第24話:畑に飛来した終焉の厄災(世界を喰らう害虫)を、市販の木酢液とハエ叩きで絶滅させてしまったんだが
冬の澄み切った冷たい空気が盆地を包み込む中、俺──元ブラック企業勤務の社畜で、現在は専業農家としてスローライフを満喫しているユウトの実家は、朝から驚異的な活気に満ち溢れていた。
「うおおおおッ! 力が……力が無限に湧き上がってくるぞォォォッ!!」
「ハッハッハッハ! ゼクサルよ、貴様のピーラーの速度、まだ限界ではないだろう! 我が『絶望の牙』改め『絶妙の包丁』による大根の千切りの方が、圧倒的に速いぞ!!」
水車小屋の裏手では、昨日から、我が家の住み込み農業アルバイト(自称・農奴)に加わった魔王軍第二軍団長・ヴァルグが、目にも留まらぬ速さで大根を千切りにしていた。その隣では、先輩アルバイターである第一軍団長・ゼクサルが、対抗心を燃やして大量の市田柿の皮を凄まじい風切り音とともに剥き続けている。二人とも、本来なら魔族特有の黒いオーラを放っているはずなのだが、今はどこからどう見ても真っ白で清らかな『農民のオーラ』を輝かせていた。
「フフッ、皆さん朝からとても精が出ますね。やはり、昨晩の『精霊キムチ』の効果は絶大なようです」
割烹着姿の美しいエルフの女王・エルリアさんが、縁側からその様子を微笑ましく見守りながら、温かいお茶を運んできてくれた。
彼女の言う通り、昨日の夕食に食べた『世界樹の精霊キムチ』──キムチ樽の中で爆誕した大自然の精霊王を、俺が「ちょうどいい重さだから」という理由で物理的に漬物石として使役し、その莫大な神威(発酵ガス)をたっぷりと吸収させた究極の発酵食品の効果は、一晩明けても全く衰える気配がなかった。
俺自身も、今朝は目覚まし時計が鳴る前にスッキリと起きられ、どれだけ体を動かしても一切の疲労を感じない。やはり自家製の野菜と発酵食品は、最高の健康法である。
「……解セヌ。我ハ、大自然ヲ統ベル王。我ガ神力ガ、タダノ唐辛子ト白菜ノ発酵ヲ促スタメダケニ搾取サレ続ケルトハ……。誰カ……誰カ我ヲ助ケテクレ……」
キムチ樽の落し蓋の上で、半透明の黄金色に輝く精霊王が、完全に虚無の表情を浮かべてブツブツと呟いていた。今日も重石として完璧に機能してくれている。感謝しかない。
「よし、みんな元気で何よりだね。俺も負けずに畑の世話をするぞー」
俺はいつものように作業着に袖を通し、首に使い古しの今治タオル(※あらゆる呪詛を弾き返す神話級防具)を巻き、ドローンのスイッチを入れた。生配信がスタートした直後から、スマホの画面には凄まじい勢いでコメントが滝のように流れ始める。
【待機20万人! ユウト様、おはようございます!】
【朝から魔王軍幹部二人が農作業で競い合ってて草】
【精霊王様が完全にキムチの重石として定着してて涙が出る】
【神を漬物石にする農家、今日も平常運転だな】
【最近、この配信見ないと一日が始まらない体になってしまった】
【(スパチャ ¥10,000)今日の農作業も楽しみにしてます!】
「おはようございます、皆さん。今日もいい天気ですね。冬野菜たちが順調に育っているので、今日は畑の最終点検と、害虫対策をしておこうと思います」
俺がそう言って裏庭の巨大な畑へと歩き出した、その時だった。
ゴォォォォォォォォォン……ッ!!!
