第46話「全宇宙の音を消し去る絶望の静寂魔獣が襲来したんだが、限界オーラで調律したら、極上のASMR音響装置になって農園の癒やしBGM係になった」
木枯らしが吹き抜け、初冬の澄んだ冷気が漂うユウト農園は、冬支度を終えて穏やかな静寂に包まれていた。
畑の作物たちはしっかりと冬の寒さに備え、庭の木々は葉を落として凛とした立ち姿を見せている。寒さが増すにつれて澄み渡る空気の中、サラサラと風が梢を揺らす微かな音や、火鉢の中でパチパチとはぜる炭の音が、縁側に心地よく響いていた。
「ユウト様、初冬の風の音って、なんだか心が洗われるみたいで素敵だね! 火鉢でお餅を焼きながら聞くの、だ〜い好き!」
火鉢の網の上で膨らむお餅を嬉しそうに見つめながら、ポンチョを着込んだヤクちゃんが足をパタパタと揺らす。
「そうだね。少し肌寒いけれど、こうして暖を取りながら自然の音に耳を澄ませるのも乙なものだよ」
俺はヤクちゃんの隣でノートパソコンを開き、温かいほうじ茶を口に含みながら穏やかに微笑んだ。
「うむ! 天界の冬の訪れも壮厳じゃが、こうして地上の清らかな静寂に身を置くのもまた一興じゃな!」
ゼウスが焼き上がったお餅をフーフーしながら満足げに頷く。タナトスもすっかり農園の冬の風物に馴染み、「死の冷気とは違う、温かい火の温もりと静かな風の音……生きてるって素晴らしい……」と、厚手の毛布にくるまりながら目を細めていた。
「ユウト社長、冬越しのハウス栽培の温度管理設定が完了しました。これで寒波が来ても──」
アルカがタブレットを片手に報告を読み上げていた、まさにその瞬間だった。
――フッ。
突然、世界から『音』が消え失せた。
アルカの口は動いているのに声が全く聞こえない。木枯らしが吹き抜け、枯れ葉が宙を舞っているのに、カサカサという音すらしない。火鉢の中ではぜる炭の音までピタリと止まっていた。
ただの「静か」ではない。音という概念そのものが空間から根こそぎ削り取られたような、圧倒的で暴力的な『無』。三半規管が狂い、平衡感覚すら失われそうになる。
ヤクちゃんがパニックになり、声にならない悲鳴を上げながら俺の袖を掴む。アルカが血相を変えてタブレットの画面を俺に向けた。そこには太字の警告文が点滅していた。
『警告! 未知の生命体が農園上空に出現! 周囲の空間から、音波と振動エネルギーを根こそぎ吸収しています!』
上空を見上げると、そこには空間の歪みそのもののような真っ黒な球状の怪物「静寂魔獣」が浮かんでいた。あらゆる音を喰らい、対象を絶対の無音空間に閉じ込めて精神を崩壊させる宇宙の魔物だ。
ゼウスが咄嗟に放った雷撃も、音がないために振動エネルギーが霧散し、ただの光となってかき消される。神々すらも恐怖の無音に膝をつき始めていた。
しかし俺は、空の怪物など一切気に留めず、縁側に座り直してパソコン画面に全意識を集中させた。
カタカタカタカタッ……!
