第12話 三つの異名を持つ魔神
「短槍が砕かれたぜ」
グルゲンが顔をしかめさせて呟く。
「ああ、おれは体のあちこちが痛え」
ワストーが忌々しげに唇を歪めていた。
彩斗たちがエルンストと決意を固めているのと同時刻、撃退されたワストーとグルゲンは、忌々しい声音を交わし合っていた。
「ちくしょう、あの白衣の野郎め、くそったれな液体ぶっかけやがって。服が変な風に動いたせいで、まだ手足が痛え」
「あの風使いの小娘、ゴミみたいにおれを吹き飛ばしやがった。ちくしょう、次の闘技の鑑賞になったら、ぶっ飛ばしてやる」
いきり立って両拳をがつんとぶつける髭面のグルゲンだが、すぐさま激昂を抑える。
一度戦っただけで、実力差は身に染みた。一対一で挑んでも、絶対に勝てないとわかってしまうほどの強豪だった。
エルンストとフレスベルグ。
今、この瞬間も、あの白衣の青年と長い髪の少女はコロシアムの対岸で話をしている。主に口を開いているのはエルンストで、フレスベルグはあくびばかりしているが、コンバットナイフを持つ少年と、半透明の髪の房を持つ少女は、意気投合したかのように、交流を行っている。
何とかしてあのエルンストとフレスベルグを引き離したい。あの彩斗とか言う少年のコンバットナイフを奪い、戦力を少しでも補強したい。
特に愛用の短槍を失ったグルゲンは、ほとんど死活問題となった状況だ。エルンストたちに撃退された屈辱、これからの不安、それが入り混じり、焦りを増殖させている。
「全てのペアのうち、見た中じゃあ、あの彩斗って小僧から奪うのが手っ取り早かったはずなんだが」
「その通りだよなあ。夜津木との闘技はあ、の半透明の房の小娘のおかげだしなあ。とりあえず武器は確保しとかねえと、武器の消耗がやばい」
そのとき、ワストーとグルゲンの背後に、二つの気配が歩み寄った。
一つは細長い体躯の鳥。後頭部に二本の羽毛を持ち、灰色がかった白と、晴天の空の色をそのまま塗りたくったような鮮やかな色素を持っている。
青鷺に似ているその魔物は、名前をベヌウと言い、『不死鳥』とあだ名される、生命力に長けた存在だった。
もう一体はカトブレパスと呼ばれる魔物だ。巨大な頭部、太い四肢、体長は五メートルを超え、長く鋭利な爪と、強靭な尾を持っている。何より目立つのは額にある、三本の太い角。そして、目は金属のプレートで覆われていた。細いベヌウと並ぶと、屈強な体躯が際立っている。
「戻ったか、ベヌウ」
「お前もよく偵察に向かってくれたな、カトブレパス」
「グモオー」
カトブレパスが低い唸り声を発した。強力な能力を持つカトブレパスだが、人語は話せず、複雑な命令も聞かないのだった。
反対にベヌウの方は、
「やれやれ、人間に使いっ走りされるとはわたくしも落ちたものです。わたくしは高貴な生まれの魔物。本来は人間どもの言葉に耳を貸すのも我慢ならないのですが、ゲームの攻略のためには、致し方ありませんね」
高圧的な態度で、不満を隠しもせずに口にする。ワストーたちは苦笑半分、頼もしさ半分の顔のまま、
「いつ見ても正反対な魔物たちだな」
「まったくだ。おしゃべりと寡黙な魔物、怪物にも個性ってやつがあるわけだ」
ワストーとグルゲンは低く笑い合う。
自分たちはじつに運がいい。ベヌウとカトブレパス、強力な魔物をパートナーにしてもらえたのは、何かの天啓としか思えない。『不死身』という使い勝手の良い能力を持つベヌウと、『視線で対象を即死』させるカトブレパスがいれば、いかなる魔物も怖くない。
目元に金属のプレートをはめたカトブレパスを見上げて、グルゲンが愉快そうに言う。
「カトブレパス、次の闘技の時間、もしも戦う組に選ばれたら、普通に戦え。だが今日みたいな観衆に選ばれたら、さっき伝えた作戦の準備をしろ。頭が足りないお前でも、うまくできるだろう」
言われると、カトブレパスはグモオーと野太い声を発した。
「その代わり、わたくしに負担が押し付けられているのですが」
