第17話 湯浴みのスララ
「今日は面白かった~。またやりたいな」
長丁場となった闘技がようやく終わり、牢屋に連れられてスララは振り返った。
「うん、そうだね。フレスベルグの新しい一面も見れたし。今日は……楽しかった」
こんな牢屋で、そんな言葉が出るなんて彩斗は自分を意外に思う。それだけ彩斗がゲームに順応してきたことであり、着実に前に進んでいる証だろう。エルンストとフレスベルグという協力者も得て、彩斗の心は今まで以上に落ち着いていた。
「でもスララ、あんまりフレスベルグと風船作りするときは、本気出したらダメだよ」
「え~、やだよ~。わたしだって勝ちたいもの。勝負は勝負。いつでも本気~」
それに、意外なスララの一面も見れた。
のんびりとした語尾の割に、彼女は勝ちたがりでもあった。もしかすると、それが闘技でも良い動きをしていた理由なのかもしれない。夜津木やサイクロプスとの闘技中、彼女はうまく立ちまわっていた。
段々とパートナーの少女のことがわかってきて、彩斗が嬉しく思っていると。
「雑談はそれまでダ、人間。スライムの娘。戦いの駒であるオマエたちが、楽しく過ごすなど意味がナイ」
ぎょっとして、彩斗は格子の方を振り返る。
ガーゴイル。
石の番人。天空宮殿を徘徊するアルシエルの下僕は、石の牙を剥き出しにして、奇怪な笑みを浮かべていた。
「湯浴みの時間ダ。アルシエル様の駒として、清純な体を保ってイロ。わかったナ」
ガーゴイルが右肩に担いでいたのは大きな樽。それに、反対側の肩には木の桶だ。大小二つの桶。それらを降ろした後、ガーゴイルは格子の鍵を開けると、樽と桶を持ったまま牢屋に入ってきた。
思わず、壁際まで後退しながら、彩斗は問いを発する。
「湯浴み……?」
「そうダ。戦闘人形たちヨ。オマエたちは数日に一回、体を綺麗にしておくことガ義務付けられてイル。この『レスラルの実』が混ざった湯で、清潔な体を保っておくことダ」
ギヒヒヒ、と奇怪な笑いを発して、ガーゴイルは出て行った。
後には大きな樽。それに木の桶が残される。彩斗とスララは互いに顔を見合わせて、
「湯浴み……だって。そういえば、ここに来てから、お風呂に入ったことなかった……」
「そうだね~。わたしはリコリスで毎日体を拭いてるから、汚くはないけど……こういうこともするんだね。へえ~」
彩斗は、何だか牢屋内が、芳醇な香りで満たされているのに気付いた。
樽の中を試しに見てみると、湯気の奥に親指ほどの木の実がいくつか浮いており、そこから香りが放出されているようだった。
「……何か、木の実があるけど……これがさっきガーゴイルの言ってたやつかな」
「うん。レスラルの実だよ~。エレアントでは有名な木の実なの。体に塗ると、すっごく綺麗になるんだって。お湯に入れても効果があるんだよ~」
「……そうなんだ。でも、なんだかな……」
普段は牢屋に押し込めるくせに、こういうところには気を払う。本当に、自分たちはアルシエル・ゲームの駒なんだと言われた気がして、彩斗は微妙な表情になる。
けれど、スララは違う感情を抱いていた。
「やったー、湯浴みができる~。いつまでもリコリスで拭くの嫌だったから、良かった~」
ぴょん、と体を跳ねさせて、喜びをあらわにする。水色の髪が躍った。リコリスが陽気に揺れていく。本当に嬉しいのだろう、見ているだけでうきうきが伝わってくる。
