4 始まりの始まり
顰めっ面をした老人はもうもうと上がる煙に呼びかける。
「…理由くらいは説明してもらえるのじゃろうな?わざわざ結界まで破って来おってからに」
老人は後ろ手に腕を組んだままだが、周りの黒の集団は杖を構えていた。同じ王宮騎士隊の筈だがどうにも仲間意識は皆無らしい。
「あー…だからさあ、緊急を要するわけ。いちいち黒のトップに話通してのろのろと解かれる結界待ってる暇、ないんだよね」
「その言い分が何度もまかり通ると思うておるのか。そなたの言う緊急で何度結界を破壊した?」
「うるさいなあ。あんた直せるんだからいいでしょ」
「そのような事を論じておるのではない。国の組織に属すのならば手順を踏めと申しておる」
「…だから嫌いなんだよなあ、組織もルールも煩わしい」
「じゃがそなたが選んだ道じゃろう」
じっと見つめる老人に男は観念したのか手を上げた。
「はいはい。降参〜。良かったねあんた。主のお気に入りじゃなかったらすぐ殺してるよ」
冗談ではないのだろう。苛立ちを隠すように僅かに迸らせた威圧に老人はため息をついた。
「…あの御方も貴様のような狂人を何故懐に入れておるのか」
「あ、その主からの命令だよ。早くその子連れてきてって。忙しいみたいだからさ、あんま時間ないのは本当だよ」
そこでやっとシャロンに話が戻ってきた。彼女はというと、繰り広げられる不可解な話に脳がオーバーヒートしていた。
(王宮の結界を何度も勝手に破ってるっていうのにふてぶてしいこの男。しかも国の英雄ロイドにこの言い草。更にこの頭のおかしい男の主人に今から私が会うの?あー無理無理もう無理)
会って一体どうなるのか…嫌な想像しかできない。彼女は自分の未来について考える事を放棄した。
「ふむ…あの方も我らの都合というものに全く配慮してくれぬのう。いつまで経っても変わらぬ」
「んじゃあそういうことで。…あ、そうだ。この子の処分は僕ら紅に任せてね?全ての調査と処分の決定権はもう僕らにあるから」
「…それは本来黒と紅のトップ通しで話があるべきではないかのう…」
それじゃあ意味ないじゃん、そう呟きながら男はシャロンの左手を取り周囲をぐるりと見渡した。
「じゃあね爺さん。そこの不満タラタラな騎士はきっちり躾といてよ。僕がうっかり殺しちゃったら困るでしょ?」
男は老人にそう言い放つと、シャロンの手を取ったまま破壊した壁のほうまで歩きだした。
壁の瓦礫を跨いで見えたのは明るい煌びやかな廊下。先ほどの薄暗い部屋からの明暗差で思わず目を細める。
数々の美術品が並ぶ壁の装飾、敷かれた上質なカーペット、燦燦と輝く煌びやかなシャンデリア。
病弱な設定で領地に引きもりのシャロンには、王宮はあまりにも眩しかった。
(こんなボロボロの男性用の服じゃなくて、もっと適切なドレスで来たかったよ…)
しょんぼりと下を向いて歩く。
ふと男に握られた左手に目がいき、心拍数が急激に上がった。
(分かってる。そんな場面じゃないのは分かってるけど…!でも男の人にエスコートされたことすらないんだもん!乙女としてこの状況は無視できないよ…!)
シャロンは意を決して口を開いた。
「あの…腕、逃げないので離してもらっていいですか?」
「ん?ああ、気にしないで。別に君が逃げるとか思ってないから」
そう言いつつしっかりと握られたままの左手。
「…いや、あの、だったらその、手を離していただけないでしょうか…」
呟くと、彼はぴたっと立ち止まった。そして何を思ったか、
「…どうして?」
ずいっと顔を寄せてきた。お互いの鼻がくっつくぐらいの距離まで。思わず腰をひいて逃げる。
「いっ、いや…どうしてって言われましても…」
「…ふふ、君面白い反応するよね」
(ああ、頼むからその笑顔で近づいてこないでほしい)
狂人的な笑みとは違い、純粋な子供のように笑う男。シャロンは気付いてしまった。
男は、一般的に見て他より随分整った顔をしている。龍を殺して性的興奮を覚えるような人間でなければ、女はたちまち彼に群がるだろう。
「あの…ほんとうに…っ」
「あはは、冗談だよ。男に手ぇ出す趣味はないから、そんな怖がんないでよ」
「…………え?」
「ほら、さっさと行くよ?我が主は気が短いんだから」
満足したように再び前を進みだした男。手は繋がれたままだ。しかしシャロンはその事を気にしていられないほどの衝撃を受けていた。
(…え?……え!?こいつ、今、私のこと『男』って、言わなかった?え?嘘でしょ?)
