第51話「祖父の納屋から古い種袋が出てきたので、みんなで春の畑を考えることにした」
当番表を作ってから三日目の朝。農園は少しだけ静かになった。
静かになったといっても、静寂魔獣が奏でる焚き火の音が止まったわけじゃない。ポチが雪の上を走る音も、ブルーが用水路の氷をつつく音も、鶏小屋から聞こえるフェニックスたちの賑やかな鳴き声も、相変わらずだった。ただ、みんなが慌てなくなった。
「ポチの朝ご飯、できたよー」
ヤクちゃんがエプロンの裾を揺らしながら、玄関先に置いた大きな器へご飯を運んでいく。
「ワフッ!」
ポチは嬉しそうに尻尾を振ったあと、当番表を一度見上げてから、きちんと待っていた。別に文字が読めるわけじゃないと思うんだけど、最近は自分の名前の横にある肉球の印を、すっかり気に入っているらしい。
「マスター・ユウト、温室の朝番、終わりました」
ゼロさんが、手袋についた雪を払って縁側へ上がってきた。
「お疲れさま。今日は早いね」
「当番表のおかげです。次の担当が明確なので、ついでに余計な巡回まで済ませようとする衝動を抑えられます」
「それはよかった……のかな?」
たぶん、よかったんだと思う。以前のゼロさんなら、頼まれていない仕事まで全部片付けようとして、昼過ぎになってから「異常ありません!」と報告していた。そのたびに俺は、お茶を淹れて休ませる係になっていたからだ。
朝ご飯を終えたあと、俺は納屋へ向かった。
外は細かな雪が舞っている。今日は雪かき当番がいるから、畑に出て無理をする必要はない。温室の中で育てる春野菜の種でも探そうと思ったのだ。
祖父の納屋は、今も昔のままだ。壁に掛かった使い込まれたクワ。何度も補修された脚立。油の匂いがしみついた工具箱。そして、草刈り機の横には、祖父が大事にしていた木箱がある。
「この箱、まだ開けてなかったな」
古びた留め金を外すと、蓋がギィ、と小さく鳴った。
中に入っていたのは、きれいに紐で束ねられた種袋と、何冊かの薄いノートだった。
「……じいちゃんの字だ」
ノートの表紙には、太い筆圧で『畑の覚え書き』と書いてある。
ページをめくると、そこには野菜の名前と、種をまく時期、土の様子、日当たりの記録が並んでいた。春大根、絹さや、ほうれん草、小松菜。枝豆は早すぎると寒さにやられるから、焦らないこと。
神話級の作物の育て方なんて一行もない。でも、土が乾きすぎた日は水をやりすぎないことや、虫を見つけたら葉の裏も見ること、収穫が多すぎる時は近所に配ることが、細かく書かれていた。
俺は、しばらくその文字を眺めていた。
「何を見つけたのですか?」
後ろからエルリアさんの声がした。
振り返ると、ヤクちゃんとゼロさんも一緒に立っている。ポチまでなぜか当然のような顔で、納屋の入口に座っていた。
「じいちゃんの種と、畑のノート。春になったら何を植えようかと思ってさ」
「まあ。おじい様が遺されたものなのですね」
エルリアさんは、そっとノートをのぞき込んだ。
「この『土を休ませる畝』というのは何でしょう?」
「何も植えない場所だよ。ずっと使い続けると土が疲れちゃうから、たまには休ませるんだ」
俺が答えると、ヤクちゃんが不思議そうに首を傾げた。
「土もお昼寝するの?」
「うん。そんな感じ」
「じゃあ、土さんにもお昼寝の印をつけようよ!」
ヤクちゃんは、当番表に使っている色鉛筆を思い出したらしい。すぐに母屋へ走っていこうとして雪で滑りそうになり、ポチが慌てて服の裾をくわえた。
「急がなくていいよ。まずは何を植えるか決めよう」
種袋を机の上に並べる。祖父の字で、収穫の時期や、隣に植えると相性のいい野菜が書き込まれていた。ただ、古い種袋も多い。発芽するかは分からない。
「これは無理に使わなくてもいいかな」
俺がそう言うと、ゼロさんが一枚の袋を手に取った。
「マスター・ユウト。芽が出なければ、私が毎朝必ず地面に話しかけます」
「ゼロさん、気持ちは嬉しいけど、種が出るかどうかは土と温度次第だからね」
「では、土と温度への話しかけを徹底します」
真面目な顔で言われて、俺はつい吹き出してしまった。
「それなら発芽試験をしてみようか。少しだけポットにまいて、芽が出たら畑に移してみよう」
「発芽試験……。小さな命の様子を見る、大切な最初の仕事ですね」
エルリアさんの言葉に、ゼロさんは静かに頷いた。
俺はノートをさらにめくった。最後の方のページには、作付けの記録ではなく、短い文章が残されていた。
──畑は広く見えるが、一人で見られる場所には限りがある。
──無理をして荒らすより、手の届くところを丁寧にやれ。
祖父らしいな、と思った。
もっと働け、もっと稼げ、と言う人はいくらでもいた。でも祖父は昔から、日が暮れたら今日は終わりだと言って、畑仕事を切り上げる人だった。
「ユウト様?」
「いや。じいちゃんも、当番表みたいなのが好きだったのかもなって」
俺はノートを閉じた。
「今年の春は、畑を全部埋めるのはやめよう。温室で試す分と、外で育てる分。それから、土を休ませる畝も作る」
「全部、植えなくてもよいのですか?」
エルリアさんが尋ねる。
「うん。空いてる畑があると、もったいない気もするけどね。でも、みんなでちゃんと見られる量の方が、美味しい野菜になると思う」
その時、納屋の外からひらりと雪が吹き込んだ。
白い雪片は、種袋の上に落ちる前に、ゼロさんがそっと手のひらで受け止めた。
「承知しました。では、見られる畑を最高の畑にいたしましょう」
「わたし、土さんのお昼寝の札を作る!」
「ワフッ!」
ポチまで賛成している。
その日の午後、俺たちは母屋の机いっぱいに種袋を広げ、春の畑の予定を作った。
ヤクちゃんは休ませる畝の横に、眠そうな顔をした土の絵を描いた。ゼロさんは発芽試験用の小さなポットを、寸分違わずきれいに並べた。エルリアさんは、温室と畑の担当が偏らないよう、みんなの名前を当番表に書き足してくれた。
窓の外はまだ真冬で、畑は雪の下に眠っている。それでも、机の上に並んだ小さな種袋を見ていると、少しだけ春の匂いがした。
「明日は、温室でほうれん草を少しだけまこうか」
俺が言うと、ヤクちゃんが両手を上げた。
「はーい! わたし、芽が出たら毎日『おはよう』って言うね!」
「いいね。でも、話しかけるのはほどほどに」
「ゼロ殿と競争しないよう、私からも申し伝えます」
エルリアさんが真剣に言うので、またみんなで笑った。
雪の季節はまだしばらく続く。けれど、急がなくていい。春が来るまでに、できることを少しずつ整えていけばいいのだ。