ベヌウは後頭部の長い羽毛を揺らして、不満そうに語る。
「まったく人間とは弱い生き物ですね。作戦もないと満足に戦えないとは。本来なら、あなたたちも参加すべきなのに。たかが一度負けたくらいでわたくしの力を借りるなど、何様のつもりなのでしょうか」
ベヌウのパートナーであるワストーが顔をしかめた。
「いいか、本当なら別のペアを襲うつもりだったが、標的はエルンストって青年と、フレスベルグとかいう小娘に変更だ。あいつらは邪魔だ。今後もおれたちの支障になるだろう」
忌々しく声音を歪ませ、
「準備は五日かける。ベヌウ、お前は指示を受けたら、奴らに襲いかかれ。言われた位置にまでおびき寄せろ。その後は、カトブレパスが終わらせてくれる」
ベヌウは針のように細い脚で床を叩いた。
「いいですとも。まあ今のうちは手を貸しましょう。ゲームはパートナーを倒してしまったら石化。不死鳥のわたくしでも、それは防げない。今はあなたたちに協力しましょう。業腹ではありますが」
「そうだ、それでいい。まず、強い奴を減らす。そして、弱い奴から武器を奪う。くくく、おれたちの勝利は、揺るぎない」
五日後が楽しみだ、とワストーとグルゲンは肩を抱き合って笑い合う。
本当ならばカトブレパスの『視線』で、強者も弱者も一掃してしまいたいが、そこまで連射はできないし、そもそもアルシエルがそんなことを許すわけもないだろう。
命のないガーゴイルや、その主であるアルシエルにはおそらくカトブレパスですら敵わない。
だから少しずつ動く。ゲームを、アルシエル・ゲームを生き抜くために。
彩斗とスララ、それにエルンストとフレスベルグが、火傷の後に関して言葉をかわしていたのと同時刻。
ワストーとグルゲンは、邪悪にほくそ笑んでいた。
上には上が、いるとも知らずに。
† †
金属音がかち合う音がする。
氷雨と紅蓮が交差し、岩場を薙ぎ払う。荒々しい爆音が鳴り響き、その直後、盛大に土煙が巻き起こる。
激しい闘技が続けられていた。
もうすでに、開始してから半刻ほどの接戦だ。筋骨隆々の巨漢と、子供の体躯の妖女。どちらもが実力者である激闘は、光と衝撃波を撒き散らしながら、いつ終わるともなく続いている。
「それでですね、火傷をしたときの状況を教えてほしいんですけど……」
「はあ? うるさいわねぇ。どうしてあたしがそんなこと教えないといけないの?」
闘技が決戦の舞台で行われている最中。彩斗はスララと共に、観衆場で聞き込みに走り回っていた。
丁寧な口調で聞き込みをしたのだが、相手の反応はいまいち芳しくない。
彩斗は相手を変えて同じことを頼んでみた。
「――というわけなんですけど、火傷をしたときって、どういう状況でしたか?」
「うるせえな。どうでもいいだろ。こっちはいらいらしてんだ。すっこんでろボケナスがっ」
あんまりな対応に、彩斗は少し涙目になる。
「……スララ、ボク、聞き込みもできないなんて、心が挫けそう……」
「彩斗~、交代して。わたしがやってみる~」
スララは男に対し上目づかいで、明るい声を出しながら頼んでみた。
「あの、じつは火傷の痕について、調べないといけないの。教えてほしい~」
ちょっと潤んでいて、おねだりするようなつぶらな瞳。
男はスララの可憐な姿を見て、むっつりと、
「――ふん。まあそうだな。この傷は、故郷の戦争でできたものだ」
「そうなんだ~。すごく痛そう。きっと、辛かったんだね……」
「そんなことはねえよ。俺にとっては勲章みたいなものだ。傷なんてのは」
「わ、強いんだ~。そういう人、憧れるよ~」
「ん? いやー、ははは。自慢じゃないが槍の腕はそこそこだ。見るかい?」
ひまわりのような笑顔で、スララは嬉しそうに言う。
「わあ、すごーい。それで、火傷したときのこと、もっと聞かせてほしい~」
「おお、なんでも言っちゃうぜ」
スララは火傷したときの状況を洗いざらい教えてもらった。
晴れやかな笑顔で、彩斗の所へ戻っていく。
