↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クビになった元社畜、実家のS級ダンジョンを草刈り機で攻略して世界最強の配信者になる  作者: 綾瀬 灯


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
51/54

第50話「冬の朝、時間がゆっくりすぎるので、限界オーラは使わずに農園の当番表を作ることにした」

朝、目を覚ますと、障子の向こうはまだ薄青かった。


しんしんと雪が降っているらしい。屋根から落ちる雪の音さえ、縁側にいる静寂魔獣が奏でるやわらかな環境音に溶けて、どこか遠くの出来事みたいに聞こえる。


「……寒いな」


布団から顔だけ出して呟くと、隣の部屋から、もぞもぞと布の擦れる音がした。


「ユウトさまぁ……。お外、まだ真っ暗?」


厚手のパジャマにくるまったヤクちゃんが、眠たそうな目で襖から顔を出す。頭の寝癖が、いつもより少しだけ派手だ。


「まだ朝早いよ。もう少し寝ててもいいけど……朝ご飯、食べるかい?」


「食べるぅ」


返事だけはずいぶん早い。俺は思わず笑って、火鉢の炭を軽くならした。


居間の中央では、巨大なコタツが今日もぬくぬくと熱を放っている。熱源にしている炎魔神のコアは、相変わらず絶妙な温度を保っているし、天板の隅にちょこんと座った時間加速の悪魔は、俺たちが起きたのを見て慌てて背筋を伸ばした。


「オ、オハヨウゴザイマス! 本日モ、コタツ周辺ハ体感時間ヲ三倍ゆっくりニ調整シテオリマス!」


「うん、ありがとう。おかげでよく眠れたよ」


俺が礼を言うと、悪魔は時計の針を抱きしめるようにして、ほっとした顔をした。


最初は、こんな便利な空間があるなら、冬の間ずっとコタツから出なくてもいいんじゃないかと思った。外が雪でも、温かいお茶とみかんと干し芋があれば、わりと本気で幸せに暮らせる気がする。


けれど、農園には毎朝やることがある。


ポチ(S級フェンリル)の散歩。鶏小屋の見回り。ビニールハウスの温度確認。ブルーのいる用水路の氷割り。それから、夜番のタナトスさんとの引き継ぎ。


「よし。そろそろみんなを起こして、朝の仕事を片付けようか」


そう言って時計を見た俺は、少しだけ首を傾げた。


居間にある古い掛け時計は、七時半を指している。


「あれ? こんなに寝てたっけ」


いつもなら、障子の向こうが白む頃に起きたはずだ。コタツの中では、たしかにずいぶんゆっくりしていた。でも、外の時間までこれほど進んでいるとは思わなかった。


俺は急いで長靴を履き、玄関を開けた。冷たい空気が頬に触れる。雪は止んでいたが、農園のあちこちに朝の光が差し始めている。


「ワフッ」


ポチが玄関脇で行儀よく座っていた。尻尾を振っているが、いつもより少しだけ勢いがない。


「ごめんごめん。待たせたな。すぐご飯にしよう」


ポチの隣には、エルリアさんが厚いマントの襟を押さえながら立っていた。足元には、朝の冷えで薄く凍った水桶がある。


「ユウト様、おはようございます。たいしたことではないのですが……本日の朝番が、少し混乱しておりまして」


「混乱?」


「はい。ゼロ殿は、皆様がお休みになっていると思い、起こさぬよう一人で鶏小屋の見回りへ。わたくしは用水路を確認しようとしたのですが、ブルーがまだ朝餌を待っていて……」