突如として、どこからか不気味な重低音が響き渡り、空を覆っていた分厚い冬の雲が、まるでインクをこぼしたようにドス黒く染まり始めた。
風が止み、周囲の木々が一斉に震え上がる。先ほどまで気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた愛犬のポチ(※S級神獣フェンリル)が、全身の毛を逆立てて低く唸り声を上げ、水車を回していたブルー(※水神ブルードラゴン)も、ピクッと動きを止めて空を見上げた。
「ん? なんだ、急に空が暗くなったな。雪雲か?」
俺が首を傾げたその頃──
長野から遠く離れた東京・新宿の超高層ビル最上階では、漆黒のスーツを着た『深淵の賢者』が、ホログラムモニターに映る飯田町の様子を、冷酷な笑みを浮かべて見下ろしていた。
「……フフフ、始まったな。世界を狂わせるバグめ、貴様の長閑な農民ごっこも今日で終わりだ」
彼はワイングラスを傾けながら、背後に控える影の従者たちに傲慢な声で語りかけた。
「見よ、あれが我ら古の監視者が封印より解き放った最凶の概念兵器……『終焉の捕食虫』だ。魔力、物質、生命力、さらには空間の理そのものを喰らい尽くし、全てを無に還す絶対の厄災。どれほど強大な物理攻撃を誇ろうとも、概念であるヤツらを止めることは不可能だ」
「賢者様、しかしあの男は、魔王軍幹部を農奴にし、精霊王を重石にするほどの異常な力を持っています。果たして虫ごときで……」
「馬鹿め!あの男の力は、あくまで『自分の周囲を農地に書き換える』という局地的な現実改変能力に過ぎん。だが、アポカリプス・スウォームは『世界を終わらせる』という純粋な法則そのものだ。どんなに立派な白菜を育てようと、虫に食われれば農家は終わりだろう? 奴の畑もろとも、飯田町という特異点をこの世界から削り取ってくれるわ!」
深淵の賢者の高笑いが、暗いペントハウスに響き渡った。
* * *
一方、飯田町──
ドス黒く染まった空から、何かが猛烈な勢いで降下してきていた。
それは、黒い霧のような巨大な塊だった。その霧を構成しているのは、数兆匹にも及ぶ禍々しい紫色のオーラを放つおぞましい姿の羽虫の群れである。
ブブブブブブブブブブッ!!!!という、鼓膜を直接破り、精神を破壊するようなおぞましい羽音が、世界中をパニックに陥れていた。
【おい、嘘だろ!? 空が真っ黒だぞ!?】
【あれ……ただの虫じゃない! ギルドの緊急警報が鳴り響いてる! 『終焉の捕食虫』だ!!】
【世界を終わらせる概念兵器がなんで飯田町に!?】
【オワタ……マジで世界が終わる……。あれに触れられたら、地形ごと空間が消滅するんだぞ!】
【逃げてユウト様! いくらなんでもそれは防げない!!】
【あの虫は魔力も物理も無効化するんだ! 逃げるしかない!!】
配信のコメント欄は、世界中の探索者や有識者たちの絶望の叫びで埋め尽くされ、文字の流れが早すぎて肉眼では追えないほどのパニック状態となっていた。
エルリア、ゼクサル、ヴァルグ、そして気配を消していたゼロの四人も、空を覆う絶望の群れを見て顔面を蒼白にしていた。
「な、なんだあれは……! 魔王様が恐れていた『世界の終わり』そのものではないか! なぜあんなものがここに!」
ゼクサルがピーラーを取り落とし、膝をつく。
「オレたちの暗黒魔力どころか、生命そのものを否定する気配だ……! 創造主様! 危険です、早く避難を!!」
ヴァルグが叫ぶ。
だが、最強の農家であるユウトの反応は、彼らや世界中の人々の予想を大きく裏切るものだった。
「うわぁ……最悪だ。今年は雪が降る前に、厄介な害虫の群れが来ちゃったか」
ユウトは額に手を当てて、本当に心底嫌そうにため息をついた。
「アブラムシの親玉みたいなもんかな? それにしても数が多すぎる。せっかくいい感じに結球してきた俺の白菜と、甘みの詰まった大根が食い荒らされちまうじゃないか。こんな時期に大量発生するなんて、異常気象もいい加減にしてほしいよ」
【は?】
【害虫?】
【世界を無に還す概念兵器を、アブラムシ扱い……?】
【いや、ユウト様、あれ食われるの白菜だけじゃないから! 地球ごと食われるから!】
「みんな、ちょっと下がってて。うちの大事な冬野菜には、あんな害虫ども、指一本、いや足一本触れさせないから」
ユウトはそう言うと、物置に向かって足早に歩き出した。そして数秒後、彼が両手に抱えて持ってきたのは──
「じゃじゃーん! ホームセンター・ビバビバで買っておいた特大サイズの『防虫ネット』と、俺が手作りした特製の『木酢液スプレー』だ!」
【ビバビバの防虫ネットwwww】
【手作りの木酢液wwwwww】
【いやいやいや! 物理も魔法も無効化する概念兵器に、市販のネットと農薬(自作)で挑む気か!?】
【ユウト様の辞書に「不可能」の文字はないのかもしれないが、今回ばかりは相手が悪すぎる!】
ユウトは一切の迷いなく、巨大な畑全体を覆うように、買ってきた真っ白な防虫ネットをバサァァァァッ!と広げ、四隅をペグで地面に固定した。その動きは洗練されており、流れるように素早い。
「よし、これで上空からの直接攻撃は防げる。ネットの目は1ミリだから、どんな小さな虫も入れないぞ」
(いや、概念の虫だからネットの網目とか関係なく空間ごと透過してくるんだが……)と、世界中の探索者がツッコミを入れた、その瞬間だった。
ドドドドドドドドドッ!!!!!
