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レベル1の魔神  作者: サナギ雄也
第二章
18/42

第18話  夜のスララの秘密

「ねえねえ見て、彩斗~」

 晴れやかな声のスララに、彩斗は振り向いた。


「また彩斗の絵を描いてみたよ~。どうかな」

 うきうき顔のスララが差し出したのは、彩斗がノートをとっている姿のイラストだ。闘技の戦術について、彩斗がノートにシャーペンを走らせている様子を、スララが描写したものだった。

 かなり真剣な表情の彩斗になっていた。ノートに描き込んでいる彼は唇を結び、目をやや細くして、真摯な雰囲気を醸し出している。以前にスララに描いたものと比べて、より繊細に描かれたイラストだった。


「すごいよ、スララっ。ボクがまるで別人みたい」

「えへへ……彩斗が一生懸命にしてる姿を見て、思わず描きたくなったの~」

 頬をほころばせて、スララが言う。

 彼女にはノートの切れ端を渡していた。作戦などについて談義した後、気晴らしにスララが何か描きたいと言ったので、あげたものだ。また自分が描かれることになって、思わず彩斗は気恥ずかしくなる。

「ボクなんか描いて楽しいかな?」

「楽しいよ~。一生懸命にしている姿って、好きだもの。何だか、わたしまで嬉しくなる~」

 ひょこひょこっと、リコリスまで楽しげに揺れている。そんな彼女を見ていると彩斗まで何だか気分が弾んできて、自然と口の端が緩む。


 しかし、彩斗が呑気にしていられるのはそこまでだった。

「そういえば彩斗~」

「ん? どうしたの、スララ」

「彩斗の鞄って、色々面白いものが出てくるよね。他にどんなものがあるの~? 見せて見せて」

「ん、えっとね、大したものは入ってないよ。筆記用具でしょ。ノートでしょ。それからチューインガムに、教科書がいくつかあって、それから……」

 ぎくりと彩斗は顔を強張らせた。


「どうしたの~?」

「え、あ、いや、何でもないよ。そのくらいだよ、入っているのは。あはは……」

 極めてマズイものが入っていることを、彩斗は思い出してしまった。

 それはえっちな本である。この宮殿に召喚される前、学校帰りに捨てられていたのを、つい拾って、そのままにしていたのだ。

 しかし、これがスララに見られるのはマズイ。とてもマズイ。スララは穏やかな性格をしているが、さすがにこれを見て許容してくれるとは思えない。


 何しろすごく際どい内容なのだ。ちらっと開いただけで彩斗は悶絶してしまった。ほとんど永久保存級の本。そんなものを、女の子であるスララに見られたら――。

『やだ~、彩斗、変なの持ってる~』

『こんなハレンチな格好が、好きなの~?』

『彩斗のこと見損なった~。変態、変態。近寄らないで~』

 ――や、やばい! そんなことになってしまったら、どうしよう!


「ねえねえ、彩斗、わたしその鞄の中身、見てみたいな。ちょっと開けてみてもいい?」

「だ、だ、ダメっ!」

 慌てて血相を変えて、彩斗は鞄に近寄ろうとするスララに立ちはだかる。

「この中にはね、大したものは入ってないんだ。この前出した缶ジュースやチューインガムの他は、どうでもいいものなんだ。だから見る必要はないよ」

「え、なんだ~、そうなんだ~」

「そうなんだよ。あはは……」

 スララは、興味をなくしたように、背中を向くと見せかけて――。


「彩斗、怪しい~。やっぱり中を見てみる~っ」

「だだ、ダメだって、見ちゃダメだよスララ!」

 腕を伸ばそうとするスララを必死に彩斗は押しとどめる。しかし彼女も簡単に諦めたりしない。飛びかかる。彩斗が鞄を下げる。スララが再び飛びかかる。彩斗は血相変えて、逃げまわる。


「む~、彩斗が鞄の中、見せてくれない」

 下唇を突き出して、不満そうにスララが言った。

「あ、諦めてくれないかなスララ。本当に大したもの入ってないんだ」

 しかし、スララは何やらリコリスを二房とも伸ばすと、うねうね、くねくねとうごめかせた。

「え。ちょっとスララ。リコリスはマズイって。それは反則だって。そんなの使われたら、ボクはどうしようもないってば……っ」

「じゃあ見せて~。気になる~」


「見せられるわけがないよ! 許してスララ、これだけは無理だって。あっ、スララ、リコリスを伸ばすのやめて。包囲するのをやめて。ああっ、鞄が巻きつかれた……っ、スララ、やめて、うわああっ、鞄っ、取らないで――っ」