「……スララは、入浴、好きなの?」
「うんっ。大好きだよ~。集落でね、よく近くの川とか湖とかに行ってた~。多い時には一日に四回、入浴してたよ~。たまに気持ちよくて寝ちゃうこともあってね、そうしたら集落の人が探しに来るの」
ちょっと奔放なスララに彩斗は微苦笑した。集落の魔物たちも、きっと呆れて見守っていたに違いない。
「じゃあ彩斗~、わたし先に湯浴みするね」
「うん。心ゆくまで愉しむといいよ――」
言いかけて、彩斗は固まった。
――あれ。でもこれ、マズいのでは。
湯浴みということは体を洗うということで、当然、服は全部脱ぎ捨てることになる。
けれど牢屋には彩斗とスララ。少年と少女。このまま全身の素肌を晒すのは、ちょっとマズすぎる。
彩斗の脳裏にはスララの白い肌、丸みを帯びた体、彼女の生まれたままの姿がありありと映されていく。
思わず現実のスララにも目が行ってしまう。普段は意識しないがスララは比較的短いスカートで、真っ白なももがいつも出ている。闘技の間はいくら激しく動いてもリコリスの鎧で覆われているので、めくれることはなかったが、その乳白色のももが、そして他の全ての素肌が、湯浴みの時はあらわになるのだと思うと――。
「す、スララ! 仕切りがいるよね?」
思わず声が裏返ってしまった。
「どうしたの、彩斗。声が変だよ~」
「な、なんでもないよ。それより、湯浴みする前に仕切りを作ろう。このままじゃダメだよ、うん」
「? どうして~」
「いや、だって。お互い裸が見えたら嫌でしょ。遮るものがないと」
けれどスララは、小さく小首をかしげるだけだ。
「わたしは別に気にしないよ~。彩斗が目を瞑ってくれれば大丈夫~。わたしも彩斗が湯浴みするときは目をつぶる~」
「いやいやダメだってっ。そもそもボクだって恥ずかしいし。仕切りを作ろう、ほら、早く!」
「……ん~、わかった。彩斗がそう言うならそうする~」
彩斗はほっと胸を撫で下ろした。
仕切りと言っても、カーテンがあるわけではないので間に合わせである。二つの鉄製のベッドの上にある薄布をそれぞれ使い、端の一方を格子に巻きつけ、もう一方はベッドを縦にして、その足に結びつけるのだ。
「わ~、即席のカーテン~」
晴れやかな笑顔でスララが手を合わせる。
「それじゃあスララ、ボクはこっち側で暇潰しをしてるから。君は向こうで湯浴みして」
「うん、楽しみだよ~」
スキップでもするような勢いで、スララは薄布の向こう側に姿を消した。
しかし困った。すぐに彩斗は己の浅はかさに気付いた。
衣服が落ちる音が聞こえる。スララが自分の衣装を脱いでいく音が次々と耳に入ってくる。それは小さな音なのだが静けさに満ちた牢屋内ではよく聞こえてきて、意識しなくとも耳に届いてしまう。
しかも光源が壁に取り付けられた篝火なのがまた問題だった。篝火の明かりに照らされたカーテンの向こうで、スララのシルエットは克明に映し出されている。彼女が服を脱ぐ度に魅惑的な曲線が、これでもかと浮かび上がってくる。
丸みを帯びた肩。緩やかになびく髪。細い手足と誘惑するように動くリコリス。可愛く張り出した尻は楽しげに何度も揺り動かされ、その反動でなかなかに実った双丘が惜しげもなく弾んでいく。
見てはいけない!