「やったよ~、彩斗。ばっちり教えてもらっちゃった~」
にこやかなスララに彩斗は苦笑しか出ない。
けれど、少しだけスララは照れたような笑みを浮かべてみせて、
「でも、難しいね。失敗したらどうしようって思うと、ちょっと体が震えてる~」
言って、スララは可愛らしい力こぶを作り、
「でも、頑張るよ~。もっとたくさんの人から、情報をもらってくる~」
「うん、そうだね、ボクも出来る限りやってみる。スララ、絵のときのリベンジだよ、競争だ。今度こそスララに勝つ」
「わかった~、負けないよ」
決意も新たに二人はそれぞれ聞き込みに奔走する。
結果は――スララが八人成功で、彩斗は一人の成功。
圧倒的に、スララの勝ちである。
「……ボク、いらないんじゃないの? スララがいれば全部大丈夫な気がしてきた……」
「彩斗、しっかりして! 初めからうまくいく人なんて、いないよっ」
「スララに言われても説得力がない……。くそぉ、ボクは生まれ変わったら女の子になってやる。そしてスララに勝つんだっ」
「彩斗が悔しさのあまり混乱してる~、ダメだよ、戻ってきて~」
目的が変わっているうえに、しばらくしょげた彩斗だったが、それなりに情報を得ることはできていた。
――あの日、共同で動こうという宣言から、流れるように三日が過ぎている。
その間に彩斗たちは他のペアに聴きこみを行い、いくつかの情報を得るため奔走に勤しんでいた。
主に、彩斗は火傷の痕を負った経緯についての調査。それと、元の世界での身分の聞き込み。
これはゲームに巻き込まれた人間や魔物に、どれだけ共通点があるかというものだった。火傷の痕や元の世界での共通点が見つかれば、アルシエル・ゲームについて何らかの打開策が出てくるかもしれない。
エルンストの方は、その聞き込みに加えて、無数の牢屋の壁に書かれた文字の解読と、それに必要な薬品の調合だった。
難航しているのは、その解読薬の調合だった。エルンストは様々な物質と物質を掛けあわせて新たな物質を作り出す、『調合』という技術を持っているのだが、手持ちの道具だけでは、満足に行うことができなかった。
本来なら専門の施設で、大掛かりの手順で行わないと純度の高い物はできない『調合』。手持ちの器具だけでは、簡素な調合だけなら可能でも、本格的なものと比べると効率は落ちる。
その結果、牢屋の文字の解読はなかなか進まず、材料集めにも苦慮していた。
解読薬にも材料が必要だった。その主な材料は、特定の鋼材と、動物の血液や体毛だ。それらを特殊な粘液と共に、数千度の炎で一晩熱し、特殊な粉末をかけるとようやく解読薬は完成するが、まず鋼材を確保するのが困難だった。
エルンストが持っていた鋼材だけでは到底足りず、自分の武器を溶解して少しでも足しにしている有り様だ。それでも足りないため、他のペアと交渉して、武器を譲ってもらい、それを分解あるいは溶解して、鋼材を確保しようともしている。
だが、自分の武器を譲ってくれるペアなどほとんどいない。交渉を重ねても、なかなか良い返事はもらえない。
聞き込みは順調だったが、肝心の牢屋の文字の解読は微速という現状に、彩斗はもどかしさを覚えていた。
それどころか、これを続けてアルシエル・ゲームを終わらせるきっかけになるのかと、胸の内に暗雲が立ち込める。そもそも、聞き込みでの彩斗の成功率は、著しく低い。
不器用さがわかって、少し嫌になってくる。
「ほら、彩斗、早くエルンストたちと合流しようよ~。彩斗も頑張ったんだよ。少しずるでも、前に進んでるはずだもの、がんばろう~」
落ち込みかけているとき、彩斗にとっての心の支えは、スララだった。
どんな時でも、彩斗がつまずきそうになると、彼女は優しく声をかけてくれる。春の日差しのような笑顔を向け、「がんばろう、彩斗」「大丈夫だよ~、彩斗」と、かいがいしく励ましてくれるのだ。
夜津木戦を経て、彩斗は少しずつ強くなってきていた。しかしそれでも時折だがへこみそうになる。いつ終わるとも知れないアルシエル・ゲームの重圧に、潰されかけるときがある。
