第25話 幸せのアルシエル
静寂に包まれた部屋で、アルシエルは腰掛ける。ほのかに灯った暖炉の明かりだけが物憂げな顔を照らす。
思考は薄ぼんやりとして、意識はまどろみの中。静かな海に身を委ねるように、アルシエルは過去の夢を見ていた。
『やーい、やーい』
声は遥かな過去の記憶だった。もう十年以上も前。まだスララが生まれる前のこと。子供だったアルシエルは、生まれ故郷の村で、三人の魔物に囲まれていた。
「臆病なアルシエル。弱虫なアルシエル。やーい、やーい」
囃し立てる声は村の中でもやんちゃな魔物だった。
複数の魔物が暮らす魔物だけの村において、彼らはいつもアルシエルの周りを取り囲み、にたにたと笑い、からかいの声をかけていた。
「洞窟の中にも入れない。森の奥にも入れない。お前は本当に魔物? 劣等種のスライム族ごときが、俺たちと一緒の村に住むなんて笑っちゃうぜ」
一人の魔物がそう言うと、ケタケタと他の魔物も薄笑いをこぼす。
雪男であるイエティ。狼獣であるコヨーテ。そして火トカゲの魔物サラマンダーが、アルシエルを取り囲んでいた。いずれも子供、アルシエルと同じ歳の彼らは、自分たちよりずっと弱いアルシエルを前に、嘲りの言葉を吐き続ける。
「この前も、村の川で溺れそうになったんだって。情けなーい」
「ほんと、ほんと、アルシエルは根性無し。なんてドン臭いんだろう」
「そのくせ、滅多に泣かないときている。弱き者は泣く姿がお似合いだ。ぴーぴー泣いて、弱い姿を晒し続けてろー」
イエティが冷気を吐き、コヨーテが周囲を回り、サラマンダーが小さな火を吹いて、アルシエルの服の裾をなぶった。
「やめて」とアルシエルが言っても、彼らは中断しない。唇を噛んで睨むアルシエルに、一層楽しそうな声を向ける。
「いくじなし」「弱虫ー」「悔しけりゃかかってこいよー」
彼らは笑う。アルシエルはスライム族の中でもフレイムスライムと呼ばれる、炎のリコリスを操れる希少性を持って、生まれてきた。だがその力をうまく使いこなせず、いつも村の広場で特訓をする彼女に、三人はこぞって笑い声を浴びせる。
「なにをしているの! やめなさいっ!」
そのとき一際大きな声が響いて、三人は一斉に目を向けた。
「やべ、エレーナだ」
「耳を潰される」
「逃げろ、逃げろ」
助けに来たのは、アルシエルの隣の家に住む魔物の女性だった。アルシエルにとっては姉のような存在。若く綺麗なセイレーンの声が聞こえてきて、イエティらは一目散に逃げていった。
冷気や熱風が止む。
後には口元を引き結ぶアルシエルが残される。セイレーンが、心配そうな様子で近づいてきた。
「またあいつら? 困ったものね、彼らにも」
「ごめんなさい、エレーナ。また助けてもらって……」
アルシエルが悔しそうにそう呟くと、エレーナは聖母のように抱きしめた。基本的に魔物は強者にしか好意を抱かないが、エレーナはアルシエルにも優しく振る舞っていた。
「馬鹿にする者がいればあたしに言いなさい。アルシエルは生真面目すぎるわ。いつも自分だけで何とかしようとする」
「だって、エレーナにはいつもお世話になってる。これ以上は、頼れない」
「真面目さは重要だけど、時と場合によるわ。あのねアルシエル、自分でどうにもできないときは、あたしに頼りなさい」
それでもアルシエルは俯いたまま返事をしない。イエティたちに怒りを感じているではなく、やり返せない自分に苛立っているのだ。
子供ながらにアルシエルはわかっている。いつまでもエレーナの世話になってばかりはいられない。魔物は一定以上の知性があるものは、人間のような集落を作って、そこで暮らすことも珍しくはない。けれどその力関係は、人間以上に冷酷で、残酷なのだ。
「自分の身は自分で守れ。私はそう教わった。強者だけが明日に進むことを許されるんだ。単純だけど、魔物にとっては当たり前の常識だ。そうでしょ、エレーナ」
セイレーンの女性は深くため息をついた。しかしアルシエルはその考えを曲げるつもりはない。
