第39話「農園に露天風呂を作ったら黄泉の国と繋がって、伝説の英雄たちが湯治にやってきたんだが」
初夏の風が青々とした稲穂を揺らし、ユウト農園に心地よい季節が訪れていた。
信州の山々に囲まれたこの広大な農園では、日差しは力強さを増しているものの、吹き抜ける風にはまだ涼やかな心地よさが残っている。
「ふぅ……今日も一日、いい汗かいたね。農作業の後の心地よい疲労感って最高だな」
俺は首に巻いた今治タオルで額の汗を拭いながら、夕日に照らされる見事な畑を見渡した。
関東近郊のボロアパートから、満員電車に揺られて都心のブラックIT企業へと通っていた社畜時代。あの頃の「汗」といえば、不快と絶望の象徴でしかなかった。経費削減という名目でエアコンの使用が固く禁じられたサウナのようなオフィス。アスファルトの照り返しで四十度近くに達するコンクリートジャングルを、サイズの合わない革靴で駆け回る外回り営業。家に帰ってもガス代を滞納して止められていたため、真水シャワーで凍えながら汚れを落とすだけの惨めな日々だった。
だが今は違う。大自然の中で、自分が育てた命(野菜)と向き合いながら流す汗はこんなにも清々しい。
「みんな、今日も農作業お疲れ様。こんなにいい汗をかいたんだから、やっぱり大きなお風呂に入りたいよね。農園の敷地内に、みんなで入れる『特大の露天風呂』を作りたいんだけど……テラノスさん、手伝ってくれるかな?」
俺が優しく呼びかけると、地面がボコォッと割れ、地下帝国長のテラノスが勢いよく飛び出してきた。
「ハッ! お任せを、社長! 我ら地下帝国のドリル魔獣部隊と土木スキルを総動員し、一瞬で極上の源泉を掘り当ててご覧に入れますぞ!」
テラノスは屈強な胸板をドンドンと叩き、武人らしい敬礼をした。
「ありがとう。岩風呂風の風情があるやつにしてくれると嬉しいな」
「承知いたしましたぞ! 野郎ども、社長のご期待に応えるのだ! 岩盤を穿ち、大地の恵みを引きずり出せぇぇ!!」
テラノスの号令とともに、数百匹の巨大なモグラ魔獣たちが一斉に地面を掘り進めた。凄まじい轟音とともに土砂が巻き上がり、あっという間に広大なすり鉢状の巨大な窪みが完成する。そこに、これまたあっという間に見事な日本庭園風の岩が配置され、地下深くから滾々と湧き出る温泉が引き入れられた。
作業開始からわずか十五分。ユウト農園の敷地内に、数百人が同時に入れる超巨大な和風露天風呂『ユウトの湯』が完成してしまった。
「うわあ、すごい! 本当に一瞬でできちゃったね。テラノスさん、いつもありがとう。……あれ? でもこのお湯、なんだか少し青白く光ってないかな?」
俺が首を傾げていると、お湯の表面には薄っすらと紫がかった青白いオーラのようなものが漂い、どこからともなく『ヒュ〜ドロドロ……』という幻聴のような音が聞こえてくる気がした。
「社長、緊急事態です!」
宇宙人アルカが、防水仕様の解析タブレットを片手に悲鳴を上げながら駆け寄ってきた。
「泉質データを解析したところ、このお湯はただの温泉ではありません! テラノスさんたちの掘削出力が強すぎたため、次元の壁を突破し、異次元の冥界(黄泉の国)を流れる『黄泉の癒し湯』と直結しているというデータが出ています! このままでは死者の魂がこちらの世界に溢れ出してしまいます!」
「フフフ、お任せくださいユウト社長」
元悪のCEOであるマッドシードが、バスローブ姿でワイングラスを傾けながら優雅に歩み出てきた。
「我がGBG社の次元シールド技術を応用すれば、冥界の瘴気だけを完全に濾過し、このお湯を『霊的な疲労まで回復させる極上の湯治場』へと変えられるでしょう。死者すらも顧客に取り込む……さすがは社長、ビジネスの目の付けどころが違いますな」
「社長! 湯上がりにはキンキンに冷えたフルーツ牛乳が必要ッスよ!!」
宇宙海賊のギルバート船長が、腰にバスタオルを巻いた姿でクーラーボックスを担いできた。
