第23話:実家の巨大白菜でキムチを漬けたら、発酵の力で精霊王が爆誕して漬物石の代わりにされたんだが
信州・飯田町に、本格的な冬の足音が近づいていた。
アルプスの山頂はすでに真っ白な雪化粧を施され、朝夕の刺すような冷気が盆地特有の静寂を包み込んでいる。吐く息は白く、庭の草木には霜が降りてキラキラと輝く季節だ。
しかし、元ブラック企業勤務の社畜にして、現在はのんびりスローライフを満喫中である専業農家の俺の畑だけは、真夏のような、いや、生命の根源が爆発しているかのような異様な熱気に包まれていた。
「よし、見事な結球だ。今年の白菜は例年以上にデカく育ってくれたな!」
俺は畑の真ん中にしゃがみ込み、目の前に鎮座する巨大な緑色の塊を満足げにポンポンと叩いた。『デカく育った』などという生易しい表現では足りないかもしれない。目の前にある白菜は、一つが直径二メートル、重さにしておそらく数百キロはあろうかという、規格外の超巨大サイズに成長していた。葉の一枚一枚が分厚く、内側からエメラルドのような神々しい光を放ち、周囲にはマイナスイオンを通り越した圧倒的な生命エネルギーが霧のように漂っている。
俺の周囲では、いつものように撮影用ドローンがフワフワと浮遊し、この農作業の様子を全世界に向けて生配信していた。
【おい待て、なんだあのバカでかい植物!?】
【白菜……? いやいや、あれどう見ても伝説の『世界樹の若葉』が結球した姿だろ!!】
【世界樹の葉を白菜扱いする男、ユウト】
【一つ収穫するだけで国家予算規模の霊薬が作れるぞ……】
【それをポンポン叩くな! 衝撃で放出された神気で俺のスマホのバッテリーが100%から減らなくなったんだが!?】
【ユウト様の畑、ついに地球の生態系から完全に逸脱してて草】
相変わらずリスナーたちは大げさなコメントで盛り上がっているが、俺にとってはただの「ちょっと育ちすぎた美味しそうな白菜」である。冬の保存食を作るには、これくらいボリュームがあったほうがありがたい。
「そらしょっと!」
俺は巨大な白菜の根元に両手を差し込み、掛け声とともに一気に引っこ抜いた。
ズバァァァァァァンッ!!
大地が揺れ、白菜が抜けた跡から、黄金色の光の柱が天に向かって立ち上る。無意識に発動している『限界突破オーラ』のおかげで、数百キロの白菜も発泡スチロールのように軽く感じられた。
「おーい、ゼクサル君、ヴァルグ君! 収穫した白菜を水場まで運んでくれる? それからエルリアさんとゼロさんは、薬味の準備をお願い!」
俺が声をかけると、畑の隅で待機していた二人の大男──全身包帯巻きのゼクサル君(※魔王軍第一軍団長)と、首にタオルを巻いたヴァルグ君(※魔王軍第二軍団長)が、弾かれたように直立不動の姿勢をとった。
「ハッ! 直ちに取り掛かります、創造主様! このゼクサル、己の暗黒闘気を全て荷車を引く推進力へと変換し、世界樹の重みに耐えてみせましょう!」
「オレに任せてくだせぇ! かつて暗殺鬼と呼ばれたこのヴァルグの手捌き、白菜の泥落としという神聖なる儀式にて、完璧に証明してみせますぜ!」
すっかり農作業の楽しさ(?)に目覚め、我が家の優秀な住み込みアルバイトと化した魔族の二人は、恐ろしいほどのスピードと連携で巨大白菜をリヤカーに積み込み、水車小屋の裏手にある洗い場へと運んでいく。
かつて世界を恐怖に陥れた魔王軍の最高幹部たちが、泥まみれになりながら「よっこいせ!」「そーれ!」と白菜を洗う姿は、どこか牧歌的で涙を誘うものがあった。
「さて、みんなが白菜を洗ってくれている間に、俺は塩漬けの準備をするとしよう」
冬の保存食といえば、漬物。なかでも、体を芯から温めてくれるピリ辛の『キムチ』は、信州の厳しい冬を乗り切るための最高の常備菜だ。俺は物置から、大人十人が入れるほど巨大な木製の漬物樽を引っ張り出してきた。そして、麻袋にたっぷりと詰まった自家製の塩を用意する。
「これはね、この前ちょっと海の方へ遊びに行った時に、ついでに海水を汲んできて煮詰めて作った特製の塩なんだよ。ミネラルたっぷりで、野菜の甘みを引き出してくれるんだ」
俺が麻袋を開けた瞬間、ドローンのカメラがその中身をアップで捉えた。そこに入っていたのは、ただの白い粉ではない。一つ一つがダイヤモンドのように透き通った多面体の結晶であり、星空を閉じ込めたかのように青白く発光する、凄まじい純度の塩だった。