――それが、魔神アルシエルの過去。
子供の頃の彼女は、自分の身一つも守れない、貧弱な魔物だった。
† †
「イータたちがいない?」
焦るような声に気がついて、アルシエルは振り返った。
「そうだ。いつもの洞窟にも、森にもいない。いったいどこに行ったのか。遠くに行けば、無知性種も多いというのに」
イータとはいつもアルシエルをからかって遊ぶイエティの名だった。彼を含むいつもの三人、イエティのイータ、コヨーテのヨーテ、サラマンダーのサダラーが、昨日からどこにも見当たらない。
村を治める上級悪魔が、苦い声を発して言う。
「仕方がない。手の空いている者は、探しに行け。ただし四人一組となって行動せよ。無知性種は、頭の足りない愚か者ばかりだ。同胞殺しを防げ」
上級悪魔である長の命令が下り、村にいる半数以上の魔物が探しに向かった。
全ての魔物が高い知性を持っているわけではない。中には本能のみで生きているものも存在しており、むしろ人語を話し、人間的な思考のできる魔物の方が、数は少ない。
無知性種と呼ばれる、本能だけで生きる魔物たちは、人間だろうが、魔物だろうが、自分より弱いものを見れば、たちどころに襲い掛かり、自らの血肉とするべく行動を起こすのだった。
「イータ、ヨーテ、サダラーっ!」
森の木々と蔦の中に大声が響き渡る。しかし消えた三人の返事は、返ってはこない。
小枝を踏み、木の根を跨ぎ、鬱蒼と茂った葉を手でどかしながら、アルシエルは不満顔で救出に向かっていた。
よりによってあの三人を探しに向かわなくてはならないなんて。そう思うと、苦虫を噛み潰したような表情になる。
「アルシエル、きちんと探せ」
「そうだ、ただでさえこの組は、お前のいるせいで実質三人の戦力しかないんだから」
「……」
返事をするのもおっくうなアルシエルに、探索の同行を命じられた他の魔物たちが冷たい視線を送る。
そのときだった。
森の奥底から、鋭い悲鳴が聞こえてきたのだ。
「――今のは、イータたちの声か?」
「どこからだ。反響して位置がわからない」
無言で、アルシエルは両腕を突き出した。次の瞬間、彼女の爪が伸びる。元の何十倍にまで伸長していく半透明の爪は、アルシエルのリコリスだった。
本来ならフレイムスライムの特性で、アルシエルのリコリスは伸縮自在かつ火炎で覆われるのだが、能力の低い彼女の爪は、わずかな熱を帯びるだけだった。
だが、それでも探索の道具にはなる。どんどんと、伸ばしていく。
「アルシエル、それで位置はわかるのか」
「……さあ。彼らの運が良ければ、あるいは」
見ていた魔物たちが、期待の薄そうな眼で見ていた。
だがやがて、確かな痕跡を発見してアルシエルは呟いた。
「イータの吐いた氷の息の痕を見つけた。誰かと戦ったらしい」
「……急ぐぞ、無事に発見できれば、長から褒美が貰える」
翼や馬並みの脚力で進む他の魔物たちだが、アルシエルの脚はそこまで速くない。アルシエルは置いて行かれた。爪型のリコリスを辿って、イータの痕跡がある場所へと向かっていく。
だが――。
「む、無理だ、あれは無理だ、勝てない!」
先に向かっていったはずの魔物たちが、血の気をなくして駆け戻ってきた。眼が尋常ではない。血走り、恐怖に染まった瞳のまま、彼らはアルシエルのことなど無視し、一斉に森の外へと逃げ帰っていく。
アルシエルは迷う。しかしそれでも、同胞を見捨てるわけにはいかない。彼女は奥へと進む。生真面目に、歩いて行く。
だが、その先で発見した光景。それはアルシエルに、後悔を呼び起こさせた。
「ヒュドラ……」
九つの首と再生力に秀でた上位の魔物。水の力を操り、大洪水すら起こすことのできる強大な水棲蛇が、イータたちを追い詰めていた。
「や、やめろ!」「離せ! さっさと解放しろ!」
泉のある開けた場所だった。周囲は魔法で編んだ水柱で覆われており、イータたちはヒュドラの九つの首のうち、三つにそれぞれ締め付けられていた。
――縄張りに入ったのか!? 愚かなことを!
