第1話:ブラック企業をクビになったので、実家(S級)に帰ります
数ある作品の中から本作を開いていただき、本当にありがとうございます。
本作は「ブラック企業で搾取され続けた主人公が、無自覚のまま世界を救いつつ、最高の田舎スローライフを満喫する」という、勘違いコメディ&スカッと無双モノです。
主人公のユウトと一緒に、配信のコメント欄でツッコミを入れながら楽しんでいただければ幸いです。
それでは、本編をどうぞ!
「君、明日からもう来なくていいよ」
社長室の重厚な革張りソファにふんぞり返りながら、豚のように丸々と太った部長がそう言い放った。
「君みたいな無能、うちの会社には必要ないから。荷物をまとめたら、今日中にカードキーを返却するように」
窓の外には、コンクリートジャングルと呼ばれるにふさわしい、灰色のビル群が立ち並んでいる。空調の効いた快適な社長室には、高級な葉巻の匂いと、部長のキツい香水が入り混じった異臭が充満していた。
俺——結城ユウト(27歳・独身)は、その言葉を、まるで遠くの国のニュースでも聞くかのようにぼんやりと受け止めていた。
五年。
新卒でこのIT系(という名目の何でも屋)企業に入社して以来、俺は五年間、文字通り馬車馬のように働き続けてきた。
毎月のサービス残業は二百時間を優に超え、休日は月に一日あればいい方だった。深夜三時に帰宅し、シャワーだけ浴びて朝六時の始発で出社する。そんな生活を続けた結果、俺の身も心も、すでにボロボロの雑巾のようにすり減っていた。
だからだろうか。
「……あ、はい。わかりました」
抗議する気力すら湧かなかった。怒りも、悲しみも、絶望もなかった。ただただ、「ああ、これでやっと、目覚まし時計をセットせずに眠れるんだ」という、奇妙な安堵感だけが胸を満たしていた。
デスクに戻り、私物を段ボール箱に詰める。といっても、マグカップと数冊のビジネス書、それに予備のネクタイくらいしかなかった。同僚たちは皆、PCのモニターから目を離さず、カタカタとキーボードを叩き続けている。誰一人として、俺の方を見ようとはしない。明日は我が身。そんな職場で、クビになった人間に掛ける言葉など誰にも持ち合わせていなかったのだ。
退職届にハンコを押し、人事部に叩きつけて、俺はビルを出た。真夏の太陽が、容赦なくアスファルトを照りつけている。
「……さて、どうすっかな」
独り言をつぶやいた瞬間、お腹がぐぅと鳴った。
そういえば、昨日からゼリー飲料しか口にしていない。
俺はコンビニで一番安い塩おにぎりとお茶を買い、公園のベンチでそれを胃に流し込んだ。
味なんてしなかった。ただ、物理的に胃袋を満たしただけだ。
都会の狭いアパートに帰ると、ひどく部屋が広く感じられた。
家賃は月に七万円。
当然だが、無職になった俺に払い続けられる金額ではない。退職金なんてという甘いものは、あのブラック企業に存在するはずもなかった。
貯金残高を確認すると、ギリギリ十万円があるだけだった。過労で倒れて病院に運ばれた時の治療費や、ストレスでポチってしまったよくわからない健康グッズのせいで、お金は全く貯まっていなかったのだ。
「実家に、帰るか……」
俺の脳裏に浮かんだのは、亡き祖父が残してくれた、田舎の古い日本家屋だった。両親は俺が幼い頃に事故で他界し、俺はずっと祖父に育てられた。その祖父も、俺が就職してすぐに寿命でポックリと逝ってしまった。
『ユウト、お前は優しい子だ。都会で無理をして心を壊すくらいなら、いつでもこの家に帰ってきなさい。畑を耕して生きていくのも、悪くないぞ』それが、最期の言葉だった。
当時は「絶対に都会で成功してやる」と意気込んでいた俺だったが、現実はこのザマである。お爺ちゃんごめん、俺、見事に心を壊して、無能の烙印を押されて追い出されちゃったよ。
俺はスマホを取り出し、アパートの解約手続きと、実家のあるド田舎への夜行バスのチケットを手配した。明日には、この息苦しい東京とおさらばだ。
それから三日後。
「……相変わらず、空気が美味いな」
最寄りの無人駅から、一日に二本しか来ないボロボロの路線バスに揺られること一時間。さらにそこから、鬱蒼とした山道を三十分ほど歩き、俺はようやく『実家』へとたどり着いた。
