第11話 科学者と風の少女
「あの、助けてくれてありがとうございます」
男二人組を撃退してから後、観衆場の隅に一同は集まった。
幸い、大きな怪我はなかった。鎖鎌で転ばされたときに彩斗が少し肘を擦りむいたが、それだけだ。彩斗は白衣の青年へと頭を下げた。
ぼさぼさの髪を少しだけ撫で付けた後、青年は快活な笑みを見せた。
「無事で何よりである。ワタシの名はエルンスト。科学者だ。元の世界では色々と実験を行っていた。こちらの少女は、パートナーの魔物、フレスベルグ」
「よろしく。眠い」
短くそう言った長髪の少女に、一同は微笑する。確かに、フレスベルグは目をとろんとさせ、今にも眠りそうだ。目元を何度もごしごしと擦り、大きなあくびもしている。
「あの、ボクは、及川彩斗です」
まず彩斗が、そう自分の名を告げる。
「さっきは本当にありがとうございました。いきなりナイフを寄こせって言われて……スララも危ないところでした。助かりました」
「なに、気にすることはないのである」
エルンストが小さく頷いて声をかけた。
「君たちを襲った二人組の男、ワストーとグルゲンは、腕がなかなか立つ。ワタシたちも不意打ちしなければ容易には撃退できなかった」
「そう? フレスベルグはあんなの楽勝。人間なんてみんなザコ」
などとあくびをしながら言うフレスベルグに、スララは小さく笑った。
「すごい~。わたしならあんな風、起こせないよ。フレスベルグは強いんだね~」
「うん。フレスベルグは元の世界で世界樹の番人だったもん。フレスベルグより強い人間なんていない」
「頼もしい限りであるな。それで、嬢さんは、確かスララと言ったであるか?」
「そうだよ~。助けてくれて、ありがとう~」
にっこりと、握手を求めながらスララは礼をした。
電撃の矢を受けたが、もうその影響はないようだった。彩斗はとりあえずそのことだけは安堵する。もしも大怪我などしていたら、胸が苦しくなるところだった。
そんな彩斗の考えが顔に出ていたのか、スララが嬉しそうな表情をした。
「な、なに? スララ」
「うふふ~」
「――それで、さっきの二人組であるが」
なごやかな雰囲気の中、口調に少しだけ鋭さを含ませ、エルンストが切り出した。
「今言った二人組――ワストーとグルゲンであるが、とりあえず、あの二人には今後も気をつけるのである」
一応、周囲に誰がいない一角に四人は集まっていた。騒ぎに多少はざわめきが起こったが、もうその影響はない。
エルンストは長い白衣のポケットに手を入れながら、
「ワストーとグルゲンは、他のペアたちから武具を奪い、自分たちを強化しようとしている輩なのである。奪うくらいなのだから腕もなかなか立つ。そして、失敗しても繰り返してくるだろう。なぜならこのアルシエル・ゲームは、それだけ厳しいゲームだからである」
「え……」
繰り返してくる、というところに彩斗が若干顔を引きつかせる。
「どういうことですか?」
「その理由としては、まず手持ちの攻撃手段が限られているためである。剣や槍などはいつか限界がきて壊れるかもしれないし、ワタシのように科学を用いて戦う人間も、いずれ道具が尽きて満足には戦えなくなる。補充ができない――この事実が大きく伸し掛かっているのである。ゆえに、一定以上の戦力を維持したければ、他者から奪う他はない」
彩斗は夜津木のコンバットナイフを見つめる。確かに、武器の消耗を解決するには、強奪が手っ取り早い。彼らのような人間は、他にもいるだろう。