状況を見て即座にアルシエルは真相を悟る。ヒュドラは強大な魔物ゆえに吐息だけで他の生物の命を奪い、寝息ですら浴びれば人も下級魔物も毒に侵され死ぬという。だがその鱗を加工して飲めば、魔物は力を増すことができ、下級の魔物がより強大になるための手段として広く知られていた。
イータたちは今より強くなるために、ヒュドラの鱗を手に入れようと縄張りに入ったのだ。
しかし失敗して捕らえられた。そして一晩中、生かさず殺さずの締め付けを受けている。
アルシエルはそう予想する。イータたちの性格から推察するに、それしかない。だが助けようにもヒュドラは、アルシエルはおろかイータたちが全力で挑んでも到底勝てない、強者の中の強者。
アルシエルは覚悟した。同胞殺しを見逃した愚か者として裁かれるか、魔物として戦いイータたちを救出するか、二つに一つの選択に迫られる。
時間はない。道具もなく、仲間であるはずの他の魔物ですら逃げ出してしまった。
何もかもが足りない状況の中で、アルシエルは模索する。そして、選択した。
「そいつらを離せっ! 貴様の相手は私がする!」
朗々と響いたアルシエルの声に、ヒュドラの首の一つが反応する。
その眼は弱者を見る瞳。力量も考えず近寄った愚か者を見下ろす、絶対的な強者の傲りが、その瞳に見え隠れする。
アルシエルは勇敢に突撃した。
勝算など考えない。今必要なのはイータたちを助けるための行動であり、アルシエルは大声を上げながらリコリスの爪を鎌のように伸ばす。
絶望的な戦いが、繰り広げられた。高熱を帯びたリコリスの鎌がまったく通じない。ヒュドラの鱗はそれ自体が強固な鎧だ。人間の名剣も、魔物の爪牙も、ヒュドラの鱗を破壊することは極めて厳しい。何条ものリコリスの斬撃が放たれ、その度に弾かれ、アルシエルは疲弊していった。
けれど一つだけ幸運だったのは、捕まった三人の中に、サラマンダーであるサダラーがいたことだ。アルシエルは叫んだ。最後の、手段として。
「私のリコリスに、炎を吐け!」
振り絞った大声に、サダラーが反応した。ヒュドラの首に巻きつかれながらも吐出された火炎の息に、アルシエルは自ら突っ込んだ。
リコリスが燃える。
高熱を帯びただけの爪が、火炎の爪へと進化する。
三日月のごとく軌道を描いて、アルシエルは雄叫びを上げて突っ込んでいった。
時間の感覚が消失していた。痛みはどこかへ吹き飛び、ただ、目の前のヒュドラだけがアルシエルの意識にあった。
どこをどうやって攻めたのか覚えていない。傷だらけになりつつもアルシエルは我武者羅に攻め続けた。
どうしてそこまでしてイータたちを救おうとしたのかアルシエルにはわからない。
あえて言うならイータたちのためではなかった。その戦いはアルシエル自身のためだった。いつまでも落ちこぼれとして蔑まされる自分。その日、何もせずヒュドラの前から逃げ出したなら、きっといつまでも自分は弱いままだと、頭のどこかで確信していたからこそ、アルシエルは勝利も敗北も考えず、ひたすらにリコリスの鎌を振るった。
そして――次に気がついたとき。
アルシエルは、イータたちに肩を貸してもらいながら、森の中を歩いていた。
「……お、気がついたか?」
「やった、アルシエル、生きてんじゃん!」
「良かった、本当に良かったっ!」
口々に彼らは言う。主に背を貸しているのは、イエティであるイータだった。コヨーテのヨーテは目の前の草を掻き分け、サラマンダーのサダラーは、アルシエルに少しでも精気を分けるべく、かすかな熱風を吐いていた。
傷だらけになりながらも懸命に身を寄せる三人に、アルシエルは短く聞いた。
「……私たちは、助かったのか?」
「そうだよ! お前のおかげだ!」
「まさか見捨てずに戦ってくれるなんて――アルシエル、ありがとう」
「お前がいなければ俺たちは死んでた。お前は命の恩人だよっ!」
聞けばアルシエルはあの後、執拗にヒュドラの眼を狙って、攻撃していたのだと言う。