そう彩斗の中では理性の叫び声を上げているのだが、心の奥で抗えない興味や衝動が大きな波となってみんなかっさらっていってしまう。
普段はケープを着てるからわからなかったがスララは出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる。
起伏豊かな曲線美に彩斗が見惚れていると、カーテンの向こうでスララは桶を拾い上げた。そして楽しげに樽から湯を掬い上げ、ザバァッと、全身にかけていく。
「は~、気持ちいい~」
うっとりとしたスララの声が聞こえてくる。彩斗はうろたえた。桶から湯が掬われて、体に振りかけられるごとに、陶酔というか陶然というか、スララの恍惚とした甘い声が聞こえてきて彩斗の胸を高鳴らせる。
「やっぱりお湯はいいよ~、最高すら~」
るんるんと、鼻歌を歌いながらスララからご機嫌な声が奏でられる。カーテンの向こうで小さく踊りだした。盛り上がった双丘がぽよんと揺れる。
もう無理だった。これ以上は見てはいられなかった。彩斗の中では理性がやっと戻ってきて、ようやく目を逸らすことに成功する。
「わ~、あったかーい」
けれど、
「ねえねえ彩斗~、すごく気持ちいいよ~」
スララのとろけるような声が、
「は~、生まれてきて良かった~」
嬉しそうに聞こえてきて、生まれたままの姿のスララがカーテンの向こうにいると思うと、彩斗はもう心臓がバクバクで仕方がない。お湯の跳ねる音が、スララの甘い声が、しびれるような感覚となって彼の中を走り抜けていく。
うわあ、と思わず彩斗は悶える。もっとこの瞬間が続いてほしい、でもそうすると身がもたない、でも続いてほしい! と考えては身悶えし、スララのとろけるような声に翻弄されてベッドの上で身をよじった。
ど、どうしよう。スララの湯浴みに翻弄されないためには、どうすればいい?
彩斗が、悶々とベッドの上で転がっていると――。
「きゃあっ」
スララの短い悲鳴が、カーテン越しに聞こえてきた。
「ど、どうしたのスララ!」
「彩斗、ちょっと来て、助けて~っ」
思わず彩斗は体を起こし、カーテンの向こうへ走った。強張った表情で、拳を握りしめ、まるで風のように飛び出した彩斗は、
「う……っ!?」
直後、スララの真っ白な裸身を見て、硬直してしまう。
まるで雪のように綺麗でしみ一つない肌。顔はほんのり上気していて湯気がほのかに立ち上り、濡れた髪の毛が細い首筋にいくつも絡み合っている。胸や局部こそリコリスで隠されてはいたが、形の良い尻が目に入って、思わず彩斗は唾を飲み込んだ。
しかし。
「彩斗、助けて~、クモが出たの」
スララの声にハッとする。見れば、彼女が指し示す方向、部屋の隅に拳ほどの大きさのクモがいた。
「く、クモ!? でかいっ、なんでこんなところに!?」
「助けて彩斗~、わたし、クモが苦手なんだよ~」
怯えた様子のスララに、彩斗は庇うように前に出る。
クモは不気味だった。体表が何十本もの太い毛で覆われており、紫と黄色の模様が全身に行き渡っている。嫌悪感を煽るのは背中に無数にある球体。それらはぴくぴく蠕動し、不定期に光っている。
「マダラコグモだよ、エレアントにいる毒グモなの。怖い~っ」
声をわずかに震わせて、スララが服の袖を掴んでくる。
彩斗は決然とコンバットナイフを抜き出した。腰を低くしていつでも対応できるよう、柄を握りしめ、空いた片手でスララの手をぎゅっと握りしめる。
刹那、マダラコグモが飛び込んできた。
「うわっ!?」
凄まじい勢いの跳躍に声が裏返る。コダラコグモは身軽だった。そして速かった。八本の足を盛大にたわめ、一瞬とも言える間に距離を詰めると、一直線に彩斗の顔面へ飛び込んできた。
「くっ」
とっさにコンバットナイフを翻して弾いたが、それだけでは毒虫は諦めない。背中の球体をひくひく蠢かせ、横移動、縦移動を繰り返すと、淡紅色の眼が発光。またもや顔面へと迫ってくる。
「この、来るなっ!」
ナイフの腹が、マダラコグモの胴体に直撃する。