標高の高い山の中腹に位置するその家は、築五十年を超える立派な平屋建てだ。しかし、五年もの間、誰も手入れをせずに放置されていたため、その惨状は目を覆うばかりだった。瓦屋根の一部は剥がれ落ち、壁にはヒビが入り、そして何より——。
「裏山の『庭』、どうなってんだこれ……?」
俺は、家の裏手に広がる光景を見て、思わず絶句した。祖父が大切に手入れをしていたはずの裏山(我が家の敷地内だ)が、見たこともない謎の巨大植物で覆い尽くされていたのだ。まるでジャングルのように生い茂る、太さ数十センチはありそうな異常なシダ植物。どぎつい紫色をした、人間の頭くらいある巨大な花。そして、蔓つるをうねうねと不気味に動かしている、食虫植物のオバケみたいな謎の雑草たち。
「田舎の植物って、五年放置するだけでここまで凶暴化するのか……? 遺伝子組み換えでも混ざったんじゃないか?」
普通なら異常事態だと気づくべきだった。だが、連日のサービス残業で脳の処理能力が著しく低下していた俺は、「田舎の大自然、恐るべし」と勝手に納得してしまっていたのだ。
無理もない。
この世界には、今から十年ほど前に突如として『ダンジョン』と呼ばれる謎の空間が世界各地に出現するという未曾有の事態が起きている。ダンジョンの中には凶悪なモンスターが生息し、未知の鉱石や魔法のようなアイテムが眠っていた。
それに伴い、ダンジョンを探索して一攫千金を狙う『探索者シーカー』という新しい職業が生まれ、今や子供のなりたい職業ランキングの堂々一位に君臨している。
しかし、それはあくまで『特別な力に目覚めた一部の才能ある人間』たちの話だ。
俺のような、スキルも魔法も使えない一般人にとっては、テレビの中のエンターテイメントでしかない。ましてや、こんな日本のド田舎の、しかも自分ちの裏山が、自衛隊すら立ち入りを禁じられている『人類未踏のS級ダンジョン』と直結してしまっているなどと、一体誰が想像できるだろうか。
俺の目には、目の前でうごめく凶悪なA級モンスター『デス・トレント人喰い樹』の群れが、ただの『ちょっと育ちすぎた厄介な雑草』にしか見えていなかった。
「……さて、再就職の活動を始める前に、まずはこの庭の掃除からだな」
俺は腕まくりをして、気合を入れた。
このままでは、家の中にまで謎の蔓が侵入してきて、寝床すら確保できなくなってしまう。
家の中に入り、納屋の扉を開ける。そこには、生前に祖父が愛用していた農具たちが、綺麗に手入れされた状態で並んでいた。クワ、カマ、シャベル、そして——。
「おっ、あったあった。お爺ちゃんのお下がりの、エンジン式草刈り機」
鈍い銀色に光る、重厚な造りの草刈り機だった。
普通、ホームセンターで売っている草刈り機はもっと軽くてプラスチック製のパーツが多いのだが、祖父のこれは妙にズッシリと重い。
なんでも、祖父が昔、山で拾った『不思議な隕石(※超高純度のオリハルコン)』を、知り合いの鍛冶屋(※伝説のドワーフ)に頼んで打ち直してもらった特注品らしい。刃の部分には、うっすらと幾何学模様のような溝(※古代魔法のルーン)が刻まれており、奇妙な威圧感を放っていた。
「重いけど、これなら太い茎でもスパスパ切れそうだな。さすが日本製(?)だ」
俺は愛用の紺色のジャージ(高校時代の指定ジャージ)に着替え、首にタオルを巻き、長靴を履いた。完全なる農作業スタイルである。
草刈り機を肩掛けベルトで固定し、準備は万端だ。しかし、いざ庭へ向かおうとした時、ふとある考えが頭をよぎった。
「待てよ……ただ草刈りをするだけってのも、もったいないな」
貯金は十万円ぽっち。再就職先が見つかるまでの生活費を考えると、少しでも稼いでおきたいところだ。
最近、動画配信アプリで『ダンジョン探索配信』というジャンルがバズりにバズっているのを思い出した。凄腕の探索者たちがモンスターと戦う様子を生配信し、視聴者から『スーパーチャット投げ銭』をもらうのだ。トップ配信者になれば、月に数億円を稼ぐという夢のような世界らしい。
「もちろん、俺にモンスターと戦うなんて無茶なことはできないけど……『田舎のスローライフ配信』みたいなジャンルなら、ニッチな需要があるんじゃないか?」
疲れ切った現代人は、癒やしを求めているはずだ。都会の喧騒から離れ、のんびりと雑草を刈るだけの動画。ASMR的な効果で、意外と少しくらいはお小遣い稼ぎになるかもしれない。
