第13話:うちの温室に、凄腕の泥棒(伝説の暗殺者)が忍び込んできた件
「ターゲットの座標はここか。長野県の片田舎にある一軒家……。まさか、世界を裏から牛耳るこの俺が、こんな長閑のどかな田舎町に出向くことになるとはな」
深夜二時──
月明かりすら雲に隠れた漆黒の闇の中、一人の男が実家の屋根の上に音もなく降り立った。
男の名は『ゼロ』
裏社会において、その名を知らぬ者はいないとされる伝説の暗殺者である。いかなる厳重なセキュリティもすり抜け、国家元首やS級探索者すらも痕跡を残さず葬り去る神業から、『影の死神』と恐れられていた。
そんな彼が今回受けた依頼は、暗殺ではない。世界中の権力者たちが血眼になって探している『奇跡の霊薬エリクサー』──その原材料と思われる超常の植物を盗み出すことだった。
数日前から、裏社会のブラックマーケットでは信じられない噂が飛び交っていた。
『一口かじるだけで寿命が百年延びる巨大な赤い果実(※世界樹のトマト)』
『一口舐めるだけで魔力が千倍に跳ね上がる漆黒の果肉(※魔王のスイカ)』
それらが、日本の長野県にあるただの農家で栽培されているというのだ。当初は誰もが「三流の都市伝説だ」と鼻で笑った。しかし、衛星カメラが捉えた異常な魔力反応や、アメリカの最高位ギルドが派遣した偵察部隊が音信不通になったことで、信憑性が一気に跳ね上がった。
「どんな強固なダンジョンだろうと、この俺の『隠密極ステルス・マスター』のスキルの前では児戯に等しい。……ふん、あそこか」
ゼロの鋭い隻眼が、実家の裏庭にそびえ立つ巨大な建造物を捉えた。それは、昨日ユウトが魔王の迷宮(雑草)を引き抜いた跡地に構築された『超巨大・全自動ガラス温室』であった。
夜の闇の中で、ガラス張りの温室はぼんやりと青白い光を放ち、内部には色とりどりの巨大な野菜や果物がジャングルのように生い茂っているのが見える。
「あれが噂の……。しかし、素人丸出しの警備だな。見張りの一人もいないどころか、扉の鍵すら開けっ放しではないか」
ゼロは呆れたように鼻を鳴らした。彼は屋根から音もなく跳躍し、温室の入り口へと滑り込んだ。結界や魔法トラップの類は一切感知されない。(※ユウトが『田舎は鍵なんてかけなくても平和だから』と設定しなかったためである)。
「拍子抜けだ。これで報酬が国家予算十個分とは、笑いが止まらん。さっさとターゲットを回収して……」
ゼロが温室の敷居を跨ぎ、内部へと足を踏み入れたその瞬間だった。
【警告。非登録の生体反応を検知しました】
【時間外の侵入者と判定。これより、夜間防衛モード(※全自動水やりシステム)を起動します】
「……な、なんだ!?」
ゼロの脳内に、無機質な機械音声のようなものが響いた。直後、温室内部の空間がぐにゃりと歪んだ。
外から見ていた時は、ただの広いガラス温室にしか見えなかった。しかし、一歩足を踏み入れた内部は、物理法則を無視した『無限に広がる亜空間ジャングル』へと変貌していたのだ。頭上のガラス天井は遥か雲海の彼方へと遠ざかり、足元のふかふかの土(畝)は広大な大地へと拡大している。
そして、温室の至る所に設置されていた、野菜に水をやるための『スプリンクラー』が、一斉に不気味な赤い光を放ち始めた。
「ちっ……! 空間拡張型の結界だと!? これほどの規模、神話級のアーティファクトでも不可能だぞ!?」
ゼロが冷や汗を流して身構えた直後、スプリンクラーのノズルから、シューーーーッ!!という圧縮音と共に、猛烈な勢いで水が噴射された。
否。それはただの水ではない。ユウトの限界突破オーラによって極限まで浄化・圧縮された、『超神水ホーリーウォーターの超高圧レーザー』であった。
ズバババババババババッ!!!!!