【ファッ!?!?!?】
【ちょっ、それ『神海の結晶』じゃねえか!!!】
【神話の海神が数万年かけて精製する絶対浄化の秘宝だぞ!?】
【それを「ちょっと海に行ったついでに煮詰めた」だと……?】
【海水(神の領域)を煮詰める(物理法則の破壊)】
【また世界の真理が漬物にされようとしている……】
「綺麗に洗えた白菜の間に、この塩を丁寧にすり込んでいく。ここが美味しくなるポイントなんだよね」
俺は、ゼクサル君たちが運んできた巨大な白菜の葉を一枚一枚めくりながら、発光する塩をパラパラと振りかけ、優しく揉み込んでいった。キュッ、キュッという小気味よい音が響くたびに、塩の持つ「絶対浄化の力」と白菜の「世界樹の生命力」が化学反応を起こし、周囲に眩い光のオーロラが発生する。白菜から余分な水分(※致死量の高濃度マナ)が抜け出し、樽の底に黄金色の液体となって溜まっていく。
「よし、塩漬けはこれでしばらく置いておこう。次はキムチの命、『ヤンニョム』作りだ!」
俺は台所へ移動し、エルリアさんとゼロさんが下ごしらえしてくれた大量の薬味を前に腕をまくった。
すりおろした自家製ニンニク(※食べると全デバフが解除される霊草)と生姜、千切りにした大根と人参、そして甘みを出すためのすりおろしリンゴ(※黄金の林檎)。さらに、真っ赤に熟した唐辛子の粉(※炎龍のブレスから生まれた火炎草の粉末)を、巨大なボウルに全て投入する。そして、海鮮の旨味を足すために、イカの塩辛(※クラーケンの極上塩辛)と昆布出汁を加えた。
「これを、手でしっかりと混ぜ合わせる。手から愛情を伝えるのが一番なんだ」
俺は両手をボウルに突っ込み、元ブラック企業での理不尽なクレーム対応で培った「どんなに混沌とした状況でも全てを丸く収める」という至高の宥和メンタル(※限界突破オーラ)を全開にして、真っ赤なペーストをこね回した。
グチャッ、グチャッ……ギュイィィィィィィンッ!!!
俺がヤンニョムを練り込むたびに、ボウルの中で小規模な竜巻が発生し、炎と生命の力が完璧なバランスで融合していく。完成した真っ赤なヤンニョムは、まるでそれ自体が一つの生命体のようにドクン、ドクンと脈打ち、嗅ぐだけで寿命が千年延びるような強烈なスパイシーな香りを放っていた。
「うおお……ッ! 創造主様、その赤きペーストから放たれる圧倒的な熱量……! まるで宇宙のビッグバンを凝縮したかのようです……!」
ゼロさんが、鼻血を流しながらも恍惚とした表情でヤンニョムを拝んでいる。
「大げさだなぁ、ただの唐辛子ペーストだよ。さあ、このヤンニョムを、塩漬けしてしんなりした白菜の葉の間に、一枚ずつ丁寧に塗り込んでいくんだ」
俺たちは総出で、巨大な世界樹の白菜に真っ赤なヤンニョムを塗り込む作業を開始した。ゼクサル君とヴァルグ君は「ぬおおおおおッ! この唐辛子の熱量、我が暗黒魔力を凌駕しているッ!」と叫びながらも、手際よく白菜を赤く染め上げていく。
すべての白菜にヤンニョムを塗り終え、巨大な木樽の中に隙間なくギュウギュウに詰め込んだ。
「ふぅ、これで仕込みは完了だ。あとは発酵させるだけなんだけど……」
俺は腕組みをして、木樽の中を見下ろした。
「しっかり漬け込むために、上に重しを乗せないといけないんだよな。ちょうどいいサイズの漬物石がないか、裏山でちょっと探してこよう」
俺が漬物石を探すためにその場を離れた、直後のことだった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッッッ!!!!
突如として、ヤンニョム漬けの巨大白菜が詰め込まれた木樽の内部から、地鳴りのような凄まじい轟音が響き渡った。
「な、なんだ!?」
残されたエルリアたちが驚いて樽を覗き込むと、そこには信じられない光景が広がっていた。
世界樹の葉、絶対浄化の神塩、クラーケンの旨味、炎龍の唐辛子……そして何より、ユウトの『限界突破オーラ』によって極限まで練り上げられたヤンニョム。これら地球の理を超越した至高の素材たちが、樽という密閉空間の中で「発酵」という名の化学変化を起こした結果、樽の内部で、次元の壁を突き破るほどの超圧縮された生命エネルギーが臨界点に達し、一つの意志と、一つの神格を、無から生み出してしまったのだ。
カッ!!!!