「そうか……一度闘技で勝てたとしても、その分武器は消耗してしまう……気づきませんでした」
エルンストは小さく首肯する。
「次に、ペアの魔物が弱かった場合。こちらもやはり、その人間は焦るだろう。ペアは変えることはできないようなので、弱い魔物をパートナーとされた人間は、どうしても他者から奪うことに行きがちである。周りをよく見てみるとわかる。『誰から』奪うか、狙っている者が何人もいるぞ」
彩斗たちは周囲のペアへ振り向いてみた。
じっとしているだけの者もいるが、目が合うと視線をさりげなく逸したり、意地悪そうに笑ってきたりした者がいた。中には、ひそひそとパートナーと相談しながら、こちらを見ているペアすらいる。
彩斗たちを見ていないペアもいるが、そういうペアたちの中には、別の獲物を探すように、じっと周りを観察している者たちもいた。
「ま、まずいじゃないですか」
思わずコンバットナイフを握りしめつつも、彩斗は声を潜ませる。
「ボクら、さっきのワストーやグルゲンに、これからも襲われる可能性が高いんですよね? いったい、どうすれば……」
「しかも、他の人たちも襲ってくるかも~」
「その通りである。ゆえに、対抗策は一つである」
エルンストは一つ頷いた後に告げた。
「それは、団結することである。奪うことに抵抗がある者同士で集まり、常に行動を共にしておくこと。幸い、ワタシのパートナー、フレスベルグは、『千里眼』で他者の様子を見ることが可能である。牢屋の中からでも、他のペアの様子は伺えて、誰が危険なのか観察することも可能である」
「ええー、面倒くさい。なんでそんなことしなくちゃいけないの。だるい」
不満たらたらな口調のフレスベルグに、エルンストは、
「しかしフレスベルグ、面倒くさいとは言うが、それで対策を怠って負けてしまっては、石化して終わりである。結局は、千里眼は活用しなければならないぞ」
「……面倒くさい。面倒くさい。アルシエルくたばれ。次に見たら、ぶっとばしてやる」
頼もしい限りだが、彩斗はたぶん、いくら何でもそれは無理だと彩斗は思ってしまう。
そもそも、他人の武器を奪おうとする相手がいるなんて、考えてもみなかった。
けれどそれは考えみれば当たり前で、彩斗自身、もう少し腕が立つ人間だったら、そういう思考をちらっとでも浮かべた可能性はある。
負ければ石化。優勝すれば、願いの叶う本を得られて元の世界にも戻れる、というゲームへの行動指針として、他者を陥れて優位に立とうとするペアは、いて当たり前なのだ。
「――?」
そのとき、彩斗はかすかに視線を感じた。場所は観衆席の下部。彩斗たちのいる位置からかなり下。見れば、手をこちらに差し出して、ぶつぶつと何かを呟く人間の姿がある。
「――危ないっ!」
ぞわりと鳥肌が立つのと、とっさにスララを押し倒すのとは、ほぼ同時だった。
視界が白熱する。こめかみのすぐ横を、熱線が大気を焦がしながら通りすぎていく。
「スララ、大丈夫?」
「ありがとう~。彩斗のおかげで助か……あっ」
更なる攻撃の予感に、スララがリコリスを伸ばす。だが相手は初撃を外しても、強気だった。むしろパートナーの魔物をけしかけて、こちらへと攻撃を仕掛けてきた。
「やれっ! グリフォン! あいつのナイフを奪え!」
鷲と獅子の体に大きな翼を持った魔物が空を裂きながら迫ってくる。スララの迎撃のリコリスは容易にかわされた。薙ぎ払おうとして大きく半透明の鞭をしならせたが、それよりあちらが速い。
――間に合うか!?