「ぐぁっ!?」
一筋の水流が、ゼロの頬をかすめた。それだけで、最強の防御力を誇る彼の暗殺装束が紙切れのように引き裂かれ、皮膚が焼け焦げたような激痛が走った。もし直撃していれば、骨ごと真っ二つに両断されていただろう。
「な、なんだこの威力は……!? たかが水鉄砲が、オリハルコンの刃以上の貫通力を持っているだと!?」
驚く暇もなく無数のスプリンクラーが首を振り、ゼロに向かって全方位から超神水のレーザー弾幕を浴びせかけてきた。逃げ場のない絶対死の幾何学模様。それはまさに、野菜に均等に水を行き渡らせるための『完璧な散水システム』だったのだが、侵入者にとっては回避不能のレーザーサイトに他ならなかった。
「ふざけるな……! この俺を誰だと思っている! 『影縫いの歩法』!!」
ゼロは己の持つ全ステータスを速度に全振りし、レーザーの隙間を縫うようにして温室の奥へと駆け出した。右へ、左へ、時には空中へと跳躍し、数ミリの差で超神水の水圧カッターを躱かわしていく。
一歩間違えれば即死の弾幕避けゲーム。ものの数分で、ゼロの全身は冷や汗と疲労で重くなり、息が上がり始めていた。
「ハァ……ハァ……! なんという異常なトラップだ……! だが、俺の機動力を舐めるな。レーザーの射程範囲から抜け出せば……!」
ゼロは最後の力を振り絞り、スプリンクラーの散水エリアを突破した。そこは、温室の中央付近。見上げるほど巨大なトウモロコシや、大岩のようなカボチャが実っているエリアだった。水流の音が遠ざかり、静寂が戻る。
「……やり過ごしたか。くそっ、ただの農園だと思って油断した……」
ゼロが膝をつき、荒い息を吐きながら周囲を警戒した。しかし、彼の絶望はまだ始まったばかりだった。
【第一防衛ライン突破を確認。これより、害鳥駆除用ゴーレム(※カカシ)を起動します】
「……なんだと?」
ゼロが顔を上げると、巨大なカボチャ畑の奥に、一つのシルエットが立っていた。それは、竹の棒を十字に組み、その上に百円ショップで売っている安物の麦わら帽子を被せ、着古したボロボロの青いジャージ(※ユウトの中学校時代のもの)を着せただけの、粗末な『カカシ』だった。手には、これもまた百均で買ったと思われる、ペラペラのプラスチック製のカラス除けのピストルを持っている。どこからどう見ても、手作りのチープなカカシである。
しかし──
そのカカシから放たれるプレッシャーは、尋常ではなかった。
『……ギギ……ギギギ……。ガ、イ、チョウ……ク、ジョ……シ、マス……』
カカシの麦わら帽子の下──顔があるはずの虚空に、爛々と輝く二つの赤い眼光が灯った。ユウトの『農作物を害悪から守りたい』という強いオーラと、この温室の元となった魔王の迷宮の残滓が奇跡的な融合を果たし、ただの竹とジャージのカカシは、『神話級の自律防衛ゴーレム』へと進化してしまっていたのだ。
「カカシが……動いただと? いや、あれはゴーレムか!? だが、あのふざけた姿から信じられないほどの魔力を感じる……!」
ゼロが身構えるより早く、カカシは信じられない速度で音を置き去りにした。
シュンッ!!
「なっ!?」
ゼロの背後に、一瞬にしてカカシがワープした。そして、ペラペラのプラスチック製ピストルをゼロの後頭部へと突きつけた。
背筋が凍るほどの死の気配。反射的にゼロは短剣を抜き放ち、背後へ向かって渾身の斬撃を見舞った。鋼鉄すら両断する必殺のスキル『暗殺者の凶刃』。
ガキィィィィィィィンッ!!!!!
