第40話「涼むために特大かき氷を作ろうとしたら氷河期の邪神が封印された氷塊だったから、家庭用かき氷機でフワフワに削ってやったんだが」
信州の豊かな自然に抱かれたユウト農園に、目が眩むような陽光とともに本格的な夏が巡ってきた。
青々と天に向かって伸びる稲穂が力強い緑の波を揺らし、瑞々しいトマトやキュウリは太陽の恩恵を全身に受けて弾けんばかりに実っている。山から吹き抜ける風には草木の濃厚な生命力が立ち込め、幾千もの蝉たちが奏でる大合唱が、賑やかな夏の訪れを告げていた。
「ふぅ……今日も本当にいい天気だね。やっぱり大自然の中で迎える夏は、空気が澄んでいて気持ちいいな」
俺は風通しの良い麻の甚平に身を包み、母屋の縁側に腰掛けてキンキンに冷えた麦茶を一口啜った。
関東近郊の狭く日当たりの悪いワンルームマンションで、フィルターの詰まったエアコンがカラカラと虚しい音を立てていた社畜時代。あの頃の夏といえば、思い出すのも恐ろしい絶望と不快感の季節だった。
「クールビズなど甘えだ」と嘯くブラック企業の狂ったルールの下、室温三十度を超えるサウナのようなオフィスに詰め込まれ、汗だくのスーツで死に物狂いの外回り。終電間際まで残業し、ボロボロになって帰宅した深夜、スーパーのワゴンで半額シールが貼られたしなしなのカットスイカをかじりながら、冷蔵庫が壊れていて冷えきらない水道水で喉を潤す……それが俺の知る『夏』の全てだった。
だが今は違う。見渡す限りの広大な土地と、仲間たちと汗を流して育てた新鮮な作物が目の前にあり、心から穏やかで豊かな時間を味わうことができる。
「みんな、日中の農作業も本当にお疲れ様。今日はすごく暑いし、日本の夏らしく、みんなで特大かき氷を作って涼まない?」
俺が声をかけると、母屋の前の広場に集まっていた従業員たちが一斉に目を輝かせて歓声を上げた。
「かき氷……! それはもしや、極寒の結晶を細かく砕き、甘露をかけて食すという東方の伝説的な冷菓でありますか!?」
地下帝国長のテラノスが、屈強な肉体を震わせて興奮気味に叫んだ。
「ハッ! 社長! それならば我が地下帝国の採掘部隊にお任せを! 地下深層のさらに奥にある永久凍土の層から、不純物を一切含まない極上の氷塊を掘り出してまいりますぞ!」
「ありがとう、テラノスさん。美味しいかき氷にはやっぱり綺麗な天然氷が一番だからね。お願いしてもいいかな?」
俺が微笑んで頷くと、テラノスは「ハハッ!」と敬礼し、モグラ魔獣たちと共に凄まじい勢いで地面を掘り進んでいった。
そして数分後──
ズゴゴゴゴ……という地響きと共に、広場の中央に巨大な氷の塊が運び上げられた。
それは、高さ二メートルを超える巨大な氷柱だった。だがただの氷ではない。内側から不気味な青白い光を放ち、周囲の空気を一瞬にして凍てつかせるほどの異様な冷気を立ち昇らせている。さらに氷の中心には、巨大な三つ目と無数の触手を持つ、おぞましい異形の影が封じ込められていた。
「うわあ、すごく大きな氷だね。中になにか化石みたいなのが透けて見えるけど、古代のロマンがあっていいね」
俺が呑気に感心していると、隣にいた宇宙人アルカが、最新型の解析タブレットを構えたまま顔を極限まで青ざめさせ、悲鳴のような声を上げた。
「し、社長……! 緊急事態です!!」
アルカの生真面目な声がパニックで引きつり、タブレットを持つ手がガタガタと震えている。
「泉質やスイカの騒ぎではありません! センサーの解析結果が出ました……! これはただの氷塊ではありません! 神話の時代、全宇宙を絶対零度の氷河期に沈めようとし、太古の神々によって次元の最下層に封印された伝説の災厄『氷河期の邪神・コキュートス』の封印指定氷塊というデータが出ています!!」
「な、なにぃぃッ!?」
最高神ゼウスが顔面を蒼白にし、腰を抜かして叫んだ。
