第1節:2026年、瓦礫の街――3/3
―― 7. 20年前のインク、本物の記録――
埃っぽいジャンク屋のカウンターの奥。キシとサツキは、蛍光灯が頼りなく明滅する中で、その古い買取ノートを食い入るように見つめていた。
『1995年10月24日:テレビアニメ「アルカディアの残光」第1話~第4話 録画テープ(未完・打ち切り) 持ち込み人:神谷』
店長の黄ばんだ手書きの文字。それはネットのサーバーが自動生成したテキストデータではない、この街の片隅で、誰かが確かにペンを握って残した「物質としての記録」だった。
「打ち切り……。それに、持ち込み人の名前……『神谷アオイ』……?」
キシはその名前を指でなぞった。
ネットの都市伝説から生まれたはずの、あの黒い学生服の少年。その名前が、実在の人物として1995年のノートに刻まれている。
「サツキさん、これって……」
「……ええ。アオイくんは、ただのネットの妄想じゃなかった。この街に、本当にいたのよ。1995年の秋葉原に、本物の『神谷アオイ』が」
サツキの目から、再び静かに涙がこぼれ落ちた。30代後半の彼女にとって、その意味はあまりにも重かった。
1995年。それはインターネットが一般に普及し始める直前。オタクたちがまだ社会の底辺で、誰にも理解されずに息を潜めていた時代だ。
―― 8. オリジナルの孤独――
キシはノートのページをさらにめくった。
神谷アオイの名前の横には、当時の店長が書き残した、小さなメモ(備考欄)があった。
『高校生。自分で作ったアニメのビデオだと言って持ち込む。第4話までで制作資金が尽きた、と。誰も引き取り手のないゴミ。100円で買い取り。寂しそうな子供だった』
「自分で作った、アニメ……」
キシの脳裏に、あのビルの地下で、巨大なブラウン管テレビの横で誇らしげに両手を広げていた少年の姿が蘇る。
そうだったのだ。
『アルカディアの残光』は、当時の大手アニメ会社が作った大ヒット作なんかじゃない。1995年というオタクの冬の時代に、1人の孤独な高校生「神谷アオイ」が、自室の機材と、なけなしのバイト代をすべて注ぎ込んで、たった独りで作り上げようとした――そして、挫折した「幻の自主制作アニメ」だったのだ。
それがどうして、世界を飲み込むほどの巨大なバグになったのか。
「アオイくんが諦めて置いていったビデオを、当時のオタクたちがこの店で見つけて、初期のネットの掲示板に面白半分、あるいはリスペクトを込めて書き込んだのよ」
サツキがノートを愛おしそうに撫でながら呟いた。
「『神田電子高のアオイくんが、地下で最強のアニメを作ってる』って。それが20年以上の歳月をかけて、ネットの海で尾ひれがつき、みんなの『あの頃は良かった』っていうノスタルジーと合体して、あんな化け物みたいなシステムになっちゃったんだわ」
オリジナルのアオイは、ただの寂しい1人のオタク少年だった。
彼が遺した小さな「未完成の夢」の死骸が、2026年のネット社会の歪みによって、世界を過去へ引きずり戻す怪物へと変貌していた。
―― 9. 凍りついたスマホの胎動――
その時、キシのポケットの中で、バキバキに割れたスマートフォンが「ビクン!」と大きく震えた。
「うわっ!」
キシがスマホを取り出すと、画面から強烈な緑色の光が溢れ出し、ジャンク屋の店内の壁一面に、無数の走査線を投影し始めた。
『【警告】:オリジナルデータの検出に成功。最終話(第13話)のレンダリングを開始します。』
『エラー:エンディング・シークエンスが定義されていません。持ち込み人の「本当の結末」を入力してください。』
「最終話の、エンディング……」
キシは投影されるテキストを見つめた。
アオイ(システム)は、2026年の秋葉原をフリーズさせたまま、待っているのだ。
4話で打ち切られ、ゴミとして100円で売られてしまった、あの切ない物語の「本当の終わり」を。
「キシくん、これを」
サツキがノートのさらに数ページ後ろを開いて、キシに差し出した。そこには、1998年、つまりアオイがビデオを売った3年後のページに、店長の文字で別の『神谷アオイ』の記録が残されていた。
凍りついた2026年を再起動するための、そしてあの美しい少年を本当の意味で救うための、最後の聖地巡礼の目的地が、そこに記されていた。




