第2話:田舎の雑草、根っこが太すぎる(※デス・トレント)
ブルルルルルルルルルルルルンッッッッ!!!
お爺ちゃんから譲り受けたエンジン式草刈り機が、耳をつんざくような凄まじい轟音を立てていた。
長年放置されていた機械とは思えないほど、そのアイドリングは力強く、そして安定している。手元に伝わってくるズッシリとした振動が、俺の農作業モードへのスイッチを完全に入れてくれた。
周囲の草木が、エンジンの排気音に怯えるかのようにザワザワと揺れている。都会のコンクリートジャングルに比べたら、この排気ガスの匂いすらなんだか懐かしくて心地いい。
「さてと。まずはあのバカでかいタラの芽みたいなヤツからいくか」
俺は肩掛けベルトの位置を微調整し、草刈り機のU字ハンドルをしっかりと握り直した。
狙うのは、実家の裏山の入り口付近に陣取っている、一際巨大な植物だ。高さは三メートルを優に超えているだろうか。太い幹はどす黒い茶色で、表面にはブツブツとした不気味な突起が無数に生えている。そこから伸びる無数の蔓つるは、まるで生き物のようにうねうねと宙を舞っていた。頂点には、どぎつい紫色をした巨大な花が咲き誇り、甘ったるいような、腐った肉のような、強烈な異臭を放っている。
「うわぁ……近づくとすげぇ匂いだな」
俺は顔をしかめながら、ジャージの首元に巻いていたタオルで口を覆った。
「こりゃあ、五年も放置してたせいで完全に生態系がおかしくなってるな。外来種でも混ざったのか?」
俺は呑気なことをつぶやきながら、ズカズカとその巨大植物へと歩み寄っていった。
この時の俺は、この世界の常識から完全に逸脱していた。
現在、世界中で『ダンジョン』と呼ばれる異空間が発生し、そこから這い出てくるモンスターへの対策が急務となっている。ダンジョンは危険度に応じてランク分けされており、俺の実家の裏山は、人類未踏の『S級ダンジョン』に指定されていた。当然、そこに生息するモンスターたちも、規格外のバケモノばかりだ。
今、俺の目の前に立ちはだかっているこの巨大植物。その正体は、A級モンスターに指定されている『デス・トレント人喰い樹』と呼ばれる凶悪な魔物だった。鋼鉄の装甲すら容易く貫く鞭のような蔓。致死性の猛毒を含んだ紫色の花粉。そして、どんな攻撃を浴びても即座に再生する、驚異的な生命力。
プロの探索者たちがフルパーティを組み、重火器や強力な攻撃魔法を何発も叩き込んで、ようやく倒せるかどうかというレベルの強敵だ。もし一般人がこんなものに遭遇したら、逃げる間もなく全身の血を吸い尽くされ、文字通り『肥料』にされてしまうだろう。
しかし、そんな恐るべきバケモノを前にしても、俺の脳内は信じられないほどお花畑だった。
「よし、根元から一気に刈り取るぞ」
俺は草刈り機のスロットルレバーを握り込み、エンジンの回転数を上げた。
ギュイイイイイイイイイイイインッッッ!!!
刃の回転音が、一段と甲高い悲鳴のような音に変わる。俺は草刈り機の先端を地面すれすれまで下げ、デス・トレントの太い幹へと狙いを定めた。
その瞬間、デス・トレントは、接近してくる俺を『獲物』として完全に認識したようだった。幹から生えた無数の蔓が、獲物を捕食するための鞭へと変化し、一斉に俺の頭上へと振り上げられたのだ。
シュガァァァァッ!!
空気を引き裂くような鋭い音と共に、数本の蔓が俺の顔面めがけて凄まじい速度で襲いかかってきた。
プロの探索者であっても、目で追うことすら困難な神速の一撃。直撃すれば、俺の頭など熟れたトマトのように簡単に弾け飛んでいただろう。
しかし。
「……おっと、足場が悪いな」
俺はたまたま足元に転がっていた大きめの石につまずき、体勢を大きく前に崩した。その偶然の動きによって、俺の頭部を狙っていたデス・トレントの致死の一撃は、見事に空を切った。
バンッッッ!!
俺の背後にある地面が、爆撃でも受けたかのように深くえぐり取られる。
「うおっ!? なんだ今の風圧!? 急に突風が吹いたぞ」
俺は足元をふらつかせながらも、なんとか体勢を立て直した。田舎の山の天気は変わりやすいと言うが、今の風はちょっと異常だった。
「まあいいや。さっさと刈ってしまおう」
俺は気を取り直し、再び草刈り機を構えた。
デス・トレントは、必殺の攻撃を完全に回避されたことに驚愕したのか、一瞬だけ動きを止めていた。
植物でありながら、その姿からは明らかな『動揺』と『恐怖』の色がにじみ出ている。だが、俺はそんな魔物の感情になど一切気づくことなく、容赦なく草刈り機を振り抜いた。
右から左へ。
腰の回転を意識した、草刈りの基本に忠実なフォーム。お爺ちゃんが知り合いのドワーフ(俺はただの近所の鍛冶屋だと思っている)に頼んで鍛え上げた、超高純度オリハルコン製の刃が、デス・トレントの鋼鉄の幹へと吸い込まれていく。
ズバアァァァァァァァァァンッッッ!!!