けれど、そんなとき機敏に察して、スララは柔らかい笑みを向けてくれていた。
それだけで、もやもやとした胸の不安が祓われていった。スララの優しげな口調、案じる声、そうしたものが彩斗の全身に染み渡り、新たな活力が沸いてくるのだ。
彩斗が、戦いの素人同然にも関わらず様々な人へ声をかけられるのは、スララの存在が大きい。
相手が全身傷だらけの大男だろうが、人を何人も始末してそうな妖女だろうが、隣にスララがいるだけで闘志が沸き起こってくる。
いくら感謝してもしきれない。自然と、彩斗はスララのことを大事に思うようになっていた。
「? どうしたの、彩斗~」
思わずスララを見つめていると、彼女はひょこひょこっとリコリスを動かしてきた。
「ううん、スララがいてくれて良かったな、って思ってた」
「えへへ。そう言われると嬉しい~」
スララはくすくすとはにかんだ。
「わたしもね、彩斗がパートナーで良かったなって思ってるよ。だって彩斗、優しいもの。いつもわたしに穏やかな感じで接してくれるの~。毎日『おはよう』って声をかけてくれるとき、リコリスの特訓を終えて『お疲れ様』って言うとき、彩斗はすごく優しい眼をしてる。それを見るとね、もっと彩斗と頑張っていきたいな、彩斗の色んな顔を見てみたいな、って思うんだ~」
「い、いや、そんな。優しいのはスララの方だよ」
「ううん、彩斗の方が優しいよ~」
「いや、スララが」
「ううん、彩斗の方が優しいよ~」
「いやいや、スララが」
「ううん、彩斗が~」
言って、二人して笑ってしまう。
スララは本当に屈託のない笑みで、楽しそうに頬を上気させている。そんな彼女を見ると、体が暖かくなり、幸せに感じられて、もっとスララと話したいと思ってしまう。
けれど、今は闘技の時間。貴重な情報収集ができる時だ。名残惜しい気持ちはあるが、彩斗は深呼吸で沈め、意識を切り替える。
「じゃあ、エルンストさんたちと合流しようか」
「うん、今日はいい報告があるといいね」
こぼれそうな笑顔のスララと共に、彩斗はエルンストやフレスベルグと合流し、今日の成果を確認するべく、彼らのところへと向かっていった。
「む、彩斗とスララ、来たな。成果は出たであるか?」
観衆場の隅の方、いつも陣取っている箇所に、エルンストとフレスベルグがいた。
フレスベルグは相変わらず体育座りで、眠たげな瞳だった。千里眼で他のペアの様子を伺っている疲れもあるのだろう。彩斗は少し苦笑してから、エルンストに近づく。
「はい。……ほとんどスララのおかげですけど。えっと、それでですね……わかったことは、やっぱり火傷の痕を負うまでの共通点は、ないということです」
時間は限られている。この三日間で得た結論を、彩斗は端的に伝えていく。
「どのペアも元の世界では境遇がバラバラで、王宮の兵士だった人もいれば、スリとして生活を繋いでいた人や、踊り子、奴隷戦士、他には、炭鉱で働いていた人もいました」
一拍空けて、
「その中で、うっかり火傷をしてしまった例や、争いに巻き込まれとか、威厳を出すためにわざわざ自分で火傷の痕を作った人もいました」
調べる前は一つくらい共通項目があると思っていたが、実際にはまるで似ているものがなかった。故意か偶然など大まかな分類はできても、そこにはっきりとした共通点は見当たらない。
「……こうなると、右腕に火傷のある人なら誰でも良かった、ということなんでしょうか」
「うむ。どうやらそうらしい」
彩斗が尋ねるように言うと、エルンストが小さく頷いた。
「ワタシの方でも同じような回答が得られた。火傷を負う経緯は、千差万別。どうやら火傷そのものを負っているかどうかが、アルシエル・ゲームに召喚される理由らしいのであるな」
結論としてはそうなる。
けれど、それが『なぜ火傷の痕なのか』となると、まだ理由はわからない。情報が少ないために推察もろくにできない状況だ。