「ば、馬鹿なッ!?」
ゼロの放ったS級スキルの斬撃は、カカシが着ている『ボロボロの青いジャージ』に触れた瞬間、火花を散らして完全に弾き返された。ジャージの生地には、物理・魔法の一切を無効化する絶対防壁が張られていたのだ。(※ユウトが中学生時代、泥だらけになっても破れなかったジャージの耐久性を『最強』と信じ込んでいたためである)。
『……タ、ー、ゲッ、ト……カ、ク、ニン……。ハイ、ジョ……シ、マス……』
カカシはゆっくりとプラスチックのピストルを引き金に指をかけた。その銃口から、太陽すらも飲み込むような漆黒の魔力エネルギーが圧縮されていく。
「や、やめろ……! こんな……こんなふざけた姿の案山子に、この俺がやられるだと……!?」
ゼロは絶望に顔を歪め、己の死を覚悟した。最強の暗殺者としてのプライドも、培ってきた技術も、この理不尽な農園の前ではただの塵芥に等しい。カカシの銃口が光り輝き、極大の殲滅レーザーが放たれようとした、まさにその時、
「あーあ、またカカシが倒れちゃってるよ。ちゃんと土に深く刺しておかないとダメだなあ」
のんびりとした、欠伸交じりの声が温室に響き渡った。
『ピピッ……。マ、ス、ター……カクニン……。スタン、バイ……モードニ、イコウ、シマス』
その声を聞いた瞬間──
カカシの銃口に集束していた漆黒のエネルギーはスゥッと霧散し、赤い眼光も消え失せた。そして、カカシは空中でバタリとバランスを崩し、ただの竹とジャージの塊に戻って、地面にゴロンと転がったのである。
「え……?」
死を覚悟して目を瞑っていたゼロは、拍子抜けして目を開けた。見ると、巨大なカボチャの陰から、寝癖を爆発させ、スヌーピーの柄の入ったパジャマを着た青年──ユウトが、目をこすりながら歩いてくるところだった。
「いやー、夜中にちょっと喉が渇いちゃってさ。冷蔵庫に麦茶がなかったから、温室のトマトでもかじろうかと思って来たんだけど……あれ?」
ユウトは地面に転がるカカシをヒョイと持ち上げて元の位置に刺し直すと、そこで初めて、ボロボロになって膝をついているゼロの存在に気がついた。
「おや? こんな時間に誰? ……あ、もしかして、迷子になった外人さん?」
ユウトは首を傾げた。ゼロの着ている暗殺装束は、先ほどのスプリンクラーとカカシの攻撃によってズタボロに引き裂かれ、まるで何日も遭難していたバックパッカーか、あるいはボロボロのコスプレ衣装を着た不審者のように見えた。
深夜の温室に真っ黒な服の男。普通なら『泥棒』と警戒するところだが、ユウトの田舎特有の平和ボケした脳内フィルターは、別の解釈を導き出していた。
「そっか、田舎の夜道は暗いから、道に迷ってウチの温室に迷い込んじゃったんだね。それにしても服ボロボロじゃん。転んでそこら辺のイバラにでも引っかかったのかな。怪我してない?」
「……は?」
ゼロは呆然としていた。眼の前にいるこの間の抜けた青年。彼から放たれるオーラは、先ほどのカカシやスプリンクラーなど比較にならないほど、深く底知れない神の領域のプレッシャーを放っている。この男こそが、この狂気の農園の主ダンジョンマスター。そして、裏社会が血眼になって探している『奇跡の霊薬』の創造主であることは間違いなかった。
(こ、殺される……! 俺のような薄汚いネズミが侵入したと知れれば、この男は指先一つで俺を消し飛ば──)
「まあ、せっかくウチの温室に来たんだし、ちょうどいいや。ちょっと待ってて」
ユウトはゼロの警戒をよそに、近くの畝うねに近づいた。そして、世界樹サイズに成長した赤い果実『スイート・ルビー(特大トマト)』と、宝石のように輝く『大魔王のキュウリ』を無造作にブチブチともぎ取り、ゼロの前に差し出した。
「ほら、これ食べてよ。夜中に歩き回って喉渇いたでしょ? うちの野菜、水気が多くて美味しいんだよ。お金はいらないからさ」
「……えっ?」
ゼロは目を丸くした。差し出されたそれは、紛れもなく裏社会で億単位の値段がつけられている『奇跡の霊薬』そのものであった。それを、ただの水分補給として、見ず知らずの不審者にタダで渡すというのか。
「い、いいのか……? これを俺が……?」
「遠慮しないで。どうせ余るほどあるから」
ゼロは震える手でトマトを受け取り、恐る恐る口に運んだ。ガブリ、と一口噛み付いた瞬間、
「…………ッッッ!!!!!?」
