲームの管理をする鍵。それを用いて、アルシエルはゲームの開催を行った。そして、別のことにも使える。


 オーブを、起動させる。今日の闘技を開始させる。日付は変わって、すでに零時となっていた。アルシエルは冷然と、手に魔力を込めながらオーブに語りかける。

「今から闘技を始める。その前に、マスターとしての権限を行使。代理の魔物として、私、アルシエルが闘技に参加する。相手は、スララと彩斗。そして、私が代理として組む人間は――」


 ベリアルへの憎悪が心の大半を占める中、スララとの約束だけが、かろうじて残っている。

 決戦の時が――始まろうとしていた。


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