第5話:トマトの苗、踏まれたのでキレます(※神話級ドラゴン戦)
「許さん。絶対に許さんぞ、あのデカトカゲ!!」
俺は怒りのあまり、配信用のスマホをその辺の草むらにポイッと放り投げた。そして、祖父の納屋から持ち出していた年代物の『クワ』を両手で固く握りしめると、地響きを立てる巨大生物めがけて猛ダッシュを開始した。
「あ、あ、あああ……っ!」
背後から、金髪の青年リーダーの情けない悲鳴が聞こえてくる。彼ら『紅蓮の剣』という中二病全開のギルド名を名乗るコスプレイヤー集団は、あまりの恐怖に腰を抜かし、その場でガタガタと震えることしかできていない。無理もない。彼らの視線の先、裏山の頂上付近に鎮座しているのは、神話の世界からそのまま飛び出してきたかのような、全長五十メートルを超える超弩級の怪物なのだから。
漆黒の鱗は、あらゆる光を吸収する底なしの闇のように黒く淀んでいる。背中に生えた巨大な翼が一度羽ばたくだけで、周囲の木々が暴風でへし折られ、空にはどんよりとした暗雲が立ち込めていた。
赤々と燃え盛る地獄の業火のような瞳が、見下すように地上を睨みつけている神話級モンスター。人類の天敵であり、一つの大陸を容易く焦土に変えるとされる絶望の象徴、『エンシェント・ブラックドラゴン』である。その圧倒的な威圧感は、生物の本能的な恐怖を直接揺さぶり、プロの探索者たちから一切の抵抗する気力を奪い去っていた。
「終わった……。何もかも、終わりだ……」
「まさか、こんな日本の片田舎に神話級が眠っていたなんて……」
「逃げることすらできない。日本は、今日で滅亡するんだ……」
プロの探索者たちは、ポロポロと涙を流しながら死を覚悟した。彼らは知っている。あのドラゴンが一度ブレスを吐き出せば、この山はおろか、ふもとの街から数十キロ先までが、一瞬にして灰燼に帰すことを。
しかしそんな絶望に包まれた空間の中を、一人のジャージ姿の男が、土煙を上げて猛然と突っ走っていた。
俺である。俺の脳内には、日本の滅亡も、人類の危機も一切存在していなかった。
あるのはただ一つ。
『俺の愛するトマトの苗を、あのでけぇ足でペチャンコにしやがった』という、底知れぬ怒りだけだった。
「社畜時代!! 唯一の癒やしだったベランダ菜園の!! 集大成を!! よくもォォォォォォォッ!!」
俺は血走った目でドラゴンを睨みつけながら、クワを大きく振りかぶった。エンシェント・ブラックドラゴンが、足元で騒ぎ立てる俺の存在に気づき、ゆっくりと首を下ろしてくる。ドラゴンの鼻息だけで、台風のような突風が吹き荒れた。
『……矮小な人間め。我の威光の前にひれ伏すこともなく、向かってくるとは愚かな』
ドラゴンがそう言っているかのように、赤い瞳が冷酷に細められた。そして、その巨大な顎がゆっくりと開かれ、口の奥底で、世界を滅ぼす漆黒のエネルギー——『滅びのブレス』が圧縮され始める。空間が歪み、パチパチと黒い稲妻が走った。直撃すれば、細胞一つ残さず消滅させられる究極の魔法攻撃である。
「ブレスが来る……! ダメだ、もう助からない……!」
金髪の青年が、絶望のあまり両手で頭を抱えた。しかし、俺の足は止まらない。
「ふざけるな! 人の家の庭で、勝手に焚き火すんじゃねええええええええ!!」
俺は地面を強く蹴り上げ、ありったけの力で跳躍した。毎日の満員電車で鍛え抜かれた足腰(※無自覚に発動している超絶物理ブースト)が、俺の身体をふわりと上空数十メートルまで押し上げる。そして、ドラゴンの巨大な鼻先——その顔面のど真ん中へと、空中で真っ向から対峙した。
「畑の土と一緒に、その硬そうな頭も耕してやる!!」
俺は両手で握ったクワを、上段から全力で振り下ろした。お爺ちゃんの形見のクワ。俺はただの頑丈な鉄製だと思っているが、その正体は、神々の武具を打ち直したとされる『超神遺物アーティファクト』。刃の部分には、触れるものすべての防御力を強制的にゼロにするという、チートじみた古代魔法のルーンがびっしりと刻まれている。そんな神殺しの農具が、俺のフルスイングによって、ドラゴンの硬度MAXの漆黒の鱗へと叩き込まれた。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