俺は急いで家の中を探り、ホームセンターのワゴンセールで買った安物のアクションカメラを見つけ出した。それを頭に固定するためのバンドで縛り付け、スマホとBluetoothで連携させる。
大手動画配信アプリ『ストリーム・チューブ』を起動し、新しくアカウントを作成した。チャンネル名は『ユウトの田舎開拓日記』。配信のタイトルは、少しでも検索に引っかかりやすいように工夫してみた。
『無職の田舎スローライフ。実家の裏山の草刈りします〜巨大雑草との戦い〜』
よし、これで完璧だ。カメラの角度を調整し、マイクのテストを終える。
「配信、スタート……っと」
画面上の『LIVE』という赤い文字が点灯した。もちろん、始めたばかりの無名チャンネルに、いきなり人が来るはずもない。同接(同時接続者数)のカウンターは『0』のままだ。俺は気にせず、カメラに向かって軽く頭を下げた。
「あー、テステス。カメラ回ってますかね。はじめまして、ユウトと言います。つい先日、ブラック企業をクビになった無能な元社畜です」
自分の口で言うと、改めて悲しくなってくる自己紹介だ。
「都会での生活に疲れ果てて、祖父が残してくれたこの田舎のボロ家に逃げてきました。今日は、五年放置されてジャングルみたいになっちゃった裏山の庭を、草刈り機で綺麗にしていこうと思います。のんびりやっていくので、作業用BGMにでもしてください」
そう言って歩き出すと、ピコン、とスマホの画面に通知が出た。同接カウンターが『3』に増えている。おお、さっそく見てくれている人がいるらしい。
【配信コメント】
[名無し] お、新規配信者か?
[名無し] 田舎配信すき。まったり見させてもらうわ
[名無し] タイトルに釣られてきた。無職がんばれ
「おっ、さっそくコメントありがとうございます! こんにちはー。無職、頑張りますよ。まずは、あそこの……えーと、『うねうね動くデカい食虫植物』みたいな厄介なヤツから刈っていきますね」
俺はカメラ越しに、裏山の入り口で陣取っている巨大な植物を指差した。高さは三メートルほど。太い幹からは無数の触手のような蔓が伸び、先端には鋭いトゲが生えている。さらに、幹の中央には、まるで人間の口のようにパックリと割れた亀裂があり、そこから緑色のネバネバした体液を垂らしていた。
【配信コメント】
[名無し] ん?
[名無し] ちょっと待て、今映ったの何?
[名無し] 画質荒くてよく見えないけど、なんかヤバそうなのいない?
「ヤバそうに見えますよねー。俺も久しぶりに帰ってきてビックリしました。田舎の雑草って、放置するとこんなに突然変異するんですね。市役所にクレーム入れた方がいいレベルですよ、ほんと」
俺は呑気なことを言いながら、祖父の草刈り機のスターターロープをしっかりと握りしめた。
「それじゃあ、さっそく駆除していきます。エンジンかけますね。音がうるさかったらごめんなさい」
息を吸い込み、力強くロープを引き抜く。
ブルルルルルルルルルルルルンッッッッ!!!
その瞬間。ただの草刈り機から発せられたとは思えない、まるでジェット戦闘機のエンジン音のような、凄まじい轟音が裏山に鳴り響いた。
手元から伝わるすさまじい振動。アイドリング状態だというのに、刃の周りの空気が陽炎のように歪んでいる。
「うおっ!? さすが長年放置してただけあって、エンジン音がでけぇな! オイル差さないとダメかも!」
俺は耳をつんざくような爆音に少し驚いたが、機械音痴なので「古いからこんなもんか」と無理やり納得した。そして、勢いよく回転を始めた超高純度オリハルコン製の刃(俺はただの鉄だと思っている)を構え、庭に生い茂る巨大な植物の群れ——A級モンスター『デス・トレント』の縄張りへと、無防備なジャージ姿のまま、ズカズカと足を踏み入れた。
——この時の俺は、全く気づいていなかった。
ここから始まる俺のただの『草刈り』が、世界中のプロ探索者たちを震撼させ、各国の政府機関をパニックに陥れ、そして動画配信の歴史を根底から覆す、伝説の始まりになるということに。
「よーし! それじゃあ、まずはそこのデカいタラの芽みたいなヤツ! 根元からぶった斬っていくぞー!」
俺は元気よく宣言し、轟音を立てる草刈り機を振りかぶった。
次回、第2話「田舎の雑草、根っこが太すぎる(※デス・トレント)」
ついに草刈り機の刃が火を噴き、コメント欄がざわつき始めます。どうぞお楽しみに!




