第2節:奇跡のメイドと神アニメ――2/3
――4. 逃げた幻と、残された地図――
「待てよ……っ!」
キシが叫び、カウンターを飛び越えた時には、もう自動ドアが閉まる寸前だった。 夕暮れのアキバの路地裏へと滑り出していく黒い学生服。慌てて店の外へ飛び出したが、四方に分岐する細い路地の雑踏の中に、その中性的な美しい背中はすでに消えていた。
「なんなんだ、あいつ……」
肩で息をしながら、キシは店内に戻る。カウンターの上には、少年が残していった一冊の古びた冊子がぽつんと置かれていた。
手に取ると、紙質はザラザラとしていて、ホチキス留めの簡素な作り。1990年代後半に作られた同人誌の体裁そのものだ。表紙には『アルカディアの残光・設定資料集』とある。
ページをめくると、驚くべきことに、ビデオで見たロボットの詳細な三面図や、キャラクターの初期稿がびっしりと手書きで描かれていた。そして最後のページには、手書きの「秋葉原の地図」が。
現在のおしゃれなビルが並ぶマップではない。ラジオ会館がまだ古かった頃、駅前に広大なバスロータリーや、怪しい露店がひしめき合っていた時代の、古いアキバの地図。 その地図の、万世橋の近くのビルに、赤いボールペンで小さく「×印」がつけられていた。
――5. メイドカフェでの緊急会議――
「……ちょっと、これ本物じゃない」
夜の『シャ・ノワール』。閉店後の店内で、サツキは私服のパーカー姿に着替え、キシが持ってきた同人誌を食い入るように見つめていた。その表情はいつになく真剣だ。
「このサークルの名前、聞き覚えがある。90年代の終わりに、ネットの掲示板で『最強の架空アニメを作ろう』って盛り上がってたテキストサイトの管理人たちのグループよ。でも、設定だけで実際のアニメ化なんて絶対にされなかったはず……」
「でも、そのアニメのビデオが、現に僕のバイト先から出たんですよ。そして、これを持ってきた高校生が……」 「その男の子、制服だったんでしょ? どこの学校か分かったの?」
キシは少年の詰襟の胸元にあった、小さな校章の形を思い出しながら、サツキが差し出したアキバ周辺の古い地域資料と照らし合わせる。
「これです。この、星と歯車のマーク」 サツキがそのマークを見た瞬間、ふっと息を呑んだ。
「これ……『神田電子高等学院』の校章よ。秋葉原の近くにあった私立の工業高校。でもね、キシくん。ここ、少子化で15年前に廃校になって、今はもうマンションが建ってるわよ」
店内に沈黙が流れる。 2026年の現代に、15年前に消えた高校の制服を着て、存在しないはずのアニメの決定的な証拠を持って現れた、めちゃくちゃ可愛い少年。
「アオイ……って言ったかしら。その子、一体何者なの?」 サツキが腕を組んで低く呟く。ミステリーの霧は深まるばかりだが、サツキのオタクとしての目、そしてキシの若さゆえの好奇心は、恐怖よりも先に「興奮」で燃え上がっていた。
「サツキさん。この同人誌の最後に、地図があるんです。ここにバツ印がついてる。……ここに行けば、ビデオの『続き』があるかもしれない」
――6. 凸凹な3人の邂逅へ――
サツキは少しだけためらう素振りを見せたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。30代後半という年齢を完全に忘れさせる、少女のような無邪気で力強い笑顔。
「いいじゃない、行きましょう。アキバの歴史を舐められたら困るのよ。そのアオイって美少年にも、ちょっとお姉さんがお話を聞いてあげなきゃね」
翌日の放課後。キシとサツキは、地図が示す万世橋近くの、古びた雑居ビルの前に立っていた。 周囲は近代的なオフィスビルばかりだが、その一角だけ、昭和の遺物のような薄暗いビルがひっそりと佇んでいる。
「ここね……」
キシがビルの錆びついた階段に足をかけようとした、その時だった。
「来ると思ってたよ、お兄さん。それと……『シャ・ノワール』のサツキさんも」
頭上から、あの鈴の鳴るような、透き通った声が降ってきた。 見上げると、階段の踊り場の薄暗がりに、あの黒い学生服を着た少年――アオイが、手すりに背を預けて立っていた。
薄暗い空間の中で、彼の白い肌と整った顔立ちが、まるでそこだけ発光しているかのように浮かび上がっている。アオイは2人を見下ろし、嬉しそうに、けれどどこか儚げな笑みを浮かべた。