「ひ、氷河期の邪神だと!? あれの封印が解ければ、この地球どころか銀河系全域が瞬きする間に氷の彫像と化してしまうぞ! なぜあのような最悪の禁忌を掘り出してしまったんじゃ!」
「フフフ……これはまた、なんとも規格外な涼の取り方ですな」
元悪のCEOマッドシードが、全身をガタガタと震わせながらも、努めて冷静にメガネの位置を直した。
「我がGBG社の観測データによれば、地上に引き上げられたことによる急激な温度変化と、ユウト社長の放つ無尽蔵の霊気にあてられ、邪神の封印が解けるまであと数十秒というところでしょう。万が一これが孵化すれば、全宇宙の分子活動が完全に停止しますな。ユウト社長、いかがなさるおつもりで?」
マッドシードの絶望的な報告を裏付けるかのように、ピキ……ピキピキッ!と、巨大な氷塊に亀裂が走り始めた。亀裂から漏れ出した冷気が周囲の地面を瞬時に凍結させ、全宇宙の概念を凍らせるクラスの恐怖の絶望波が溢れ出す。
「ダメです、ユウトさまー! 近づいちゃ危険だよ!」
ヤクちゃんが泣き叫び、神々や魔物たちが、圧倒的な宇宙の脅威の前に次々と地面へひれ伏していく。
しかし俺の目にはその光景が全く異なって映っていた。
(うーん……やっぱり地下深くの天然氷って、不純物がないからものすごく硬くて溶けにくいんだね。ピキピキ音が鳴ってるのは、外気との温度差で氷が馴染んできた証拠だ。この極上の氷を使えば、専門店みたいな口溶けのいいフワフワのかき氷ができそうだな)
「よし、それじゃあ僕が削るから、みんなは器を持って並んでくれるかな?」
俺は、近所のホームセンターで特売されていたプラスチック製の家庭用手回し式かき氷機(かわいいシロクマの顔がついた1980円のやつ)を広場の中央にコトリと置いた。
「グ、グギャギャギャ……! 愚カナル生命体ヨ……我ハ氷河期ノ邪神……我ガ封印ヲ解ク者ハ、絶対零度ノ塵トナシテクレル……!」
氷の内部から、全宇宙の概念を停止させるほどの恐ろしい意識波が解き放たれ、俺に向かって概念凍結の光線が放たれた。だが俺の耳には、それがただの「心地よい冷たい風の音」にしか聞こえていなかった。
「うおっ、やっぱり天然氷は大きいな。でも大丈夫。うちのかき氷機は優秀だから」
俺が呑気にシロクマかき氷機のハンドルに手をかけた瞬間、俺の体内から、ブラック企業時代に培われた「いかなる理不尽な状況下でも絶対に納期を守り、タスクを完遂する」という究極の社畜精神『限界突破オーラ』が爆発的に解き放たれた。
ドォォォォォォォォンッ!!!
広場を中心に荘厳な黄金の光の柱が天を突いた。邪神が放った宇宙凍結の概念光線など、俺の放つ限界突破オーラの前に「ただのクーラーの冷気」として一瞬で相殺され、霧散してしまった。
「な……なにぃぃッ!? 我ガ絶対零度ノ波動ガ……消滅シただと……!? こ、この人間は何なのだ!? 存在のスケールが、宇宙の理を超越している……!?」
氷の中の邪神の意識が、生まれて初めて出会った圧倒的な絶対者の前に恐怖でガタガタと震え始めた。
「よし、氷をセットして……と。硬いからしっかり固定しないとね」
俺は二メートル超えの氷塊を、シロクマかき氷機の小さなプラスチックの受け皿に(限界突破オーラによる超次元的な空間圧縮を用いて)無理やりセットした。社畜時代、終わりの見えない膨大なデータ入力作業を、ブラインドタッチで寸分の狂いもなく処理していたあの『超精密単純作業能力』が覚醒する。
俺はゆっくりと、シロクマの頭についている手回しハンドルを回し始めた。プラスチックの安物のはずの削り刃には、限界突破オーラが超高密度に圧縮され、空間そのものを極薄にスライスする超次元の切断力が宿っていた。
「いくよ……シャリ、シャリ、シャリ!」
回されるハンドル。安物のかき氷機から発せられるリズミカルで涼しげな音。
シュシュシュシュシュ!!!!!