鈍い手応えすら、そこには存在しなかった。まるで熱したナイフでバターを切り裂くかのように。あるいは、一枚の薄い紙をハサミで切るかのように。
強靭なA級モンスターの巨体は、一瞬の抵抗すら許されず、いとも容易く真っ二つに切断された。
「ギィャァァァァァァァァァァァッ!!?」
デス・トレントの幹の中央にあった亀裂——口のような部分から、この世のものとは思えない凄まじい断末魔の悲鳴が轟いた。大量の緑色の体液(樹液)が、噴水のように周囲へと撒き散らされる。
俺はとっさに、草刈り機に取り付けられている飛散防止カバーの裏へと身を隠した。
「うおっ、樹液がすげえ飛んでくる! カバー付けといてよかったー」
ドズゥゥゥゥゥンッ……!!
地響きを立てて、デス・トレントの巨体が俺の目の前に倒れ伏した。二度と動くことはなく、その生命活動を完全に停止させたのだ。切り口を見てみると、恐ろしいほどに滑らかで、まるで鏡面のように美しい断面をしていた。
「ふぅ……。田舎の雑草って、根っこが太くてしぶといなぁ。でも、さすがは日本製だ。これだけ太い幹を切っても、全然刃がこぼれてないぞ」
俺は額に浮かんだ汗をタオルで拭いながら、お爺ちゃんの形見の凄さに改めて感心していた。
エンジンを切ると、裏山には再び静寂が戻ってきた。
ただ、切り倒された巨大植物からは、依然としてドクドクと緑色の体液が流れ出ている。
「さて、一仕事終えたし、視聴者さんの反応でも見てみるか」
俺は首をポキポキと鳴らしながら、スマホの画面に目を落とした。配信をスタートした直後は、同接(同時接続者数)はたったの『3人』だった。きっと、心優しい通りすがりの暇人か、田舎の風景に癒やしを求めているマニアックな人たちだろう。そう思ってコメント欄を覗き込んだ俺は、思わず目を瞬かせた。
【配信コメント】
[名無し] え?
[名無し] は?
[名無し] ちょっと待って、今何が起きた?
[名無し] 画面バグった?
コメントのスクロール速度が、明らかに速くなっている。皆、一様に困惑しているようだった。まあ無理もない。いくら田舎とはいえ、こんなバカでかい植物を一刀両断にする映像なんて、普通はなかなかお目にかかれないだろうから。
俺が「驚かせてすいません」と謝ろうとした矢先、コメント欄の空気が一変した。
【配信コメント】
[探索者A] ちょ、お前、今何刈った!?
[名無し] 嘘だろ!? あれ、A級モンスターの『デス・トレント』じゃね!?
[ダンジョンオタク] 間違いない。あの禍々しい紫色の花と、鋼の鞭みたいな蔓……S級ダンジョンにしか生息しない特異個体のデス・トレントだ!
[探索者A] マジかよ……プロの探索者がフル装備で、決死の覚悟で挑んで全滅するバケモノだぞ!?
[名無し] それを、ジャージ姿のおっさんが……
[名無し] ホームセンターの草刈り機でワンパン……???
[名無し] 物理法則どうなってんのwwww
[名無し] 草刈り機の刃、オリハルコンでも出来てんのかよwww
[探索者A] いや、オリハルコンの剣でもデス・トレントの幹は斬れない。ソースは俺の所属してるギルドの先輩(重傷で入院中)
「ん? コメントが急に増えてる。ありがとうございます!」
俺はカメラに向かって、愛想よく手を振った。画面の左上を見ると、同接の数字がいつの間にか『50人』に増えている。さらに数字はパラパラと上がり続け、『100人』『200人』と、ありえないペースで増加し始めていた。
「えーと、『人喰い樹』? 『A級モンスター』?」
俺はコメント欄に流れる物騒な単語を読み上げ、思わず苦笑いした。
「いやいや、皆さんも冗談がお好きですね。これはただのタラの芽のデカい版ですよ。五年も放置してたせいで、ちょっと育ちすぎちゃったみたいですけど」
俺はカメラの向きを変え、地面に転がっているデス・トレントの死体を映した。
「ほら、これなんて天ぷらにしたら絶対に美味いやつですよ。緑色の樹液がちょっと気持ち悪いですけど、田舎の自然はたくましいってことですね」
俺が呑気に解説をしている間にも、コメント欄の勢いは止まらない。
【配信コメント】
[名無し] タラの芽(※プロを殺すA級モンスター)
[探索者A] この人、自分が何やってるか全く分かってないぞ……!