クワの刃が激突した瞬間。天地を揺るがすような凄まじい衝撃音が爆発し、強烈な衝撃波が裏山全体を薙ぎ払った。鋼鉄の数万倍の硬度を誇るはずのエンシェント・ブラックドラゴンの鱗が、まるで薄いガラス細工のように粉々に砕け散る。クワの刃は全く勢いを落とすことなく、ドラゴンの強靭な頭蓋骨を容易く陥没させた。
「ギャ、ギャプゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!?」
先ほどまでの威厳はどこへやら。脳天を直接かち割られた神話級ドラゴンは、カエルのような信じられないほど間抜けな悲鳴を上げた。口内で圧縮されていた『滅びのブレス』は暴発して霧散し、ドラゴンの巨大な目は白目を剥いている。
そして……
ズズゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ……!!
五十メートルを超える巨体が、糸の切れた操り人形のように重力に引かれ、裏山の大地へと沈んでいった。地響きと共に土煙が舞い上がり、周囲の木々がなぎ倒される。神話に語られし絶望の象徴は、たった一撃の『クワのフルスイング』によって、完全に沈黙したのだった。
「……ふぅ。全く、最近の害獣は無駄にデカくて困る」
俺は空中でクルリと一回転して見事な着地を決めると、肩にクワを担ぎ直してため息をついた。クワの刃こぼれを確認したが、やはり傷一つ付いていない。さすがはお爺ちゃんの道具だ。職人魂を感じる。
俺は倒れ伏した巨大なトカゲの死体を一瞥してから、急いで足元のプランターへと駆け寄った。
「ああっ……俺の、俺のチェリートマトが……」
無残に踏み潰され、茎からポッキリと折れてしまったトマトの苗。もう助からないだろう。社畜時代、深夜に帰宅してはベランダで水をやり、「お前だけが俺の癒やしだよ」と語りかけていた相棒の死に、俺は思わず目頭を熱くした。
「……ん?」
ふと背後からの視線に気づき、俺は振り返った。そこには、先ほどのコスプレイヤー集団……もとい、『紅蓮の剣』と名乗っていたプロ探索者たちが、全員で地面に這いつくばっていた。腰を抜かしているのではない。彼らは皆、土下座の姿勢のまま、信じられないものを見るような、狂信的な目で俺を見上げていたのだ。
「あ、あの……ご無事ですか? 怪我はないですか?」
俺が不思議に思って声をかけると。
「「「神ォォォォォォォォォォッ!!!」」」
彼らは突然、揃って大地におでこを擦り付けながら絶叫した。
「えっ、急に土下座!? なに!? 宗教!?」
「あなた様は……我々を、いや、この日本を救ってくださった救世主様だ!! まさか、神話のドラゴンを、そのような農具の一振りで葬り去るとは……!!」
金髪の青年が、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、俺の足元にすがりついてきた。
「我々は自らの無知を恥じるばかりです! どうか、どうかこの愚かな我々を、あなた様の弟子に、いや、下僕として一生お仕えさせてください!!」
「一生ついていきます! 神様! 師匠ォォォ!!」
他のメンバーたちも、口々に意味不明なことを叫びながら平伏している。俺は完全にドン引きしていた。いや、ただデカいトカゲをクワで叩いただけで、なんでこんなに崇められているんだ?現代の若者のノリは、おじさんにはよくわからない。
「あー、いや、弟子とかそういうのは募集してないんで……。俺、ただの無職なんで……」
俺が適当にはぐらかしていると、ふと、草むらに放り投げていた自分のスマホの存在を思い出した。
「あ、いけね。配信つけっぱなしだった」
俺は急いでスマホを拾い上げ、画面を確認した。スマホは偶然にも、俺がドラゴンに飛びかかり、クワでワンパンで沈めるまでの一連の動作を、完璧なアングルでカメラに収めていたようだ。俺は画面に表示されている数字と、流れるコメントを見て、今度こそ心臓が止まるかと思った。
【配信コメント】
[名無し] !!!!!!!!!!!!