結局、ヒュドラに決定的な傷を与えることはできなかったが、アルシエルが戦ったおかげで、ヒュドラはイータたちへの締め付けを緩めてしまい、その隙に三人は逃げ出せた。アルシエルの逃走は三人全員が冷気や熱風を使って手助けし、今に至っている。
おぼろげどころかまったく覚えてないと返事するアルシエルに、イータたちは笑った。
「まったくよー、無茶し過ぎだぜ」
「死んだらどうすんだ。命知らずにも程がある」
「鬼みたいな顔だったよ。アルシエル。やべー、怖えー」
茶化すようにしゃべるイータたちだったが、その口調はとても温かい。いつもいじめてばかりで、良いことなど何もしていなかったのに。そんな自分たちを、アルシエルが救ってくれた――イータたちの目には、後悔や罪悪感の他に、感謝の念がある。
「……あのヒュドラ、すごく強かったよな」
「でも明らかに舐めてかかってきてたよな、あれ」
「それなのに俺たちより遥かに強いなんて、魔物ってのはつくづく力だけが重要だよな」
口ではそう言うが彼らの口調は嬉しさで溢れている。アルシエルに助けてもらったことに、最大級の感謝を抱いている。
「……あのさ、アルシエル。今まで悪かった」
「力をぶつけられる恐怖を、俺たちは知った。もうお前をからかうことはしない」
「むしろお前を馬鹿にする奴らは、俺たちがぶっ倒してやる!」
「……は?」
アルシエルは思わず目を瞬かせた。
少しばかり話がおかしな方向へ向かっている。
「そうだ、そうだ! 俺たちが一生、お前を守るんだ!」
「たとえ悪魔だろうと、巨人だろうと、竜族だってアルシエルを陥れるなら、許さない!」
「アルシエル! 俺たちはこの瞬間から――お前の騎士になるっ!」
「……お前たちは馬鹿だ」
呆れたように、アルシエルは呟く。けれど悪い気はしなかった。何かが胸のうちに湧いていた。嬉しい、という感情を、久々に思い出した気がした。
「……まあ、それならよろしく頼む。私は、弱いから。精々頑張って守ってくれ」
自然と笑うことができた。そうしたら、三人の魔物たちは、
「え、や、やべえ、なんか、アルシエルって、可愛くないか?」
「あり得ねえ……俺、乳のでっかい姉ちゃんが好きなはずなのに……」
「あのさ、じつはさ、俺、前々からアルシエルのこと……」
平和な光景だった。雨が振り、地が固まった。それ以降、アルシエルは、イータ、ヨーテ、サダラーと親友になることができた。
† †
翌日、アルシエルは、村の別の魔物の子供に囲まれていた。
「おいアルシエル。ヒュドラに戦いを挑んだって、どうせ嘘だろ?」
「そんな根性、長にだってあるものか」
「証拠を見せてみろよ、スライム娘。ぷるぷる震えてるだけしか能のない、雑魚のくせに」
「今度は嘘つきか。どうしようもない奴だな。お前なんて、」
「――俺たちのアルシエルに、手を出すなっ!」
囲っていた魔物たちが吹き飛ばされた。跳んできたのはイータらち三人の魔物だった。
冷気、熱風と共に、牙と爪が翻る。
「な、何すんだ、イータたち……」
驚く魔物にたちに、イータ、ヨーテ、サダラーは牙を剥き出しにする。
「いいか、アルシエルに悪口を言うな。そんなことをすれば、俺たちがぶっ飛ばすぞ!」
「はあ? 何言ってんだ……どうかしたんじゃないのか」
「近づくな! サダラー、火炎を吐いてやれ!」
「おうっ!」
「熱っ! く、くそ、逃げるぞ、いったいどうなってやがるんだ……」
熱風にあぶられ散り散りになって逃げていく魔物たちを見て、イータたちはにたりと笑い合った。
それから、似たようなことが、数日間続いた。
「アルシエルに近づくんじゃねえぞ!」
「そうだ、そうだ、けなす奴は追い払う!」
「アルシエルは俺たちの天使だ、女神だ、お姫さまだっ!」
「……おい、お前たち」
人間の作った物語に出てくるような単語をまくし立てる彼らに、さすがにアルシエルは呆れ返った。