「俺の母艦の超低温冷凍庫から、最高のヴィンテージ牛乳を持ってきやすぜ! 幽霊が出ようがバケモンが出ようが、俺たちブラッドノヴァが社長の背中を流しやすからね!」
「あはは、みんなありがとう。難しいことはよくわからないけど、せっかく湧いたお湯なんだから、とりあえず入ってみようか」
俺は服を脱いでタオル一本になり、掛け湯をしてから、青白く光る巨大な岩風呂へと足を踏み入れた。
「ふぅぅぅ……極楽だね。肩のコリが芯から溶けていくみたいだ」
お湯の温度は完璧だった。少しとろみのあるお湯が肌にまとわりつき、農作業の疲労感が嘘のように消え去っていく。
最高神ゼウスや太陽神アポロンたちも「おお、これは命の洗濯じゃ!」「神の身体にも染み渡るわい!」とはしゃぎながらお湯に浸かっている。
しかし、しばらくすると、露天風呂のあちこちに「見慣れないお客さん」が混ざり始めた。
全員、顔面が透き通るように蒼白で、足元がぼんやりと霞んでいる。中には、背中に何十本もの矢が刺さったままお湯に浸かっている筋骨隆々の戦士や、首の皮一枚で頭部が繋がっている和装の武士、はたまた巨大な槍が胸に突き刺さったままの古代の英雄らしき人物もいる。
「うーん……近所の人が噂を聞きつけて入りに来たのかな?」
俺は、背中に無数の矢が刺さったスパルタの王様(らしき幽霊)の隣に移動し、気さくに声をかけた。
「こんばんは。お隣さんですか? それにしても、随分と本格的な健康器具を背中に刺してますね。鍼治療の一種ですか? 顔色もすごく悪いし、ゆっくり温まっていってくださいね」
俺がニコニコと笑いながら手ぬぐいを渡すと、スパルタ王の霊はポカンとした顔でそれを受け取り、
『ア、アリガトウ……数千年ブリニ、心ガ温マルヨ……』
と、感動の涙を流しながらお湯に沈んでいった。
どうやら、冥界の奥底で永遠の戦いと苦痛を強いられていた歴史上の偉人や伝説の英雄たちの魂が、黄泉の国に直結したこの露天風呂の効能と、俺が放つ『無意識の限界突破オーラ』の圧倒的な浄化作用に引き寄せられ、次々と湯治にやってきているらしかった。
そんな中、突如として露天風呂の上空の空間がドス黒くひび割れた。
周囲の気温が一気に氷点下まで下がり、青白かった温泉のお湯がドロドロの黒色へと変色していく。
「何事かと思えば……我が統べる冥界の湯を無許可で汲み上げ、あろうことか死者どもに勝手に振る舞うとは!!」
空間の亀裂から現れたのは、漆黒のローブを身に纏い、巨大な死神の鎌を手にした冥界の王ハデスだった。
ハデスの全身からは、触れるもの全ての命を奪う強烈な『死の瘴気』が立ち上っており、彼が睨みつけるだけで、温泉に浸かっていた幽霊たちや神々すらも恐怖に震え上がった。
「ハ、ハデスよ! 早まるでない!」
ゼウスが青ざめた顔で立ち上がる。
「ユウト君は悪気があってやったわけでは──」
「黙れゼウス! 冥界の法は絶対! 無許可で黄泉の湯を私物化する痴れ者には、永遠の苦痛と地獄の業火を与えてくれるわ!!」
ハデスが巨大な鎌を振り上げると、上空に地獄の業火の球体が現れ、ユウト農園の露天風呂に向かって一斉に降り注ごうとした。
「社長! 緊急事態です! あの男の魔力エネルギー、農園を丸ごと消滅させるレベルです!」
アルカがタブレットを落としそうになりながら叫ぶ。
だが俺の目には、上空でわめき散らしているハデスの姿が「神話の恐るべき冥王」には見えていなかった。俺の目には、彼が「保健所の厳しい衛生検査官」か、あるいは「公衆浴場の営業許可証にいちゃもんをつけてみかじめ料を要求してくる、地回りのヤクザ」にしか見えていなかったのだ。
(しまった……! 露天風呂を作ったのはいいけど、保健所に『公衆浴場営業許可』の申請を出し忘れてたかもしれない! しかも、この人めちゃくちゃ怒ってる。お風呂の衛生管理がなってないって言いがかりをつけて、泥水(地獄の業火)を投げ込んで営業妨害する気だ!)
