第41話「夏祭りで金魚すくいをしようとしたらヨルムンガンドの幼体だったんだが、ポイにオーラを込めて乱獲してやった」
茜色の空が深い宵闇へと溶け込み、涼やかな夜風がユウト農園の木々を優しく揺らす。広場をぐるりと囲むように張られた提灯の柔らかな灯りが、ずらりと並んだ手作りの屋台を幻想的に照らし出していた。鉄板の上で焦げるソースの香ばしい匂い、ヨーヨーの水を弾く音、そしてあちこちから弾けるような笑い声が響き渡る。
今日はユウト農園が主催する、「第一回・納涼夏祭り」だ。従業員である神々や魔物たちだけでなく、麓の村の子供たちも招き、誰もが心躍らせる盛大な宴が開かれていた。
「いやぁ、やっぱりお祭りの空気っていいものだね。心が自然と弾んでくるよ」
通気性の良い麻の甚平を羽織った俺は、焼きとうもろこしを齧りながら、活気に満ちた広場を見渡して目を細めた。
かつての俺にとって、「夏祭り」という言葉は呪いと同義だった。
地域の祭りに、協賛という名目で駆り出される地獄の強制ボランティア。炎天下での終わりの見えないテント設営、理不尽な酔客からの怒声交じりのクレーム対応、そして祭りの熱狂が冷めきった深夜に行われる孤独な撤収作業。ヘトヘトになって帰宅し、泥のように眠るだけの無給労働。そこにお祭りを楽しむ余裕など一ミリたりとも存在しなかった。
それに比べて今のこの時間はどうだろう。仲間たちが笑顔で屋台を巡り、無邪気な子供たちが走り回る。心からこの夏の夜の美しさを享受できている自分がいた。
「ユウト様! ヨーヨー釣り、すっごく楽しいよ!」
ヤクちゃんが色鮮やかな水風船を片手に、弾むような足取りで駆け寄ってきた。
「あはは、上手に釣れたね。すごく綺麗だ。……さて、そろそろ俺も担当の屋台の準備をしないとね。お祭りの定番といったら、やっぱり『金魚すくい』だから」
俺は広場の隅に設置した子供用の大きなビニールプールへと向かった。事前に地下帝国長のテラノスに、「近くの綺麗な川で、元気な金魚みたいな小魚をたくさん捕まえてきてくれないかな」と頼んでおいたのだ。
「社長! お待ちしておりました! ご注文通り、裏山の最深部にある源流から、最高に活きの良い小魚たちを捕獲してまいりましたぞ!」
テラノスが、屈強な両腕に巨大なポリバケツを抱えて意気揚々と現れた。
「さっそく、このプールに放ちますぞ!」
ザバァァァァァァッ!
テラノスがバケツを勢いよくひっくり返した瞬間、ビニールプールの中の水が物理法則を無視した異常な速度で渦を巻き始めた。水面が激しく波立ち、まるで超大型の洗濯機が暴走したかのような大渦潮が発生する。よく見ると、プールの中に放たれた何十匹もの漆黒の怪魚たちが、互いに自らの尻尾を噛み合って『無限の円環』を形成し、マッハを超える超音速でぐるぐると回転していた。その狂気的な高速回転によって、プールの中央には次元の割れ目が生じ、周囲の空間を削り取るような禍々しい紫色の稲妻がバリバリと火花を散らしている。
「うわあ、すごく元気な小魚だね! ぐるぐる回って楽しそうに水遊びしてるよ。これなら子供たちも大喜びだね」
俺が呑気に手を叩いていると、たこ焼きを頬張っていた宇宙人アルカが、最新型の解析タブレットを覗き込んで激しくむせた。
「ゲホッ、ゴホッ……! し、社長! またしても緊急事態です!!」
アルカは涙目で顔面を蒼白にしながら、震える手でタブレットを突き出してきた。
「金魚どころの騒ぎではありません! センサーの解析結果が出ました……! それは北欧神話において世界をぐるりと取り囲み、終末の到来とともに地球そのものを丸呑みにするという絶望の巨獣『世界蛇ヨルムンガンド』の幼体群です!!」
「な、なんじゃとぉぉッ!?」
最高神ゼウスが、持っていた綿飴を地面に落として絶叫した。
「ヨルムンガンドじゃと!? 世界を呑み込むあの終末の蛇が、なぜこんなところで束になって泳いでおるんじゃ! あやつら、自らの尻尾を噛んでウロボロス回転することで時空を歪め、この空間ごと地球を削り取ろうとしておるぞ!」
「フフフ……なんともダイナミックな金魚すくいですな」
元悪のCEOマッドシードが、滝のような冷や汗を拭いながらメガネを光らせた。
「我がGBG社の観測データによれば、あの幼体たちは回転速度を指数関数的に増しており、あと数十秒で超巨大なブラックホールが発生しますな。この日本列島ごと、時空の彼方に吸い込まれて消滅するでしょう。さあユウト社長、いかがなさるおつもりで?」
マッドシードの言葉を裏付けるかのように、プールの中のヨルムンガンドの幼体たちは『シャァァァァッ!』と空間を震わせる恐ろしい威嚇音を上げ、ウロボロス回転の速度をさらに上げて世界を切り裂こうとしている。
しかし、俺の目にはその光景が全く異なって映っていた。