エルリアさんの言葉が終わる前に、用水路の方から「キュイィ……」という、少しだけ寂しそうな鳴き声がした。


見に行くと、氷の縁から顔を出したブルーが、申し訳なさそうにこちらを見ていた。水面を温めることはできても、朝のご飯を自分で用意するのは難しいらしい。


「悪かったな、ブルー。腹減ったよな」


俺がしゃがんで頭を撫でると、ブルーは大きな体を縮めて、俺の手に頬を寄せてきた。その様子を見て、胸の奥が少しだけきゅっとした。


昔の俺なら、起きる時間も寝る時間も会社に決められていた。遅れたら怒鳴られるから、何より先に時計を見る癖がついた。


でも今は違う。


農園のみんなは、俺が急かさなくても一生懸命に働いてくれる。だからこそ、誰かが待ちぼうけになったり、誰か一人が無理をしたりするのは、なんだか嫌だった。


「エルリアさん。ゼロさんはどこに?」


「温室です。朝の作業が遅れぬようにと」


温室へ向かうと、ゼロさんは雪の残る屋根の下で、黙々と苗の様子を見ていた。いつもの黒装束の上から、俺が以前渡した紺色の防寒ジャージを着ている。


「マスター・ユウト! 申し訳ありません。私の判断で、鶏小屋、温室、倉庫の巡回を済ませました。異常はありません」


「ありがとう。でも、ひとりで全部やらなくていいんだよ」


ゼロさんはぴたりと動きを止めた。


「しかし……皆様を起こすなど、私には」


「起こしていいんだ。朝番なんだから」


俺がそう言うと、ゼロさんは少し困ったように目を伏せた。


「……承知しました。ですが今朝のように、時間の感覚が違うときはどなたに確認すればよいのでしょう」


たしかに、それはもっともだ。


時間加速の悪魔が悪いわけじゃない。あいつは、俺たちにのんびりしてほしくて、言われた通りに時計をいじってくれているだけだ。


問題は、コタツの中と外で、みんなの一日が少しずつずれてしまうことだった。


「……よし、だったら分かるようにしよう」


俺は母屋に戻ると、納屋から使っていない大きなベニヤ板を引っ張り出した。去年まで野菜の出荷予定を書いていたものだ。表面を布で拭き、白いペンキを薄く塗る。


「ユウトさまー、それは何ですかー?」


ヤクちゃんが、湯気の立つ甘酒を両手で持ちながら覗き込んできた。


「当番表だよ。誰が何をするか、朝と夜で書いておこうと思って」


「当番表?」


「うん。時間がゆっくりの日でも、ポチのご飯とブルーの朝ご飯だけは、外の朝に合わせる。夜勤の人は、そのあとちゃんと休む。もし誰かが寝てたら、次の人が代わる。そんな感じかな」


俺は板の上に、ゆっくりと文字を書いていった。


『朝番・夜番・餌やり・温室。・雪かき・休憩』


休憩という文字は少し大きめにした。


「休憩も書くのですか?」


エルリアさんが不思議そうに尋ねる。


「書くよ。仕事ばかり書くと、空いたところまで仕事で埋めたくなるから」


自分で口にしてから、昔の上司の顔が一瞬だけ浮かんだ。


空いた時間を見つけるたびに、新しい仕事を積み上げていく人だった。あんなふうにはなりたくない。


「休む予定も、予定のうちだよ」


俺が言うと、そばで聞いていたタナトスさんが、夜勤用マントの襟をギュっと握った。


「……社長。そのお言葉、夜間警備員として胸に刻みます」


「いや、そこまで大げさじゃなくていいから。タナトスさんは、朝になったら寝てください」


「は、はい……!」


それから、みんなで当番表の前に集まった。


ゼロさんは温室と鶏小屋。エルリアさんは朝の連絡役。タナトスさんは夜番が終わったら必ず休憩。ポチは散歩と見回り。ブルーは用水路の水加減を知らせる係。ヤクちゃんは、朝ご飯の配膳を手伝ってくれることになった。


「わたし、卵を運ぶの得意だよ! 一個も割らないようにするね!」


「頼りにしてるよ。ただし、急がなくていいからね」


「はーい!」


最後に、時間加速の悪魔にも板を見せた。


「悪魔くん。コタツの時間は、この『ゆっくり時間』の札が出てるときだけにしよう。朝番の前と、夜番の交代前は、外と同じ速さに戻してくれる?」


「モ、モチロンデス! 皆様ノ生活リズムヲ守ル『定時運転モード』、直チニ設定イタシマス!」


悪魔は、今までで一番誇らしそうに時計の針を整えた。


昼前には、遅れていた朝の仕事がすっかり片付いた。


ポチは満腹になって雪の上を駆け回り、ブルーは用水路で楽しそうに水しぶきを上げている。鶏小屋からは、フェニックスたちの元気な鳴き声が響いていた。


俺たちは縁側に小さな机を出して、炊きたてのご飯と卵焼き、それから具だくさんの味噌汁を囲んだ。


「ユウトさまー、今日の卵焼き、いつもより甘い気がする!」


「気のせいじゃないかな。ヤクちゃんが丁寧に運んでくれたから、美味しくなったのかも」


「えへへ」


雪景色を見ながら飲む温かい味噌汁は、体の奥まで染みた。


食べ終わる頃、エルリアさんが当番表を眺めて小さく笑った。


「不思議ですね。世界を越える力より、この板に書かれた文字の方が、わたくしたちには安心に思えます」


「そうかな」


「はい。次に何をすればよいか。そして、いつ休めばよいかが分かりますから」


俺も、白い板を見た。


そこに書いてあるのは、たいしたことじゃない。朝ご飯の時間と、畑の見回りと、交代で取る休憩だけだ。でも、こういうたいしたことじゃないものを、ちゃんと守れる毎日がいい。


「じゃあ、午後は無理せず、雪かきだけ終わらせようか。終わったら、コタツでのんびりしよう」


「ワフッ!」


「賛成です!」


みんなの声が、冬の澄んだ空に広がっていく。


俺は湯呑みを両手で包みながら、雪に埋もれた農園を見渡した。


急がなくていい。けれど、誰かを待たせないように。そんな当たり前のことを大切にできるなら、この冬はきっと、去年より少しだけ上手に過ごせる気がした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。