第2節:13話目のエンディング――3/3
―― 7. 13話目のコード・インプット――
『残存エネルギー3%……2%……』
スマートフォンの画面が、死の間際の電子機器が発するような、激しい警告の赤色に変色していく。
「お兄さん、早く……!」
緑色の光の粒子に変わりゆくアオイが、切実な声を上げた。彼の黒い学生服の袖はすでに半分透けており、背景のコンクリート壁が覗いている。
キシの指は、画面の上で激しく震えていた。
このコードを入力すれば、世界は元に戻る。しかしそれは、大学生活に馴染めず孤独だった自分を、その圧倒的な愛らしさで全肯定してくれた「アオイ」という奇跡との、永遠の別れを意味していた。
「キシくん!」
サツキがキシの震える手を、両手で上から力強く包み込んだ。30代後半の、いくつもの現実の痛みを乗り越えてきた彼女の手は、驚くほど温かく、そして確かだった。
「怖がらないで。現実に戻っても、あなたは一人じゃないわ。私だっている。あのみっともなくて、泥臭くて、でも愛おしい2026年を、もう一度私たちの手で作り直しましょう!」
サツキの言葉が、キシの胸の奥の迷いを完全に吹き飛ばした。
「……はい!」
キシはサツキと共に、スマートフォンのカメラを神谷アオイの遺稿――手書きの第13話のプロットへと向けた。バキバキに割れたレンズが、色褪せた原稿用紙の文字を必死にスキャンしていく。
『【承認】:第13話「アルカディアの残光(真・最終回)」データを検出』
『パッチを適用中……10%……50%……90%……』
―― 8. 美しい少年の最期――
「ああ……身体が、軽いな……」
アオイが自分の透き通る両手を見つめ、ぽつりと呟いた。
世界中のオタクたちの「過去への執着」という重い呪縛から解き放たれ、彼はようやく、1995年のあの日に夢破れた、ただの「1人の高校生」の優しく純粋な魂へと戻っていく。
アオイはトコトコと、出会ったあの日のような軽い足取りでキシに近づくと、その綺麗な顔を至近距離まで寄せてきた。
そして、悪戯が成功した子供のように、めちゃくちゃに可愛い、最高の笑顔を浮かべた。
「お兄さん。僕の物語を、ちゃんと終わらせてくれてありがとう。……2026年のアキバも、結構、悪くないって伝えておいてよ」
パチィィィン!!!
スマートフォンの画面が、100%の進捗を示した瞬間、アオイの身体は目も眩むような純白の光の帯へと姿を変えた。その光は、地下室の壁を、天井を、そして沈黙していた数千台のジャンクPCの回路を駆け巡り、街全体へと広がっていく。
それは消去の光ではない。すべてを元の正しい位置へと配置し直す、『再生』の波動だった。
―― 9. 世界が呼吸を再開する――
「うわぁぁぁっ!」
強烈な光の渦に巻き込まれ、キシとサツキは互いの手を握りしめたまま、上空へと引き上げられるような感覚に囚われた。
耳元を通り過ぎていくのは、激しい走査線のノイズ。しかしそのノイズの奥から、徐々に「別の音」が混ざり込んでくる。
車のクラクション、誰かの話し声、街頭ビジョンから流れる軽快なポップス、そして――見慣れた、2026年の秋葉原の、あのせわしない雑音。
「あ――」
キシが次に目を開けたとき、彼は万世橋のたもとに突っ立っていた。
夜空を見上げると、そこにはモノクロームのグレーではなく、ビルのネオンに染まった、いつもの2026年の東京の空が広がっていた。
「……繋がった」
手の中で、スマートフォンの画面がブルリと震えた。
割れた画面には、友達からのたわいないSNSの通知や、大学のポータルサイトの更新情報が、4G、5Gの電波に乗って、洪水のように一気に流れ込んできていた。
世界が、呼吸を再開したのだ。