上空から猛スピードで急降下してきた『終焉の捕食虫』の大群が、ユウトの張った市販の防虫ネットに激突した。
その直後——
バチィィィィィィィィンッ!!!!!!!
想像を絶する閃光と、弾けるような雷鳴が響き渡った。
空間を透過し、全てを無に還すはずの『終焉の捕食虫』たちが、なんと1ミリの網目を持つ防虫ネットに触れた瞬間、ジュワァァァッ!と音を立てて蒸発し、次々と弾き飛ばされていくではないか。
【ファッ!?!?!?】
【弾き返したぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?】
【なんで!? 概念兵器がなんで市販のネットで物理的に弾かれてんの!?】
モニター越しにその光景を見ていた新宿の深淵の賢者は、持っていたワイングラスをパリーン!と握り潰した。
「ば、馬鹿なッ!? 空間を喰らうはずの虫が、ただのナイロン製の網に阻まれるだと!? あり得ん、どんな強力な魔法結界すら紙切れのように破るというのに!」
深淵の賢者には理解できなかった。ユウトが、俺の大事な畑を守るネットという『強固な意志』を込めて設置した瞬間、その防虫ネットは、彼の無意識の『限界突破オーラ』によって、物理法則や因果律すらも書き換える【絶対防御の神域結界】へと昇華されていたのだ。網目の一つ一つが、宇宙の真理を編み込んだ神話の盾と同等の強度を持っているのである。
「うわっ、すごい勢いでぶつかってくるな。ネットが破れたら困るし、ここからは積極的に駆除していくか」
ユウトは、腰に提げた農作業用のベルトから、100円ショップで買ったスプレーボトルを取り出した。その中には茶褐色の液体が入っている。
「これはね、うちの裏山の木を炭焼きにした時に採れた煙を冷やして作った『木酢液』だよ。虫はこういう焦げたような匂いと酸性の液体が大嫌いなんだ。これにニンニクと唐辛子を少し漬け込んでおいたから、効果は抜群のはずだ」
ユウトはスプレーのノズルを、空を覆う黒い群れに向けた。
「そら、害虫ども。お前らにはこれで十分だ!」
シュッ、シュッ!
ユウトがスプレーのトリガーを引いた瞬間、ボトルから噴射された茶褐色の液体は、ただの霧ではなく、黄金の輝きを放つ【超高濃度の浄化と生命力の奔流】となって、竜巻のように空へ向かって逆巻いた。
裏山の木(※S級ダンジョン最深部に生える世界樹の枝)の炭から抽出されたエキスと、自家製ニンニク(※全デバフ解除の霊草)と唐辛子(※炎龍の火炎草)。
それらがユウトの手によって調合されたこの『特製木酢液』は、虫にとって嫌な匂いどころの話ではない。邪悪な概念や厄災そのものを、強引に自然のサイクルへと還す、猛毒を超えた【概念消滅液】であった。
『ギジィィィィィィィッ!?!?!?』
木酢液の黄金の霧に触れた瞬間、『終焉の捕食虫』の群れが、かつて誰も聞いたことのないような断末魔の悲鳴を上げた。全てを喰らうはずの彼らが、木酢液の圧倒的な生命力と浄化の波動に耐えきれず、自らの存在概念をボロボロと崩壊させられ、ただの黒いチリとなってパラパラと地面に落ちていく。
「おっ、効いてる効いてる! やっぱり自然の力で作った忌避剤が一番だな。でも、まだしぶとく飛んでるやつがいるな……。よし、これの出番か」
ユウトはスプレーを腰に戻し、代わりに右手に持ったのは、柄の長いプラスチック製の『ハエ叩き(蛍光イエロー)』だった。
【ハエ叩きwwwwwwwww】
【とうとう世界最強の武器(ハエ叩き)が出たぞ!!】
【終焉の厄災】
【この男にかかれば、世界の危機もただの日常の掃除風景】
「こらっ! 俺の畑の上をウロウロするな! シッシッ!」
ユウトは、ネットの上空を逃げ惑う『終焉の捕食虫』の残党に向かって、ジャンプしながらハエ叩きを振り回した。
パーンッ!! パーンッ!! パパーンッ!!!