彩斗がスララを守るようにコンバットナイフを抜き出し、
エルンストが、フレスベルグが、それぞれ迎撃に身を固めた直後。
圧倒的な業火が――グリフォンへと降り注いだ。
「グギャアアアアっ!」
思わず耳を押さえつけたくなるほどの絶叫を振りまいて、グリフォンが墜落する。業火にまみれ転がり落ちる鷲の勢いは止まらない。階段状の観衆席で何度も体を打ち、火の粉を撒き散らし、パートナーである人間の方にまで落ちていく。
「――闘技を行う前に、下らぬ争いを行うのは誰だ?」
ぞっとするほど冷たい声が、コロシアムの全員へ響き渡る。
「私はルールもなしに戦えと、お前たちに命じた覚えはない。お前たちは私のゲームの中で、私の見ている前で武闘することだけ許される。秩序もなく戦えとは言っていない。今回は、手加減した。だが次はない。覚えておくがいい」
火炎にまみれながら落下したグリフォンと、その相方である人間から恐怖の声がまろび出る。
他のペアたちも同じだった。誰もが身を固くさせ、降り注いだ業火の威力と、氷の響きを持ったアルシエルを前に、言葉もない。
墓地のように静まり返ったコロシアムで、アルシエルは高々と宣言する。
「これより、三度目の闘技を始める。闘技者よ、戦場へ」
もうそれで、ゲームの支配者たる魔神は、グリフォンとそのパートナーを意識外へと追放する。
二組のペアが、闘技フィールドへ姿を現した。
戦斧を抱えた少年と、そのパートナーである魔獣。反対側では鉄扇を持つ女性と、シーサーペントが、岩ばかりの戦場で対峙する。
「それでは闘技を、始めよう。今日もオマエたちの魂の躍動を魅せつけよ!」
やがてアルシエルの言葉を元に、熾烈な戦闘が繰り広げられた。
† †
戦斧の少年と鉄扇の女性が交叉する。
斬撃と軽やかなステップ、時に真っ向から斬撃し、魔法を放ち、地響きするほどの攻防が、いくつも重ねられていった。
鋼と鋼が火花を生み出す。数えきれぬほどの火花が散華しては消え、衝撃波を撒き散り、少年も、女性も、そしてそのパートナーである魔獣とシーサーペントも、それぞれの武技を乱舞させていく。
彼らの闘技は、まさしく超常者たちの戦いだった。
夜津木や彩斗のときの戦いすら超えている。一切の遊びのない、切迫した真の戦闘だ。鍛えぬかれた肉体と武器が刹那の間に衝突し、乱舞し、紙一重の攻防となって荒れ狂う。
地面が割れいくつもの破片が飛び散った。大気は焦がされ、ときに爆発が空気を吹き飛ばしていく。
そして、闘技も中盤に差し掛かり、互いに大技を繰り出している最中で。
「――彩斗、スララ。直接話せるうちに、伝えておきたいことがある」
エルンストが、激闘の合間を縫うように話しかけてきた。
「な、なんですか?」
「まず君たちのいた世界のことを聞きたい。どのような世界だったであるか?」
その問いかけに、彩斗たちは目を瞬かせた。
「えっと……どうしてですか?」
「ふと気になることができたのである。単純に好奇心もあるのだが」
そう言うと、エルンストは軽く頭を振り、
「いや、そうであるな。まずワタシのいた世界のことから話そう。その方が話しやすいと思われる」
「あ、はい。では、お願いします」
エルンストは軽く頷いた。
「ワタシのいた世界は、強大な敵に対抗するため、不死の軍団を作ること執念を費やしていた」
「不死の軍団……ですか?」
いきなりスケールの大きい話に、彩斗が面食らう。
「その通りである。ワタシは『棄科学』という、魂を物体に憑依させ、滅びのない戦士を作る研究者の一人だった。例えば――」
白衣の中から、ガラス管を取り出して、彩斗たちに見せる。
「先ほどワストーに放ったこの液体は、その副産物の一つだ。液体に人の魂の欠片を憑依させることで、ある程度、液体が自律行動できるようになっている。そしてそれは戦闘に応用できる。先の例で言えば、ワストーの衣服にこの液体がくっついたことで、彼は床にへばりつく形になった。あれはこの液体に、予め、『戦闘できない姿勢になれ』と、命令を組み込んでおいたからなのだ」