(うーん……いくらなんでも、ちょっと元気すぎる金魚だなあ。これだけ激しく水流を起こされて波が立っていると、普通のポイの薄い和紙じゃ、水に入れた瞬間に水圧で破けちゃうぞ。せっかくお祭りを楽しみにしている子供たちが、一匹もすくえずに悲しい思いをするのは可哀想だ)
ブラック企業時代、どんなに劣悪な環境や粗悪な備品を押し付けられても、「弘法筆を選ばず!」「ツールに文句を言う前に己の技術を磨け!」「予算ゼロで完璧な成果を出せ!」と理不尽に怒鳴り散らされ続けた社畜としての過酷な経験。「備品が脆いのなら、己の技術と工夫で補強し、完璧にノルマを達成する」という、悲しき社畜の極限対応能力が俺の全身から溢れ出していった。
「よし! ちょっとコツがいるけど、僕が最初にお手本を見せてあげるね!」
俺は、業者から大量に仕入れた一個十円の『金魚すくい用のポイ』を手に取り、狂い咲く水槽の前にしゃがみ込んだ。
「シャアァァッ! 愚カナル人間ヨ。我等ハ世界ヲ呑ミ込ム終末ノ蛇。コンナ紙切レデ我等ノウロボロス回転ヲ止められると思うな──」
ヨルムンガンドの幼体たちが、俺を嘲笑うかのように回転速度を極限まで上げ、時空を切り裂く衝撃波を放ってきた。だが、俺はその次元の歪みすらも「ただの強烈な水飛沫」としか認識していなかった。
「それじゃあ、いくよ」
俺が薄っぺらい紙の張られたポイを構えた瞬間、俺の体内からブラック企業時代に培われた「いかなる粗悪な道具でも絶対にタスクを完遂する」という究極の社畜精神、『限界突破オーラ』がポイへと静かに注ぎ込まれた。
ピカーーーーンッ!!!
一個十円の使い捨てポイが、神々しい黄金の光を放ち始めた。限界突破オーラによってナノレベルでコーティングされた和紙は、水圧や次元の歪みなど意に介さない『超次元の絶対強度』を獲得し、全宇宙の概念すら掬い上げる最強の捕獲網へと昇華を遂げた。
「ほいっ」
チャプン、と。
俺は何の造作もなく、光り輝くポイを猛回転する時空の歪みへと差し入れた。
「ナッ……!? ドウナッテイル!? 我等ノウロボロス回転ガ……空間ごと持ち上げられ……ギャアァァァッ!」
シュバッ! シュババババッ!
俺の手首のスナップが、常識を超えた流麗なスピードで躍動する。マッハの速度で旋回するヨルムンガンドの幼体たちを、限界突破オーラをまとったポイが、まるで見えない絶対法則に従うかのように次々とすくい上げていく。幼体たちが放つ終末の概念も、空間を砕く衝撃波も、黄金の和紙の前には「ただの水滴」として無効化されてしまった。
「うーん、大漁大漁! みんなウナギみたいに細長くて可愛いね」
ポイの上でピチピチと跳ねるヨルムンガンドたちを、俺は手元の小さなお椀の中にポンポンと移していった。お椀の狭い空間に収められた幼体たちは、俺の限界突破オーラの圧倒的な存在感に完全に魂をへし折られ、本来の凶暴性をすっかり失って「キュ~……」と甲高い声で鳴きながら、大人しく身を寄せ合って丸まっていた。
「ふぅ、こんな感じかな。水流の回転に合わせて、逆らわずに手首をスッと引くのがコツだよ。意外と簡単でしょ?」
俺が笑顔で振り返ると、子供たちは目を輝かせて拍手喝采を送り、神々や魔物たちはポカーンと口を開けて石像のように固まっていた。
「あ……あ……」
アルカがタブレットを落とし、膝から崩れ落ちて震えている。
「たった十円の紙の網で……世界を滅ぼすヨルムンガンドが……どじょう掬いみたいなノリで乱獲されていく……!?」
「フフフ……ハハハハ!」
マッドシードが屋台の柱に寄りかかりながら、こらえきれないように笑い出した。
「さすがはユウト社長! 世界を崩壊させる北欧の災厄すらも、子供向けの縁日の景品に変えてしまうとはまさに規格外! もはや計算式を立てることすら馬鹿馬鹿しいですな!」
「社長! 見事なポイ捌きでありますぞ!」
テラノスが涙を流しながら天を仰いで拍手をする。
お椀の中で大人しくなったヨルムンガンドの幼体たちは、完全に「ちょっと珍しい細長い真っ黒な金魚」として現状に順応し、愛嬌たっぷりに首を振って子供たちを見つめていた。
「さあ、みんなもやっておいで。ポイはたくさんあるからね!」
俺が限界突破オーラを微量に付与した『絶対に破れない特製ポイ』を子供たちに配ると、屋台の周りにはあっという間に楽しげな人だかりができた。
「わあ! 釣れた釣れた!」
「このヘビみたいな金魚、キュ〜って鳴いてすっごく可愛い!」
「よーし、僕は三匹同時にすくうぞ!」
関東近郊の狭く蒸し暑い部屋で一人寂しくコンビニ弁当を食べていたあの夏──それに比べて今の夏は、賑やかで暖かくてどこまでも楽しい。
ヒュ〜……ドンッ!!
夜空に鮮やかな大輪の花火が打ち上がった。色とりどりの光に照らされる子供たちの笑顔を見上げながら、俺はお椀の中で心地よさそうに泳ぐ小さなヨルムンガンドを眺め、心底幸せな夏の夜を満喫するのだった。




