第37話「雪だるまを作ったら自我を持ってプロレスラーになったので、炎の魔人とタイトルマッチを組んでやったんだが」
山々に囲まれたユウト農園は、一面の銀世界に包まれていた。
前日から降り続いた雪は一晩で数十センチも積もり、ビニールハウスの屋根や母屋の縁側を真っ白に染め上げている。
「うーん、見事な雪景色だね。でもこれは雪かきが大変そうだな……」
俺は首に巻いた今治タオルをマフラー代わりにギュッと結び直し、熱いお茶の入った湯呑みを両手で包み込みながら、白く染まった農園を見渡した。
関東近郊のマンションに住み、満員電車に揺られてブラック企業に通っていた社畜時代は、雪なんて数年に一度、道路にうっすらと積もるかどうかというレベルだった。「電車が遅延するから雪は最悪だ」としか思っていなかったが、信州の山奥で迎える本格的な大雪は、どこか神聖で静謐な美しさがある。とはいえ、農家にとって雪は風情であると同時に、放っておけば施設を押し潰す厄介な障害物でもある。
俺は母屋の前に従業員たちを集めた。
「みんな、寒い朝から集まってもらってごめんね。道やハウスの周りの雪かきをしたいんだけど、少し手伝ってくれるかな?」
俺が呼びかけると、最高神ゼウスが全身をガタガタと震わせながら青白い顔で頷いた。
「わ、わかっておるユウト殿……。じゃが、ギリシャの温暖な気候で育ったわしには、この日本の『シバレる』寒さは少々堪えるわい……」
「お爺ちゃんしっかりして! ほら、背中に貼るタイプのカイロをもう三枚追加してあげるから!」
厄災女神のヤクちゃんが、ゼウスの背中にペタペタとカイロを貼っている。
「社長! 俺たちブラッドノヴァにお任せくだせぇ!」
威勢よく進み出たのは、すっかり農園の運送部門として定着した宇宙海賊団の船長、ギルバートだった。
「母艦のメインスラスターを微出力で起動して、農園中の雪を一瞬で蒸発させてやりますよ! 氷河期だって終わらせる火力ッスからね!」
「あはは、ありがとうギルバート船長。でも、それだとせっかくの土の微生物まで黒焦げになっちゃうから、地道にスコップでお願いできるかな?」
俺が苦笑いしながら断ると、ギルバートは「なるほど! さすが社長、命の循環を第一に考えていらっしゃる!」と勝手に感動して雪かきスコップを握りしめた。
「フッ、ならばユウト社長、我が『絶対零度の魔力』を用いて、雪そのものを操りましょう」
魔王ルシフェードが進み出て、右手に漆黒の魔力を集束させた。
「無機物たる雪に仮初の命を与え、自律して除雪を行うゴーレム(雪だるま)を練成するのです! これぞ魔界の誇るオートメーション技術!」
「へえ、それは助かるよ! お願いしてもいいかな?」
俺が言うとルシフェードは得意げに頷き、雪原に向かって巨大な魔法陣を展開した。
「出でよ、氷雪の使役魔【創造・スノーマン】!」
魔法陣から放たれた黒い光が、積もった雪を巻き上げて中心に集まっていく。やがて、高さ二メートルほどの立派な三段重ねの「雪だるま」が完成した。
「おお、すごいね! じゃあ、彼にそっちの道の雪かきをお願い──」
俺が雪だるまに近づこうとしたその時だった。
ズギュゥゥゥゥンッ!!
