第7話:国際問題? 庭のゴミ(素材)が国家予算級だった件
翌朝……
チュンチュンと鳥のさえずりが聞こえる、絵に描いたような穏やかな田舎の朝だった。俺は実家の古びた布団の中でゆっくりと目を覚まし、大きく伸びをした。
「……ふぁ〜あ。よく寝た」
ブラック企業に勤めていた頃は、朝起きるのが地獄のようだった。睡眠時間は平均三時間。目覚まし時計のけたたましい音でビクッと跳ね起き、動かない体に鞭を打って満員電車に飛び乗る毎日。
しかし今は違う。目覚まし時計をかける必要すらない、完全なる自由。さらに昨夜、俺を不当に扱っていたあの憎きブラック企業が、国家権力の手によって物理的に崩壊するというスカッとするニュースまで見届けたのだ。今の俺の精神状態は、過去最高に澄み切っていた。
「よし、今日は宣言通り、ホームセンターに行って新しいトマトの苗と、最高級の培養土を買ってくるぞ。スパチャのお金も(まだ振り込まれてないけど)あるしな!」
俺が気合を入れて布団から出ると、足元で丸くなっていた銀色の巨大な毛玉──ポチ(S級神獣フェンリル)が、嬉しそうに尻尾を振ってすり寄ってきた。
「ウォンッ! ハッ、ハッ、ハッ!」
「おはよ、ポチ。お前も散歩のついでに行くか? あ、でもお前デカいからホームセンターには入れないかもな。まあ、荷物持ち用のリヤカーでも引かせてやるよ」
神話に名を残す絶望の神獣を完全に駄犬扱いしながら、俺はジャージに着替え、顔を洗ってから玄関の扉を開けた。初夏の爽やかな風と、緑の匂いが胸いっぱいに……。
「──お待ちしておりました、我が神聖なる師よ!!」
……広がるはずだった俺の視界は、異様な光景によって完全に埋め尽くされていた。
「うおっ!?」
俺は思わず後ずさった。実家の広大な前庭。そこには、ピカピカの黒塗りの高級車が数十台、隙間なくズラリと駐車されていたのだ。さらに、周囲を囲むようにして、黒服にサングラス姿の屈強なSPたちや、重武装の警察官、そしてテレビでしか見たことがないような軍用車両までが待機している。
その中心、我が家の玄関先に両膝をついて控えていたのは、すっかり顔なじみ(?)となったトップギルド『紅蓮の剣』のリーダー、レオンだった。
彼は今日もフルアーマー姿で、俺の顔を見るなり、狂信者のような恍惚とした笑みを浮かべて深く頭を垂れた。
「おはようございます、師匠! 昨晩はゆっくりと御休みに……いえ、神の御霊を休めることができましたでしょうか! 我々『紅蓮の剣』、一睡もすることなく、不届きな羽虫どもからこの聖地を完璧にお守りいたしました!」
「え、あ、うん。おはよう……って、ちょっと待って。何この状況?」
俺がドン引きしながら周囲を見渡すと、SPたちの奥から、ガタガタと震えながら歩み出てくる初老の男たちがいた。全員が仕立ての良さそうな高級スーツを着ているが、その顔面は蒼白で、額からは滝のような汗が流れ落ちている。
「お、お初にお目にかかります……! わ、わたくし、ダンジョン管理庁の長官を務めております、東郷とうごうと申します……ッ!」
「おなじく、日本探索者ギルド協会の総会長、権田ごんだです……! こ、この度は、突然の訪問、誠に申し訳ございません!!」
彼らは俺の前に立つなり、レオンと同じように、舗装もされていない庭の土に両膝をつき、そのまま勢いよく土下座をした。
「ええっ!? 長官!? 総会長!?」
俺は完全にパニックになった。ダンジョン管理庁といえば、日本国内のダンジョンやモンスターに関する一切を取り仕切る、国の最高機関だ。その長官といえば、実質的に大臣クラスの超VIPである。ギルド協会のトップも同様だ。そんな雲の上の存在たちが、なぜただの無職のジャージ男の家の前で、泥だらけになって土下座しているのか。
「あ、あの、頭を上げてください! 服が汚れちゃいますよ! ていうか、何でそんな偉い人たちが俺の家に!?」
俺が慌てて声をかけると、東郷長官はブルブルと震えながら、裏山の方角を指差した。
「そ、それにつきましては……あなた様が昨日の『草刈り』で生み出された……あ、あの莫大な恩恵ゴミについて、国として正式なご挨拶と、交渉をさせていただきたく……ッ!」
恩恵ゴミ?