「な、なんか、すごいですね……」
「わたし、よくわからない~」
スララが小首をかしげた。
「わからなければそれでもいい。要は、物に意思を与える技術が発達した世界、と思ってくれれば」
エルンストは続けた。
「魂を他の物質に憑依させ、操る技術。それを用いて、ワタシの世界では死なぬ軍団を作っていた。考えてみるのだ。人は体に剣を刺されれば、それで死ぬ。だが落命する直前、生命の源である魂を移動させることができたなら? たとえ肉体が滅んだとしても、記憶、技術、人格、つまり命を別のものに移し替えることで、その者は死を免れることが可能となる」
エルンストは、科学者の顔で言葉を続ける。
「ワタシの世界では、その破格的な技術を確立させた。たとえ一度は敗れても、再び別の物質に魂を宿し、戦闘を可能とする技法。すでにワタシの世界では、生身の戦士はほとんどいないのである。ほぼ全てが、金属の鎧や、砂を固めた体に、魂を憑依させた戦士となっている。死のない軍団。勝利するまで、ひたすら戦える勇士たち。そんな世界である」
「それは……なにか、怖いですね」
思わず彩斗は言った。
アルシエルのような強力無比な業火とは別に、原始的な恐怖を呼び起こす、恐ろしい技法。助けてもらっておいて何だが、そんな技術を使ってワストーを撃退したのかと、少しだけ怖くなる。
「うむ。そうであるな。ワタシは慣れたものだが、一般の人間は忌み嫌っている。禁断とも言うべき技術である。だから一度は歴史の中に葬られ、封印された技術だったのだが――現在のワタシの世界では、それを必要とする事態が起こったのだ。そして、その元凶は、死なぬ軍団ですら、勝てない敵となっている。機械神天使と言ってだな。とにかく厄介な機械の神が――」
そこでエルンストは、数回まばたきをして、言葉を止めた。
「いや、話は手短にであるな。闘技が終わってしまう。話せる機会は限られているのである。ワタシの話は、とりあえずそのくらいにしておこう」
言って、彼は隣であくびをしている少女に顔を向けた。
「フレスベルグ。君のいた世界も彼らに説明してほしいのである」
「眠い。やだ。エルンストがやって」
にべもない少女の言葉に、彩斗は苦笑した。先ほどから、フレスベルグはそんな調子だった。顔立ちはあどけなさや可憐さと共に、妖美さも備えていて、どこか蠱惑的なものもあるのだが、それらを消し飛ばすほどに眠そうな瞳だった。
「仕方がないのであるな。ワタシが代わりに言おう」
持っていたガラス管をくるっと回して、エルンストは白衣のポケットに入れた。
「フレスベルグのいた世界は、大きな樹が中心にある世界だったな」
「そう。綺麗な樹。草と花でいっぱいだった。こことは全然違う、良い場所。はあー、早く帰りたい」
反応は示したが、やはり説明する気はないようなので、エルンストが更なる補足を伝えていく。
「フレスベルグのいた世界は、いずれ滅びる預言がされていたらしい。それで、人間たちは生き残れる力を得るため、世界樹の頂上を目指していたそうだ。頂上には奇跡を呼ぶ果実、黄金堅果があり、それを欲したのだな。しかし、世界樹は魔物たちの住処であった。だから魔物たちは、侵入してくる人間たちを追い払っていた。フレスベルグはその中でも強大な一族の末裔として君臨していたらしい」
「人間の預言なんてばかみたい。世界が滅びるなんて愚かな嘘。それで勝手にフレスベルグたちの樹を登るなんてふざけてる。世界樹が消えるなんてあり得ないのに。ほんと、くだらない」
不満たらたらで、口を尖らせて少女は言う。
彼女の口が悪いのも、人間を追い払うべく日夜戦っていたせいなのかもしれない。そんな風に、彩斗は思った。