ユウトが適当にハエ叩きを振るうたびに、空間そのものが歪み、空気が圧縮されて凄まじい衝撃波が発生する。彼が握った蛍光イエローのプラスチックは、もはや因果律そのものを叩き潰す【神の槌】であった。
ハエ叩きのスイング一つで、数万匹の概念の虫が「ただの物理的な虫」へと認識を強制的に書き換えられ、哀れにもペチャンコに叩き潰されて四散していく。
「ふぅ……。こんなもんかな。けっこう手強かったけど、なんとか全滅させられたみたいだ」
ユウトが額の汗を拭う頃には、空を覆っていたドス黒い雲は完全に消え去り、再び澄み切った信州の青空が広がっていた。地面には、黒いチリとなった『終焉の捕食虫』の残骸が、まるで黒い雪のように畑の周囲に降り積もっている。
「いやぁ、すごい数の死骸だな。でもこういう虫の死骸は、土に混ぜると良質なタンパク質を含んだ極上の肥料になるんだよな。大根がさらに甘くなりそうだ。ヴァルグ君、ゼクサル君、悪いけど、この虫の死骸をホウキで集めて、コンポストに入れておいてくれない?」
「「ハハァーーーーーーッ!! 直ちに取り掛かります、創造主様ァァァッ!!」」
魔王軍幹部の二人は、ユウトの背中から放たれる圧倒的な神威と、世界を終わらせる厄災をハエ叩きで全滅させたという信じられない現実を前に、完全に涙腺を崩壊させながら地面にひれ伏し、そして歓喜の声を上げてホウキを手に走っていった。
【終焉の捕食虫、ただの肥料へとジョブチェンジ】
【世界の理を喰らう虫が、大根を甘くするための養分になるとか誰が想像したよww】
【ユウト様の前では、全ての厄災が大自然のサイクルの一部に過ぎない……】
【(スパチャ ¥50,000)人類を、世界を救っていただきありがとうございます!!】
【(スパチャ ¥100,000)ハエ叩きの神に栄光あれ!!】
【(スパチャ ¥500,000)ホームセンター・ビバビバの株価がストップ高になりました!!】
配信画面は安堵と爆笑、そして大量のスパチャで真っ赤に染まり上がっていた。
* * *
その頃、新宿のペントハウスでは──
「…………嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だッ!!!」
深淵の賢者は、両手で髪を掻きむしりながら、ホログラムモニターの前で絶叫していた。
彼が長年の歳月をかけ、世界の理をひっくり返すために用意した究極の切り札。それが、ただの農家の青年による「防虫ネット」「木酢液」「ハエ叩き」という三種の神器によって、わずか数分で全滅させられ、あろうことか「大根の肥料」として再利用されているのだ。
「あ、あんなもの……あんな理不尽が許されてたまるか! 概念が、法則が、あんな蛍光イエローのプラスチックに負けるなど……ッ! 私の、我々の壮大な計画が、ただの『害虫駆除』として処理されただとォォォッ!!」
賢者はそのまま白目を剥き、口から泡を吹いてその場に昏倒した。
世界の裏側で蠢いていた巨大な陰謀は、ユウトが「冬野菜を守りたい」というささやかな願いのために振るったハエ叩きの一撃によって、完全に粉砕されたのである。
「よし、これで畑は安心だな! お昼ごはんは、みんなで熱々の豚汁でも作って食べよう!」
信州の青空の下、最強の農家ユウトの笑顔が眩しく輝いていた。
彼のスローライフは、世界の危機など全く意に介することなく、今日も平和に、そしてどこまでもカオスに続いていく。