俺は長官の指差す方へ視線を向けた。そこには、昨日の夕方に俺がお爺ちゃんのクワでかち割った、全長五十メートルを超える超弩級の怪物『エンシェント・ブラックドラゴン』の黒光りする死体が、まるで巨大なオブジェのように鎮座していた。その手前には、草刈り機で薙ぎ払ったミノタウロスの群れや、シャベルで打ち落としたワイバーンたちの死体が、文字通り山積みにされている。
「あー、……あれか」
俺はポリポリと頬を掻いた。確かに、あれだけの巨大な生ゴミを裏山に放置しておくのは衛生的に良くない。いくら田舎でご近所さんが遠いとはいえ、腐敗臭が漂ってきたら大迷惑だ。今日はホームセンターに行く前に、なんとかしてあれを市役所の粗大ゴミか、焼却炉に持っていけないかと悩んでいたところだった。
「なるほど、不法投棄の注意ですね。すいません、昨日ちょっと張り切りすぎちゃって。俺一人じゃあの量のゴミは処理しきれなくて、後でどうにかしようと思ってたんですよ」
俺が正直に謝罪すると、土下座していた東郷長官と権田会長が、「ヒィッ!」と短い悲鳴を上げて顔を見合わせた。
「ご、ゴミ……ッ! あの神話級のドラゴンの骸を、ゴミと……!」
「あ、ありえん。ミノタウロスやワイバーンの素材だけでも、市場に出せば国家予算が数回は吹き飛ぶ代物だぞ。ドラゴンの素材に至っては、鱗一枚で最新鋭のイージス艦が買えるレベルだ。それが、ゴミ……?」
彼らはヒソヒソと震える声で何かを囁き合っている。俺にはよく聞こえなかったが、どうやら『ゴミの処理費用』について揉めているらしい。確かに、あんな巨大なトカゲの死体を処理するには、特殊な重機や焼却施設が必要になるだろう。国や自治体に頼むにしても、莫大な手数料を請求されそうだ。
「あの、処理費用なら、昨日配信でいただいたお金が入ったらお支払いしますんで、とりあえず持っていってもらえませんか? 庭のスペースを塞がれてて、新しいトマトの苗を植える場所がないんです」
俺がそう提案した瞬間、東郷長官と権田会長は雷に打たれたようにビクンと体を震わせ、再び深々と地面におでこを擦り付けた。
「な、なんと慈悲深きお言葉……!! 処理費用など、とんでもございません!! あなた様が狩られたあの神話級素材、我々日本国が総力を挙げて、言い値で買い取らせていただきたいのです!!」
長官の合図と共に、後ろに控えていたSPたちが、一斉にジュラルミンケースを持って前へ進み出た。カチャッ、という乾いた音と共にケースが開かれる。俺の目の前に広がったのは、隙間なく敷き詰められた一万円札の束。それが、十個、二十個と並べられていく。
「こ、こちらは、ほんの手付金に過ぎません! 現金で用意できたのが百億円分しかなく、誠に申し訳ございません! 残りの数兆円……いえ、数十兆円にのぼるであろう買い取り金額につきましては、国家予算を特別枠で編成し直し、十年ローンで必ずお支払いいたします! どうか、どうかあの素材を我が国にお譲りください!!」
「……はい?」
俺の思考回路は、完全にフリーズした。
手付金、百億円。残りは数十兆円の十年ローン。庭に放置していたデカいトカゲの死体と、草刈りのついでに狩ったバケモノの死体が、国家予算レベルの金額で買い取られる?あまりにもスケールが違いすぎて、脳が理解を拒否している。
「いやいやいや、ちょっと待ってください。あんなの、ただの裏山の害獣ですよ? いくらなんでも数十兆円なんて……ドッキリですか? カメラどこですか?」
俺が現実逃避をして周囲を見回していると、レオンが立ち上がり、真剣な表情で説明を始めた。
「師匠、彼らは正気です。エンシェント・ブラックドラゴンの素材は、文字通り『世界を変える』力を持っています。あの漆黒の鱗は戦術核の直撃すら無傷で弾き返し、心臓(魔石)は一つの大都市の電力を百年以上賄う無尽蔵のエネルギー源となります。血の一滴すら、あらゆる不治の病を治す万能薬となる。……あれは、人類が手にするには早すぎる、まさに神の遺産なのです」
レオンの言葉に、長官たちも激しく首を縦に振っている。
「そ、その通りです! あの素材がもし他国の手に渡れば、世界の軍事バランスは一瞬で崩壊します! 我が国の……いや、人類の未来は、結城様、あなた様の御心一つにかかっているのです!」
大の大人が、国のトップが、一介の無職元社畜に向かって涙ながらに懇願している。俺は頭を抱えた。ただ庭の掃除をしただけなのに、なんで国防とか人類の未来とか、そんな壮大な話になっているんだ。俺はただ、平和にトマトを育てて、ポチと戯れるスローライフを送りたかっただけなのに。
「えーっと……つまり、俺はあのゴミ……じゃなくて素材を、お国に渡せばいいんですよね? お金はそんなにいらないんで、とりあえず早く片付けてもらえませんか?本当に今日中に土を耕したいんで」
俺がそう言って妥協しようとした、まさにその時だった。
バタバタバタバタバタッ!!!!!