大きく弾かれた毒虫は格子へと激突。なおも彩斗が斬りかかっていこうとすると、小さく跳ねながら逃げていった。
篝火の明かりで生まれたクモの影が、しばらくの間だけ映しだされていた。やがてその跳ねる影も遠ざかり、苦難が去ったことを確認すると、彩斗はほっと息を吐く。
「やった……撃退できた」
「ありがとう~、彩斗っ」
「うわっ!?」
裸身のまま、スララが抱きついてくる。予期していなかったので彩斗は受け止めきれなかった。
そのまま押し倒される形になって身が崩れる。どさっと背中で小さく音が鳴る。
「す、スララ……」
「本当に怖かった~、でも彩斗がやっつけてくれた。ありがとう~」
湯浴み直後の頬を紅く染まらせて、スララは満面に笑顔を浮かべてくる。
前髪から数滴の雫が滴ってきた。剥き出しの濡れた上半身が押し付けられ、むにゅっと柔らかな感触がしてくる。
慌てて彩斗は手を振り回し、
「わ、わかったから! スララ、落ち着いて。そんな格好で抱きつかれると、その……っ」
彩斗が顔を真っ赤にしてまくし立てると、スララは自分の姿を思い出したらしかった。
至近距離で、柔肌をあらわにしていることを眺めると、
「わ、ごめん~」
少し恥ずかしそうに、リコリスで胸や局部を隠しながら離れていく。
彩斗も顔を紅くしながら起き上がる。慌てて反転しすぐさま今起きた出来事を忘れようとする。
けれど、
しゅるっ、しゅるっ。
かすかな衣擦れの音が聞こえてきて、落ち着かなくなってしまうのだ。彩斗はカーテンの向こうにいけばいいのに、そこまで気が回らず、激しく高鳴る動悸のままスララの裸身を思い出してしまって赤面する。
「えーと、あの。えーと……そうだ、クモが……苦手なの?」
そのままだと間が持たなかったので、思わず浮かんだことを口にしてみた。スララも照れていたのだろう、わずかな間を空けて、
「うん。集落で昔、マダラオオグモっていう大きなクモに襲われたの。さっきのクモの親玉だよ。そのクモのねばねばした糸でぐるぐる巻きにされて、それからだよ~、クモを見ると、怖くて跳び上がっちゃう~」
「そ、そうなんだ……」
スララにも苦手なものがあったんだな、と思って、またも脳裏に彼女の白い柔肌が浮かんできて頭を激しく振る。
彩斗が必死に雑念を振り払おうとしていると、
「……あのね、さっきの彩斗、カッコ良かったよ」
嬉しそうな声音で、スララがそう言ってきた。
「え?」
「だから、すごく彩斗がカッコ良かったよ~」
「いや……でも、必死だったから。とにかく何とかしないとって」
無我夢中だった。スララの悲鳴に、危機を抱いた。彼女は彩斗にとってかけがいのないパートナーで、苦楽を共にしてきた仲で、大きな心の支えでもあった。
初めて会ったときの救援。ゲームに巻き込まれで怯えているときの励まし。それから、どんな時でも、彼女は常に彩斗の隣で、「がんばれ、彩斗」「わたしがいるよ~、彩斗」と、かいがいしく言葉をかけてくれたのだ。
もう、彩斗は励まされるだけの自分なんて嫌だった。
スララが窮地に陥れば、進んで立ち向かう覚悟があった。
もしも相手がマダラコグモでなく、もっと大きな魔物でも、きっと彩斗は挑んでいただろう。
「思わず、抱きついちゃった。彩斗って、とっても頼りになるんだねっ」
そのとき、スララが振り返ったときの表情は、今まで最高の笑顔だった。
胸がどきっと高鳴るのと同時、この少女のためなら、ボクはどんな敵が相手だろうと戦える、そう彩斗は思っていた。
† †
それから、数分後。
「わ~、彩斗、どうしよう。体濡れたまま服着たから、びしょびしょだよ~」
「え、な、そういえばボクも濡れたまま抱きつかれて、制服がっ、濡れてるっ」
「早く服、乾かさなくちゃ~」
「ま、待って、待つんだスララっ、そのまま脱いだらダメだよ、ボクがいるのにっ」
「わ~、服が張り付いて変な感じだよ~。へくちっ」
くしゃみをするスララの、服がぴったりと張り付いていて、また悩ましい曲線が見えてしまい、彩斗は慌てて目を逸らすのだった。