焦れているのだろう、エルンストがふとつぶやいた。
「スララが牢屋の文字を読めれば早かったのだが」
けれど、すぐに改まった顔になって、
「いや、スララのせいにはできないのであるな。できる範囲でやらねばならない」
「牢屋の文章、難しくてわたしには読めない~。ごめん」
スララは困ったように笑って、補足し始めた。
「魔物の間にも、文字はあって、でもわたしが知ってるのは、簡単なやり取りができるくらいのものなんだよ~。何かを記録するまでの知識は持ってない~」
無数の牢屋にある、壁文字。それらは全てエレアントの文字で書かれている。先日判明した、いくつかの文字、特に『ベリアル』という単語は、何らかの形でゲームに関わっている。けれど、頻出の単語だけならともかく、無数の牢屋にある文字全てを解読するとなると、数が多過ぎる。
それらをエレアント出身であるスララが読むことができれば、エルンストの解読薬は必要なく、調べる効率がずっと良くなるが――いくつかの単語を訳すことができても、全ての解読をするにはスララの識字力は不足していた。
「なるほど。どのくらいの能力であるか? 少し文字を書いてみてくれ」
「えっと、こんな感じ~」
スララはいくつかの文字を書いてみせた。しかしそれは人間で言えば五歳くらいの語彙だった。会話力は、彩斗と比べても遜色ないが、彼女の識字力では牢屋の全文章の把握など望めない。
「スララの種族は、あまり高い文明ではないみたいであるな。会話はともかく」
「ごめん~。悪魔と言われる種族や、魔人と恐れられる魔物たちなら、人間の文字もわかるみたいだけど、わたしみたいなスライム族だと、とても無理~」
魔物にも階級はあるらしい。人間と同等か、それ以上の文化を形成している上級種族がある一方で、集落で質素な生活を営む種族もいる。
スララはその質素な暮らしの魔物、いわゆる下級に位置する魔物だった。知性はあるが、狩猟と採取で生活を営んでいる、末端の魔物。娯楽は絵を描くことや、森や洞窟への探険。
エレアントの典型的な集落種族のため、とてもではないが、牢屋の文章解読は不可能だった。
「役に立てなくて、ごめんね……」
「スララが悪いわけじゃないよ」
彩斗は毅然と言った。
「それに、スララにはすごく助けられてるよ。火傷の痕の情報は、ほとんどスララが調べたようなものだよ。だから、そんな困った顔しないで」
今までの感謝も含めて語ると、スララは嬉しそうにはにかんだ。
「……うん、ありがとう、彩斗」
くすぐったい気持ちになりながら、彩斗はエルンストに向き直る。
「それで……今日の分の解読は、どうなったんですか? やっぱり、あまり捗っていないんですか?」
スララが解読できればという話をするくらいなのだから、悪い結果だったのだろう、と彩斗は思っていたのだが。
「いや、とりあえず二部屋分の解読には成功した」
「え、そうなんですか?」
「エルンスト、すごい~」
材料に苦慮しつつも成果を出す青年に、スララはパッと顔を輝かせる。
「うむ。やはり労われると嬉しいものであるな。ワタシのパートナーのフレスベルグは、ちっとも褒めてくれないのである。よく食べ、よく寝て、よく文句を言うだけ。なんとも自由な魔物であるな」
「ふわあ、眠い。だるい。……ん。何か言った?」
隣でうつらうつら船を漕いでいた少女が顔を上げた。
「フレスベルグは可愛いなという話をしていたのである」
「当然。フレスベルグは世界樹で一番の美少女だもの。なに言ってるの」
「ワタシは頼もしき相棒を持って涙が出そうである」
フレスベルグは大きくあくびをした。エルンストが、ポケットに手を入れたまま続きを語る。
「話が逸れたのであるな。今朝の解読の結果としては……内容はまあ、過去に行われたであろう、ゲームの恨み辛みの類である。ただ、興味深かったのは、ベリアルが『魔神』と呼ばれる最高位の魔物であることと、三つの異名を持っていたことである」