突如として、上空から鼓膜を劈くような凄まじい轟音が鳴り響いた。強烈なダウンウォッシュ吹き下ろしの風が前庭の砂埃を巻き上げ、SPたちや長官が悲鳴を上げて帽子を押さえる。見上げると、国籍不明の真っ黒な巨大ステルスヘリコプターが三機、我が家の上空にホバリングしていた。
「な、なんだ!? 国籍不明機だと!?」
「自衛隊のレーダーをどうやって抜けたんだ!?」
長官たちがパニックに陥る中、ヘリのハッチが開き、数十メートル上空から数人の人影がロープもなしに直接飛び降りてきた。
ズドォォォォォンッ!!
まるで隕石が落ちたかのような轟音と共に、実家の前庭(お爺ちゃんが大事に手入れしていた盆栽の棚のすぐ横)に、土煙を上げて男たちが着地する。
土煙が晴れると、そこには筋骨隆々の巨漢や、サイボーグのように機械化された義眼を持つ男など、見るからに只者ではないオーラを放つ外国人たちが立っていた。
「Hahaha! 間に合ったようだな、ジャパニーズ・ガバメント日本政府の諸君! 我々を出し抜いて、極東の小さな島国で神話級素材を独占しようなどと、虫が良すぎる話だぞ!」
先頭に立つ金髪でサングラスをかけたハリウッド俳優のような男が、流暢な日本語で高笑いした。その胸元には、白頭鷲を模したエンブレムが輝いている。
「あ、貴様らは……アメリカ合衆国が誇る世界最強の探索者ギルド、『スター・スパングルド』のメンバー!! なぜここに!?」
権田会長が絶望的な声を上げた。
「決まっているだろう? 昨日の配信は、ホワイトハウスのシチュエーションルームでもリアルタイムで監視していたからな。大統領からの直接命令だ。何が何でも、あのサムライ・ファーマーと神話級の遺骸を我が国に迎え入れろとな」
サングラスの男──アメリカのトップ探索者は、長官たちを鼻で笑うと、真っ直ぐに俺の方へと歩み寄ってきた。そして、レオンが腰の剣を抜いて立ち塞がるのを手で制し、俺に向かってウインクをした。
「Hey、ユウト! 君のクレイジーな草刈り、最高にクールだったぜ! どうだい、あんな貧乏くさい日本政府の提示額なんか蹴っ飛ばして、我々アメリカと専属契約を結ばないか? グリーンカードはもちろん、ハワイのプライベートアイランドと、一生遊んで暮らせるだけの莫大なドルを約束しよう。あのドラゴンの素材も、我々がすべて適正価格で買い取ってやる」
アメリカのトップ探索者が、自信満々に右手を差し出してくる。彼の後ろにいるサイボーグ男や巨漢たちも、威圧的なオーラを放ちながら長官たちを睨みつけ、力でこの場を制圧しようとしていた。
「な、なんて横暴な……! ここは日本の領土だぞ!」
「力ずくで奪う気か……ッ!」
日本政府とアメリカのトップギルド。国家間の威信をかけた、一触即発の事態。空にはステルスヘリが旋回し、庭には重武装のSPと超人たちが睨み合う。少しでも火種が落ちれば、ここを震源地として第三次世界大戦すら始まりかねない、極限の緊張状態だった。
だが俺の視線は、彼らの手元でも、凄まじいオーラでもなく、ただ一点の足元にのみ注がれていた。
「…………おい」
俺の、地の底から響くような極めて低い声が、騒然としていた庭に響き渡った。
「ん? どうした、ユウト。交渉成立かい? Hahaha、賢明な判断だ!」
サングラスの男が笑いながら一歩、前へ踏み出そうとした。
「動くな」
俺の言葉は絶対的な命令として空間を支配した。その声に込められていたのは、神話級ドラゴンをワンパンで沈めた時よりもさらに深く、暗く、純粋な怒りだった。
俺はゆっくりと顔を上げ、アメリカのトップ探索者を、そして日本政府の長官たちを氷のような瞳で見据えた。
「お前ら……さっきから、どこに立ってるか分かってんのか?」
「え……?」
サングラスの男が不思議そうに足元に視線を落とす。そこにあるのは、俺が昨日、ドラゴンに踏み潰された後、泣きながら土を耕し直し、肥料を撒いて、今日新しい苗を植えるために完璧な状態に仕上げておいた『自家製・最高級ふかふか菜園スペース(予定地)』だった。
彼らは、ヘリから飛び降りた衝撃でそのふかふかの土を大きくえぐり、さらには革靴やコンバットブーツで、俺の血と汗の結晶である土壌を無残に踏み荒らしていたのだ。
「俺の……俺の、大事なトマトのベッドを……よくも、土足で踏み荒らしてくれたな……!!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォッ……!!!!!