[ダンジョンオタク] デス・トレントをタラの芽呼ばわりする人類、初めて見たわ。
[名無し] ってか、さっきの蔓の攻撃、完全に致命傷コースだったのに、石につまずいて回避したよな?
[名無し] あれ絶対わざとだろ。見切ってた動きだった。
[探索者A] 素人には石につまずいたように見えるが、超絶技巧の『見切り』と『縮地』を同時にやってのけたんだ。間違いない。
[名無し] どんな達人だよwwww
[名無し] 草刈り機(神話級アーティファクト)
「見切り? 縮地? いやぁ、ただの運動不足なおっさんですよ。さっきは本当に転びそうになって焦りました」
俺は恥ずかしくなって、頭を掻いた。最近のネットの視聴者は、色々と設定を作って楽しむのが好きなようだ。
『ダンジョン探索配信』が流行っている影響で、みんなそういうロールプレイに飢えているのかもしれない。
「それにしても、皆さんに見ていただけるのはありがたいですね。クビになったばかりで落ち込んでたんですが、少し元気が出てきました」
俺はカメラに向かって深々と頭を下げた。同接はすでに『500人』を突破している。もしかすると、この『田舎の巨大雑草を刈る配信』は、意外と需要があるのかもしれない。
「よーし。この調子で、裏山の入り口付近だけでも綺麗にしておきましょうか」
俺は再び草刈り機のエンジンを吹かし、次なる『雑草』を探して視線を巡らせた。すると、草むらの奥の方で、ガサガサと何かが動く音が聞こえた。
「おや? また厄介な雑草ですかね……」
俺が足を踏み出そうとした、その時だった。
グルルルルルルルルル…………ッ!
地を這うような、内臓の底まで響いてくるような、恐ろしい唸り声が響き渡った。そして、鬱蒼と生い茂る巨大なシダ植物の群れをかき分けて、そいつは姿を現したのだ。
「うおっ!?」
俺は思わず後ずさりした。草むらから飛び出してきたのは、体長三メートルはあろうかという、巨大な四足歩行の獣だった。全身を銀色に輝く美しい毛並みで覆われ、その瞳は血のように赤く光っている。四肢には鋭い鉤爪が生え、口の隙間からは、人間の頭蓋骨など容易く噛み砕けそうな牙が覗いていた。
「……でっかい野犬だなぁ。ハスキー犬のミックスかな?」
俺はまじまじとその獣を観察し、呑気な感想を漏らした。首輪はついていない。どうやら、迷い犬というわけではなさそうだ。
「こら! 勝手に人の家の庭に入ってきちゃダメだろ! ここはお前のトイレじゃないぞ!」
俺は教師が生徒を叱るような口調で、その巨大な獣に向かって指を差した。
【配信コメント】
[名無し] !!!!????
[探索者A] おま、それ野犬じゃねえええええええええ!!
[ダンジョンオタク] あああああああっ!! S級指定の神獣『フェンリル』様だあああああ!!!
[名無し] 終わった。配信者、食われるぞ。
[名無し] 逃げろおっさん!! それは草刈り機じゃどうにもならん!!
[探索者A] フェンリルは戦車砲の直撃すら弾き返すチート耐久だぞ! 物理攻撃は一切効かない!
コメント欄が、先ほどの比ではないほどの凄まじい勢いで滝のように流れ始めた。画面の向こう側の視聴者たちが、本気でパニックに陥っているのが伝わってくる。
同接の数字は、あっという間に『1000人』を超え、さらに急上昇を続けていた。しかし、俺にはそれが『フェンリル』だの『S級神獣』だのという実感は全く湧かなかった。ただの、ちょっと育ちすぎた凶暴そうな野犬である。
「噛みつかれたら狂犬病とか怖いからな……。草刈り機で怪我させるのも可哀想だし、ここはこれの出番だな」
俺は草刈り機のエンジンをアイドリング状態に戻し、腰のベルトにぶら下げていた『秘密兵器』を取り出した。
「ホームセンターの特売で買っておいた、『対スズメバチ用・超強力殺虫スプレー(特大サイズ)』だ」
黒と黄色の警戒色がプリントされた、長さ三十センチほどある巨大なスプレー缶。ノズルを巨大な野犬の顔面に向け、俺は躊躇することなく噴射ボタンを押し込んだ。
シューーーーーーーーーーーーーーッ!!!
勢いよく噴き出した白いガスが、銀色の獣の顔面を真っ向から包み込んでいった。
次回、第3話「田舎の野犬、サイズがおかしい(※フェンリル)」
戦車砲すら弾くS級神獣フェンリルに、対スズメバチ用の殺虫スプレーが直撃!物理バフ限界突破のスプレーを浴びた神獣の運命やいかに!?そして、視聴者数がついに未知の領域へと突入します。どうぞお楽しみに!




