第3節:それぞれの2026年――1/3
―― 1. 喧騒の帰還――
「……戻った、のね」
サツキの掠れた声が、車の走行音にかき消された。
万世橋の上。二人の横を、現代的なハイブリッドタクシーや大型の路線バスが、排気ガスの匂いと共に次々と走り抜けていく。中央通りのビル群には、鮮やかな4K・8Kの大型ビジョンが復活し、現在の人気VTuberやソーシャルゲームのド派手な広告映像が、何のブレもなく滑らかに再生されていた。
すれ違う歩行者たちも、ワイヤレスイヤホンを耳に挿した現代の若者や、大きな買い物袋を下げた外国人観光客ばかりだ。
バンダナにチェックシャツのオタクたちも、1998年の日付を刻んでいた化石のようなインターネットサイトも、もうどこにもない。
世界は完全に、キシたちの知っている「2026年」へと再起動を果たしていた。
「ネットも、完全に復旧してます」
キシはバキバキに割れたスマートフォンの画面をスクロールした。
大学の友人からの「次の講義、代返よろしく」という気の抜けたメッセージや、SNSのタイムラインに流れる無数のタイムリーなトレンドワード。
それはどこまでも普通で、どこまでも退屈で――だからこそ、二人が命がけで取り戻した「冷たくて確かな現実」そのものだった。
―― 2. 胸に残る「ノイズ」――
「サツキさん、俺……」
キシは胸のあたりをそっと押さえた。
アオイという少年が確かにそこにいて、自分の孤独に寄り添い、腕を絡めてくれたあの温もり。世界を巻き戻してでも「ここにいよう」と囁いてくれたあの甘い言葉。
世界がどれだけ何事もなかったかのように動き直しても、キシの心の中には、あの美しい「バグ」の記憶が、消えないノイズのようにこびりついて離れなかった。
「寂しい?」
サツキがパーカーのフードを外し、夜風に髪を揺らしながらキシを見つめた。その目元には、まだうっすらと涙の跡が残っていたが、その表情は驚くほど優しかった。
「……少し、だけ。あいつが最後に笑った顔、どうしても忘れられなくて」
「それでいいのよ、キシくん」
サツキは小さく微笑み、キシの背中をポンと叩いた。
「寂しさを全部無くそうとしたから、アオイくんは怪物になっちゃったの。寂しいからこそ、私たちは新しいアニメを観たり、誰かと話したくなったりする。その気持ちを、恥じる必要なんてないわ」
30代後半、かつての「オタクの冬の時代」の寂しさをリアルに知るサツキの言葉は、今のキシの傷口にしっとりと染み込んでいくようだった。
―― 3. 2026年の聖地へ――
「さあ、いつまでもここに突っ立ってても始まらないわ」
サツキが踵を返し、電気街の街並みに向かって歩き出した。
「サツキさん、どこへ?」
「決まっているでしょ。私たちの『聖地』よ」
二人が向かったのは、あの薄暗い路地裏。
すべてが始まり、そして本物の神谷アオイの足跡を見つけた場所――ジャンク屋『サトウ電器』だった。
世界が再起動した今、あの店はどうなっているのか。店長は、そしてアオイが遺したあの13話目のプロットはどうなったのか。
現代のきらびやかなネオンの影に隠れた、古びた路地裏の闇の中へと、二人は再び足を進めていった。