俺の体から、無意識のうちに放出された『元社畜の怒りのオーラ(※規格外の物理的プレッシャー)』が、実家周辺の空間を激しく歪ませた。
空を覆っていた雲が一瞬にして吹き飛び、大気がビシビシと悲鳴を上げる。俺の足元にいたポチ(神獣)ですら、ヒィンッ!?と情けない声を上げて尻尾を巻き、犬小屋の裏へと猛ダッシュで隠れてしまった。
「な、なんだこのプレッシャーは……ッ!? 息が、息ができない……ッ!!」
さっきまで余裕しゃくしゃくだったアメリカのトップ探索者が、信じられないものを見るような目で俺を見上げ、ガクガクと膝を震わせた。彼の背後にいた巨漢も、サイボーグ男も、圧倒的な力の差を本能で悟り、武器を落としてその場にへたり込んでいる。
俺はゆっくりと歩み寄り、サングラスの男の胸ぐらを鷲掴みにして、軽々と持ち上げた。
「いいか、よく聞け。日本政府だかアメリカだか知らないが、俺にとってはどっちでもいい。国家予算? そんな紙切れより、俺のトマトの土の方が一億倍価値があるんだよ!!」
「ヒィィィィッ!! お、お許しをぉぉぉ!! No! No Tomato! I'm sorry!!」
世界最強の一角を担う男が、涙と鼻水を流しながら空中で手足をバタバタさせて命乞いをする。俺は彼を地面にポイッと放り投げると、今度は東郷長官たちの方を振り返った。
「日本政府もだ。買い取るならさっさと買い取って、この裏山のゴミ(神話級素材)を全部片付けろ。期限は今日のお昼の十二時までだ。それまでに庭と裏山をピカピカの更地にして、踏み荒らした土を元通りに耕しておかないと……次はお前らが、あのデカいトカゲと同じ目に遭うと思え」
俺がお爺ちゃんのクワを指差して冷酷に言い放つと。
「「「イエッサーーーーーーッ!!!!! 直ちに原状回復および撤去作業に入ります!!!!!」」」
日本政府のトップと、アメリカの最強ギルドが、完全に心を一つにして絶叫した。国家間の対立など、もはやどこかに消し飛んでいた。今、彼らの共通の目的はただ一つ。『この理不尽な神農家の怒りに触れる前に、全力で庭掃除を完遂すること』
「よし。じゃあ俺は、自転車でホームセンターに行ってくるから。帰ってくるまでに終わらせとけよ」
「「「いってらっしゃいませぇぇぇぇぇッ!!!」」」
俺が愛車であるサビだらけのママチャリにまたがり、ギコギコとペダルを漕ぎ始めると、背後では世界を動かす超VIPたちが、高級スーツや戦闘服を泥だらけにしながら、必死の形相で裏山のゴミ拾いと、プランターの土いじりを開始する音が聞こえてきた。
「ふぅ……。まったく、最近の都会の人間はマナーが悪くて困る。さて、今日は奮発して一番高い甘玉トマトの苗を買っちゃうぞー」
初夏の青空の下、俺の乗るママチャリは、のどかな田舎道を軽快に走り抜けていく。背後で何兆円という金が動き、世界各国のパワーバランスが激変していることなど露知らず……。
元ブラック企業社員の俺の心は、これから始まる楽しいホームセンター巡りへの期待で、キラキラと輝いていたのだった。
次回、第8話「世界最強の農家、ホームセンターへ行く(※そこもダンジョンでした)」
無事に庭の掃除を国家権力に押し付けたユウトは、愛用のママチャリで地元の巨大ホームセンターへ。しかし、そのホームセンターは数日前に『未知のダンジョン』へと変貌し、モンスターの巣窟と化していた!「なんで肥料売り場にオークがいるんだよ! 邪魔だ!」トマトの苗を求めて、日用品(※実はすべて神話級アーティファクト)を駆使したユウトの新たなる無双が開幕する! どうぞお楽しみに!