ブラック企業時代、悪質なクレーマーや反社会的な人物の理不尽な要求にも、笑顔と土下座と圧倒的な仕事の処理速度で対応してきた俺の社畜魂に火がついた。
「ご、ごめんなさい! 申請の手続きが遅れてしまって! でも、泥水を投げ込んでお風呂を汚すのだけはやめてもらえるかな!?」
俺は立ち上がると、お風呂の縁に置いてあった黄色い『ケロリン桶』と、ホームセンターで買った『業務用・超硬めナイロンボディタオル』を両手に構えた。
俺の全身から、凄まじい密度の『限界突破オーラ』──ブラック企業で培われた「どんな理不尽なクレームも絶対に跳ね返す」という強固な意志の力が、オーラとなって立ち昇る。
「死ぬがよい!【アケロンの滅びの濁流】!!」
ハデスが鎌を振り下ろし、全てを腐敗させる冥界の濁流と地獄の業火が俺に向かって襲いかかってきた。神々すらも消滅させる絶対的な死の魔法。
だが俺は、ケロリン桶を構え、それを「ちょっとした泥水」を払うかのようにスパンッ!と軽快に弾き返した。
カーーーーーンッ!!!
黄色いプラスチックの桶が冥界の究極魔法と激突した瞬間、俺の限界突破オーラが死の魔力を完全に相殺。それどころか、弾き返された魔法は浄化の光のシャワーへと変換され、露天風呂の周囲をキラキラと美しく彩るイルミネーションへと変わってしまった。
「な……っ!? バ、バカな! 我が冥界の究極魔法が、ただの黄色いプラスチックの桶で弾き返されただと!?」
ハデスが驚愕で目をひん剥いている隙に、俺は濡れたバスタオルを腰に巻いたまま、岩風呂の縁を蹴って空高く跳躍した。そしてハデスの背後に回り込むと、超硬めのナイロンタオルを彼の背中にバシッと押し当てた。
「お客さん、すごく怒ってるみたいだけど、肩にものすごい汚れ(死の瘴気)が溜まってるよ! これじゃあ血行も悪くなるし、イライラするのも無理ないね。僕が背中を流してあげるから、少し落ち着いてくれるかな?」
「き、貴様ッ! 何を……ギャアアアアアアアアッ!?!?」
俺がナイロンタオルでハデスの背中をゴシゴシと力強く擦り始めた瞬間、ハデスは鼓膜を破るような悲鳴を上げた。
限界突破オーラを纏った業務用ナイロンタオルの摩擦は、ハデスの全身に纏わりついていた『数万年分の死の瘴気と恨みの念』を、物理的な垢のようにポロポロと削り落としていったのだ。
「おお、出るわ出るわ。お客さん、全然お風呂に入ってなかったんだね。これじゃあ保健所の人(本当はハデス自身を指しているつもり)に怒られるのも当然だよ。ほら、もうちょっと右側もゴシゴシするよ!」
「ヒィィィッ! や、ヤメローーッ! 余の冥王としてのアイデンティティ(瘴気)が削り取られて、タダの綺麗で健康的なオジサンになってしまうゥゥッ!!」
三分後──
全身をピカピカに磨き上げられ、死の瘴気を一ミリ残らず削り落とされたハデスは、まるで生まれたての赤子のようにツヤツヤのピンク色の肌になり、露天風呂のお湯の中でガタガタと震えながら正座していた。
「社長! 見事な制圧でありますぞ!」
テラノスが湯船の中で直立不動になりながら拍手をした。
「フフフ、これぞ究極のクレーム対応術。相手の存在ごと浄化してしまうとは、さすがはユウト社長ですな」
マッドシードも満足げにワイングラスを傾けている。
「ふぅ、これで綺麗になったね。お客さん、お湯加減はどうかな?」
俺が微笑みかけると、ツヤツヤになったハデスは涙目で俺を見上げ、深々と頭を下げた。
「は、はいぃぃっ……! 最高のお湯加減でございます……! も、もはや営業許可証など必要ありません! 冥界の温泉、どうか好きなだけお使いくださいませぇっ!」
「本当? ありがとう! じゃあ、これからもみんなで仲良くお風呂に入ろうね」
こうして、ユウト農園の露天風呂『ユウトの湯』は、冥界の王ハデスのお墨付き(?)を得て正式にオープンした。
その後、ハデス自身もこのお湯と俺の背中流しの虜になってしまい、週末になると地獄の業務をサボって、ツヤツヤの肌で一番風呂を楽しみに来る常連客となってしまった。
綺麗な星空を見上げながら、伝説の英雄たちや神々、そして冥界の王と肩を並べて浸かる温泉。関東近郊のボロアパートで冷水シャワーを浴びていた頃には想像もできなかった、最高に騒がしくて、最高に温かい初夏の夜だった。