無音空間という最高の集中環境を得た俺は、完全なゾーンに入っていた。
「……!? (ナ、ナンダコノ人間ハ……!? 我ガ絶対ノ静寂ノ中デ、ナゼ精神ヲ乱サズニ活キ活キト作業ヲ……!?)」
上空の魔獣は、無音空間をフル活用して事務作業に没頭する俺の姿に激しく動揺した。
その時だった。
「……ブィィィィィィン……ギギギ……」
超集中状態にあった俺の耳に、微細だが非常に耳障りなノイズが引っかかった。静寂魔獣が農園中の音を急激に吸い込みすぎたせいで、内部の処理器官が目詰まりを起こし、異音を漏らし始めたのだ。
俺のタイピングの手がピタリと止まった。
(あー、ダメだ。せっかくの最高の集中環境なのに、あの空気清浄機みたいなやつ、フィルターが完全に詰まって変なモーター音が出ちゃってる。これじゃ気になって、残りの作業に集中できないよ……)
俺にとって、宇宙最悪の魔獣は「手入れを怠ってノイズを出し始めた不良家電」にしか見えなかった。俺はパソコンを一旦置き、物置から脚立、エアダスター、そして綿棒を持ち出すと、スタスタと魔獣の真下へ向かい、脚立を立ててヒョイッと登った。
「……ッ!?(キ、貴様、ナニヲ……!?)」
魔獣が慌てて放った無音の衝撃波も、完全に「掃除とメンテナンス」の思考に切り替わっている俺には、ただの微風にしか感じられない。
「はいはい、ちょっとごめんよ。内部のメッシュフィルターが完全にホコリで目詰まりしてるじゃないか。これじゃ排気がうまくいかなくてノイズが出るに決まってる」
俺は魔獣の表面の歪み──音を吸い込むコアの入り口に、躊躇なく素手を突っ込んだ。まるで愛用のパソコンをメンテナンスするかのように、精密かつ滑らかな動きで内部構造をいじり始める。
「ここは綿棒で優しく掻き出して……よし。で、こっちの弁にエアダスターを吹きかけて、溜まった埃を飛ばす、と」
プシュゥゥゥゥゥッ!!
魔獣の内部に溜まったノイズが、エアダスターの風圧で一気に外へ弾き出された。魔獣にとっては、自分の魂であるコアを、素手と謎の細い棒で直接こねくり回されるという宇宙的恐怖だった。自分の絶対的な武器を全く意に介さず、「お前のフィルターが詰まっているから掃除してやる」という日常的すぎる行動。
『(逆ラエナイ……! コノ淀みのない指先の動き……少しでも抵抗すれば、我の存在そのものが不良品として分解・廃棄されてしまう……!)』
恐怖に震え上がった魔獣は、俺の的確すぎるメンテナンスの前に完全に心を折られ、俺の指先の誘導に従うように、大人しく構造を最適化させていった。
「よし、これで詰まりは取れたな。せっかく設定をいじったんだから、冬の寒さに合う温かいバックグラウンド音を出力するように調整しておこう」
俺がコアの出力設定を微調整して脚立を降りた瞬間──
チロチロ……パチッ……サラサラ……。
世界に『音』が戻ってきた。しかしそれは以前の雑音ではなく、魔獣を通して完璧に調整された、極上の癒やし音色だった。パチパチとはぜる温かな焚き火の音と、穏やかな冬風の音色。人間の脳を極限までリラックスさせる1/fゆらぎが、農園全体を優しく包み込んだ。
「あ……! 音が戻った! しかもこの音波……究極の癒やし周波数に変換されています!」
アルカが叫び、ゼウスやタナトスも「全身の力が抜けていくようじゃ……」とその場にゴロリと寝転がって至福の表情を浮かべる。ヤクちゃんも「すっごくぽかぽかして眠くなっちゃう音だね!」と嬉しそうに微笑んだ。
手のひらサイズに縮小した魔獣は、縁側の座布団の上で、上質なスマートスピーカーのように心地よい環境音を奏でている。
魔獣自身も、みんなが喜んでいる姿を見て「宇宙を無音にして嫌われるより、極上のASMR音響装置になって大事にされる方が、ずっと平和で幸せだ……!」と、自ら進んで農園の専属BGM係に定着してくれたのだった。
「よし! 環境も最高に整ったし、作業の続きだ」
俺は再びパソコンに向かい合い、極上のASMRに包まれながら、あっという間に作業を終わらせた。
宇宙の危機をもたらすはずだった怪物は、俺の「天然のフィルター掃除」によって、農園に最高の癒やしをもたらす存在へと生まれ変わった。
俺はヤクちゃんの頭を撫でながら、静寂魔獣が奏でる温かな音色に耳を傾け、穏やかな初冬のひとときを満喫するのだった。