ゼロの全身に、雷に打たれたような衝撃が走った。口いっぱいに広がる、暴力的なまでの甘みと酸味。そして、細胞の隅々にまで浸透していく、膨大かつ純粋な生命力。先ほどのトラップで受けた疲労やかすり傷が、一瞬にして完治していく。それどころか、己の体内に眠っていた暗殺者としてのステータスの限界値が、メリメリと音を立てて底上げされていくのがわかった。
「な、なんだこれは……! 美味い……! こんな美味いものが、この世に存在したのか……!」
ゼロは無我夢中でトマトにむしゃぶりつき、あっという間に巨大な果実を平らげてしまった。さらに続けてキュウリを齧り、涙をボロボロとこぼしながら恍惚の表情を浮かべた。
「アハハ、いい食べっぷりだね! そんなにお腹空いてたんだ。よかったよかった」
ユウトが嬉しそうに笑っているのを見て、ゼロの心の中で何かが完全に折れた。いや、新たな神を信仰する信者として、魂が生まれ変わったのだ。
これほどまでの力と財宝を持ちながら、泥棒(迷子)に慈悲を与え、無償の愛を振る舞う存在。これこそが、真の強者。真の支配者。
「……あ、あなた様は……神だ」
ゼロは、土下座の姿勢で地面に額を擦り付けた。
「俺は裏社会で生きる薄汚れた暗殺者でした。しかし、あなた様の慈悲に触れ、己の愚かさを恥じました。どうかこの命、あなた様のために使わせてください! 一生、あなた様の畑の草むしりでも、カラス追いでも、なんでもいたします!!」
「えっ? 暗殺者? 何言って……ああ、あれか。外国のニンジャに憧れて日本に来た人? 最近そういう外国人観光客多いもんね」
ユウトはやっぱり勘違いしたまま、ポンと手を打った。
「カラス追い、やってくれるの!? それは助かるなぁ。最近カカシだけじゃ限界を感じてたんだよね。よし、じゃあ明日からうちの農作業のパートタイムとして採用! 時給は……とりあえず、野菜食べ放題でどう?」
「ははぁーーーーッ!! この命に代えましても、神の農園を害獣からお守りいたします!!」
伝説の暗殺者が、農家の日雇いバイト(野菜現物支給)に成り下がった──いや、昇格した瞬間であった。
***
翌朝──
実家の縁側に、エルフの女王と近衛騎士団長、そして神獣ポチが集まっていた。彼らの目の前には、ボロボロの暗殺装束を脱ぎ捨て、なぜかユウトのお下がりである『ダサいジャージ』と『首に巻いたタオル』を完璧に着こなしているゼロの姿があった。
「あの……創造神様。こちらの、ただならぬ殺気を纏まとった不審者は一体……?」
エルフの女王が、引き攣った笑顔でユウトに尋ねた。
「ああ、今日から農作業を手伝ってくれることになったゼロさんだよ。外国から来たニンジャのコスプレイヤーらしくてさ。カラスを追い払うのが得意なんだって」
「ニンジャ……?」
女王と騎士団長は、ゼロの放つ『S級の暗殺者特有の血の匂い』と、隠しきれない異常な魔力レベルを敏感に察知し、顔を見合わせて絶望の表情を浮かべた。
(また……! また創造神様は、どこからともなくとんでもない化け物を拾ってきたぞ……!)
(我がエルフの近衛騎士団が束になっても勝てないレベルの隠密スキル持ちです……! なぜそんな輩が、嬉しそうにクワを握っているのですか……!)
「じゃあゼロさん、とりあえずあっちの畝の雑草を抜いておいてくれる? 俺は朝ご飯の味噌汁作るから」
「御意!! マスター・ユウト!! このゼロ、一本の雑草たりとも生かしてはおきません!!」
伝説の暗殺者は、シュタッ!という無駄にスタイリッシュな身のこなしで温室へと消えていった。
「いやー、働き手が増えて助かるなぁ。これで今年の夏野菜の収穫も安泰だ」
エルフたちの胃痛が加速していく中、ユウトのスローライフは、また一つ混沌の度合いを深めながらも、平和(?)に続いていくのだった。
次回、第14話「自治会の寄り合い(※世界最高峰のサミット)に強制参加させられたんだが」
村の長老(ただの近所の爺さん)から、「今年の自治会の寄り合いはユウト君の家でやるからよろしく」と言われたユウト。しかし、その寄り合いになぜか各国の首脳やギルドマスター、果ては魔界の幹部までが『お供え物(貢物)』を持って大集結してしまう!「えっ? 今年の自治会、なんか外国人多くない? しかもお茶菓子が金塊!?」限界突破した田舎の寄り合いで、ユウトが世界規模のルールを無自覚に制定する!? どうぞお楽しみに!