「フレスベルグの世界では呪字と呼ばれる、力ある文字を操ることが盛んだった。人も、魔物も、特別な力を秘めた呪字を行使して、火を起こし、風を起こし、時には大地の実りさえも操った。……が、いつしか人間の間で一つの預言が広まったらしい。世界の終焉の預言である。曰く、四つの首を持つ巨大な化け物が、世界樹を焼き、大地を割り、海を蒸発させ全てを無に還すと。要約すればそのような内容の予知らしい。滅びを嫌がった人間たちは、唯一回避の可能性を持つ、世界樹の頂上の黄金堅果を求めて登ろうとした。反対に、その大樹に住む魔物たちは、人間の侵略から排除の行動をとった。それが、何百年と続いていると。そういう世界であるな」
戦いの連続の世界だと彩斗は思った。彩斗の中では、ほとんどお伽話の類だ。それよりもっと生々しい。けれど、エルンストもフレスベルグも、そういう世界を生き抜いてきた独特の気配がある。
彼らとも、戦う日が来るのだろうか。
そんなことを思っていると、エルンストの視線が彩斗の方へ行く。
「彩斗の世界は、どうだったのであるか?」
「……え」
話を振られて、少しだけ口ごもる。
正直、特筆すべき話など何もなかった。悲惨なニュースなどもあるが、エルンストやフレスベルグの世界の実情を踏まえれば平穏そのものな世界だ。
けれど、何だか隣ではスララが興味深そうな顔をしている。というより、きらきらと目を輝かせている。
それで少し笑ってしまう。スララは何について笑われたのかわかっていないらしく、頭の上にクエスチョンマークが飛んでいたが、彩斗はそれを見て、ますますおかしくなった。
暖かな気持ちになって、少し自分の世界のことを頭でまとめてから、彩斗は答えた。
「……ボクのいたところは、そういうひどい危険はありませんでした。武器を持って争う人たちもいましたけど、昔はともかく、今は、大体はなるべく話し合いで解決しようとするところでした」
「ほう……魔物はいたのであるか?」
「いません、でした。そういう恐ろしい怪物は、昔も今もいません」
「魔物がいない? ふむ……」
これにはエルンストだけではない、フレスベルグやスララまでもが驚いた顔をした。それで、彩斗は少しだけ萎縮してしまう。
「えっと、ひょっとして、珍しい世界……なんでしょうか」
「だと思われる。今日までにワタシは何組かとのペアと話したのだが、名称は違っていても、魔物に相当する存在はどこの世界にもいた。霊獣も妖魔もミュータントもいない世界は、今のところ彩斗の世界だけであるな」
そこまで言われてしまうと、さすがに動揺してしまう。
何か意味があるのだろうか。わからないが、彩斗には答えなんて出せるわけもなかった。
「とはいえ、深く考える時間もないのである。最後は……スララであるな。どういう世界から来たのであるか?」
言うと、スララは柔らかな口調で答えた。
「この世界だよ~」
スララの返答に、ややエルンストは驚いた表情を見せる。
「ふむ? この世界ということは、君は、以前はこの宮殿の外にいて、そこから召喚されたというのだな?」
「そうだよ~。なんかね、集落でお昼寝してたらね、体が浮く感覚がしたの。そうしたら、この宮殿に連れてこられちゃった」
答える彼女を尻目に、エルンストはあごに手を添えた。そしてスララの目を見ながら、
「この世界は、どういった世界であるか? 軽く説明してほしいのである」
問われると、スララは考え込みながら、
「ん~、説明って言われても、よくわからない~。この世界は、エレアントって呼ばれてるんだよ~。わたしは、その辺境で暮らしてたの。人間からの迫害を受けて集まった、魔物たちの集落~。だから、自分の周りしかわからない~」
「なるほど。魔物の集落か。人とは隔絶された生活であるか」
リコリスがふよふよと動いている。どうやら無意識のうちに、スララが動かしているらしかった。