「彩斗の秘密、発見~♪ わくわく、何が出るかな、何が出るかな~」

「見たらダメだってば、ダメだよぉおお、スララぁ――っ!」

 彩斗の抵抗もむなしく、あられもない女性ばかりの雑誌が、スララの前に晒されたのだった。



 数分が経って。

「わ、わたし、彩斗に服をひん剥かれて、こんな恥ずかしい格好にされちゃう~」

「ち、違うっ、ボクはそんなことしない! 信じてスララ!」

「胸がすごい人いっぱいだよ~、あられもない格好の人ばかりだよ~、あわわ、この人、とっても艶かしい~っ」

「違う、違うんだってばっ、スララ、本を返してっ!」

 頬を紅く染めて、それでもページをめくり続けるスララと、慌てる彩斗。

 二人の夜は、まだまだ長く続いていくのだった。


†   †


「ああ、まったくひどい目に遭ったよ……」

 彩斗の秘密の本騒動からずいぶんと時間が経って、真夜中。

 彩斗はようやく、寝床に入ることができた。


 すでにスララは横になっている。さっきまでの騒ぎを思い出しているのか、何やら「うう~ん、肌色、肌色がいっぱいだよ~」「きゃ~、彩斗、そんなところでそんな格好になったらダメだよ、周りに人がいるよ~」などと、いったい夢を見ているのか、さっきから不安になってくる。

 けれど、なんだか、そんな時間でも、少し楽しかった。

 馬鹿な騒ぎではあるが、気持ちがほのかに高揚して、笑みが溢れていく。

 スララとの交流は、穏やかで、優しくて。

 心地よい感覚に浸りながら、彩斗は意識を休息へと向けていく。

 思えばアルシエル・ゲームに巻き込まれてから、一番明るい気持ちのままの睡眠だった。今後への不安や恐れなど感じられない、もっと前向きな気分が芽生えた上での時間が訪れていた。


 安心感が自分を包んでいるのだと、彩斗は思った。スララと一緒にいるだけで、心は満たされていく。

スララが頬を染める表情が忘れられない。恥ずかしそうにしつつ、本をめくる彼女を思い出すと、微笑ましさや愛おしさ、守りたいという気持ちがすくすくと芽生えていく。

 色んなスララが彩斗の脳裏の中で躍っていた。その中で、彼女は時に明るく、時に優しく、時には凛々しい表情をして、彩斗の隣にいるのだ。


 幸せな夢を見た。

 数多の激戦を潜り抜け、全ての闘技を勝ち抜き、アルシエル・ゲームで優勝した彩斗が、勝ち抜いた証である本、想示録を高く掲げている。

 傍らにはパートナーであるスララ。目の前にはアルシエル。

 黒いウェディングドレスのような衣装を揺らし、傲岸な口調を使いながらも、ゲームの主催者たるアルシエルは、闘技を勝ち抜いた彩斗とスララに、惜しみない賞賛の言葉をささやいていく。

 彩斗はその口上を前にして、高揚感に包まれていた。スララと戦い、何度も繰り広げた激闘。苦しくて、何度も諦めかけたけど、その度に彼を救ったのは、スララの笑顔と励ましの声。


『彩斗~、頑張って』

 夢の中で、スララの声が鳴り響く。

『彩斗、すごいよ~。えへへ』

 愛らしい笑みを浮かべる彼女と共に、激闘を潜り抜けていった。強敵がいた。難敵がいた。策を張り巡らす強者で苦戦したし、英雄に相応しい傑物もいた。

 けれど、それら全てを、スララと共に退けた。

 夢の景色はスララの励ましの言葉でいっぱいだった。長い戦いの中で培われた信頼が瞳の中に込められ、繋いだ手のぬくもりが彩斗を暖かくさせる。


 優勝した喜びが大きすぎて、彩斗はよろけてバランスを崩す。つい、スララの方へ倒れてしまった。少し慌てながらも、受け止めるスララ。笑う彩斗。「ごめん」と謝りながら、彩斗はスララに肩を貸してもらい、態勢を立て直す。

 その瞬間、彩斗は自分の右手の火傷の痕が目に入った。弾みで、スララの肘のところの火傷の痕も、目に入って――。


    え?