[名無し] ファッ!?
[探索者A] 神話級ドラゴンをクワでワンパンwwwwwwwwwwwwww
[ダンジョンオタク] 俺は今、何を見せられているんだ……?
[名無し] トマトの苗 >>>>> 超えられない壁 >>>>> 世界の滅亡
[名無し] 日本の最終兵器、ジャージ姿で実家の草刈りしてた
[探索者A] 全世界の探索者よ、これが日本の『農家』だ。
[名無し] おっさん、お前がナンバーワンだ。
[名無し] 『紅蓮の剣』が完全に信者になってて草
[海外勢] OH MY GOD!! JAPANESE NINJA FARMER DRAGON SLAYER!!
コメントの流れる速度は、もはや滝を通り越して光の速さだった。そして、同接(同時接続者数)のカウンターは、俺がスマホを放り投げている間に、信じられない数字を叩き出していた。
『3,154,820人』
「さ……さんびゃくまん……!?」
日本の人口の数パーセントが、俺の配信を見ている計算になる。さらに、画面を埋め尽くすように、カラフルな帯が途切れることなく飛び交っていた。
【スーパーチャット】
[名無し] ¥50,000『トマトの苗、これで買い直してください!!』
[名無し] ¥100,000『地球を救ってくれてありがとう! トマト代です!!』
[名無し] ¥50,000『世界最強の農家に感謝のスパチャ!』
[石油王] $10,000『TOMATO FOREVER!!』
[探索者A] ¥50,000『うちのギルドマスターになってください!!』
「え? えっ!? なにこの投げ銭の額!?」
俺は目玉が飛び出そうになった。五万円、十万円という大金が、秒単位で何十件も投げ込まれている。計算するのも恐ろしいが、この数分間だけで、余裕で数千万円……いや、億単位のお金が動いているのではないだろうか。
「え、これ本当に草刈り配信だよね!? ていうか、ただのデカいトカゲ退治に、なんでこんなにお金払ってくれるの!?」
俺が画面に向かってパニックになりながら叫ぶと、それがまた視聴者の爆笑を誘い、さらにスーパーチャットが加速していく。
足元では、トップギルドのプロたちが「師匠! 我々にもトマトの苗を育てさせてください!」と土下座を続けており、ポチ(フェンリル)が「ご主人様すごいワン」と尻尾を振っている。
俺はスマホを両手で抱えながら、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。クビになった元社畜の、のんびりとした田舎スローライフ。それは開始わずか数時間で、世界中を巻き込む前代未聞の伝説へと変貌を遂げてしまったのだった。
次回、第6話「元ブラック企業、秒で崩壊する」
世界中で大バズりし、最強の農家(?)として認知されてしまったユウト。その噂を聞きつけた元・ブラック企業の社長が、「やっぱりうちに戻ってこい!」と手のひらを返して接触してくるが……。ユウトの狂信者と化したトップギルド『紅蓮の剣』が、合法的にブラック企業を叩き潰すスカッと回!どうぞお楽しみに!