「魔神……ですか」
思わず彩斗はぶるっと震える。それは――アルシエルと並ぶ、まさしく最強の魔物ではないのか。
「今はどうしてるのか知らないであるが、ベリアルは三つのあだ名を持っていたと。そう書いてあった。曰く、『黒き大蛇』と、『石像庭園』と、『円環の鎧』……そういう別名があるらしい。由来は完全にはわかっていないが、一つ目と二つ目に関しては、わからなくもない」
「黒き大蛇……石像庭園……」
彩斗が呟くと、エルンストは断言する。
「黒き大蛇の方は、『ゲヘナ』である。あれは真っ黒な炎だが、その形は大蛇のように見えないか?」
「そうだね~。大きな黒い蛇。そういう風にも見える~」
スララの言葉に、彩斗もハッとした。現に、闘技の方で行われている戦いの中で、筋骨隆々の男がまさにゲヘナを使用している最中だった。
いくつもの岩を焼き尽くしながら、猛然と進んでいく黒い大蛇。漆黒の業火。
「そして石像庭園というのは、まさしく、我々の周りにある石像群を思い起こさせる。つまりは、他者を石化させる魔法だろう」
ゆっくりと、彩斗は周囲を見回す。
今にも動きそうな石の人々や魔物たち。あまりに精巧な表情、自然な仕草。
彼らが以前はれっきとした人間であることは、ほぼ明らかだ。スララが魔素の話を前にした。魔法、おそらくは石化させる力を使われて、彼らは石像と化している。
腕輪に付与されたゲヘナという黒い業火。それに、敗北したものを石化させる力。
牢屋に書かれた文字との一致は、偶然とは思えない。
「……もしかして、このゲームには、その魔神ベリアルも関わっているんでしょうか」
「わからない。第三の異名、『円環の鎧』が何のことを示すのか、確定するまでは。結論は出ないのである」
エルンストは残念そうだった。そればかりか、整った眉毛を歪ませて、
「そもそも、『円環の鎧』だけが、いまいち予測が立てられないのである。黒き大蛇はゲヘナ。石像庭園は敗北の石化。ここまでわかっている。おそらくは外れていない。だが、円環の鎧だけがさっぱりわからなかったのである」
「円環……何でしょう。……ボクは、思いつかないです」
「わたしもわからない~」
とスララ。
「コロシアムのことじゃないの。ここ、丸いし」
珍しくフレスベルグも会話に参加してくる。
「コロシアム……ワタシもそれは少し思った。あとは……円環、丸いというならば、アルシエルが首にかけたペンダントも候補に挙がるであるな。しかし『鎧』と呼ぶには少しばかり無理がある。おそらくは違うであろう」
「コロシアム事態が守りの魔法を司っているんじゃないの。闘技のとき障壁現れるじゃん。観衆場と決戦の舞台分けるためのやつ。フレスベルグの故郷でも、円を使った呪字はあった」
「うーむ……」
フレスベルグの言葉にもエルンストは眉を寄せて考える。その表情は初めてだったので、彩斗は少し落ち着かなかった。
「黒い大蛇と石像庭園に比べると、わかりにくいのであるな。何かの比喩なのかもしれない。うーむ」
「円環の鎧……円環の鎧……」
彩斗は一生懸命考えた。
「スララのリコリスの鎧みたいに、身にまとうような能力かもしれないですね」
「それもある。だが、今の段階では何とも言えない。もう少し、解読を進めれば、ヒントになるようなものはあるかもしれないであるが」
結局は、また調べる必要があるということだ。現時点でベリアルの全てを把握することは、ほぼ不可能に近い。
「とはいえ、魔神ベリアルが何らかの形でアルシエル・ゲームに関与していることは確かである。ゲヘナと石化はほぼ確定した。引き続き、解読を進めるべきであるな」
一同は頷いた。ふと、彩斗は、
「牢屋の文字は……」
「うむ?」
「牢屋に書かれた文字は、何のために書かれたんでしょう」
疑問を口にすると、エルンストは少しだけ考え、応じた。
「さしたる理由はないと思われる。おそらくは精神を保つための恨みの放出だろう。つまり、『前回の』アルシエル・ゲームの中で、首謀者たる……」