 幸せな夢の中、わずかに意識を持っていた彩斗は、不自然な点に気が付いた。

 いま、自分は何を見ていた?

 夢。

 夢だ。もしも順調に闘技を勝ち抜いていき、アルシエル・ゲームを制覇したら、という仮定の夢。幸福な光景。理想のビジョン。

 でも、そのどこかにおいて、明らかにおかしな部分がある。

 ――火傷の痕がなかった。

 スララの右の肘に、あるべきはずの火傷の痕がなかった。


 アルシエル・ゲームに召喚された者たちは、全員が右腕に火傷の痕を持っている。

 例外はない。何日もかけて調べた。その末に、結論づけた。

 そして何より、エルンストと初めて会話をしたとき、話の流れで、スララの火傷の痕も確かめたではないか。彼女はケープをまくり、肘にある火傷の痕を見せてくれたのだ。

 じゃあ――いま見た夢のスララの肘は、どうして綺麗なままだったんだろう。

 あれほど克明に見たのに。確かにスララの肘には火傷の痕があると、確認したのに。それでも彩斗の夢のスララは、綺麗な肘を持っていた。


 ドクン。

 一つ思い出したことがある。

 彩斗はこの幸せな夢の前に、火傷の痕がないスララを見たような気がする。

 ドクン。

 それはいつだっただろうか。そんなに前のことではない。むしろ今日の出来事。夢に出るほど強烈な瞬間があり、それを元にして、夢のスララは構築された。

 それはいつだっただろうか。

 本の騒動のとき? いや、違う。あのときスララは衣装を着ていた。

 もっと前。

 思い出す――それは、湯浴みのためにスララが服を脱ぎ、マダラコグモが出た後。真っ白な太腿や、豊かに実った胸、そして『綺麗な腕』を見た、あの瞬間。

「――っ!」

 かすかな物音を聞き止めて、彩斗の意識が完全に浮上する。

 二人しかいない牢屋の中で、すぐ隣から音が聞こえた。


 民族衣装が織りなす、かすかな空気の乱れだ。鋭敏化された彩斗の意識が、スララがリコリスのベッドから起き上がり、ゆっくりと床へ足をつける気配を感じ取る。

「――」

 かすかな呼吸音と共に、スララはベッドから離れて行く。足音はしない。スララは裸足だった。集中していなければ感じ取れないほどわずかな衣擦れ音だけで、スララは格子の方へと歩み寄った。


 何をする気だろう。

 ひょっとすると、なんてことはない行動かもしれなかった。眠っていたら、たまたま目が覚めて、なんとなく起き上がっただけかもしれない。格子のそばに寄ったのも意味はなく、ほんの気まぐれ。だから――別に気にすることはない。

 そのはずなのに、彩斗の心臓はドッドッドッと信じられないくらい高鳴っていた。


「――」

 かすかにスララが動く気配がする。我慢できずに、彩斗は、目を薄く開けた。

 スララが、リコリスの先端を変形させていた。

 それは鍵のように見える。複雑なギザギザがついていて、手のひらサイズの鍵。スララはリコリスを動かすと、その先端の鍵を、格子の穴に差し込み――。


 カチリ。

 あり得ない音が鳴る。

 開いてはならない格子、闘技になるまでには絶対に開けられないはずの格子が、スララのリコリスによって、開けられた。そして少しずつ、開閉音が鳴らないよう、格子をずらし、スララは外に出ていこうとする。

 ――夢だと思いたかった。

 スララは格子を完全に開けた。

 ――何かの間違いだと思いたかった。

 スララは牢屋の外に出た。

 そして彼女はきょろきょろと廊下の様子をうかがい、誰もいないことを確かめると、しっかりとした足取りで、廊下の奥の方へと歩いて行った。


「――っ、――っ!」

 声を出そうとしても出ない瞬間があることを、彩斗は知った。

 あり得ない。頭の中はそんな単語ばかりで、他には何も浮かばない。いや、「嘘だ」という単語と、「なぜ?」「どうして?」という疑問がいくつも飛び交っている。そして直後に浮かび上がるのは、「追いかけるべきだ」という焦燥感。