空気が、大気が、そして宇宙の概念そのものが、純白の雪のように美しく削り出されていく。
刃が邪神の氷塊に触れた瞬間、邪神が内包していた絶対零度の冷気も、全宇宙を滅ぼす邪悪な意識も、全てが「かき氷を極上のフワフワ食感にするための極上エッセンス」として一瞬で浄化・変換された。
「ヒ、ヒギャアァァァァァッ……! 削ラレルゥゥゥッ!? 我ガ絶対ナル存在ガ……1,980円のプラスチック機で……フワフワに削り落とされていくゥゥゥッ!!」
邪神の絶叫とともに、巨大な氷塊はみるみるうちに小さくなっていった。そして、かき氷機の下に用意した巨大なガラスの器には、まるで新雪のようにキラキラと輝き、口に入れた瞬間に綿飴のように溶けてなくなるであろう、究極の『極上フワフワ天然かき氷』が山のように積もっていった。
邪神の持つ「絶対零度の呪い」が、俺の限界突破オーラによって完全に不純物をろ過され、ただただ「真夏に最高の涼を届ける究極のひんやりスイーツ」へと変質してしまったのだ。
「ふぅ、確かな手応えがあったね! みんな見てよ! すごく美味しそうなかき氷ができたよ!」
俺はガラスの器に山盛りになったかき氷を見てパッと顔を輝かせた。
「社長! 俺たちがシロップを持ってきやすぜ!」
宇宙海賊のギルバート船長が歓声を上げて駆け寄ってきた。
「母艦の備蓄から、銀河系で一番甘い『超新星メロンシロップ』と『ブラックホール・コーラシロップ』を持ってきやした! 社長、たっぷりかけてくだせぇ!」
「ありがとう、ギルバート船長! 味がたくさんあると楽しいね」
俺が笑いかけると、先ほどまで恐怖で固まっていた従業員たちも、目の前のフワフワなかき氷の魅力に勝てず、次々と器を持って並び始めた。
「あ……あ……」
アルカがタブレットを抱きしめながらへたり込んだ。
「う、宇宙を滅ぼす氷河期の邪神が……手回し機で……しかも、とてつもなく美味しそうなスイーツに変換されてる……!?」
「フフフ……ハハハハ!」
マッドシードが腹を抱えて笑い出した。
「さすがはユウト社長! 宇宙の脅威すらも、夏の風物詩に変えてしまうとは……まさに規格外ですな! 私の計算すら完全に超越しておりますぞ!」
「社長! 見事な氷削りでありますぞ!」
テラノスが感涙を滝のように流しながら、マイどんぶりを差し出してきた。
なお、氷の核に封じられていた邪神の本体(体長十センチほどの、可愛らしいクリオネのような姿になってしまった)は、俺の圧倒的な力と温かい微笑みに完全に魂まで屈服し、涙を流しながら俺の足元にすり寄ってきた。
「ア、アンタガ……真ノ宇宙ノ覇者ダ……! ドウカ、この果樹園ノ「冷蔵庫の温度管理&かき氷担当」として働かせてくださいぃぃっ!」
「おや、可愛らしい妖精ちゃんだね。君もかき氷が食べたいの? いいよ、たくさんあるから一緒に食べようね」
俺が優しく頭を撫でてやると、元・邪神はピィィン……!と歓喜の声を上げて平伏した。
その後、俺たちは『氷河期の邪神かき氷』に、色とりどりの宇宙シロップをたっぷりとかけて、みんなで賑やかに頬張った。口の中に広がるのは、これまで食べたどの高級スイーツをも遥かに凌駕する、極上の冷たさとフワフワの口溶けだった。
「美味しいね、ヤクちゃん!」
「うんっ! すっごく冷たくて美味しいよ、ユウトさまー! 頭がキーンってならないの!」
「ズズッ……うむ、この口溶け、神の舌でも味わったことがない至高の涼じゃのう!」
ゼウスも満足そうに顔を破顔させている。
関東近郊の狭い部屋で、一人寂しくぬるい水道水を飲んでいたあの夏。それに比べて今の夏は、賑やかで、冷たくて、そして飛び切り甘い。
抜けるような青空の下、シロップで舌をカラフルに染めて笑い合う神々や魔物たちの声を聞きながら、俺はフワフワのかき氷をもう一口、心底幸せそうに頬張ったのだった。