そこでエレアントの動きが、止まった。
「ふむ? アルシエル・ゲームの恨み事で、アルシエルではなく、ベリアルの悪口であるか。なぜであろう。そう言えば、牢屋にはアルシエルのことは一切書かれていないのである。うむむ……そうなると、どうなるのであるか?」
「ボクも、わかりません……」
「わたしもわからない~。アルシエルは前回には関わってないってことなのかも~」
「フレスベルグはどうであるか? 何か予測はできるであるか」
「さあ。それより闘技まだあるの? 早く終わって。ああーもう。ベッドで寝たい。だるいっ」
段々いらいらしてきたフレスベルグをなだめた後、エルンストは呟いた。
「……やはり、ワタシたちは、思ったより込み入ったゲームに巻き込まれたのかもしれないな……」
無数の牢屋にある共通した名前、ベリアル。その三つの異名。
砕かれたパズルのピースのように、繋ぎあわせて真実を見つけるには、どれだけの日が必要なのだろう。見えない出口を探しているようで、彩斗は落ち着かない感情を抱かずにはいられない。
そのとき、闘技の方から絶叫が聞こえた。
「な、なんだ……?」
決戦場の中で野太い悲鳴が上がっている。それは、戦っていたペアのうち、筋骨隆々の男の方だ。パートナーである魔物を打ち倒され、石化が始まっているのだ。
「い、嫌だ、石なんかになりたくない。俺には家族が、待っている妻や娘がいるんだ。うおお、こんな、こんなところで……っ!」
男の手が光る。手袋から淡い粒子が降り注いでいる。
彼は、何らかの魔法を用いて、石化を止めようとしているようだった。しかし石化は止まらない。初めはつま先、次に足首、徐々に上へと侵食させながら、彼は何度も悲鳴を上げていた。
「ああ、止まらない、助けてくれ! アルシエル! 俺は石になりたくない! 見逃してくれ! お願いだ、何でもするから! 召使いでも何でもするっ! だから帰れなくなるのだけは許してくれっ! ああ、胸も石になっていく。うあ、うああああ――っ!」
それは、心の底からの魂の叫びだった。両腕を石にさせ、いよいよ首までが冷たく変じようとしている姿で、男は引き裂くような絶叫を上げる。
だが、支配者である魔神の言葉は、冷酷だった。
「――いかなる理由があろうとも例外は認めない。お前たちは使い捨ての戦闘人形。勝者は更なる栄誉の武闘に。敗者は惨めに石になって、物言わぬ風景となれ」
「嫌だ――っ! ああうおああああぁっ――……っ!」
やがて、全身が硬い石へと覆われる。恐怖と苦悶に満ちた男の表情は、筆舌に尽くしがたいものだった。あまりに生々しく、壮絶で、彩斗は思わず目を逸らすしかない。
敗者は石化。それが、アルシエル・ゲームの絶対的ルール。勝てば束の間の安息。負ければ終わり。観衆席の片隅で、石像として過ごすことになる。
彩斗は体が震えた。自分とスララ、両方が石になる光景を想像して、嫌な汗がこめかみから流れていく。
すかさずスララが、ぎゅっと励ますように彩斗の手を握ってくる。大丈夫、わたしがいるよ、落ち着いてと、暖かな温もりを与えてくる。
それで少しは気分が安らかになった。
「……スララ。牢屋に戻ったら、頼みがあるんだ」
石化してしまった男を見つめながら、彩斗は低く言う。
「ボクは、あんな風にはなりたくない。絶対にスララと一緒に、勝ち抜くんだ。そのために、協力して」
「うん、わかった~」
こんなときでも柔らかな声を忘れないスララに、彩斗は思わず握る手に力を込める。
この温もりを消したくない。スララの笑顔、仕草、優しげな声が永遠に石になってしまうなんて、絶対に嫌だった。
彩斗一人なら、まだいい。でもスララだけは、彼女だけは何としても石化から回避させたかった。
そのために、対策がいる。闘技を勝ち抜く技術がいる。
彩斗は、スララの手を握る方とは逆の手、夜津木のコンバットナイフの柄も握りしめながら、心密かに決意を固めていったのだった。