「えっと、人間が大きな戦いをしてたってことはわかってるけど、どういう理由があって、どんな結果になったのかまでは、よくわからない~。ごめん」
「良いのである。むしろ、この世界から喚ばれた者もいるとわかっただけで、収穫だ」
エルンストはそう言って、微笑んだ。
「とは言え、この世界――エレアントと言ったか。ここの出身なら、少し聞いておきたいことがある」
「うん。何でも聞いて~」
「スララよ。『ベリアル』という単語に、覚えはあるか?」
少女は、何度か瞬きをするだけだった。特に驚くような仕草も、嫌悪感を現すこともない。無反応と言っていい表情。
「ベリアル~? そう言えば、集落の魔物たちが言ってたかも~。それが、どうしたの?」
「ワタシはフレスベルグの千里眼によって、他のペアの牢屋の様子を、いくつか見てみたのだが、妙に多く書かれた単語があったのだな。それが、ベリアルという単語である」
エルンストは、スララの目をよく見て言った。
「何か知っていることはないだろうか。あればアルシエル・ゲームでうまく勝ち抜くヒントになるかもしれないのだが。どんな些細なことでも構わない。何か、スララは知っているか?」
けれどスララが次に行ったのは、首を横に振ることだった。
「……ごめん~。わたし、聞いたことはあるけど、それがどういうものなのか、わからない~。他に、何か壁に書かれていたものはあるの?」
「ある。意味があるかないかは知らないが、ベリアル以外だと、多い順番で、大戦、ガーゴイル、黒き大蛇、討伐軍、ダジウスの輝石、あとは石像庭園やら円環の鎧やら、固有の名詞もいくつか壁に書かれていたのである」
「あっ、大戦なら集落の人が言ってたよ~。人間たちが、何か大きな戦をしていたんだって」
「戦? 詳しくことは知っているであるか?」
「う~ん……」
スララは、一生懸命考えるように、頭を傾げる。
「討伐軍は、大戦で負けたって、集落の魔物たちは言ってたような……。ごめん~、わたし、集落の外で遊んでばかりだったら、わからない~」
「気にすることはない。わからなければ別の手段をすればいいだけである。スララが悪いわけではない」
「ありがとう~」
スララは微笑んだ。その笑みは華やかなものだったが、ふと、このとき彩斗は胸がズクンと、大きく鳴ったのを自覚する。
ベリアル。
その単語を聞いた瞬間から、何か得体の知れない寒気が、嫌な予感が、強く彩斗に襲いかかった。
その単語の正体を、彩斗は知らない。けれどそれが、無視してはならないような、決定的な何かを含んでいるような、冷たい恐怖と同時に、全ての鍵だと、頭のどこかがささやいていた。
「あの……」
「うん? どうしたであるか?」
「その、ベリアル……でしたよね、それって、何なんでしょう。どうして、そんなものが牢屋の壁に書かれていたんでしょう」
エルンストは少し考えた。
「ワタシは、アルシエル・ゲームは今回が初めてではないという証の一つだと思っている。以前にも、同じものをアルシエルは開催した。そこでワタシたちと同じように、牢屋に閉じ込められていた人間や魔物たちが、恨みを抱いて遺したもの――という考えである」
「あ、でもアルシエルは……」
彩斗はスララとの会話を思い出す。観衆場の石像の近くに漂う魔素からして、アルシエルは全てには関与していない可能性があることを思い出した。
そのことを、彩斗はかいつまんでエルンストへと伝えると、
「ふむ……? 魔素か。そういうものがあるのであるか。しかし年月が正確にはわからないというのは、惜しいであるな。わかればもう少し推測が立てられたものだが」
「ごめん~。わたし、魔法に詳しければ良かったね」
「それは仕方がないのである」
やや間を開けて、彼は続けた。