「私を守ってくれるのはありがたいんだが……少し言葉を抑えてくれないか」
「何を言ってるんだ! 俺たちはお前の騎士だぞ!」
「アルシエルはおれたちのお姫さまだ! お姫さまを守るのは騎士の勤めだぜ!」
「そうそう、その通り! だからおれたちは四六時中離れないんだよアルシエル!」
守るのもここまでいくと鬱陶しい。
「あのな、お前たち、村中にそう言いふらしてるらしいが、そろそろ恥ずかしい。感謝はしているが……控えてくれ」
「……え、何だって? もう一度……」
「だから、恥ずかしいから少し抑えてと言っている」
「え、は、は、恥ずかしい?」
「恥ずかしがるアルシエルって、何かいい! もう少し頬を赤らめてくれ」
「頬を染めるアルシエル……やばい、夢に出てきそうだっ」
「……なんてことだ。馬鹿がもっと馬鹿になった」
平和になったのはいいが別の意味で面倒になった。嘆息して、けれど半分だけ笑って、アルシエルは家に帰る。
たまに鬱陶しいが、悪くない気持ちだった。何をしても、イータたちはアルシエルを好いている。守ってくれている。小さな相談事にも応じてくれるし、一緒に遊ぶこともあった。
楽しい。
心からアルシエルはそんな風に思う。
強い魔物だけが正しいのではなくて、たとえ弱くとも、能力が低くとも、心を通じ合わせることはできることを知った。洞窟の探険、森の探索、古代の遺跡や、清らかな入江など、アルシエルと男三人の魔物たちは、いつも一緒で、色んな場所へ遊びに回った。
涼やかな風が吹いていた。空から降り注ぐ、温かい陽光。草花が細かに揺れ、遠くからは、かすかに藁の匂いが漂ってくる。
村の魔物の家において普遍的な、土と藁からなる芳しい香りを楽しんで、四人は歩いた。
ふと気づけば、アルシエルは自分の家の方で、父親が大きく腕を振っているのが目に入った。
「父さん? どうしたんだ、そんなに嬉しそうな顔をして」
近くまで寄ってみると、父親は顔をほころばせた。
「来たか、アルシエル。よく聞け、我々に――新しい家族が増えた」
仰天して、アルシエルは目を丸くする。三人の友人たちも、一斉に顔を見合わせた。
「え、それじゃあ……」
「そうだ。今日からアルシエルは、お姉さんだな。優しくしてあげるんだぞ」
古のスライムならともかく、進化の末にスライム族は人に近しい姿と、人間と同じ方法で子を為すことができた。医術は魔物の間ではさほど発達していないため致死率は人間より高いが、無事に生まれた新たな家族の朗報に、アルシエルは初め唖然として、次に真顔になり、最後には華やかな笑みを浮かべた。
「おめでとう、父さん」
「ありがとう。さあこっちだ。イータたちもどうぞ。来なさい」
木材と布で建てただけの簡素な家の中に入る。治療や医療を司る村のユニコーンが寝床で待機していた。人間ならば医師に相当する彼に促され、アルシエルは母のところへ向かう。
ベッドの上、母に抱かれていたのは、珠のような赤子だった。
小さな手足を丸め、小さく呼吸し、すやすやと眠っている。すでに小指ほど伸びている頭髪の色は、アルシエルと対照的な水色。まだ短いがリコリスもきちんとある。姉と違って、髪の一部が半透明になっていた。性別は、女の子。
「この子が……私の妹」
赤子を抱きながら、母が優しく微笑んだ。
「そうよ。この子の名は、『スララ』。隣のセレーナに名付け親になってもらったわ」
その瞬間、アルシエルは不思議な感覚に覆われた。綿のようにふわふわとして、どこか夢のような浮遊感が全身を包み込み、ほのかに胸が暖かくなる。
あどけない寝顔だった。まだまだ儚い命だった。たくさんの未来が待っている幼い妹に向けて、アルシエルは柔らかに声をかける。
「私はアルシエル。お前の姉だ。よろしく、スララ」
それが――スララとの出会い。
あるいはアルシエルが最も幸せだった頃の記憶。幸福の絶頂に包まれていたアルシエルは、けれど数週間後、悪夢を見ることになる。