突如として、雪だるまの周囲の空気が激しく歪み始めた。
「な、なんじゃ!? 雪だるまから凄まじい神気と覇気が立ち昇っておるぞ!」
ゼウスが目を見開く。
ルシフェードが作り出した雪だるまは、俺の足元──ユウト農園の土の奥深くに染み込んでいた『限界突破オーラ』と、過酷な信州の冬の冷気を限界まで吸収し、凄まじいスピードで形態変化を始めたのだ。
丸かった雪の体は、みるみるうちにバキバキに割れた大胸筋とシックスパックを持つ「筋肉の鎧」へと変貌していく。さらに、農園の隅に転がっていた赤いプラスチック製の肥料袋が風で飛んできて、雪だるまの顔面にすっぽりと被さった。目の部分だけが鋭くくり抜かれ、まるで覆面レスラーのマスクのようになっている。
「──オレハ、最強ノ、プロレスラーニ、ナル!」
完成した『|フロスト・ジャイアント《霜の巨人》』は、空に向かって両腕を突き上げ、地響きのような雄叫びを上げた。
「ええっと……雪かき、してくれるんだよね?」
俺の問いかけを完全に無視し、霜の巨人は太い腕で雪原をバンバンと叩き始めた。
ズドォォォォンッ!
巨人が雪を叩くたびに周囲の水分が瞬時に凍結し、みるみるうちに四角い氷のリングが形成されていく。さらに、太い氷柱がコーナーポストとしてそびえ立ち、極太の霜柱がロープの代わりに張り巡らされた。たった数十秒で、ユウト農園のど真ん中に立派な特設プロレスリングが完成してしまったのだ。
「社長! 報告いたします!」
地下帝国長のテラノスが、地面の穴から勢いよく飛び出してきた。
「あの氷の巨人が、農園の中央広場を占拠して勝手にリングを構築しております! 我ら地下帝国の威信にかけて、あのようなポッと出の雪だるま野郎に好き勝手はさせません!」
「いや、テラノスさん……別に好き勝手ってわけじゃ──」
「ハッ! そこで、我らが地下深くのマグマ層より、最強の格闘士を連れてまいりました!」
テラノスが指を鳴らすと、地面がドロドロに溶け、そこから身長三メートルを超える、全身が赤熱する溶岩で構成された『マグマ・ゴーレム』が這い出してきた。
「ガァァァッ! 燃エ盛ル炎コソ最強ォォッ!」
炎の魔人は、周囲の雪をジュウジュウと蒸発させながら氷のリングへと堂々と入場していく。
「フハハハ! 挑戦者カ! オレノ凍結ラリアットデ、粉々ニ砕イテヤル!」
「ヤレルモノナラ、ヤッテミロ!」
カンッ!
いつの間にかレフェリーの服を着たルシフェードが、農作業用のアルミパイプを叩いて試合開始のゴングを鳴らした。
ドゴォォォォォォンッ!!!
霜の巨人と炎の魔人がリングの中央で激しくぶつかり合った。
氷の拳と炎の拳が交差するたびに凄まじい衝撃波が巻き起こり、農園の木々が大きく揺れる。巨人が炎の魔人を持ち上げて『絶対零度スープレックス』を決めれば、炎の魔人はそれを跳ね返し、『地獄の業火ボディプレス』で反撃する。
「しゃ、社長! 緊急事態です!」
宇宙人アルカが、タブレットを片手に悲鳴を上げながら駆け寄ってきた。
「彼らの技のぶつかり合いで、農園の気象が局地的な『ブリザード』と『熱波』を数秒おきに繰り返しています! 気象データが完全にバグっています!」
アルカの言う通りだった。リングから強烈な冷気が放たれたかと思えば、次の瞬間にはサウナのような熱風が吹き荒れる。周囲の雪は一瞬で凍りつき、次の瞬間にはドロドロに溶けて泥水になってまた凍る……という異常なサイクルを繰り返していた。
「フフフ、ユウト社長」
元悪のCEOであるマッドシードが、汗と霜を交互に顔に浮かべながらメガネを押し上げた。
「我がGBG社の誇る環境制御テクノロジーをもってしても、数秒おきにマイナス50度とプラス100度が入れ替わる環境では、流石にセンサーが焼き切れてしまいますな。このままでは、近くのビニールハウスの野菜たちも細胞が崩壊してしまいますぞ」
「うーん……それは困ったね」
