第2節:13話目のエンディング――1/3
1. 1998年の落とし物
「3年後の、1998年……。アオイくんはまた、この店に来てたのね」
サツキが指し示した『サトウ電器』の買取ノート。そこには、1998年8月の記録として、あの店長の几帳面な文字でこう書き残されていた。
『1998年8月15日:神谷。二十歳前後の青年。古いアニメのセル画、設定資料の束。一括引き取り。就職が決まり、もうこういうものは処分すると言う。随分と大人びた、普通の青年になっていた。1,000円で買い取り』
「普通の、青年……」
キシはその文字を読み上げながら、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
ネットの集合無意識が作り出したアオイは、永遠に16歳の、黒い学生服を着た美しい少年の姿のままだった。それは、オタクたちが夢見る「変わらない過去」の象徴だったからだ。
だが、本物の神谷アオイは違った。彼は傷つき、挫折し、そして時の流れとともに、ちゃんと大人になって、自分の手でオタクとしての過去を「処分」していたのだ。
「処分された設定資料……店長、それをどこにやったのかしら」
サツキが周囲の棚を見回す。
キシはノートの備考欄の最後に、小さな括弧書きで書かれた文字を見逃さなかった。
『(売れ残り。万世橋の赤レンガ倉庫へ移動)』
「万世橋の、あの地下倉庫だ……!」
2. 静寂の川を渡って
二人はジャンク屋を飛び出し、壊れた2026年の街を再び走り出した。
空の色は相変わらず不気味なモノクロームのグレーで、神田川の水面は、まるで油を流したようにピタリと動きを止めている。橋の向こうに見える赤レンガ造りの万世橋高架橋も、現代の商業施設としての姿と、大正時代の古い遺構としての姿が、無人の静寂の中で不気味に重なり合っていた。
キシの手の中で、スマートフォンの画面が激しく点滅する。
『【警告】:残存エネルギー12%。最終話のコードが入力されない場合、この領域は完全に消去されます』
「時間がない……っ!」
サツキの息が荒くなる。彼女の足取りは、30代後半の身体には過酷なはずだったが、その瞳には一歩も退かない強い意志が宿っていた。
「行きましょう、キシくん。アオイくんが本当に遺したかったものを、私たちがこの目で見届けるのよ!」
二人はあの薄暗い雑居ビルへと滑り込み、湿った地下階段を駆け下りた。
3. 埃のなかの真実
三度目となる、広大な地下倉庫。
主を失い、数千台のジャンクPCも沈黙したその空間は、冷え切った墓標のようだった。
キシはスマートフォンのライトで、棚の最奥、あの鉄製の扉の手前にある古い段ボール群を照らし出した。
ノートの記述が正しければ、1998年に大人になったアオイが手放した「本当の結末」が、このどこかに眠っているはずだ。
「これ……じゃないわ。これは古い雑誌……。キシくん、こっち!」
サツキが、一番底に押し込められていた、ガムテープがボロボロに劣化した小箱を引きずり出した。箱の表面には、擦れたマジックの字で『アルカディア・最終話プロット(神谷)』と書かれていた。
キシが息を呑みながら、その箱の蓋を開ける。
中から現れたのは、色褪せた何十枚もの原稿用紙と、手書きのスケッチ。
それは、ネットが妄想した華やかな劇場版の設定なんかではなかった。
1995年、たった一人でアニメを作っていた少年が、資金が尽き、夢破れた夜に、それでも「これだけは形にしたい」と泣きながらノートに書き殴ったであろう、『アルカディアの残光』第13話――真の最終回のプロットだった。
「これが……アオイの、本当の終わりのコード……」
キシがその最初の1ページ目をめくった瞬間、沈黙していた背後の鉄の扉が、ギィィィ……と重い音を立てて、ひとりでにゆっくりと開き始めた。