「じつは、壁に書かれていたものはベリアルへの誹謗中傷や、畏怖の文章が多かったのである。このことから、ベリアルは人名、あるいは魔物の名か、集団の名称だと推察されるが……ワタシは、アルシエルの背後にあると思われる、魔物の集団と推測していたのだが、今の魔素の話でまたわからなくなった。結論を出すには情報が足りない」
わずかに越えのトーンを落として、エルンストは続ける。
「壁の文章を全部解読しようにも、薬品が足りないのである。ワタシは元の世界から文字の解読ができる薬品を持ってきていて、ベリアルを始めとしたエレアントの名詞ないし単語をそれで知ったのであるが……その液体を全て使っても、宮殿内全ての牢屋の文字を解読するには足りない。あとはこの世界、エレアントの出身者の話を聞くか、新しい薬品を調合するしかないのである。どちらにしても、時間が掛かることになる」
闘技中に、他のペアと話すにしても、戦いが終われば牢屋へ連れて行かれる。一度に多くのことは聞けない。今のように、闘技中の鑑賞の時間を使うしかなかった。
ベリアル。そしてその他の単語群――何かの手がかりになるかもしれない情報に、エルンストは、可能性を感じているのに、もどかしさが口調の中へ混じっている。
彩斗は、考えた。
自分にもできることはないだろうか。今まで、闘技ではゲヘナを当てることしかできなくて、ほとんどスララに頼りっきりな現状だった。だから何かをしたい。貢献していきたい。影が薄いと言われた過去の自分とは、決別を果たしたいから。だから、自然と彼の口からは、次の言葉が流れていた。
「それだったら、ボクたちも協力します」
「ふむ?」
エルンストは怪訝な顔をした。
「ボクたちも、他のペアから色々聞き出します。そうすれば、もっと早く色々と掴めるかもしれないから」
エルンストは意外そうな顔のまま、
「……そうであるな。うむ、そうしてくれると助かるのである。彩斗、礼を言おう」
「いえ、そんな……」
思わず、気恥ずかしくなり、彩斗は照れの笑いを見せた。
「ボクだって、こんなゲーム、早く終わってほしいです。何か手がかりになる可能性があるのなら、そのくらいのことは、していきたいです」
「助かる。実際、ワタシの解読した単語群は、どこまで有用かはわからないのである。しかし、調べなければこのままゲームを続けさせられるのも確か。何かを変えられるとしたら、これだとワタシは思っている」
「そうですね、ボクも、ベリアルって初めて聞いたとき、何か不吉な予感がしました」
あるいは、それは単なる思い違いかもしれない。しかし過去に誰かが牢屋に遺したからには、意味があるはず。アルシエル・ゲームに繋がる、『何か』の断片。希望への道標。
それを、彩斗は信じたかった。闘技をただ待つことなんてできない、行動することで前が開けるなら、やっておくべきだと、彼は言葉に込めた。
「彩斗~、聞き込みの時は、わたしが彩斗を守るよ~」
スララがにこやかに声を発してくる。
「今日みたいに襲われても、絶対に撃退する~」
「ありがとう、スララ」
「――闘技がもう少しで終わりそうであるな」
エルンストの言葉に、彩斗とスララは戦場へ目を向ける。
闘技は終盤へと突入していた。戦斧の少年は劣勢を跳ね返せず、鉄扇の女性に翻弄されている。相方の魔獣も、シーサーペントの長い尾に巻きつかれ、未動きが取れないでいた。
「そういえば、決着がつく前に、聞いておきたいことがもう一つあったのである」
その闘技の様子を痛ましい様子で見つめながら、低い声音でエルンストが言う。
「なんですか?」
「彩斗、スララ。君たちは、右腕のどこかに――火傷の痕はあるか?」
「……え? あ、はい。ボクはあります。……これです」
言って、彩斗は右手の甲が見えるように差し出した。負ったときの記憶はないが、小さなときからずっとあったものだ。平凡の塊の学生時の、唯一の異質点。
「じつは、ワタシも右手の中指から手首にかけて、火傷の痕があるのである。これだ」