俺は、激しく技の応酬を続ける二体の巨人を見つめて小さくため息をついた。
俺の目には、彼らが神話の怪物同士の死闘を繰り広げているようには見えていなかった。ただ、「近所の元気な若者たちが、せっかく平らに均した畑の上でプロレスごっこをして泥だらけにしている」という、ちょっと困った迷惑行為にしか見えていないのだ。
「仕方ないな……ちょっと注意してくるよ」
俺は、立てかけてあったホームセンター仕様の『アルミ製雪かきスコップ(ワイドタイプ)』を手に取り、ゆっくりと氷のリングへと歩き出した。
「お、おいユウト殿! 危険じゃぞ! 今のあ奴らは、ラグナロクレベルのエネルギーを放っておる!」
ゼウスが止めるのも聞かず、俺はリングのロープ(霜柱)をひょいっとまたいで中に入った。
リングの中央では、霜の巨人と炎の魔人がお互いの最大奥義を放とうと、極限までパワーを溜め込んでいた。
「喰ラエッ! 【絶対氷結・アヴァランチ・ラリアット】!!」
「消シ飛ベッ! 【煉獄爆炎・メテオ・ドロップキック】!!」
二つの絶大なるエネルギーが、リングの中央で激突しようとしたまさにその時──
「ごめんね、ちょっと通るよ」
俺は二人の間に割って入り、愛用の雪かきスコップを、まるで落ち葉をまとめるかのようにスッと横に振るった。
「畑の土がボコボコになっちゃうから、プロレスごっこはそこまでにしてくれるかな?」
カァァァンッ!!
俺のスコップが、二人の巨体のド真ん中に直撃した。その瞬間、俺の無意識下から発せられた『限界突破オーラ』がスコップの先端で極限まで圧縮され、絶対零度の冷気も、煉獄の炎も、まるで「ちょっと強めの冬の隙間風」と「ストーブの熱風」程度にしか感じられず、完全に相殺してしまったのだ。
「な……ン……ダト……!?」
「バ、バカナ……! オレタチノ最強ノ大技ガ……タダノ除雪道具デ……!?」
二体の巨人はそのままスコップの広い面でまとめて掬い上げられ、リングの隅の雪山にドサッと乱暴に放り投げられた。
「はい、これでオッケー。あっ、熱い方の子は、その辺の雪を溶かすのにちょうどいいね。氷の子も、溶けた水を固めて道を整えるのに使えそうだ」
俺は、二体の巨人の胸の上にスコップをポンッと置き、優しく微笑みかけながら言った。
「ワン、ツー、スリー、だね。二人ともとっても体力がありそうだし、うちの農園で『雪かき&融雪タッグ』として働いてくれないかな? しっかりお給料は出すよ」
雪山に埋もれた二体の巨人は、スコップを通じて伝わってくる俺の底知れぬオーラ(ブラック企業で鍛え上げられた、絶対に仕事を終わらせるという圧倒的意志)に触れ、ガクガクと震え上がった。
「ヒィィッ……! コノ男、我々ノ次元ヲ遥カニ超エテイル……!」
「ア、アンタガ……真ノ、チャンピオンダァァッ!!」
二体の巨人はリングの上で土下座し、俺に向かって深々と頭を下げた。
「社長! 見事な制圧でありますぞ!」
テラノスが感激の涙を流しながら拍手をしている。アルカもタブレットを見ながら、「異常気象は完全に収束しました! さすが社長です!」とホッと胸を撫で下ろしている。
かくして、ユウト農園に最強の【氷と炎の除雪タッグ】が誕生した。
霜の巨人が圧倒的なパワーで雪をかき集め、炎の魔人が絶妙な温度コントロールでそれを綺麗な水へと変えていく。彼らのコンビネーションのおかげで農園の雪かきはあっという間に終わり、作物のための良質な水分だけが土にたっぷりと染み込んでいった。
「いやー、助かるよ。やっぱり適材適所だね!」
俺は、すっかり綺麗になった雪道を歩きながら温かいお茶をもう一口啜った。
厳しい信州の冬はまだまだ続くが、頼もしい(そして騒がしい)従業員たちがいれば今年の冬も無事に乗り切れそうだ。俺は、リングの片付けをしているルシフェードたちを手伝うため、再びタオルを巻き直して雪の中へと歩き出したのだった。