 彩斗は、物音を立てずに、リコリスのベッドから降りた。

 そしてスララと同じように、靴を脱いだまま格子のところまで寄っていった。

鍵は閉められてはいない。忘れたのか、何らかの手間が掛かるのか、何にしても彩斗のやることは一つだった。ゆっくりと格子をずらし、体をくぐらせる。


 彩斗は、牢屋の外に出た。

 本来ならあり得ない状況だった。けれど深く考えている時間はない。気配は右の方にあった。スララは廊下を右に進んでいったらしい。彩斗は壊れそうなくらい速く鳴る胸を押さえながら、彼女の後を追っていった。

 薄暗い通路の中で、篝火が並んでいる。空気は湿っぽく、硬い石の床がどこまでも続いている。

 いくつもの格子が見えた。他のペアが閉じ込められている牢屋だった。彩斗は思わず息を呑む。もしも牢屋を抜けだしたことが他のペアにバレれば、騒がれるかもしれない。

 けれどその心配はなかった。廊下の幅は広く、大人が十人手を広げてようやく端に到達するほど。牢屋と反対側の壁に添って歩けば、薄暗い空間が彩斗の姿を隠してくれる。


 しばらく歩くと、スララの背中が見えた。

 落ち着いた足取りの彼女の後ろを、二十メートルの間隔を開けて彩斗はつける。

 心臓が恐ろしいくらい速く鳴っている。その音でスララに気づかれるのではないかと思ったが、彼女はただ前に進むだけで、後ろには注意を払わない。

 長く薄暗い廊下を進んでいくと、時折石像が立っているのが目に入る。

 ぎょっとして彩斗が見ると、その石像はコロシアムの石像と同様のものだと気付く。過去のゲームで石化された人間や、魔物たちの成れの果てが、牢屋の層にも点在しているのだった。


 あっと彩斗が声を上げかけたのは、それから少し後のことだった。スララの行く先から、ガーゴイルが向かってきた。

 けれど、ガーゴイルはスララなどいなかったかのように素通りした。まるで、彼女がいることを承知しているかのように。一瞬だけ石の番人はスララを見ると、そのまますれ違ってしまった。

 どうして。

 なぜスララは、ガーゴイルに見つかっても、何もされない。

 疑念が彩斗の頭で渦巻くが、深く考える余地はない。彩斗は点在する石像の一つの陰に潜み、ガーゴイルをやり過ごす。無事に通り過ぎたのを確認してから、震える足取りで後をつけていく。


 長く、薄暗い空間をどれだけ歩いたのだろう。やがて見えたのは、真紅のカーペットがひかれた階段だった。その階段を、スララは慣れた様子で上がっていく。左右を高い壁に覆われた、長い階段だった。彩斗も後に続く。

 そして階段を登り切り、T字となった角をスララが左に曲がった後だった。信じられない言葉が、彩斗の耳に飛び込んできた。

「お帰りなさいませ、スララ様」

 背中に電撃が走ったような間隔が、彩斗を貫いた。

T字の角から様子を伺うと、スララが微笑み、相手を労っているのが見えた。


「うん、ただいま~。異常は何もない?」

「ございません。今晩は特別に平穏でございます」

 メイドだ、スララに声をかけたのは給仕姿の少女だった。人間ではないらしく、尖った耳をした少女は、フリルのついた黒の衣装で折り目正しく礼をすると、一歩下がった。スララから小さく「ご苦労さま~」という声が聞こえた。


 恭しく礼をしたメイドの少女が、傍らの扉を開ける。精緻な彫刻が施された扉だった。スララがそこを潜っていった。そして、聞こえてきたのは、この宮殿の支配者の声。

「お帰り、スララ」

「ただいま~、アルシエル」

 思考が完全に停止した。彩斗は彫像のように凍りつく。見えるのは、スララが親しげに話しかける様子。そして、彼女に優しく声をかける魔神アルシエル。


 それ以降は、もう彩斗は何にも見えないし、考えられない。

 メイドの少女によって扉が閉められた後、彩斗は来た道を引き返し、牢屋の中でがたがたと震えるしか、できなかった。

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