まさか、と声にならない呟きが頭の中を駆け巡っていた。
男物の服、男のようにざっくりと乱雑な髪。就寝時に転移させられたため、メイクなどひとつも施していない生まれたままの顔。
考えてみれば、男の様に見えても何もおかしくはない。むしろこれで公爵令嬢と名乗ることの方が正気を疑われるかもしれない。
「あ、ここ左だからね」
「…」
だがシャロンは年頃の女であった。体型がいくらスレンダーだからと言って、初対面の男に女である事を疑われぬ事ほど辛いものは無かった。
「はいここだよ」
「…」
涙目になり心身を喪失したまま、気づけば彼女は大きな扉の前に居た。
細かなところまで施された装飾。繊細でありながら堂々とした存在感の紅い扉。白い壁とのコントラストがさらに威圧感を増していた。
「じゃ、君。覚悟はいい?」
「…え?」
前後の記憶が不明のまま尋ねられ、状況を整理しようと男を止めようとした。
が、一歩遅かった。
「失礼しまーす!」
「ま、待っーーーーーー」
ノックとか何もない訳!?いかにも偉い人の部屋っぽいのに!と彼女が叫ぶ言葉は言葉にならず消えた。
扉を開けた瞬間、彼女を襲ったのはかつてない恐怖だった。
ゾクゾクゾクッ
(ーーーーーーーーーーな、に、こ、れ、ッ)
今すぐこの場にひれ伏したくなるような重圧。
部屋の中を確認しようなんて微塵も思わない。今すぐこの場から逃げ出したいと全身が叫んでいた。
(ああッ!動けないなんてもんじゃない…!ここにいるだけで内臓が潰されてしまう…ッ!)
そんな錯覚を覚えるほど異常な空気。脂汗と鳥肌が止まらない。ここで彼女が失禁してしまっても誰も笑わないであろう。それくらいのプレッシャーだった。
だが彼女はこの理不尽な空間に、自由が効かない全身の硬直に抗おうと、なんとか右手の親指を動かした。
逃げたい、逃げる、生きたい、その一心で無理矢理に体を後退させた。
「…くっくっく」
不意に部屋に放たれる重低音の笑い声。
その瞬間、今までの空気が軽くなるのを感じた。
「……っは…はぁ…ッ」
気付かぬうちに止めていた息を吐き出す。
先ほどとは打って変わり、楽に体を動かせた。
そして彼女は無意識に笑い声の元を目で辿ってしまう。
「はっ…はっ…」
この世の色を全て塗りつぶすかの様な漆黒の瞳。それと同等の後ろで固められたオールバック。大柄で引き締められた肉体。赤子の頭程にある腕、笑うたびに揺れる喉仏。
「…はぁ…っ」
頭が冴え段々と呼吸が落ち着いてきたところで、横から場に似合わない笑い声が飛んできた。
「あはは、そんなに虐めないであげてよ。可哀想なくらい震えてんじゃん」
「…っ」
よくもまあ笑っていられるものだとシャロンは怒りを覚えた。隣に居てこの男は、何も感じなかったのか。あの死を目前にした重圧に、なぜ普通の顔をして立っているのか。
やせ我慢か、それとも、それを感じられるほどまともな神経を持ち合わせていないのか。
「…はぁ」
恐らく後者なんだろうと彼女は諦めの表情になる。
「…面白いな」
「あは!でしょ!?主のソレで気ィ失わないやつ久しぶりだもんね?面白いよね?じゃあ、入れてもいい?」
「…好きにしろ」
「やった!ありがとう主〜!」
トントン拍子に進む話。訳もわからず彼女に口を挟む余地は無かった。
恐らく自分の処遇についての事だろうとは思ったが、彼女はここまでの過程で全てを諦めていた。
(どうなろうと無理だこれ。多分どの道死ぬ)
死刑であってもそうでなくても、こんな化け物達に目をつけられて生きていられるとは思えなかった。
「それじゃここからはいつも通りで」
「ああ…また鳥をよこす」
「はーい。面白いこと待ってるね」
大きな扉を潜り抜け、再び廊下に出た。
そして男はやりきったような笑顔で口を開いた。
「じゃ、君のこれからについてだけど…」
心を落ち着ける時間が欲しい。
シャロンは切実にそう願った。
主人公は鎖骨フェチです(裏設定)