樽の中から、太陽すらも霞むほどの強烈な黄金の光が爆発した。
光の奔流の中から、ゆっくりと宙に浮かび上がってきたのは、輝く緑色のオーラを纏い、頭に唐辛子の冠を戴いた、半透明の巨大な精霊だった。その姿はあまりにも神々しく、周囲の空間そのものが彼にひれ伏しているかのような、圧倒的な神威を放っていた。
「……我は、大地の恵みと炎の浄化、そして悠久の時(発酵)を経て生まれし者。森羅万象を統べる究極の命の結晶……【大自然の精霊王、キムチ・スピリット・ロード】なり!!!」
精霊王の威厳に満ちた声が、直接脳内に響き渡る。あまりの神々しさと重圧に、エルリア、ゼロ、ゼクサル、ヴァルグの四人は、立っていることすらできず、その場に平伏してしまった。
「あ、ああ……! まさか、創造主様のお料理から、新たな神霊が誕生してしまうとは……!」
「我が魔王様すら足元にも及ばぬ、絶対的な命の波動……! これぞ真の神……!」
精霊王は、平伏する四人を見下ろし、傲慢に腕を組んだ。
「フハハハハ! ひれ伏すがいい、下等な者どもよ! 我をこの世界に喚び出し、我にこの無敵の肉体(発酵食品)を与えたのは誰だ? その者に、我の絶大なる力を授け、この星の王にしてやろうではないか!」
精霊王が、世界を支配する大宣言を行おうとしたまさにその時──
「おーい、ちょうどいい重さの丸っこい石があったぞー。って、あれ?」
裏山から戻ってきたユウトが、手頃な岩を抱えながら首を傾げた。彼の視線の先には、樽の上で神々しく輝き、ふんぞり返っている精霊王の姿があった。
「おお、貴様が我を喚び出し──」
「うわっ、すごいな! 発酵のガスで光る風船みたいなのが浮かんでる! しかもこれ、見た目よりずっと質量があって……めちゃくちゃ重いな!」
ユウトは、精霊王の神聖なオーラなど全く気にする素振りも見せず、片手でひょいっと、その「光る半透明の塊(精霊王)」を鷲掴みにした。
「……は?」
精霊王の時間が止まった。
今、自分は、ただの農家の青年に、まるでスーパーの特売品のスイカでも確かめるように、無造作に掴まれている。精霊王は反射的に、自身の持つ「絶対不可侵の神盾」を展開し、この不敬な人間を光の彼方へ吹き飛ばそうとした。
しかし──
ギリィッ……
ユウトの指先から、無意識に漏れ出た『限界突破オーラ』が、精霊王の神盾をティッシュペーパーのように容易く貫通し、その神格を直接鷲掴みにしたのだ。
精霊王は、その瞬間に理解した。自分を握りしめているこの青年から放たれているプレッシャーは、大自然の王である自分など、息を吹きかけるだけで消滅させられるほどの、宇宙の創造主クラスのバグじみた力であることを……。
「ひっ!? あ、あばばばばばばっ!? お、お待ちを、創造主様ッ!? 我は、私は、大地の精霊王でして、あの、決して怪しいものでは──」
「へえ、これすごい高密度に圧縮されてるんだな。重さも均等だし、底が平らで安定感抜群だ。持ってきた石より、こっちの方が漬物石にぴったりじゃないか!」
「──えっ?」
ユウトは、最高の笑顔を浮かべると、
ビターンッ!!!