白衣の袖をなびかせてエルンストが右手を見せつける。確かにその右手の中指と手首に、細い火傷の痕が走っている。
「フレスベルグ。君も確か、右の二の腕に火傷の痕があったはずだな」
エルンストの視線がパートナーの少女へと向く。眠そうにあくびをしていた彼女は、何も言わずに右腕を掲げてみせる。
そこにあったのは、もみじのような形をした、火傷の痕だった。
「三人とも……火傷の痕が?」
思わず呟いた彩斗に対し、エルンストは小さく首を横に振って否定する。
「スララ、君の右腕も見せてほしい。おそらく君にも、火傷の痕があるだろう」
「……うん、あるよ~」
そう返事しながら、スララはやや時間をかけてケープを少しまくった。白くて細い腕の一部――肘のところに、薄い火傷の痕がある。
――ドクン。
そのとき、彩斗の心臓が大きく跳ねた。
四人中四人の右腕に残っている、皮膚が爛れた痕。それ自体は何も恐れるものではないはずなのに、皆の右腕に、何かの証のようにあるのを見た瞬間、不吉な予感が背筋を貫いた。
「――やはりそうであるか」
エルンストが腕を下ろしながらささやいた。
「今日に至るまで、他のペアも可能な限り調べて、出た結論がある。アルシエル・ゲームのペアたちは――全員、右腕のどこかに火傷の痕がある」
鳥肌が立つと共に、彩斗の体がわずかに震えた。
「え、でもそんな……」
「事実である。初日から今日まで、フレスベルグの千里眼で、他の牢屋の文字を見るのと平行して、調べてみた」
「あれはだるかった。もうやりたくない。ほんと面倒」
フレスベルグが唇を尖らせ口を挟むのを経て、
「うむ。そしてその結果、調べた皆に、火傷の痕があることに気付いた。それも、右腕にだ。全員の分は、まだ調べ終えていないが、今のところ例外はいない。大きさはまちまち。場所もよりけりではあるが、全員、右腕に火傷の痕を持っている」
そういえば、夜津木の右手にも、火傷の痕がなかったか。エルンストの言葉は、まさしく真実を告げていた。
沈黙が四人の中で広がっていく。
誰も何も言わず、ただエルンストの言葉を噛みしめるように、立ち尽くす。闘技の音だけが聞こえた。爆音と衝突音。光が時折、ちかりと飛び交った。
それは、何かの暗示なのだろうか。
アルシエル・ゲームは負ければ石化の残酷なゲームではなくて、まだその奥に何かが潜んでいる。
それは、まだ断片でしか目の前に見せてなくて、這い上がる寒気に彩斗はぶるっと震える。
「――とまあ、わかっているのはその程度である。これらが何を意味するのはわからない。ただ一つ言えることは、闘技には必ず勝利せねばならず、その合間に、少しずつ、情報を得るしかないということである」
「そう……ですね。今日はたまたま観衆でしたけど、明日はどうなるか、わかりませんから。今の話に気を取られると同時に、闘技への対策もしておかないと」
スララも頷く。
「そうだね~。わたしたちがやることは、とにかく闘技の番が来たら、勝つこと。観衆になったら、色々調べる。彩斗、頑張ろう~」
「うん。そうだね。そうするしか、今はないみたいだから」
「まずはこの四人が生き延びることを祈ろう」
エルンストは皆にそう言った。
「ワタシは引き続き、フレスベルグに千里眼を使ってもらい、この天空宮殿のことを調べてみる。並行して、解読薬の調合に勤しもう。もちろん、闘技は必ず勝利する。君たちも、頑張って勝ち残ってほしい」
彩斗は頷いた。スララも、リコリスをふよふよ動かして返事をする。フレスベルグだけは相変わらず眠そうな顔をしていたが、顔は向けていたので、話だけは聞いているようだった。
闘技も佳境に入り、爆音が続く中。
バルコニーで鑑賞するアルシエルを見上げながら、一同は意思を共にする。
負ければ石化のゲーム。勝ち抜くのは厳しいが、自分以外の人たちと協力すれば、なんとか乗り越えられる――彩斗はこのとき、そう思っていた。