精霊王の顔面を下にして、キムチ樽の落し蓋の上に、容赦なく全力で叩きつけた。
「よし、これで完璧だ! この光る重しから出てるポカポカした熱(※究極の発酵促進マナ)のおかげで、発酵も一気に進みそうだな!」
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!! わ、私の尊厳が! 神格がァァァァァッ!! 白菜の汁が、唐辛子が目に染みるゥゥゥゥッ!!!」
精霊王の悲痛な叫び声は、ユウトの耳には「発酵が順調に進んでいる炭酸ガスの音」くらいにしか聞こえていなかった。圧倒的なユウトの神威の前に逆らうことなど不可能であり、大自然の精霊王は、涙と鼻水を流しながら、己の全ての神力を「ただキムチを極上の味に発酵させるための重し」として捧げるという、悲惨極まりない永遠の労働を強いられることになったのである。
【ファッ!?!?!?】
【精霊王が産まれたと思ったら、開始5秒で漬物石にされたんだけどwww】
【歴史上、最も悲惨な神の降臨シーン】
【精霊王「世界を統べる力を与えよう!」→ユウト「おっ、ちょうどいい重石めっけ(物理)」】
【キムチの汁まみれで重石にされてる精霊王泣いてて草】
【この農家、神を重石にするってマジで何者だよwww】
* * *
精霊王の涙ぐましい強制発酵労働(※超絶バフ)のおかげで、本来なら何日もかかるはずのキムチは、たった数時間で完璧な食べ頃を迎えた。
夕食の食卓には、炊き立てのツヤツヤな白米と、真っ赤に染まり、エメラルドの輝きを放つ『世界樹の精霊キムチ』が山盛りに並べられた。
「さあ、みんな、今年の初物だ! 味見してみよう!」
ユウトがキムチを白米に乗せ、一口頬張る。シャキッ!という小気味よい音とともに、世界樹の葉の濃厚な甘みと、炎龍の唐辛子の突き抜けるような辛味、そして海神の塩が引き出した魚介の旨味が、口の中で奇跡のオーケストラを奏でた。噛めば噛むほど、精霊王が練り込んだ極上の生命エネルギーが細胞の隅々まで染み渡り、体が芯からカッカと熱くなってくる。
「うまっ! 今年のキムチ、今までで一番の出来だぞ! 白米が止まらない!」
「あぁぁぁ……! 辛い、ですが、甘い! そして、体中から無尽蔵の魔力が湧き上がってきます……!」
「創造主様! このキムチを食べた瞬間、我が肉体が『火炎無効(絶対耐性)』を獲得し、無限のスタミナが湧き上がっております! これなら、不眠不休で一万個の柿が剥けますぞォォォッ!!」
エルリアさんたちも、涙と汗を流しながら、一心不乱にキムチと白米をかき込んでいた。ポチもブルーも、辛いはずのキムチを喜んでバクバク食べている。
精霊王を重石にして作られたキムチは、食べる者すべてに「全状態異常無効」「炎属性吸収」「無限の体力」を付与する、もはや食事の形をした神話級アーティファクトと化していた。
* * *
平和でカオスな食卓の風景が、世界中に配信されている頃──
長野県飯田町から遠く離れた、東京・新宿。
天を突くような超高層ビルの最上階、一切の照明が落とされた広大なペントハウスの中で、無数のホログラムモニターが青白い光を放っていた。
そのモニターのすべてに映し出されているのは、ユウトの配信画面である。モニターの前に立つ、漆黒のスーツを着こなした細身の男。彼の肌には、脈打つように淡く発光する幾何学的な魔法陣のタトゥーが刻まれていた。
「……信じられん。本当に、ただの人間だというのか」
『深淵の賢者』と呼ばれる、世界の裏側から歴史を操ってきた古の監視者の一人であるこの男は、手元のワイングラスを震わせていた。
「世界樹の苗を完全体へと強制成長させ、神海の結晶を指先一つで精製し、あろうことか、大地のマナの集合体である『精霊王』を、物理的な力でねじ伏せ、漬物の重石として使役するだと……?」
男の視線は、画面の中で無邪気にキムチを頬張るユウトに釘付けになっていた。
「あれは農作業などではない。あの男が呼吸をし、スコップを振るうたびに、この地球の理そのものが書き換えられている。あの男から放たれるプレッシャー……あれは、我々が恐れていた『創世の特異点』そのものだ」
男はグラスを置き、傍らに控えていた影のような従者に冷酷な声で命じた。
「魔王軍の幹部どもが、次々と農奴にされている理由が分かった。武力や魔力では、あの男には絶対に勝てん。……ならば、戦うことすらできず、全てを無に還す『概念』を送り込むしかない」
男の背後で、空間がぐにゃりと歪み、巨大なブラックホールのような漆黒の穴が開いた。その中から、この世の全ての絶望を煮詰めたような、冷たく虚無的な気配が漏れ出してくる。
「準備しろ。『終焉の捕食虫』を、あの飯田町という特異点に放つ。あの男の農地を、いや、あの男の存在そのものを、世界から刈り取ってやる」
男の眼鏡の奥で、鋭い殺意が閃いた。
そんな世界の裏側での恐るべき陰謀が動き出していることなど露知らず……
「あー、食った食った! 明日は裏山の落ち葉を集めて、腐葉土を作ろうかな!」
最強の農家ユウトは、膨れたお腹をさすりながら、のんきな笑い声を上げているのだった。




